第38話 記憶 2
更に一週間が過ぎた頃、私は漸く一人で立ち上がれる程度まで回復した。やっとベットから離れる事ができる。そう思うとついつい大きな溜息が零れた。臥床して過ごす時間はあまりにも長く、焦る気持ちに背中を押されながらベットの端へと腰かける。
たったこれだけの動作で息が上がってしまった。私は何度も短く息を吐いては呼吸を整える。
ああ、この調子だと部屋の中で過ごすのが精一杯といったところか。
けれど、いつまでも寝ている訳にもいかない。
気持ちばかりが先行してしまい、体の方は付いてきてくれない。きゅっと唇を噛みしめて、苛々と波うつ気持ちをじっと堪えた。
頭の中は気掛かりな事ばかりで一杯になっている。
記憶が戻った事で、現状をある程度理解できてしまった。けれど、実際の所今の状態では何の対策もできない。分かっているのに時間だけが過ぎていく状況は、何とも歯痒くて焦燥が募ってしまう。
今の私に出来る限りの事を精一杯しよう。せめて、限られている期間の中で少しでも足掻いてやるんだ。
歯を食いしばって宙を睨みつける。その先には見えない敵の姿が浮かび上がっていた。
かつて私の全てを奪った相手。
あまりにも強大だった。今の私になど何が出来るというのだろう。
だが決して、怯まず諦めない。
亀のようでもいい、進んでいこう。
強い決意とは裏腹に、私はまたもや力が使えない只人となってしまった。それどころか、身体能力が劣るので只人以下だ。
これは力を使った後に来る反動なので、どうしようもない。
また溜息が零れてしまった。本当に鬱陶しいのだけれど、溜息で力が戻るのであれば何度でも繰り返したいくらい。
力については今暫らく、回復するのを待つしか無い。なんと心細い事だろうか。かつてのように、思うがまま力が振えない状態は。この状態で襲われでもしたらひとたまりも無いだろう。
せめて体力の回復を急ぐべく、クリス先生に言われるまま養生するしかなかった。
たった数日間だというのに、臥せっていた期間は確実に私の筋力を奪っていた。
力も体力も失ってしまった。頭が痛い事この上無いったら。
これ以上体を衰えさせる訳にはいかず、密かに筋トレなんかを地道にこなしている。こんな姿、一体誰が想像しただろうか。特に、彼だけは見られたくない。
今だって他の誰かに見られでもすれば、ひどく叱責されるのは眼に見えている。フラン辺りは仰天して悲鳴を上げるか、失笑するかもしれない。
想像しただけで寒くなってきた。
しかし、そんな事を言ってもいられないので、人の眼を盗んではこつこつ地道に取り組んでいる。
実際のところ筋トレしている姿なんて、みっともなくて誰にも見られたくないしね。
意識が戻ってからはヴァルサスやレオンやシリウスが交代で様子を見に来てくれた。三人とも無事でいてくれたのだ。
それぞれ短時間で面会を済ましていく。多分、私の体調を慮ってだろう。それと自身が多忙なのだ。
三人はそれぞれ王都の復興に向けて忙しい身となっていて、時間が無い中作って会いに来てくれる。シリウス迄もが忙しいのは、今回の復興に関して魔族も協力してくれているからのようだった。
レオンに聞けば、「なに、かすり傷程度さ」と不敵に笑って肩を竦めた。どうやら大した怪我も無いようで、いつもの余裕を見せてくれた。私がレオンの制止を振り切って飛びだした事については何も言わないし、態度にも出さない。
それは、レオンらしい優しさだった。臥せっている私にストレスを与えたくないのだろう。けれど、そこに甘えずいつかはきちんと言わないといけない。
ヴァルサスも見た目には問題無さそうだった。本人も健常であると笑顔を見せてくれた。ただし、服の下は分からないけれど。
彼はそんな気配をおくびにも出さない人だし、それよりも優しい表情で私を気遣ってくれる。
ヴァルサスは強い。けれど人間なのだ。
人は常に死と隣り合わせに居る。遅かれ早かれ必ず迎えが来る。
彼の事だ、決して体調を悟られまいとするだろう。だから余計に気がかりで仕方なかった。
私はベットから這い出るとゆっくり体を動かした。先程クリス先生の診察が終わり、フランが体を拭きに来るのには今しばらく時間がある。
初めにストレッチから入り、筋肉を解していく。
床に足を広げて身を伏せた途端何処となく遠慮がちにノックの音が響いた。
思わず心臓が飛び跳ねた。
一体誰だろう、こんな時間に。とはいえ、まだ午前中ではある。けれど、いつもの面会は大概昼からなのに。
ともかくこんな姿を見られては不味い事この上ないので、慌てて身を起こすとベットまでにじり寄る。
再度ノックの音がした。今度は少し速めで若干強い。
これはやばいんじゃない?
ちょっと待って、そう返事をしようとしけれど息が乱れて声が出ない。
「ユウ、何があったんだ? 大丈夫かっ」
慌てたようにヴァルサスが駆け寄ってきた。
部屋からは返事が無く、物音だけがするので怪しく思ったのだろう。私の様子を眼にして勘違いしたに違いない。よりによってヴァルサスとは。まだ、フランやクリス先生の方が救いがある。
ベットへ戻るのに自分で思ったよりも手間取ってしまった。よりにもよって、ほふく前進している所を目撃されてしまったのだ。
「ヴァ、ヴァル。違うの、だ、大丈夫だから。これには深い訳が」
ゼイゼイと耳障りな音を立てながら、何とか言えた。
返事をしている間にも、私の体は有無を言わさず仰向けにされていた。私の状態をざっと見てから大きく息を吐いた。
「………無事なのか」
気が付けばベットの上に戻っていた。もちろん全ての動作が自力では無い。
「異常ありません!」
漸く呼吸が落ち付いてきて、今度はすらりと出た。でも、必要以上に威勢良かったりする。
……ヴァルサスを見るのが怖い。
「どうしてあんな状況になっていたんだ?」
視線を逸らして視界に入らないようにしたけれど、雰囲気は嫌という程伝わってきてしまう。
「スミマセン」
これでは何かあった方が逆に良かったのではなかろうか?
ちょっぴり後悔したところで時既に遅し、であった。
読んで下さいまして、ありがとうございます。