第36話 出現 9
今回はヴァルサス視点です。
視界を埋め尽くす程の魔物に囲まれている。ヴァルサスの部隊を遙かに凌駕するその数に、騎士達は圧倒された。この状況では、結界に守られていなければ、いくら数を揃えていようと簡単に捻り潰されてしまうだろう。
先程から召喚獣によって攻撃を仕掛けているが、魔物によってできた壁は分厚く一向に状況は変わらない。
いや、むしろ確実に悪化していた。
左隣にはペガサスに騎乗したエディルが戦闘している。いつもならば、その位置にいるのはレオンだったが、今はユウの護衛に付いている。右隣にいるのはグリフィンに騎乗したカイルだった。
二人の呼吸は乱れ、汗まみれとなっている。他の黒騎士達も似たような状況で、顔色は悪く魔力が底をつき始めていた。消耗が激しくいつまで召喚が行えるか分からない。
ヴァルサスはハクオウに騎乗しながら召喚した雷獣を放った。雷獣が攻撃をしている間に、ハクオウが二度目のブレスを放つ準備に入る。また、黒騎士達もカイルを中心として、大掛かりな召喚を開始する。一斉に魔力を練り上げ寄り合わせていく。その攻撃陣の後方では、防御を担当する騎士達が結界を維持していた。
魔法陣が二つ同時に描かれると、ジンとサラマンダーが出現する。ジンとサラマンダーが力を振るうと、突風が押し寄せ火柱が立つ。空間を焦がすほどの高熱が発生し炎の竜巻へと変貌すると、唸りを上げて荒れ狂った。炎が貪欲に魔物達を飲み込むと、肉を焦がす嫌な匂いが辺りに立ち込めた。
しかし、次々と押し寄せてくる魔物の数は尋常では無く、一向に減る気配が無かった。
「キリが無い。一体どうなっているんだっ」
「このままでは我々の方が持たないぞ」
黒騎士達に動揺が広がっていく。その声色には明らかな恐怖が滲んでいた。
「皆、落ち付け。不安や恐怖は余計に消耗させる。冷静さを保て」
「しかし、ヴァルサス殿下。現状は明らかに悪化しています。何か、この状況を打開する手立てが必要です」
カイルが声を上げる。
いつもは冷静なカイルだが、今は焦燥した表情をありありと浮かべていた。
ハクオウがブレスを発射する。地上に向けて空間を分断するかのように放たれた光は、線上にいる魔物を尽く貫き蒸発させ、周りの建物さえも粉塵へと変えていく。遅れて、耳をつんざくような爆発音が轟いた。
束の間、青空が覗いた。
ヴァルサスは青空など随分と見ていない様な、余裕の無い焦燥感にも似た思いに駆られたが、その光景もほんの僅かな時間でしかなかった。
「殿下! そろそろ皆、限界です」
「いや、まだ手はある筈だ。諦めるのは、まだ早い」
ハクオウでさえも力及ばない、非常にまずい状況だった。ハクオウのブレスは破壊力に優れているが、一回の攻撃毎に時間が掛かってしまうのが難点だった。
今の戦力ではこの状況を打破出来ない。こちらの部隊が消耗しきってしまうのも時間の問題だ。
「今一度、皆で召喚を開始する。いいか、再び魔力を集結させろ」
背中に黒騎士達の返事が届く。しかし、逆らうようにエディルが声を張り上げた。
「ヴァルサス殿下、どうか、我々の危機を二度にわたって救った虹色の召喚獣をっ」
「私にも、他に手立てはあるようには思えません」
カイルやエディルや何も言わない黒騎士達の、切羽詰まった思いがひしひしと伝わってくる。
「……あれは、召喚出来ない」
絞り出すような声が出た。
召喚出来ないどころか、むしろこの場にユウが召喚獣として現れる事だけは避けたかった。
ユウは確かに、召喚獣として強力な戦力を持っている。だが、同時に傷つきやすい只の女でもある。
そんな彼女をこの場で戦わせたくなど無い。しかも、人としてではなく召喚獣としてである。
また、その細い肩にこれ程の魔物を退治するべく荷を負わせるのである。彼女の意志とは関わりなく、命懸けの多くの責任と負担を掛けるのだ。
ユウが長い時間ベットに横たわっていた姿が脳裏に浮かぶ。あの時ユウは、死んだようにピクリとも動かなかった。
出来る限り、自分達で対処したかった。例え、どれほど被害が出ようとも、身勝手な考えだとしても。
眼の前で、まざまざと召喚獣としてのユウを見たく無かった。ユウが自分とは違う、より一層遠い存在だと気付いてしまうのが怖かった。
「何故なのです?!」
「私の意思で、コントロール出来るようなものでは無いからだ」
「しかし、二度も召喚されたではないですか」
結界が激しく攻撃を受け、先程から何度も揺らぎを見せている。結界への負荷が大きいのだ。
ワイバーンの毒ブレスを苛烈に浴び、尻尾が無い体に両頭の翼を持つ蛇龍、アンフェスバエナの物理攻撃を受け止める。眼玉だけの肉塊に翼を持つ姿の魔物が放った衝撃波を防ぐ。これは初めて見る魔物だ。
結界は攻撃を良く受け止めていると言っていいだろう。普段ならば、耐久限界を超えている。黒騎士達の召喚獣が魔物を退けてはいるが、後ろから新たな敵が顔を出すだけだった。
「結界の維持が出来ません!」
「このままでは、突破されてしまいます」
火花を散らしながら、衝撃が激しく結界を襲う。四方からの攻撃に結界から鋭い音がすると、結界を維持していた召喚獣達が悲鳴と共に消え去った。同時に召喚していた騎士達から呻き声が上がる。
結界は消失し、魔物が一気に押し寄せてきた。
騎士達は押し寄せた魔物達に接近戦を余儀なくされた。
毒ブレスや衝撃波を受け激しく攻防を繰り広げるが、確実に追い詰められている。衝撃波を避けきれなかった黒騎士は、騎乗しているペガサスの頭部もろとも上半身が吹き飛んだ。全身に毒ブレスを浴びた黒騎士は、地上へと墜落していく。
現状では召喚どころか、魔力を練り上げる事さえ困難となった。召喚が出来なければ、雑魚ならまだしもこの数の他に、上位の魔物相手では圧倒的に不利だった。
負傷者が次々と出ては戦闘不能に陥った。最早、生死の判別さえ困難だ。瞬く間に隊列を維持できない程追い詰められてしまう。
魔物の圧倒的な数に押されて、遂に防御線を突破されてしまった。
後には、守るべき大事な人々が居る城だというのに。
「このままでは、部隊は壊滅してしまいますっ」
魔物による四方からの攻撃に悲鳴が上がる。
「皆、隊列を保て! このままでは分断され孤立してしまうぞっ!」
「ヴァルサス殿下、あの召喚獣を!」
「殿下っ」
カイルやエディル達から悲鳴が上がった。
「城が攻撃されています。あそこだけは死守しなければっ! 我らの家族や恋人がいるのですっ」
「くっ!」
突如、爆風が吹き荒れた。
魔物達は巨大な手に打ち付けられたように、瞬時に弾き飛ばされ消滅した。
今まで魔物に埋め尽くされていた筈の空間が、ぽっかりと空いていた。
「なっ。何が起こっている?!」
この時、誰も召喚を行う余裕など無かった筈だ。どこにも召喚獣の姿など見当たらない。
では、この現象は一体どういう事だ。
正面から吹きつけていた風が逆流を始める。轟々と吹き抜け渦となり、眼の前の空間に吸い込まれていく。
何か、耳障りな音が聞こえる。
音は何かが近付いて来るかのように、徐々に大きくなる。
「何の音でしょうかっ」
「新たな魔物か?!」
遂に激しい摩擦音となった。その音に、思わず耳を塞いでしまう者さえいる。
次の瞬間、落雷のような音を立て、空間が一気に裂けた。
そこからは、漆黒の魔法陣が出現する。
ヴァルサス達の眼の前で魔法陣は密度を増し続け、その姿を高速で次々と変えていく。
「あれは、まさか」
立体魔法陣へと変貌した。
「これは、あの召喚獣か?」
「一体何が起こっている? まさか、殿下が召喚されたのか?」
「そんな行動は……」
ヴァルサスの思考は白く染まった。凍りついた様に、身動きする事ができない。
ただ、その場で傍観するのみだった。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございました。