第39話 流言 4
数日後、シリウスの協力で太陽神を祭る神殿を見つけだした。意外な事に、それはウィルベリング国内にあった。場所は王都からかなり外れた国境付近で、国の西に位置していた。それは、かつて私達がいた守護者の砦とは真逆の位置に当たる。
私たちは、神殿までどうやって移動するか計画を立てながらも、私の体力の回復を待つこととなった。もどかしくてならないけれど、到達までの道のりは険しい山越えの次に砂漠地帯が広がっている。移動さえ満足に出来ない状態ではとても話にならない。
頼みのシリウスとて、転移できる場所は限られている。特定の場所しか転移は出来ず、行ったことの無い場所には騎獣などの移動手段はあれども、自分の足で行くしかないのだ。
私の方はといえば、僅かなら治癒が施せるくらいに回復していた。フランやヴァルサスの目をかいくぐりながら、出立の準備を密かに整えながらも、今まで参加していた治療院での手伝いを再開した。せめて、少しでも何かの役に立ちたかったからだ。
しかし、自身の回復を妨げない程度だ。僅かな、なけなし程度の力を消費する訳にはいかず、治癒の力を使用しなくても施せる雑用や処置の介助などの力が必要ない簡単な治療を行った。この国での医療は、意外にもかなり進んでいる。特に外傷や骨折、打撲など、戦闘で発生するものが優れている。逆に内臓疾患については、全てではないが若干遅れていると印象を受ける。この世界の状況ならば、納得できる。しかし、それ以外の分野では、元の世界で知り得た技術が役立つ事もあった。予防医学やメンタルヘルスなども該当する。
私は身体の傷だけでなく心のケアにもできるだけ取り組んだ。人は身体だけでなく、心も傷つき病を持つ。
身体の傷が癒えようとも、心の傷に苦しんでいる人もいるのだ。少しでも、安らぎを提供したかった。
それにしても、なんと今の自分は不甲斐ないのだろう。こんな小さな事しか出来ないのだから。
「ユウさま、今日はわたくしがお供させていただきます」
部屋に入ってきた侍女のマリーは折り目正しく礼をした。手には私の介助に必要なものだろう、道具や物が入った鞄を下げている。
「今日はフランでは無いのですね、お忙しい所申し訳ないのですが、よろしくお願いします」
「いえ、わたくしもユウ様と一緒にお手伝い出来て嬉しいのです。何か、少しでも役に立ちたかったものですから」
付き添ってくれるマリーはにこりと笑った。彼女とはこれまでも何度か一緒に行動している。
以前のように一人で行動する訳にはいかないので、フランの都合がつかない時にはマリーが付いてくれる。
大抵シリウスも付き添ってくれるのだけれど、彼と二人っきりになるのはヴァルサスが強く反対しているので、こんな具合となった。
シリウスと二人きりでいようものならヴァルサスに何と言われるやら分からない。
そのヴァルサスだけれども、最近は少し顔を見てほんの二言三言話を交わす程度でしか時間が無く、随分と多忙な日々を送っている。レオンもその姿をここのところ見かけないのは、黒の騎士団を率いて手薄になってしまった王都の警備に当たると共に、復興にも全力を注いでいるからだろう。何処も人手不足なのだ。
皮肉にも、お陰で私も自分の事に集中できた。もしも、鋭い二人がいれば、これからしようとする事をあっさりと見破られてしまっただろう。
途中何度か休憩を挟みながら、マリーと私は治療院に向かった。
マリーは侍女と言ってもある程度武術の経験がある人物のようで、意外にもフランも全くの素人では無い。
これまでは気付く事さえできなかったが、記憶が戻ってから彼女の身のこなしが分かるようになった。
「ふう、もう少しね」
大きく息を吐く。額からしたたり落ちる汗を拭うと、ふらつく足を止めた。
マリーが返事をしながら、そっと支えてくれる。私は息が整うと、再び歩き始めた。笑顔でマリーの手を断ると、気分転換するかの様にマリーは気軽な話をしてくれた。
「あの、ユウさま。今日は魔族の方はご一緒ではないのですか?」
「シリウスの事ですか? 彼なら他に用があるので今日は居ないんです」
「そうですか……」
私の言葉にマリーはほんの一瞬、残念そうな色を薄茶の瞳に浮かべた。そこで、おや? と気付く。
成程、シリウスは魅力的な人物だし、好意を寄せる者がいても可笑しくない。それどころか、もっと沢山いそう。
シリウスは今回旅の準備のために王城を離れている。彼がいつものように傍にいてくれれば心強いのは確かだけれど、不在でもそう問題はないと思っている。
確かに自身の危険には注意を払っている。けれど、噂はあくまでも噂でしか無く、不確かな情報だけで不用意に襲い掛かられるだろうか? あの混乱の中での、特定の人物を見付けだすだけでも大変だろうに。余程相手が必死になって形振り構わぬ状態であれば、考えられるけれど。
そうこうするうちに、治療院に着いていた。
「ああ、ユウ早速で済まないがここの処置に手を貸してくれないかい?」
「わかりました」
とても病み上がりだとは思えない仕事ぶりのクリス先生は、ちらりと眼だけ動かしてこちらを見ると、再び患者の創部に戻した。処置台の周りは血にまみれたガーゼと、医療器具が並んでいる。
患者である騎士は復興作業中の事故で負傷したのだろう、折れた木材が足を貫通し静脈損傷をしていた。クリス先生は治癒の力を使いながらも細かい作業をしている。折れた破片が体内に入り込んでいるようで、とても神経を使う集中力のいる作業だ。
そう長くここには居られないが、私は処置室に入ると急いで手を消毒し、クリス先生の介助に集中した。マリーは処置の邪魔にならないように控えているが、それとなく出来る事を手伝ってくれていた。
部屋の外には順番を待つ患者で椅子が埋まっている。大掛かりな処置が済んだ後は、隣の空き部屋でクリス先生の手が回らない軽傷者の対応をする。
話を聞きながらただ受け止め、時に励まし、否定をしない。心に抱える思いや感情を受け止め、相手の事を心から気にしていると伝え、そっと触れる。それは、元の世界でも同じように対応できるよう心掛けてきた事だが、実際には何と難しい事だろうか。世界は違えど、人が様々な理由で苦しんでいるのは変わりなかった。
処置を終え話が終わり、患者達は礼を言って帰っていく。「ありがとう」その一言を聞くだけで、胸が温かくなった。
手一杯になりそうな時も、一緒にいるマリーが手を貸してくれたおかげで、何とか患者の数は減っていた。
「次の方、どうぞ」
「失礼する」
低い声と共に堂々と入ってきたのは、大柄な中年男性だった。頭にはターバンのように地味な布を巻きつけている。布に隠されていないのは眉から下で、その顔は何となく見覚えがあった。
意志の強そうな、硬く引き結ばれた口元は少し厚めの唇で、官能的にも思える。しかし特に印象的なのは、宝石のように強い光を放つ青の瞳だった。深い青の中央には緑色を宿し、まるで猫の瞳を連想させる。ヴァルサスが年を取ったらこんな感じだろう。彼の周囲には加護の光が輪になっている。まるで、背後から後光が射しているよう。これは、彼の地位によって与えられた祝福で、重い責任からくるものだった。
勿論、こんなものは常人に見えるものではなく、私ぐらいだろう。
この光を纏う者は、この国にただ一人。
そう、彼は現国王オルバルト・ウル・グランディオーブその人だった。