最後の一杯
閉店間際、他の客が去った頃にマスターは言った。
「キラーアイが死んだ」
人が気持ちよく酒を飲んでさあ帰ろうかという時になんて不景気な話を持ち出すんだ、とカウンター越しに「人を殺す目」で睨めつけても、スキンヘッドの大男は何の反応も示さない。私の仕事を知る彼は、ある意味私よりもはるかに多くの場数を踏んでいる熟練者なのだから当然だ。でも抗議くらいはしていいはず。私は客としてこの廃屋じみた酒場に来て、普通より少し多く金を出しているのだから。
「ああ、そう」
マスターは世の影についてよく知っているけれど、それを表に出すことは滅多にしない。また殺し屋が死ぬのはそれこそ話の種にもならない自然発生的な出来事だ。にも係らずその死を口にしたということは、彼か私にとってその名前か死に方が何かしらの意味を持っているということ。今回は私にとって、だろう。
「身内に?」
「そうだ」
「ああ、やっぱりね」
キラーアイというのは、人殺しには見えないその優しげな眼差しを皮肉って付けられた通り名だった。そしてそう呼ばれていたのは、一時期は私と組んで仕事をしていた女だ。
「予想通りか?」
「まあね。彼女は正しかったから」
外縁では、政庁お抱えの警察は若干頼りない。お得意の手続きに阻まれて動きは遅いし、優秀な局員はあっという間に中央に引き抜かれていくからだ。そのせいか同業の中にはあわれな警察局をデフォルメし愛好している奴までいる。一方民警はそれを補う組織で、いわゆる市民の味方であり、私たちにとっては一番身近な邪魔者ということになる。大した報酬もないのに危険に身を晒すことを受け入れているだけあって、民警のメンバーは誰も彼もが強い正義感を持っている、らしい。けれど不思議なことに私たちの組織の中には元民警が少なからずいる。キラーアイもその一人だった。
熱意ある民警でも実際は何かが起きてから駆けつけることしか出来ず歯噛みすることが多いという。だから先制攻撃をする手段として裏の世界に接触する、というのが理由としては一番多いのだとマスターから以前聞いたことがあった。蛇の道は蛇、とかそんな話だ。いろいろと違和感もあるけれど、上も連中にはそれにお似合いの仕事を回して上手く飼い慣らしているという。そして切るときは徹底的に。
もっともキラーアイのいきさつを私は知らない。それに彼女の場合は、どういうわけか待遇が良くなかった。それは私が相棒だった、ということからもはっきり分かる。なにせ私が担当するのはどうでもいいようないざこざから発展した依頼ばかりなのだ。標的に選ばれるのはどうしようもない悪人よりも、誰かと致命的に相性が悪いだけの人間であることが多い。彼女に言わせれば、殺されなければならないほどではない人。そんな奴らを始末する日々は、市民の味方を相当失望させただろう。
娼婦まがいの色仕掛けをよく使う私のやり方にも反感を持っていた。彼女も十分すぎるくらい「使える」部類だったから良いんじゃないかと思ったものの、当人は断固拒否。私がその手を好む理由を明かした日ときたら、よくそんな言葉を知ってるなと思うほど豊富な語彙で散々非難された。非合法の殺人者にも最低限の秩序は必要だ、と。そして衝突(というより私がぶつけられていただけだと思う)が続き、コンビは解消された。
「マスターだって思ってたでしょ。そのうちこうなる、って」
グラスを洗っている男は、これには無言。
上は、民警出身者、または今なお民警と繋がっている奴らと上手く付き合っているし、そのための努力も払っているという。でも、現場ではそうはいかない。民警出の殺し屋は少なからずいる。そして彼らが同業者によって殺されることもまた少なくないのだ。
私は偶然にも彼女から黙って離れることを選んだ。また他の誰かは彼女を消すことを選んだ。つまり、そういうことだ。珍しいことなんかじゃない。
「でも、そう……もったいない気もするな」
なにかと目障りな存在だったことは確かだけれど、それでも私は彼女が嫌いではなかった。自分以外の何かのために一生懸命になる姿は、嫌いになれない。私もそうあれたら、なんてことは今更思わないまでも。
「……彼女はここに来たことがある」
「え」
キラーアイは私のやり方の他に、酒と煙草も嫌った。どちらも私の好物で、早い話、彼女は私の全てが気に食わなかったんだろう。私はそう理解していた。なのに、そいつら全てが揃ったこの店に来ていたとは、どういうことだろう?
「それであいつ、何を?」
「相棒がよく飲むものがあればそれを、と」
まったく。
「閉店の時間だ。最後に何か飲むか?」