表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春の花  作者: 本多裕樹
1/7

 さくらの花びらが空を舞う。風のさわやかな風の日に、私は、日々の過ぎさる花の散りざるこの松東中学の庭園に、心やすらぐのであった。風が流れ、風がながれ、時の経つのをわすれるような、ゆったりとした、のんきな感情が私の身体をただようように、ほんわかとさせる春でありました。


 昼休みのゆったりとした時、友人たちは校庭に出てサッカーや野球などをたのしむ男子、図書室で本を読む者、教室で会話をたのしむ者たちが、それぞれが、昼の時をゆったりとたのしむのであった。


 私は、先日の科学の授業の時、女ともだちにノートを見せて、貸したのであった。しばらくしてノートが返ってきて、そこには歯の浮くような内容の文章が書きこまれていた。それは、カッコいい、好きです。などと、ちょっと私はときめいてしまったのです。


 それは、一種のからかいと言うものであったのか?しかし、ちょっと嬉しくもあり、ドキドキするものでありました。


 中学になるといろいろな色恋ごとが異様に多くなった。小学時代には、そういう恋事が無かったのでとても新鮮であった。 

 私は、いわゆる女子に人気があったのであった。


              2


  時が流れ、春の陽気が鼻をほんわかとさせる。

午後の授業は、数学であった。負の数と正の数を教わった。それは、とても宇宙的なものであった。先生の講義の時々に、春の妖精が教室を舞、生徒たちを祝福している。外のさわやかな風が美しかった。

 

 五時間目の授業がおわり、友人たちは、すこしひとときの休みをたのしんでいた。

 私は、窓の外の庭園をながめ、花々をめでていました。花の周りには、蝶が花壇を舞っていた。ハチもぶんぶん飛んでいた。それぞれ生きる事をたのしみ喜んでいた。


そして、6時間目の授業がはじまる。教科は歴史であった。飛鳥時代のこと、聖徳太子の仕事、事業について学んだ。先生は、黒板にいろいろ書き込み、説明してくれた。聖徳太子は、日本国の基礎というか舞台の骨組を築いた偉人だと思った。



6時間目がおわりしころ、日は、たしょう空が黄金色をおびてきて、たそがれを思わせる空気となった。




              3

そうじをし、ホームルームもおわり。部活の時間となった。

私は、美術部の部室に入り、さっそく描きかけのデッサンをすすめ修行していくのであった。モチーフは、静物のリンゴ、コップ、水差しであった。私は、そのモチーフを絵画の中で分解して、一つの視点で描かれる絵を、多くの視点で描きすすめた。絵に最大の情熱を込め、形をゆがませたり、いわゆる、めちゃくちゃにして、それでも調和を整えて、私の信念は、ブレることなく作品はつくられて行く。美術部の先生は、絵画を制作していた。私は、部員の作品を見て、いろいろ勉強した。ある者は水彩画を描き、ある者はデッサンをやっている。ある者は油絵を描いていた。


 私は、美術部で遊んでいた。


 日は、大気のおだやかな霞、下校の時がきた。


 日々は過ぎ去り、そんな中学生の思い出に回想をしていた。


三一才、私は詩人となっていた。


春の陽気にさそわれて、なぜか中学生のころを懸命に原稿用紙に書き込み、詩のしていたのでありました。


マグロの刺身に日本酒を一杯やりながら、旅館の一室の窓の外から、春の景色をながめながらの酒でした。


詩人としてデビューして5年の月日が経つ、いろいろやってきた。いろいろ書いてきた。


詩人という身分が、とてもグットな職業であると思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ