第39話 流言 3
強い風が吹き抜けて、ざわりと木々が音を立てた。白い花びらが木の葉と共に舞い踊る。その様子は私の気持ちそのものだった。
つまり、シリウスは私よりも私の事を知っていたんだ。
甦っていない記憶さえも、読み取っていたのだろうか。だとすると、まだ他にもあるかもしれない。
シリウスは真剣な面持ちで立っている。私の反応を窺って微動だにしなかった彼が、宝石の様な瞳をすっと窄めた。
「ユウ、僕は君の事が心配なんだよ。君は分かっているのかい? 自分が置かれている現状を」
レーザーのように鋭い眼光が私を貫いた。けれど、逸らす事無くその強い視線を受け止める。
「それは、どういう意味?」
実際のところ、シリウスの言いたい事は分かっていたけれど、あえて尋ねてみる。するとシリウスは、眉根を寄せたあと下を向いた。
「君は、堂々と大衆の面前で転移しただろう? 確かに、あの時は仕方無かったのかもしれないし、僕にも止められなかった。しかし、それを目撃した一般市民は度肝を抜かれただろう。なぜなら、人族には転移など出来ないからだよ。あるとすれば、ごく限られた魔族のみ。それも、相当な使い手で無いといけない。一般市民にとって眼にする機会など、ほとんど無いであろう高度な魔術を眼の前で使われたら、どう感じるだろうね?」
「それは、そうかもしれない。けれど、あの時はそんな事に構ってなんかいられなかった」
そう、少しでも躊躇っていれば間に合わなかったかもしれない。
思う様に力が発動せず、危機を探知するどころか記憶すら無い。そんなあやふやな状態の中、最善の行動を取っただけの事。確たる意志があって出来た訳ではないけれど、余計な事を考える余裕などありはしない。
しかし、シリウスは眉間のしわを深くして唇を引き結んだ。私との距離を一歩踏み込んで縮めてくる。もしかして威圧されているの? シリウスの顔を見る為には、一段と上を向かないといけなくなった。
いつの間にか、こんなにも身長差が出来ていた。初めて会った時には少年だったのに。私だってあれから随分と成長した筈なのに、彼はもっと伸びていた。それこそが、魔族の成長の特徴なのだろうけれど。
「君からすれば、そうだろうね。だが、絶妙なタイミングで現れた、強力な召喚獣を見た者はどう感じる? 窮地を救う圧倒的な力を眼の前にして、強い衝撃や影響を受けない者などいるだろうか?」
「……」
私が返答しないのをどう捉えたのか、シリウスは唇を歪めた。
「こんな噂が流れているのを知っているかい? ヴァルサス殿下は召喚獣をコントロール出来ていないと。それどころか真実は殿下の召喚では無く、第三者がいるのではないか、とね」
ヴァルサスを疑う声が出ている。
はっとした。それは、ヴァルサスの今後に大きな影響をもたらすかもしれない、危険な事態でもある。決してこんな事を望んでいる訳では無かった。
「あれ程の召喚獣を操る力を持つ者だ。そのあまりに強い力を持つその存在を王家が危険視し秘匿しているとね。さらには、コントロールできていない危険な召喚獣などあってはならず、むしろ術者ごと排除するべきであるとも」
シリウスは私の気持ちなど知らないとでも言うように、現実を次々と突き付け、私を追い詰めようとする。だが、その内容は一方的で偏ってもいる。わざとそういう情報ばかり言っているのだろう。
決して悪い話ばかりでは無い筈。
「方や、この強大な力をもってすれば、魔物など怖れるに足らず。大陸の支配者とも成り得るとね」
私は下唇を噛んでいた。そう、そういった考えを持つ人物が現れるのは、予想出来た。彼は高い位置から見下ろすのを止めて、その場にしゃがみ込むと私の顔を覗きこんだ。近付いてきた赤の瞳には複雑な影を宿している。さわさわと、青銀の髪が風に揺れた。
「その、第三者を血眼になって捜している者もいる。今の君は無力な小娘でしかないというのにね。一体どうやって、その身を守ろうというんだい?」
シリウスは私の頬を両手でそっと撫でた。何時の間にやら、本は地面に置いてあった。どうやらシリウスは何もかも知っているらしかった。
今の私に力が無い事も。
つまりそれは、私が中途半端な存在であり、神でも人でも無いという事。神であれば、力が無い不完全な状態などありえない。
また、シリウスから指摘された内容はヴァルサスからある程度知らされているものでもあった。ヴァルサスは言葉を選びながらも、隠さずに教えてくれた。だから、決して一人では出歩かないよう注意されていたのだ。「この王城の中でも危険を避けられない。心配だが、いつも傍に居てやれる訳ではない。然りとて、目立つような事も避けておきたい。出来得る限りの事はしておくが、くれぐれも用心してくれ」と。
けれど、巻き込む訳にはいかない。それぞれ皆、人生がある。
「シリウスは本当に何でも分かっているのね。私一人でこの国を出ようと思っていたのに」
「僕なら君と共に行動できる。一人でなんか行かせないよ」
「でも、貴方には自分の国の生活と責任があるでしょう。それに、危険だってある。あのまま、虚無が大人しくしているとは考えられない」
「いいんだ。国の事はどうにでもなる。ねえ、ユウ。僕を頼りない男だと思って無い? こう見えて結構そうでもないんだよ」
その申し出は非常に有り難いものだった。実際自分一人では限界があるだろうし、力が戻るのを待って、ぐずぐずしている訳にもいかなかった。ましてや、魔物だけでなく人間までも注意しなければならないのだ。
けれども、何が起こるか分からないのに、同行してもらう訳にはいかない。
「ねえ、ユウ。僕を連れて行かないのなら、君を今すぐ僕の国へ攫ってしまうよ?」
「えっ、ええ?」
「本気だからね」
シリウスの笑顔というよりは、ニヤリと何かを企んでいると言う表現が合っている顔を見れば、嫌な予感しか感じない。……私、もしかして今度は脅されているの?
此処で頷いておかないと、とんでもない事になりそうだった。
そういう訳でシリウスには逆らえず、結局同行してもらう事となってしまった。