第39話 流言 6
今日がここで過ごす最後の日。
これが終われば、治療院で手伝うこともなくなってしまう。
そう思うと今までの疲れで重くなっていた身体に力が湧いてくる。私は再度気持ちを引き締めると姿勢を正した。
昨日シリウスより連絡があったのだ。遂に出立は明日に決まったと。
朝一番に太陽の神殿へと向かうこととなり、旅を共にしてくれるシリウスは、こまごまとした荷物の準備など、手はずを整えてくれている。
旅の途中、何が起こるか分からない。
もしも無事に帰ってくることができたなら、またここで働こう。ここに来てくれる人の為に、何か役に立ちたい。あの、お忍び姿の陛下にだって。
国王の滑稽とも言える変装が脳裏に浮かび、思わず口元がゆるんでしまった。
私は患者を診ながら、いつもよりなお心を込めて丁寧にあたった。
それにしても、相変わらず治療院を訪れる人は多い。いつもの事ながら、終業時間がずれ込んでしまう事だろう。
ようやく終わりが見えてきたのは、ずいぶん日が傾いてきた時間だった。
「この次の方で終わりですわ」
マリーがカーテンの隙間から顔を覗かせて教えてくれた。彼女も少し疲れた表情をしている。忙しい中、いつも良く手伝ってくれたマリーには大変感謝している。
「マリー、いつもありがとう」
そう告げると彼女は顔を赤くして俯いた。「そんな、大した事をした訳では」ともじもじとする。
マリーは勢い良く顔を上げると、「ユウ様、準備ができました」といつもより早口で言った。その反応が可愛らしい。
「そう、では入って貰って」
額の汗を拭って返事をすると、カルテの役割をしている書類に先程の患者の記録を残した。
忙しい一日が終わろうとしている。窓の外に見える、木々の隙間から覗く太陽は斜めに傾いて日差しは弱くなっている。気温も下がってきた。
この空の下、城下では今日も復興に向けて沢山の人々が働いている筈だ。ヴァルサスやレオンも現場に立っていると聞く。彼らも無理をしないで少しでも休息が取れていればいいのだけれど。
ここ最近では城下でも物騒になってきた。
今迄のウィルベリングの治安は王都と言うだけあって良かったのだが、今では違う。魔物の襲撃により深刻なダメージを受け混乱した結果、最近では物騒な話ばかりが耳に入って来るようになってきた。
そればかりか、怪我人や感冒症状などで治療院を訪れる病人が後を絶たない。
あと、気になる事件が起きている。
行方不明となる女性が何人も出ているのだ。
事件の特徴といえば、小柄で髪色が焦げ茶や暗めの女性ばかりが被害に遭っている。しかもウィルベリングの人間だけでなく、国内にいる魔族までもが被害に遭っているそうだ。
いかに魔族といえど個人の能力によっては人に劣る事もあるし、複数人で不意に襲われでもしたら敵わないだろう。
それはまるで、自分の特徴を言われているかのようだった。
シリウスの忠告が脳裏によぎる。
「術者ごと排除するべきであるとも……」
「……その、第三者を血眼になって捜している者もいる。今の君は無力な小娘でしかないというのにどうやって、その身を守ろうというんだい?」
正に、身を守るすべなどありはしない。シリウスやマリー、それにここにはいないヴァルサス達に守ってもらうばかりだ。出来得る限り気を付けなければ。
そこで患者が診察室に入ってきたので、思考を中断し意識を切り替えた。
最後の一人が帰ってマリーと二人、ほっと一息ついたとき、慌しく治療室に入ってくる一団があった。
「ここが治療院かっ! まだ医者はいるのか。急患なんだ、直ぐに見てくれ」
一体何事だろう。
マリーと目配せした後、彼女が直ぐに診察室から出た。様子を見に行ったのだろう。私も遅れず飲みかけのお茶を置いて診察室から出ると、廊下には担がれてようやく立っている男性がいた。日焼けした肌の男性で、紅い顔に荒い呼吸をしている。担いでいるのは彼の仲間だろうか、同じような外見と服装をしている。
どうもこの国の人間ではなさそうだ。その特徴や服装から隣国イルメキスタ人を予測させた。
その男たちの姿が眼に入った途端再びあの、もやもやとする不快な感覚が胸に広がった。これは、一体何を意味するものなのだろうか。