第37話 震撼
先程まで魔物で埋め尽くされていた空は、一部分のみ切り取ったように青空が広がっていた。ぽっかりと開いた空間の中心には、黒い魔法陣が異様な様相で展開している。
「これは、一体どうなっている?」
「あの魔法陣が出現すると同時に、周囲の魔物は弾き飛ばされ消滅しました。お陰で、我々も助かったのですが」
カイルとエディルも、茫然と見入っている。いや、その場にいる全ての人間が固唾を呑んで見守った。
先程まで魔物と接近戦を繰り広げ、圧倒的に不利な状況まで追い詰められていた。それが、突如現れた魔法陣により状況が劇的に変化したのだ。一瞬で周囲にいた魔物は死滅し、部隊は壊滅を免れた。
「ゴルゴンに襲われた時と一緒だ」
「我々を二度にわたって救った虹色の召喚獣でしょうか」
現れた魔法陣はその姿を変え続け、瞬く間に球体となる。
魔法陣の中からは、虹色に輝く召喚獣が現れた。それは女の姿をしている。
皆の眼には女性型の召喚獣として映るだろう。
ヴァルサスは召喚獣を見つめながら、胸の内で呟いた。
だが、ヴァルサスにとっては、ユウの姿そのものにしか見えない。たとえ、光を纏った召喚獣の姿であろうと、他人の眼にどう映ろうと。
何故現れた。
今この場所に、よりにもよって召喚獣の姿で。
胸が引き絞られるような気がした。
ユウが例えどんな姿をしていようと、自分にとっては身体の小さな守るべき女性なのだ。決して争いや暴力に向いていない。どれだけ召喚獣として力があるとしてもだ。
自分は無力だ。
どう感じようと、現実では自分の能力を超えたどうしようも出来ない事態に、ただ手をこまねいている事しか出来ない。
魔方陣から現れたユウを見て、ヴァルサスは違和感を覚えた。
以前のユウとはどこか違う。
何と表現すれば良いだろうか。
ユウが召喚獣の姿である時は、その存在感はどこか現実的で無く幻の様であった。しかし、眼前のユウは血肉を持つ者として、確かな存在感を放っている。
ユウは自ら虹色の光を放ちながら、不動のまま空中に立っている。髪と衣はそのものが意志を持つかの如く優雅に揺れ、周囲の風による影響を受けていない。
その姿は、正に女神であった。
だが、放つ空気は全く異なっている。
以前はどこか慈愛を秘めた、心癒される神々しさを放っていたが、今回は女神というよりは断罪の神だ。
纏う空気は刃のように鋭く、畏怖さえ覚える。
まるで周囲の空間さえも、怒りを抱いているかのようだ。
「混沌よ。よくもここまで我が物顔に振舞い、我が大地と愛し子を痛めつけてくれたな。しかし、それも此処まで。これ以上お前の思いどおりにはさせぬ」
大気が震撼する。ユウが放つ気配に、その場にいる全ての人間が竦み上がった。
亀裂から湧きだした黒い霧が密度を増した。
まるで、意志を持って密集し歪んだようだった。僅かに、霧の中に隙間ができる。
―――顔だ。
醜い笑い顔だ。
ヴァルサスには黒い霧が意思を持って、感情を表に出したように見えた。
空中のユウは氷よりも尚冷たい声を放つ。
「今再び、大地の底へと沈むが良い」
強い光に突如視界が奪われる。
上空より眼が眩む程の光が降り注ぎ、太陽が間近に現れたかのようだった。思わず手を翳して光を遮る。知らず、呻き声が漏れていた。
目が眩む程の輝きは一瞬で、頭上を仰ぎ見れば光の帯が空一面に広がっている。
複雑に入り組んで虹色に輝く光の帯は、空を覆い尽くすかの如くに続いている。
「何でしょう? あれは」
「虹? しかし、このような虹など今迄に見た事がありません」
「……いや、違う。あれは魔法陣だ!」
ユウの頭上を中心として、虹色に輝く超巨大な魔法陣が展開されていたのだ。
虹色の輝きを凝視すれば、見た事も無い古代文字がびっしりと描かれている。それが、密度を持って帯状となっているのだ。文様は次から次へと変わっていく。
「馬鹿な……」
「こんな巨大な魔法陣などありえない! 一体どれだけの魔力を消費しているのだっ」
「ヴァルサス殿下、貴方はあの召喚獣をコントロールしておられるのか? 失礼ですが、自分にはそのようには見えません。貴方は今、魔力を消費しておられない」
「召喚獣が自らの魔力を使用して召喚するなど考えられない」
ヴァルサスは、沈黙で返答するのみだ。
眼の前では、迷うことなく行動を続けるユウが居る。一体何を召喚するつもりなのだろうか。これ程の魔法陣など、何を起こそうとしているのか見当もつかない。
「冥府の獣を戒める四門よ、此処へ来たれ」
上空の魔法陣の一部が暗い光を纏う。そこから重低音を響かせて、巨大な漆黒の門が四つ出現した。
陣の一部に、更に魔法陣が組み込まれていたのだ。魔法陣は多重構造となっていた。このような事を成すには、超高度な技と莫大な魔力を必要とするだろう。
出現した門には幾重にも、がんじがらめに鎖が巻き付いており、不気味で不吉な印象だった。門は上空から地上までの空間を占拠する程で、その大きさはハクオウが小さな鳥に思える程だ。視界をめぐらせば、東西南北に位置して巨大な門が出現している。
「一の門、開門せよ」
ユウが鋭く命じる。すると、西側の門が内側から弾けるように開き、黒い鱗に覆われた巨大な蛇が中から現れた。
大蛇の胴体は門一杯の太さを持ち、頭部が五つに分かれて一つの胴体となっている。その姿は長くうねる黒い腕とも見えた。
五頭の大蛇には黒光りする太い鎖が幾重にも巻き付いている。それは、門に巻き付いている鎖が大蛇まで及んでいるのだ。
蛇は巨大な胴体と五つの頭を持ち上げ耳障りな威嚇音を放った。砂が擦れ合う音にも似ている。直ぐに人の耳では捉えられない音域まで上がっていくと、五つの音波は共鳴し、大量殺戮波と化した。
一瞬だった。瞬きするほどの間に、魔物の群れは木端微塵に吹き飛んだ。空中には、魔物の死骸が粉塵のように飛び散っていく。
「す、凄い」
怯える騎獣を宥めながら、エディルが言った。しかし、怯えているのは騎獣だけだろうか? エディルの表情が物語っていた。
魔物達は一体となって大蛇に反撃をする。しかし、門の大蛇に近寄る事さえ出来ない。
「二の門、開門せよ」
冷たい声ユウのが響く。
東側の門が開き、闇色の巨大な猛禽類が現れた。一つの胴体に五つの頭を持っている。これも、鉤爪を持つ腕に見える。五つの頭は同時に嘴を開くと、何かを大量に噴射した。それは羽根だった。槍のように鋭く重量を持つ羽根が、雨あられと降り注ぐ。
魔物を貫き、穿ち、大地に縫い留め、串刺しにする。
その攻撃に、今まであれ程我々を苦しめていた魔物は、鳴き声を恐怖と懇願へ変化させていた。
魔物は攻撃対象をユウへと切り替えた。大群となって一気に押し寄せるが、何かに弾かれた様に吹き飛ばされる。
「三の門、四の門、開門せよ」
ユウは動揺する事も無く続ける。
南北に位置する扉が開き、北からは五頭の黒ドラゴン、南からは五頭の黒獣が姿を現した。いずれも太い鎖が巻き付いており、戒めを受けている。
ドラゴンは五頭の頭を持ち上げた。光が急速に集約すると、一気に爆発する。五本のドラゴンブレスはプラズマを発しながら、一帯を白く焼き尽くし魔物を蒸発させる。
黒獣は五つの口から咆哮を放った。頭蓋が震えるような耳鳴りが起きる。魔物達が不自然に歪んだかと思うと、収縮し潰れていく。まるで、巨大な手にでも潰され、圧迫死したみたいだった。
巨大な召喚獣に対して魔物達も反撃をしているが、まるで、葉虫のように全く相手にならない。魔物が持つ特殊攻撃も、効果が無いようだった。
「何という光景だ」
誰か呟いた。
そうだ。これは、地上の世界では無い。
「だが、幾ら魔物を倒しても、根源をどうにかしない事には、状況は改善されない」
「あの、大地の割れ目ですね。あそこから今も魔物達は湧き出てくる」
カイルも同じ思いを抱いていたようだ。
大地の亀裂からは黒々とした霧と共に、次々と魔物が湧き出て来る。
どうやってあれを対処するのか。
「戒めの獣よ。今、その鎖より解放する」
召喚はまだ終わりでは無かった。
四体の巨大な獣は、甲高い音をたてて戒めから解き放たれた。途端、門は獣諸共掻き消すように姿が見えなくなった。
上空の魔法陣だけが、暗く不気味に点滅している。
魔方陣から巨大な口が生えた。
それは、正に口としか言いようが無い。ドラゴンとも獣とも見えない頭部が、口を一杯に開いて頭上から襲い掛かってきた。あまりの巨大さに、口しか見えない。
ヴァルサスは総毛立った。自分達も巻き込まれてしまいそうだ。皆、息を殺して見守る外ない。まともに騎獣を飛翔させる事が出来ない者さえ出た。
恐怖とも畏怖とも言える感情が、その場を支配する。
巨大な口は、一直線に大地の亀裂へと食らいつく。衝撃に大地が震撼した。ガラスが擦れるような音が一帯に響き、鼓膜が痛いほど揺さぶられる。
召喚獣は魔物達を大地の亀裂ごと一気に飲み込み、深く沈んで行く。やがて、その姿は大地と同化し、消えた後にはおぞましい大地の割れ目は無くなっていた。
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