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蜂 その1

 虫の羽音がうるさい季節にはまだ早い。

 時期は四月の初め。桜がぽつぽつと咲き始めている。今年の冬はひときわ長く、三月の終わりにも雪がちらつく日があったほどだ。

 四月に入っても、その寒さも名残が残っている。普段より一枚多めに着込んで、二人の少年少女が街を歩いていた。

「兄さん、新生活なんてものと縁遠い私に髪を切れというのは暴論ではなくって?」

「清潔感の問題なの。姉さんや俺がどんな苦労をして毎晩髪を洗ってやってるか分かる?」

「あら、十五のこんな可愛い妹と毎晩お風呂をご一緒できるだけでも、兄さんは十分幸せものなのよ。その程度の苦労のどこが苦労と言うのかしら」

「じゃあ言い方を変えよう。黒髪ロングは姉さんとキャラ被ってるからやめた方がいい。それと、姉さんの長髪は雰囲気にも似合っていて美人感をマシマシにしてるけど、二葉(ふたば)のロングは一言で言うと……横着?」

「横着……」

「手入れもしないし、梳きもしない。髪を乾かして寝もしない。風呂上がりはアイス食べながら延々オンゲーして、シーツは水死体が上がったみたいにビシャビシャ。毎日洗濯させられてる姉さんや金属人形(オートマタ)の気持ち分かる? 抜け毛も多いし、まだゲームでストレス溜めてんの?」

「いやー、フレンドの手伝いでエンド回ってるんだけど下手くそで……」

「ゲームでストレス溜めるならやらなきゃいいのに……。ま、そういうわけだから、今日はちゃんと髪切ってもらうんだぞ。お客さんもくるんだから」

「お客さん? 珍しいね。姉さんの?」

「いいや、俺」

 ぼさぼさ髪の三王寺二葉(さんのうじふたば)は、目を隠すくらいに伸びた前髪の隙間から、強気な瞳を不思議そうに丸くした。

「もっと珍しいね」

「だろう? 兄さんに恥をかかせないためにも、こぎれいにしておくれ」

「ん~……帰りにデートしてくれるならいいよ」

「じゃ、美容院代は自腹で」

「オッケー、交渉成立だね。……ちなみにさ、兄さん、姉さんには髪の長い女の子が好きって言ってなかった?」

「ん? まあ、女の子の好みはどっちかっていうと長い方が好きかな」

「でも、私には切って欲しいの? それってつまり、私は恋愛対象外ってこと?」

「家族には似合う髪型をして欲しいだけ。二葉には短い方が似合ってるよ」

「なるほど、なるほど。……ま、それなら一応納得しておいてあげる」

「そりゃどうも」

 そうして話がまとまると、二葉は自らの右腕を絡ませ、しっかりと手を繋いだ。

「……美容院代、半分くらいもってくれない?」

「ダメ。あのね、俺だって高校生なの。そんなに懐に余裕はないの」

「ぶー。ケチ。……ま、いいや。その分の誠意はデートで見せてもらうから」

 デート、デートとご機嫌そうに鼻唄を謳う妹になんとも言えない表情を見せる少年の名は、三王寺一樹(さんのうじいつき)。今年の春で高校二年生――彼を知る一部の者達からは「探偵」と呼ばれていた。


「ちゃんと短くしてもらうんだぞ?」

「兄さん、私だってそれなりに成熟した乙女だから、きかん坊の子供みたいに適当な長さで切るのを止めってもらったりはしないわ」

「それなりに成熟した乙女ねえ……」

「何よその目は。身体的な特徴が決定付けられるのはもう少し先になるんだから」

 凹凸のない身体に呆れた視線を注ぎつつも、一樹はため息混じりに頷いた。

「わかった。……それじゃ、終わったら連絡くれ。迎えに来るから」

「はーい。……女の子のメンテなんだから、途中で覗きに来たりしないでね?」

「行かないよ。昼は何食べたい?」

「うーん、考えとく♪」

 一樹は一つ頷いて、ひらひらと手を振って別れた。

 二葉が美容院の中に消えてから、一樹はポケットから携帯電話を取り出した。

 数度のコール音の後、のんびりした声が電話口から聞こえてくる。

『はい、お姉ちゃんでーす』

「二葉を無事に連れて行ったよ」

『あら、お疲れさま。ごめんなさいね、お姉ちゃんが行ってあげられなくって。何かわがまま言われなかった?』

「帰りはデートしなきゃいけないので遅くなります」

『あらあら、ご苦労様。帰ったらお小遣い余分にあげるからね。そうだ、気になってたんだけど、今日のお客様は苦手な食べ物ある?』

「たぶんなかったはず。……ていうか姉さん、何度か話したことあるでしょ?」

『食べ物の好き嫌いを聞くような深い仲じゃないも~ん。今日はいい天気ですねーって、顔を合わせたら話しかけるくらいの仲なの。ま、嫌いな人じゃないけどね。使い魔ちゃん、そのまま混ぜてちょうだいね。そうそう、上手よ。二葉ちゃんが作ったとは思えないくらい器用ねえ』

「何か買って帰るものある? 二葉の散髪が終わるまでに、一回家には帰れると思うけど」

『うーん、それじゃあ何かおやつを買ってきてくれる? 二葉ちゃんがデートするなら、お姉ちゃんがちょっとお茶をご一緒しても文句言われないでしょ?』

「ははは……ま、文句は言うだろうけどね。何が食べたい?」

『そうだなあ……駅前の冷やしたいやきがあるでしょう? あれ、食べたいな』

「分かった。買って帰るよ」

『ありがとう。それじゃ、お姉ちゃんお紅茶淹れて待ってるね』

「はーい。じゃ、また後でね、姉さん」

 一樹は電話を切ると、駅前の方へと歩き出した。


 一樹の住む街は、中部の地方都市だ。これといった特産品があるわけでもなく、観光スポットがあるわけでもない。かといって過疎かというとそういうわけでもなく、栄えているかというと、そういうわけでもない。住みにくさを感じることの方が多かったが、住み続けていればあばたもえくぼという具合に慣れてくる。

一樹の幼い頃はがらんとしていた駅前にも、中学に上がる頃から雑多な商店が集まり始め、一応「商店街」の体裁ぐらいは整うようになってきた。

そんな商店街一の繁盛店、冷やしたいやきのクリーム味を四つ買って、一樹は自宅へと引き返していた。

 ――遠くで、救急車のサイレンが聞こえている。

「最近多いな……」

 家のポストに、市のチラシが突っ込まれていたのを思い出す。

 なんでも、最近スズメバチの被害が頻発しているという。巣作りのシーズンでもないのに異常に攻撃的で、街中の公園は閉鎖されたらしいが……。

 どうもスズメバチの根城は公園だけではないらしく、あちこちで蜂に刺されたという声が聞かれる。市としては新学期が始まる前に手を打つべく、駆除の業者を週末に入れるとのことだが、果たして駆除しきれるのだろうか。

「はた迷惑な季節外れもあったもんだ。あー、やだやだ」

 一樹は頭を掻きながら、帰路を急いだ。幸いにも商店街の中や帰り道の住宅街には今のところ蜂の巣は見つかっていない。


 一樹や二葉の暮らす三王寺家は、市の一際小高くなった丘の上の一等地にある。三王寺は市の中でももっとも古い名家だ。その住まいは「お屋敷」という呼び方が相応しく、鬱蒼と茂った木立の中にひっそりと――とんでもなく豪勢な門を構えている。

 三王寺のお屋敷に向かうためには、駅から二十分ほど歩き、さらに五分ほど丘を登らなければならない。二葉をして、「最悪な立地」である。かくいう二葉は現在登校拒否二年目であり、絶賛ニートライフを満喫しているため、立地に文句を言う筋合いはないのだが。

 お屋敷に近付くに従い、人家はみるみる少なくなっていく。まるで、三王寺から逃れるように。のどか――というにはあまりに静かすぎる人家の合間を、一樹はビニール袋を下げて歩いていく。

 ビニール袋と中の紙袋が擦れる乾いた音ばかりが響く中で――。

「きゃああああああっ!」

 甲高い悲鳴が、先ほど歩いてきた住宅街の方から聞こえてきた。

 一樹の歩みが止まる。少し逡巡したように、ビニール袋に視線を落とし――肩をすくめて、悲鳴の方へと駆け出した。


 激しい羽音がしていた。数は一見では窺えない。

 その群れの下には、倒れた少女の姿があった。遠目からでも白い肌には、赤く腫れた箇所が何個も見える。

「大丈夫!?」

 袋を置き、一樹は群れの中に飛び込んだ。群れの蜂たちは激しく威嚇音を鳴らしながら、容赦なく一樹と少女の身体に取り付いてくる。

「……ったく」

 一樹は表情一つ変えず――それどころか、激しい感情を瞳に宿らせ、強烈な蹴りを群れへと放った。蹴りは触れた個体だけでなく、その周囲のスズメバチも叩き落とした。

 蜂達は一樹の身体に取り付き、針を皮膚へと突き立てようとする……が、針先は皮膚を貫くことなく、逆に折れた。鬱陶しそうに一樹は手を払い、残りの蜂の群れも追い払う。

「……あんまり大丈夫じゃなさそうだ」

 顔に蜂が近付いてくるのも構わず、一樹は倒れた少女の身体を担ぎ上げた。

 人一人を持ち上げても、その表情は涼しいままだ。

「安心して、俺の姉さんが治してくれる」

 一樹は優しく少女にささやきかけ、抱き上げたまま群れの中を歩き出した。

 蜂たちは追いすがりなおも襲いかかろうとするが――。

「鬱陶しい」

 一瞬火が爆ぜ、蜂たちを呑み込むと、そのまま火達磨となって蜂たちの残骸は墜落した。


 一樹は全速力で道をとって返し、丘の上を駆け上がると、門を蹴りで押し開け屋敷の敷地内へと飛び込んだ。

「姉さん!」

 庭に入ってすぐ、一樹は大きな声で呼びかけた。

 程なくして、玄関から柔和な雰囲気の、黒髪の女性が現れる。

「あらあらまあ……一樹ちゃん、顔に蜂が付いてるわよ?」

 三王寺乙花(さんのうじいつか)がゆっくり右手の人差し指で「一」の字を描くと、一樹の頬に張り付いていた蜂は、真っ二つに裂けた。

「その子はどうしたの? 新手のナンパ?」

「なわけないでしょ。姉さんのナンパの認識おかしいよ」

「あら、鳩尾に一発ぶち込んで女の子を気絶させて……」

「百歩譲ってもそんなバイオレンスなナンパはしないよ! どう考えても俺がお縄にかかるヤツだよそれ! てか、そんなこと言ってないで……」

「一樹ちゃんが良い子なのは、お姉ちゃんはよーく知ってるわ。さて、冗談はほどほどにしておいて……」

 実の姉にまだ冗談を言う余裕があることに少しだけ安堵しつつ、一樹は少女を乙花に託した。

「刺し傷がいっぱい……可哀想に。ひとまず中に運びましょう。所詮は自然界の毒。適切な治療を施せば、大事にはならないわ。しかし、こうして見ると怖いわねえ、スズメバチ。一樹ちゃん、服の中とかには入り込んでない?」

「うん、大丈夫」

「よかった。あ、冷やしたいやき買ってきてくれたのね! その子の治療が終わったら、お紅茶を淹れましょう」

 ほわほわとした乙花の笑みに頷きつつ、一樹は乙花に続いて屋敷の中に入った。


 少女をリビングのソファに横たわらせると、乙花は優しく頬を撫でた。

「綺麗なお顔ね。使い魔さん達、この子の傷口を塞いであげて」

 乙花の呼びかけに応じ、屋敷のどこからともなく、二枚の羽根を持った金色の不思議物体がふよふよとリビングの中に入ってきた。

 その数は十体ほど。頭に洗濯物らしきシャツを引っかけたものもいる。

「あまり強い薬のルーンを使うとこの子の今後の生活が心配だし……とりあえず症状を緩和していきましょう」

 乙花の指先に、花びらで編まれたような紋様が浮かび上がる。

 その指は使い魔達の背中を撫で、淡く輝かせていった。

「……はい、ご苦労様。あなた達はしばらくそのままで」

「もう終わりなの?」

「ええ。二葉ちゃんの使い魔がいなかったらもう少し時間もかかったかもしれないけど、この子達は私のルーンをちゃんと伝えてくれるから。あとはこの子に効くのを待ちましょう」

「でも、俺の怪我を治してくれる時とかって、もっと凄いルーンで一気に……」

「一般人に強烈なルーンを使ったら、どんな副作用が起きるか分からないわ。それに、お偉方に魔術秘匿が云々と文句を付けられても敵わないし。第一、ただの自然毒程度に心肺蘇生できるようなルーンを使ってもしょうがないでしょう?」

「それは確かに……」

「さ、お紅茶にしましょう。……二葉ちゃんに、今日のデートは延期って言った方がよさそうね。一樹ちゃんも、そんな気分じゃないでしょ?」

「蜂の巣があちこちにある間は勘弁して欲しいかも」

「なら、格闘ゲームとかの対戦に付き合ってあげて。二葉ちゃんひねてるけど、やっぱりこの時期は色々ナーバスになってるんだろうし……」

 不登校少女も新学期、それも新年度となると、思うことは色々あるようだ。

「ああ……そういえば去年も突然ネイルサロンに通って、魔女みたいな爪にしてたね……」

「去年はそういう路線としてみたらありかなーって、お姉ちゃんちょっと思ったけどね。今年は汚いだけだからねぇ」

「……姉さん、たまーにすごい舌鋒鋭いよね」

「それほどでも」

 スカートの裾を少し摘んで、乙花は優雅に会釈した。


「ただいま」

 玄関に仏頂面の二葉が立っている。

「お、おかえり……すごくさっぱりしたじゃないか、今の方が似合ってるよ」

 バッサリショートカットにした二葉の容姿を褒めるものの、表情はぴくりとも動かない。

「今日はデザートバイキングに行きたかったのになー。電車に乗って、帰りに夜景が見えるレストランでご飯食べたかったのになー」

「二葉……俺はそこまでお小遣いないんだけど……」

「た・べ・た・か・っ・た・の・に・な・―」

「二葉ちゃん、あんまり一樹ちゃんを困らせないであげて。今度はお姉ちゃんが出資してあげるから、一樹ちゃんを好きなだけ連れ回しなさい」

「おいくら万円?」

「……お姉ちゃん、二葉ちゃんのそういうところきらい」

「じゃ、じゃあ前向きに検討していただくということで……」

「二葉ちゃんの行い次第だけどね。さ、お手々洗っていらっしゃい。今日のおやつは冷やしたいやきですよ~。お紅茶もあるからね~」


 たいやきをもそもそと口に運びながら、二葉はデートが中止になった顛末を聞かされていた。

「あらあらまあ、それはたいへんでございましたわねー」

「……二葉ちゃん、命に関わることだったかもしれないのよ?」

「それは分かるんだけどさー。今からでもデート行けるじゃーん」

 時刻は四時半を少し過ぎたところ。

「二葉ちゃん、今日は一樹ちゃんの大事なお客様が来るの。あんまりわがままを言わないで」

「……ま、姉さんと兄さんがちゃーんと約束守ってくれるならいいけどね。あ、兄さん。それならさっさと日取りを決めましょう? 日取りが決まっている方が姉さんも出資がしやすいでしょ?」

「……仕方ないわねえ。一樹ちゃん、いい?」

「俺はいつでも。二葉に任せるよ」

「やった! 兄さん大好き♪ 明日までには決めるから、楽しみにしててね」

「はいはい。ああでも、師匠(せんせい)がいる間は勘弁してほしいな」

 二葉はたいやきを半分ほど食べたところで一旦置き、目に鮮やかな紅色の紅茶に息を吹きかけながら、不思議そうに尋ねる。

「せんせい……っていうけど、兄さんって誰かに師事したことあったっけ? 私が小学生の頃からずっとこっちにいるよね?」

「師匠に師事したのは、小学六年生の頃と、中学二年生の頃……かな? 元々、師匠は姉さんに会うためにこっちに来てたんだけど。ていうか、二葉も会ってるよ、師匠には」

「……うそ、全然覚えてない」

「二葉ちゃんは多分、あの人とはお話ししてなかったと思うから……覚えてなくても当然よ」

「……そういえば」

 一樹は少し考え込んでから、乙花の方をちらりと見やった。

「姉さんと師匠、何のお話をしてたの?」

 乙花は曖昧な笑みで応え、紅茶を一口口に含んだ。

「オトナの話、かな?」

 その笑みはいつも通り柔らかかったが、ただ口元が笑っているだけで、目はまるで笑っていない。時折見せる乙花の冷徹な表情に、一樹と二葉はあまり慣れていなかった。

「――そういえば、あの人はいつ着くの?」

「ああ、えっと……確か七時の飛行機だったはず」

「あら、そろそろお料理に取りかからないと……。二葉ちゃん、使い魔ちゃん達は女の子の手当に使っちゃってるから、今日は二葉ちゃんが手伝ってちょうだい」

「えー!」

「あら、お姉ちゃんに刃向かっていいのかしら……」

「……はい! お手伝いさせていただきます! 不肖二葉! 不器用ですがなんでもやらせていただきます!」

「はい、よく言えました。一樹ちゃんは、お迎えに行ってあげたら? 今から行けばちょうど、飛行機が着く頃じゃない? それに、あの女の子はしばらく目覚めないと思うし、男の人同士でしたい話とかもあるでしょう?」

 これから自宅が大災害に見舞われることを、一樹は良く知っていた。

 二つ返事で頷くと、一樹はそれなりの余所行きの格好をして、一路空港を目指した。


                       ◆


 三王寺家――日本でも数少ない、古来から存在している魔術師の名家だ。

 現在の当主は三王寺葉月・水葉夫妻。とはいえ、現在夫妻は日本を離れており、実質的に三王寺家を取り仕切っているのは長女の乙花。

 彼女は魔術師の限界突破(ブレイクスルー)をもたらすかもしれないと言われるほどの才媛。

 太古の時代に編み出され、今やその技術が伝わるのみとなったルーン文字を新たに生み出した――と言われている。「言われている」というのは、現状用いられているルーン文字と違い、一般の魔術師では彼女のルーンの効果を再現することはできない。

 それは彼女の描くものはルーン文字の体裁を整えているようでいて、結局は子供の落書きとそう変わらないからなのか、それとも、当代の魔術師達が彼女の領域に辿り着けていないだけなのか。

 ただどうあれ、三王寺乙花が天才であることは疑いようのない事実だ。

 その妹、三王寺二葉にしても同じこと。ただ、二葉は乙花と大きく性質が異なる。

 彼女が得意とするのは金属術(メタルクラフト)。ありとあらゆる種類の金属を自在に変形、加工するのが金属術の主な効果である。が、二葉の操る金属術はその程度では収まらない。

 彼女が行うのは錬金術や魔法の範疇と言える。銅を銀に、銀を金に――彼女が縛られるのは質量保存の法則のみ。変換と加工に際限はなく、その可能性は無限にも近しい。

「いつみてもこの姉妹のパーソナリティはおかしい」

 ファイルを閉じて、鞄の中にしまい込む。それを見計らったようなタイミングで、シートベルト着用のランプが灯った。

「……だけど、お前も負けてないよな、一樹」

 ボストンから羽田まで、乗り継ぎ一回込みの計十八時間のお陰で、足腰ガタガタ。いくら鍛えてもエコノミー症候群には勝てないらしい。せめて里帰りのフライトぐらいはファーストか、ビジネスくらい使わせてもらいたかったなあ。

それでも着陸姿勢に入った飛行機の窓から見える日本の街並みを見ると、疲れも少し和らぐ。

 飛行機は、降下を始めた。

 日本の土を踏めば、それで一安心というわけでもない。

「――お仕事と、いきますか」

 ズンと、着地の衝撃が機体に走って……俺の長い旅は終わりを告げた。


 荷物を受け取り、空港のロビーに出て携帯を付けるや否や、瞬く間に十八時間分のメールとラインが雪崩れ込んできた。

 送信者は全部同一人物。頭痛くなるね。俺が最後に既読を付けたのは、「おかえりなさい」というただの一言。その後の未読のメッセージは、食べた食事の写真と味の感想、作るのにかかった時間等々……取り留めのないことだ。

 だけど、俺はその一つ一つを噛みしめるように見てしまう。

「……電話してやるか」

 その全てに目を通していたら、色々抑えきれなくなりそうだ。

 俺は通話のボタンを押していた。特に話すことはない。ただ、着いたよと伝えるだけ。

 コール音が数度してから、聞き慣れた声が受話口に響いた。

『おかえりなさい』

「……ただいま、神咲(かんざき)。いきなりだな。もしもしくらい言ったらどうよ」

『あら、柳瀬(やなせ)君的には恋人の甘いお迎えの言葉は不服だった? もしもし、なんて、もしを二回発声するだけの事務的な発言の方が嬉しかったのかしら?』

「いや、嬉しかったけど。……ていうか、飛行機の中じゃ携帯見れないんだから、あんなにメッセージ投げつけられても困るよ。あ、朝食は六十点。昼食は七十五、夕食は七十かな」

『朝食が六十点の理由は?』

「朝の米食は苦手」

『あ、そうだったわね。全く、欧米かぶれには困っちゃうわ。……それで、柳瀬君はいつこっちに帰ってきてくれるの?』

「かぶれって、俺、足かけ十年以上あっちにいたんだけど……。ま、いいや、そこら辺の議論はまた会った時に。――ちょっと一件、早急に片付けなきゃいけない仕事があって。それが済んで、義父さんと義母さんに挨拶してから……かな」

『私も、行っちゃダメ? 柳瀬君、もうずっと日本にいるんでしょう? その、ご挨拶とか、させていただいてもいいんじゃないかなって。柳瀬君も私もそろそろいい年だし、柳瀬君は私が養ってあげればいいし――』

「……仕事が済んだらまた連絡する。料理、楽しみにしてる」

 電話を切って、上着の中に滑り込ませる。

「彼女ですか?」

 俺を見ながら、年相応のからかうような笑みを見せる我が弟子に、俺は笑った。

「婚約者」

「え、いつの間に」

「……本気にするなよ。婚約はまだしてない。付き合ってるけど。ってか、電話聞いてたのか」

「師匠に鍛えていただきましたから。そこら辺は、まあ」

「研鑽を怠っていないようで何より。悪いな、気を使って迎えに来てもらっちゃって」

「師匠がわざわざ来てくれるっていうんですから、弟子が迎えに行くのは当然でしょう?」

「出来の良い弟子で嬉しいよ。大学の頭でっかちを弟子にとるより何十倍もいい」

「……でも、俺の所でいいんですか? 彼女さんや、ご両親のお家に行った方がいいんじゃ?」

「彼女の家は横浜、義父さんの家は福岡なんだ。一応、最終的には横浜の彼女の家にしばらくは居候する予定だけど、一樹のところは福岡に行く通り道だからな、ちょうどいいんだ。……とりあえず、電車乗ろうか」


 一樹の家に行くには新幹線で二時間ほどかかる。なんでも食事は三王寺乙花が用意してくれているらしく、家にさえ着けば食事にありつけるそうだ。

「……で、彼女をほっぽり出してまで優先しなきゃいけない仕事って、なんなんですか?」

「職業魔術師としての初仕事を斡旋――もとい、押し付けられてね。面倒なヤツを追っかけ回さなきゃならない。足取りは日本に来たところまでしか掴めてないんだが、今の日本で魔術師が潜むなら圧倒的に東より西だ。だから、里帰りや一樹んちに寄るのはちょうどいいのさ」

「どういう……ことなんですか? その、潜むなら東より西って」

「東日本、特に首都圏にはマジでやばいのがゴロゴロいる。東京都全体に索敵網張り巡らせてる魔術師とか、街一個を結界で覆って守り続けてるヤツとか、神様と繋がってるヤツとか……。加えて、東北に入れば恐山だ。魔術師が近付いていい場所じゃない。通り抜けるなんて論外だ」

 魔術師と神や霊のような朧気なものは、水と油だ。

 魔術師はそういった朧気なものに形を与え、魔術として行使する。しかし、朧気なものは朧気なままでいなければならない――信仰というものはそういうものだろうと俺は思う。

 とはいえ、礼節を尽くせばお互いに殺し殺されの関係にはなりはしない。

 だが……土足で霊地に踏み込めば、命の保証はないだろう。

「ま、飛行機でひとっ飛びしちゃえばいい話なんだけどね。わざわざ札幌の時計塔にお膝元に出向く悪党はそういないと思うけどさ」

「ああ、最近できたんでしたっけ、日本唯一の魔術師育成の施設……」

「発展途上だし、とてもいい環境とは言えない。ただ、そういう土地柄、今は魔術師の出入りが激しくなってる。その出入りに紛れて、なんかやばいのが入り込んでる可能性はあるかもしれないけど、そいつは俺の知ったことじゃない」

「師匠はそっちにはノータッチなんですか?」

「うん。俺、人に魔術教えられるほど天才じゃないし、器用でもないし。対人戦闘教えたってしょうがないだろ、この国じゃ」

「それで、職業魔術師と」

 俺はゆっくり頷いた。

 職業魔術師というのは読んで字の如く、魔術師を生業にするということだ。そのお仕事は至極単純。一般人にはとても知らせるわけにはいかない超常の力を秘匿すること。

 その秘匿に、手段を選ぶ必要はない。脅してすかして――殺してもよい。それほどまでに、魔術師のお偉方は自分達の専売特許の独占に必死なのだ。

 こと、大災厄の後は特に。

「正直、あまり気持ちの良さそうな仕事じゃないけどね。ま、もらえるものはもらえるし、最低の最低限はこなすだけさ。――だから、お前は俺の手を煩わせてくれるなよ?」

「もちろんです。それどころか、お手伝いだってしますよ、可能な限りは」

「……やめとけやめとけ。ゴタゴタに首突っ込んだって何の得にもならねーよ。しかも、お前を巻き込んだりした時には、俺がお姉さんに何されるか分からん。だから、気持ちだけいただいておく」

「……姉さんに?」

 一樹の穏やかな顔が、少し訝しげなものに変わった。

「おうとも。あの人、ああ見えてめちゃくちゃ怖いんだぜ? ……たぶん、お前が思っているよりずっとな。正直、今日顔を合わすのも勘弁して欲しいぐらい」

「そんなレベルで苦手なんですか? でも……その、うちに来たのって確か……」

「お姉さんと話を付けるため、だな」

 ただ、どんな話をしたか、一樹に教えたことはない。

「今日も、ですか?」

「いいや。――ああまあ、ダメ元で話してはみるかな。本当に、ダメで元々だけど」

「差し支えなければ……教えて、いただけませんか? 姉さんは教えてくれなかったので」

「――そうだな。なら、お前も同席してくれるか? もしかしたら話が良い方向でまとまるかもしれない。望み薄なのは変わらないだろうけど」

「姉さんと師匠の話を自分の耳で聞いて総合的に判断しろと」

「そんな難しく考える必要ねーよ。……ただ、弟子を上手く使おうとしてるだけさ。お前は、せいぜい師匠の役に立ってくれ」

「……師匠にしては珍しいですね、二回失敗したのにまだ拘るなんて。二度の失敗は必然の失敗、でしょう?」

「――だから、手を変えるのさ」

 とはいえ、一樹の言葉はもっともだ。俺が一樹に口を酸っぱくして言ってきたことだから。二度の失敗は必然の失敗。三度目の正直なんていうのは都合のいい、奇跡や偶然のようなものだ。二度あることは三度あるが正しい。

 ただ、それでも――奇跡を信じたい時はある。

 いや、奇跡に縋るしかないと言った方が正しいか。

「……あ、雨、降ってきましたね。困ったなー、傘持ってきてないのに」

 外を見ていた一樹は、突如として水滴の当たり始めた窓を見てぽつりとつぶやいた。

「予報じゃ晴れじゃなかったか?」

「最近、こっちじゃゲリラ豪雨が年がら年中あるんですよ。地球温暖化って怖いですね」

「……そーね」

 俺は短くつぶやいて、飛行機で読んでいたものとは別のファイルを取り出した。

「師匠?」

「……首、突っ込むなよ」

 俺は釘を刺して、資料に目を通し始めた。

「…………はあ。虫は嫌いなんだ」

 資料は長々とした論文だ。

 タイトルは、『魂の定量化について、魔術的見地からの分析』

 ――三王寺の力を借りることなく済む、楽な仕事になればいいんだが。




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