1
さくらの花びらが空を舞う。風のさわやかな風の日に、私は、日々の過ぎさる花の散りざるこの松東中学の庭園に、心やすらぐのであった。風が流れ、風がながれ、時の経つのをわすれるような、ゆったりとした、のんきな感情が私の身体をただようように、ほんわかとさせる春でありました。
昼休みのゆったりとした時、友人たちは校庭に出てサッカーや野球などをたのしむ男子、図書室で本を読む者、教室で会話をたのしむ者たちが、それぞれが、昼の時をゆったりとたのしむのであった。
私は、先日の科学の授業の時、女ともだちにノートを見せて、貸したのであった。しばらくしてノートが返ってきて、そこには歯の浮くような内容の文章が書きこまれていた。それは、カッコいい、好きです。などと、ちょっと私はときめいてしまったのです。
それは、一種のからかいと言うものであったのか?しかし、ちょっと嬉しくもあり、ドキドキするものでありました。
中学になるといろいろな色恋ごとが異様に多くなった。小学時代には、そういう恋事が無かったのでとても新鮮であった。
私は、いわゆる女子に人気があったのであった。
2
時が流れ、春の陽気が鼻をほんわかとさせる。
午後の授業は、数学であった。負の数と正の数を教わった。それは、とても宇宙的なものであった。先生の講義の時々に、春の妖精が教室を舞、生徒たちを祝福している。外のさわやかな風が美しかった。
五時間目の授業がおわり、友人たちは、すこしひとときの休みをたのしんでいた。
私は、窓の外の庭園をながめ、花々をめでていました。花の周りには、蝶が花壇を舞っていた。ハチもぶんぶん飛んでいた。それぞれ生きる事をたのしみ喜んでいた。
そして、6時間目の授業がはじまる。教科は歴史であった。飛鳥時代のこと、聖徳太子の仕事、事業について学んだ。先生は、黒板にいろいろ書き込み、説明してくれた。聖徳太子は、日本国の基礎というか舞台の骨組を築いた偉人だと思った。
6時間目がおわりしころ、日は、たしょう空が黄金色をおびてきて、たそがれを思わせる空気となった。
3
そうじをし、ホームルームもおわり。部活の時間となった。
私は、美術部の部室に入り、さっそく描きかけのデッサンをすすめ修行していくのであった。モチーフは、静物のリンゴ、コップ、水差しであった。私は、そのモチーフを絵画の中で分解して、一つの視点で描かれる絵を、多くの視点で描きすすめた。絵に最大の情熱を込め、形をゆがませたり、いわゆる、めちゃくちゃにして、それでも調和を整えて、私の信念は、ブレることなく作品はつくられて行く。美術部の先生は、絵画を制作していた。私は、部員の作品を見て、いろいろ勉強した。ある者は水彩画を描き、ある者はデッサンをやっている。ある者は油絵を描いていた。
私は、美術部で遊んでいた。
日は、大気のおだやかな霞、下校の時がきた。
日々は過ぎ去り、そんな中学生の思い出に回想をしていた。
三一才、私は詩人となっていた。
春の陽気にさそわれて、なぜか中学生のころを懸命に原稿用紙に書き込み、詩のしていたのでありました。
マグロの刺身に日本酒を一杯やりながら、旅館の一室の窓の外から、春の景色をながめながらの酒でした。
詩人としてデビューして5年の月日が経つ、いろいろやってきた。いろいろ書いてきた。
詩人という身分が、とてもグットな職業であると思った。




