おかえりなさい
光が晴れると、そこは薄暗い部屋の中だった。
蛍光灯があるだけの真っ白な天井に、患者同士を遮るカーテン。
身体を起こそうとするが、それは叶わない。痛みはないが、起き上がるだけの力はないようだ。首を動かして自分の様子を見る。
身体は胸元まで包帯が巻かれているのが分かる。手に は点滴が繋がっており、此方にも包帯が巻かれていた。寝起きのせいなのか、それとも先の戦いで頭を強く打ったのか、まだ意識がぼんやりとしている。
外は薄暗い。おそらく夜明け前だろう。病室には流星以外に人の気配はなかった。
それならばもう少し眠ろうと、流星が目を閉じようとした時だった。
微かな寝息が耳に入る。それに見ると、自分の脇腹辺りに頭が乗っかっていた。首だけを動かし、その顔を確認する。
「衣、月……?」
いつもの制服ではなく、濃紺のシャツに黒いプリーツスカートを履いた衣月が眠っていた。その寝顔はあまりにあどけなく、無防備。第一昏睡状態とはいえ、たった二人の空間でこれだけ隙だらけなのは軍人として、否それ以上に女性としてどうなのだろうか。
だが私服ということは、非番の日にわざわざ見舞いに来たという事。流星は感じたことのない感覚を心に抱く。
「……寝るか」
きっとまだ疲れている。だから思考がおかしくなるに違いない。
目を瞑ってから再び意識が遠のくまで、時間はかからなかった。
── 数時間前 ──
「衣月。そろそろ面会時間終わるってさ」
「……うん。これだけ終わったら行くから」
「遅くならないうちにね」
一週間近く目覚めない彼を、衣月は一日も欠かさずに見舞いに来ていた。
つい先日翔華がベッド生活から解放され、彼女の付き添いで流星の様子を見に来ていた。基地の中へ運び込まれて来た時の喧騒は、部屋の中からでもよく聞こえていた。
「まさか彼奴が……」
作戦の顛末は虎門や天間から聞いた。
大方成功した、と皆は見ているらしい。犠牲こそ出たものの、それは以前よりも少なく、更にはナンバーズを一機撃墜することが叶ったのだ。しばらくの間、千歳基地はこの話題で満ちている。
作戦を立案した衣月の事も上層部は高く評価したようで、様々な場所に呼び出されて忙しそうにしていた。
ナンバーズの機体を鹵獲出来なかった事は悔やまれるが、それでも十分な成果だ。作戦に参加出来なかった事が、翔華にとって少し残念ではあったが。
だが一つ、翔華には気がかりな事があった。
「あっ、ヒカリさん。今丁度夕飯を食べようと思ってたんだけど、一緒に……」
「うん…………折角なんだけど、これから流星の様子見に行くから……ごめんね?」
「あ、いや…………私こそ、ごめんなさい……」
去って行くヒカリの背に、翔華は小さく声をかけることしか出来ない。
肉親にも近い流星が、長い間昏睡状態なのだ。無理もない。
「ヒカリさん……」
「俺も断られたわー。辛いわー」
「うわっ!?」
いつの間にか隣には、虎門の姿があった。その少し後ろには天間の姿もある。
「うわって言われた。もうどうしようもないわー」
「仕方がないじゃないですか。流星君があんな状況じゃ、食事が喉を通らないのも無理はないですよ」
「…………真面目な話、体壊さないか心配なんだよ。あんな細い体で整備士なんてやってるんだ。いつか保たなくなるぞ」
情けない顔から一転、神妙な面持ちになる虎門。確かに今のヒカリからはあまり力が感じられなかった。いつものパワフルでフレッシュな笑顔はなく、萎れてしまった花の様だ。
「どうすれば……」
「俺から言っておいてなんだが、今はそっとしておくしかない。流星が目覚めるまでは、な」
「そうですね、彼ならきっとすぐに…………あ、衣月隊長」
ヒカリと入れ替わる様に、衣月が姿を現した。その手にはいつもの、巨大な弁当箱の入った袋が携えられている。
「お見舞いですか? 今日は確か非番だった様な」
「一応聞くが、その馬鹿でかい弁当は何だ? いくら今日目覚めたとしても、それは流石に食えないだろ…………」
「い、いやだって、流星君長い間点滴ばかりなので…………それよりも虎門さん、例の件はどうですか?」
衣月が言葉を切り出すと、虎門と天間は辺りを仕切りに見渡し始める。翔華が疑問に思っていると、囁く様に虎門は話し始めた。
「まぁ上手くいったみたいだ。あまりここじゃ詳しく話せないが、データが入った記憶媒体も取り出せた。所々傷んでるが……本体もまあまあな状態、あとは衣月次第ってところかな」
「大圓寺司令官には話を通しておきました。上手くやれば何も言わない、と。今回の作戦、何処からか白金の関係者に漏洩したらしくて……あまり司令官も表立って支援は出来ないそうです。出来るのはせめて、私達の行動をこれ以上白金の関係者に悟らせない様にする事くらいだと……」
「……りょーかい。白金の奴等、一体何処から聞き耳立ててんだか」
「大圓寺司令官は、撃破したナンバーズは海に沈んだと報告してくれたそうです。早い内に進めたいですけど、まずは流星君が回復しない事には……」
「それは心配ないだろ。さてと天間、飯は延期だ。あれの様子見に行くぞ」
「はい」
「へ? …………へ?」
事情を知らない翔華を置いてけぼりにし、話は終了した。呆然と去って行く二人を見送っていると、衣月も何処かへ行こうとする。
(明日は…………あの人に連絡を取らなきゃならない。あの機体を取引材料にすればきっと応じてくれる筈。次は絶対、絶対に……ナンバーズを……!!)
「衣月ぃ……!!」
ふと、袖を引っ張られて我に帰る。
そこには涙を目の端に溜め、唇を固く結んだ翔華がいた。
「夕ご飯、夕ご飯、一緒に、ぐすっ、食べなさいよぉ……! せ、折角怪我が良くなったのに、みんなみんな……!」
「あ、ああ、うんうん。分かったから泣かないでよ翔華ちゃん」
その前にまずはやらねばならないことが二つ。
翔華との食事と、夜に流星の見舞いへもう一度行く事だ。見舞いはもちろん、お忍びで。
── 次の日 ──
入ってきた日差しで目が覚めた。
ゆっくりと目を開ける。あの時目を閉じて、二度と目が覚めなかったら笑い話にもならなかったが、そんなことにはならなかった様だ。
ふとあの時のことを思い出し、自分の脇腹を確認する。しかし衣月の姿はもうなかった。
代わりに、
「……おはよう」
翔華がいた。
「あ? 何でお前が……」
「開口一番それとか腹立つ……。何、衣月が良かった? それともヒカリさん?」
挑発的な笑みと言葉で、翔華は流星を煽る。流星は苛立った表情で返す。
「何言ってんだお前……」
「ヒカリさんに甘えたいのかな〜? それとも衣月と甘々になりたいのかな〜? はん、どっちも今は出来ないけどね〜! 残念でした〜!」
今までの借りを返すが如く、翔華は挑発を繰り返した。動けないことを良い事に言いたい放題である。
と、流星はある事に気がついた。
「何食ってる?」
「これ〜? 衣月の愛情たっぷり唐揚げ。欲しい? 欲しい?」
「……」
どうせ何を言っても、あげないと言われて煽られるのがオチが見える。流星は口を噤んだ。
その時、何かがドスンと落ちる音が響いた。
「流、星君……!!」
病室の扉の前には、衣月の姿があった。
「ほら、お望みの衣月よ」
「お望みだと!? ふざけた事……!」
流星が反論するより早く、翔華が側を離れる。そして入れ替わる様に衣月が駆け寄ってきた。
「流星君!! 良かった、目が覚めて、良かった!」
そのまま動けない流星を抱きしめる ── 直前に気がついたのか、照れた様に後ろに手を回して一歩退がる。
「え、えっと……その……今のは…………」
「褒めてあげなさい。衣月ったらほとんど付きっ切りだったんだから。何なら耳元で──」
「だ、駄目駄目! 言わない約束でしょ!?」
「…………」
「あわ、あわわ……!」
無表情で見つめられ、衣月は翔華の背に隠れてしまう。
(こら! 逃げてどうすんのよ!)
(に、逃げてないもん! だ、第一、私は……!)
と、更に後ろから足音が迫る。
「何だ今度は…………まさか」
「流星ぃぃぃっ!!!」
走り寄ってきた影、ヒカリはそのまま流星へダイブアタックを繰り出した。
「ぐっ!?」
「良かったぁ…………流星、本当に、生きてるよね?」
「今ので死んでてもおかしくなかったな……!」
頬を流星の顔に擦り付け、その胸に頭を抱く。
過剰とも言える愛情表現だが、今までの事を考えれば仕方がない。
「おかえり…………おかえり、流星…………!」
「…………」
助けを求める様に流星は衣月を見る。
そんな流星に、衣月は笑顔で言った。
「おかえりなさい、流星君!」
基地に並んだ《鷲羽》の中の一隻。
そのSW格納庫の中には、大破した《雷導》、そしてブルーシートがかけられた何かが並んでいる。
他にはSWの姿はなく、数名の整備士達がブルーシートの周りで作業を行なっている。いずれもヒカリが信頼を置く者達である。
ふと、小さな風が吹く。格納庫の空調がもたらした風は、ブルーシートを微かに捲った。
光を失った《ウインド》のアイレンズが、隙間から覗いていた。
続く