傷が、痛む
赤城七葉は、格納庫の隅に位置する扉をノックする。
少し経つと、僅かに扉が開き、隙間から小さな少女がこちらを見上げた。
「…………赤城お姉ちゃん?」
「おはよう、零奈ちゃん。朝ごはんの時間よ」
「っ!! ごはん!? ごはん!!」
赤城が手に持った携帯食に、神剣は小さな手を懸命に伸ばす。
「そんなに焦らないで。きちんと部屋で、座って食べなさい」
「あ、うん…………ごめんなさい、赤城お姉ちゃん」
一転、しょんぼり肩を落とす。
その様子を見た赤城は小さく笑い、神剣の部屋の中へと足を踏み入れる。
いつ見ても、この光景には慣れない。
真っ白なテーブルに、真っ白な椅子が、真っ白な空間にポツンとあるだけ。唯一色があるのは神剣のお気に入りだという茶色のクマのヌイグルミだけ。
これは決して、七海やナンバーズの誰かがそうするようにしたわけではない。
全て、神剣自身の要望だ。以前理由を尋ねた時は、彼女はこう答えていた。
「落ち着くの…………白い方が。本当は、部屋の中にいるのも嫌なの……でも、真っ白だったら、落ち着くから…………」
そう話す神剣の目を、赤城は最後まで見ることが出来なかった。
「……さぁ、食べましょうか」
「うん!」
封を切ると、中から乾いたパンが皿に転がり落ちる。神剣はコップに入った水と一緒にそれを食し始める。
小さく、一口一口、ゆっくりと。
まるでこれを逃したらしばらく食べられないかのように、味わっている。
「零奈ちゃん、どうしてこの前の戦いは途中で帰ったの?」
「んん……だって、弱すぎて飽きちゃったし、、あいつにお兄ちゃんの方が強いんだってこと、思い知らせてやったもん」
「あいつ……?」
「オレンジの、角生えた奴。最後は自分から海に落ちたんだよ。ぷ、ふふ……かっこ悪い……あっはは……」
乾いた瞳が瞼に隠れ、薄い色をした唇から笑い声が漏れる。
しかし、その表情が一瞬の内に苦痛に歪んだものへ変わる。
「いた……!! また、また頭が痛い……また、怖い夢みちゃう……!!」
「怖い、夢……?」
「みんな、いなくなっちゃうの……お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、キラキラした中に行っちゃう夢……なんで、なんで零奈を置いて行っちゃうの? 一緒に行きたいのに、なんで……!?」
頭を抱えたまま、独り言を呟き始める神剣。
赤城は密かに、七海から聞いた彼女の過去を思い出していた。
〜数ヶ月前〜
「七海君、彼女は……?」
七海の背後に隠れ、赤城を見つめる幼い少女。その視線は酷く虚ろで、怯えているのか不自然に揺れている。
「私……前にも、青河ちゃんの時にも言った筈だよ……!! 小さな子を私たちの復讐に巻き込むのは……!!」
「それは少し違うよ。この子は保護したんだ。最初に情報が入ったのは偶然だったんだけど……話せばきっと分かるさ。彼女は僕たちと同じくらい……いや、もしかしたらそれ以上に、彼女にはこの国に、白金の連中に復讐する理由があるってことをね」
「七海君……?」
「さぁ、お姉さんに自己紹介しようか。大丈夫、僕のお友達だから」
七海は優しい声で言うと、少女の背中を押す。
少女はまだ怯えているかのように震えていたが、七海の服の裾を掴みながら、口を開いた。
「か、神剣、零奈……」
「零奈ちゃん……ね。私は赤城七葉、よろしくね」
赤城が微笑みかけると、神剣も微かに笑った。その顔は年相応の少女が見せる無邪気なもので、復讐する理由など無いように思えるものだった。
「それじゃあ零奈ちゃん、お兄さん達に会いに行こうか」
「……?」
「うん。早く会いたい」
返答を待つ間もなく、2人は赤城のもとから離れていく。
後に知ることとなる真実は、赤城が想像していたものよりも残酷なものだった。
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これで、何戦やったのだろう。十までは数えていたが、そこから先は考える余裕もなかった。
ありとあらゆるシュミレーションメニューをこなしたが、まるで手応えがない。どの機体もあのナンバーズには程遠い。
ナンバーズが再び襲撃して来るのはいつか分からない。だが、あの時の借りを返すためには時間も実力も足りない。
《雷導》の改修はヒカリに言っている。これ以上の改造は《雷導》にも、流星にも負担が大きいと言われたが、他に方法があるかと詰め寄ると、黙って了承した。
あとは、自分が更に強くなるだけ。
周りの誰も頼りにはならない。当てにしてはいけない。
その時、誰かの視線に気づく。
視線を感じた方向を見ると、扉の影に隠れてこちらを伺う衣月の姿があった。
「…………っ!」
衣月もこちらの視線に気づいたのか、すぐにその身を隠す。だが逃げ出したりはしない。
わざわざ構う必要は無い。そんな事、流星自身が一番分かっている。
分かっている、が。
自然とその足は、扉の方へと向かっていた。
「あっ……!?」
「何の用だ」
肩を掴み、引き摺り込む形で部屋に入れる。扉を閉め、鍵を閉めた。
「コソコソ何をしていたのか聞かせて貰おうか」
「…………」
衣月は目を伏せ、小さな声で話し始めた。
「翔華ちゃんが怪我をしたのも…………流星君のSWが壊れたのも、私のせい…………」
「……? 間接的だが、それはあるかもな」
「私が、戦場に出れば……こんな事にはならなかった……?」
「それは違う。お前1人がいたところで戦力に決定的な違いは現れない。せいぜい前みたいに自分を犠牲にしようとするのが関の山だ」
「……変わらなきゃ、いけない。嫌だとか逃げてたら、また同じことを繰り返しちゃうのかな……?」
「それは自分で考えて、自分で決める事だ」
冷たく突き放す流星。だが衣月の目には、徐々に光が戻って来ているのを、流星は気づいていた。
それが誰の仕業なのかは、聞かずとも流星は気づいていた。
「流星君、私はもう、逃げたくない! だから……私がまたSWに乗れるように、今度はもっと強くなって皆を守れるように……」
「断る」
言葉の続きを遮られる。
流星に特訓を頼もうとしているのは、本人も感づいていたようだった。
「……そう、だよね…………ごめんなさい、変なこと言って」
「今のお前に出来ることを考えろ。俺から言えるのはそれだけだ」
そう言うと流星は、再びシュミレーターへと赴き、衣月と顔を合わせることはなかった。
「今の私に、出来る事……」
ーー 数時間前 ーー
「衣月ちゃん。衣月ちゃん」
部屋の扉を叩き、呼び続けて10分。
ヒカリはどんなに無視されようと、何時間待たされようと、本人が出てくるまで待つつもりだった。
信じて、待ち続ける覚悟だった。
そして遂に、その時が来た。
小さな音と共にドアが開き、隙間から衣月の目が現れる。
「……ヒカリ、さん」
「入れて、貰える?」
「…………断っても、ずっといる気ですよね」
「もちろん。だから一回諦めて、中に入れるのがオススメよ」
「…………」
観念した様に、ドアのチェーンロックを外した。
中に入り込んだヒカリは、懐から取り出したお茶菓子をテーブルの上に置いた。
「……? 何か、用事が?」
「別に? ただ一緒にお茶でもしようかなって」
「……」
「あ、嘘だと思ってるでしょ? まぁしょうがないか」
包装を開くと、中から甘い香りと共に小さなケーキが現れた。香りが衣月の鼻孔をくすぐる。
「火薬と油の匂いばっかり嗅いでたら、私みたいに貰い手いなくなっちゃうからね。たまにはこんな女の子らしいのも嗜まないとダメよ?」
「そんな…………ヒカリさんは素敵な人が貰ってくれるはずです。私なんかと違って……」
「また自分を貶めて……貴女、流星と真逆に見えて、案外似てるところあるかも」
「私と、流星君が……?」
ヒカリの意外な一言に、衣月は目を丸くする。
「そう。流星は昔から……それこそ、私と会う前から、自分1人で全部何とかしようとする性格だった。誰かの手を借りようともしない、差し伸べられた手すら払い除ける様な、ね」
「でも私、流星君みたいに強くありません。技術とかだけじゃくて……心も……」
「……本当は隊長、やりたくなかったんでしょ?」
「っ!?」
突然核心を突かれ、手にしたケーキを膝の上に落とす。拾う余裕もなかった。
「そんな、事……」
「それでも、自分を選んでくれた隊長の為に、みんなの期待に応える為に、誰にも悩みを言わないで戦い続けていた」
「…………」
「でも、そのせいで貴女の心は限界を迎えていた。弱った精神の綻びを、ナンバーズの恐怖が完全に解いてしまった」
「じゃあ、私は…………」
「貴女はSWに乗るのが怖いだけじゃない。隊長として戦う事も怖くなった……でもそれを責める資格は誰にも無い。貴女が押し潰されそうになっているのに、誰も気が付かなかった。ごめんなさい、衣月ちゃん……」
ヒカリは深く、深く頭を下げた。
そして、衣月は初めて気がついた。
流星が何故、自分に辛く当たっていたのか。それは他ならぬ、流星が自分の本質を見抜いていた為。彼こそ、衣月の痛みを誰よりも理解していた。
「…………すみませんヒカリさん、お茶会はまたの機会に!」
「衣月ちゃん?」
ヒカリが顔を上げるより早く、衣月は部屋を出て行ってしまった。
「…………流星、本当は衣月ちゃんのこと、隊長として成長させたかったんでしょ? …………不器用だなぁ、昔から」
続く