第36話 出現 8
結界は魔物の攻撃に耐えきれなくなり、私達の目の前から消滅した。
甲高い、ガラスが砕けた様な音が響く。
無防備になった王城には、魔物達が一気に攻め込んできた。
「魔物が侵入してきたっ!」
「王の部隊と戦闘が始まったようだ」
爆発音が合図となったように、雄叫びと剣戟の音が聞こえ、魔物の咆哮が響く。地響きのような重低音が何度も響き、城の一角が吹き飛んだ。
戦闘を回避した魔物が、城中を我が物顔で這いまわっているのが見える。いたる所で悲鳴が上がり、人々が逃げ惑っている。
あちこちで、火の手が上がった。
魔物の群れがここまで来るのも時間の問題だろう。いくら、王の部隊がいるとしても。
急激に喉の渇きを感じて唾を飲み込むと、その音が嫌に大きく感じてどきりとする。口の中はからからに乾燥していて、寒くも無いのに体の震えが止まらない。
ずきりと頭の奥が痛んで、私は額に手を当てた。
何かが浮かびあがろうとしている。けれど、それははっきりとしないまま、霞みがかって消えてしまった。
「う、うう」
「ユウ、大丈夫か? 心配するな。俺が居る」
「う、うん。大丈夫。少し気分が悪くなっただけだから。ありがとう、レオン」
レオンがそっと、その逞しい腕で引き寄せ軽く抱いてくれた。震えが止まらない私を安心させるように、背中をゆっくりとさすってくれる。
レオンの優しい指使いと規則正しい心臓の音を聞いていると、じわりと頭痛が軽くなり、落ち着いてきた。
再び激しい揺れが起こった。体に響く程の重い音と共に、天井から壁の一部が剥がれて落ちてくる。ここがこんな風になっているという事は、他はどうなのだろう。
城外で戦闘していたヴァルサス達はどうなったの? それに、ソレイユやクリス先生にフランは?
ソレイユの決意に満ちた、青ざめた顔が脳裏に浮かんだ。
もう戦闘は、始まっているのだろうか。
彼女は無事なのだろうか。
ソレイユだって恐怖を感じていた筈だ。拳を握りしめてぐっとこらえていたけれど、震えは隠しきれていなかった。ソレイユは私よりも年下のように見えた。十代前半ではないだろうか。それなのに、なんて勇気があるんだろう。
ヴァルサスや私を守ってくれているレオンや戦っている騎士達。それに、下で怪我人の対応をしているだろう人だって。
なのに、私は自分が無力であると怯えてばかりで、唯守られているだけ。
いけない。
行かなければならない。ここで唯、守られるだけではならない。
不思議な程強く感じた。頭痛がぶり返す。
何故だか理由は分からない。
けれど、それが自分の役割のような気がする。
「レオン、お願い。私もここから出て皆が避難している場所へ行かせて」
「どうしたんだ、ユウ?」
「私だけ、ここで守られているなんて。私にだって癒しの力があるのに。少しでも、私にできる事をしたいの」
レオンは表情の無い顔で私を見ている。緑の瞳は何も伺う事が出来ず、初めてその眼を怖いと感じた。
「駄目だ」
「お願い」
「……」
「私、このままでは自分が許せないと思うの。今、この瞬間にも倒れて行く人が出て、治療を必要としている状況がある筈なのに」
私の懇願は受け入れられなかった。レオンの意思は固く、この場から出してもらえそうに無かった。
どうしよう。再び頭痛が強くなり、頭の中がざわつき始める。
まるで私を急かすように、頭の中で音がする。
急げと。
疾く走れと。
鼓動が激しく音を立て、血流が熱を持って全身を駆け巡る。
行くんだ。
いつの間にか、私は走り出していた。
行く手を阻む、レオンの腕をすり抜ける。
不思議だ。私の運動神経では、決してレオンの制止をすり抜けるなど出来ないだろうに。
体が軽い。体重が無くなって、宙を走っているような浮遊感がある。
「ユウっ。待つんだ!」
後ろから、レオンの声が聞こえた。焦りを含んだ鋭い声に、私は止まることなく先へと進んだ。
私は避難場所となっている広間へと向かった。避難している一般市民は一か所に集まっていて、異様な程の静けさを保っている。恐怖に怯えているのだ。聞こえるのは魔物達と戦闘する激しい音だけ。大広間の扉は固く閉じられ、バリケードが作られていた。何処からか集めてきた椅子やテーブルなどの家具で、うず高く築き上げられている。
これではここから先の状況は伺えそうに無かった。けれども、その行動すら不必要となった。
見える。
扉と広間の壁の向こうが透けて見えるのだ。
ソレイユ達女性騎士が、結界を展開しながら戦闘している姿が。
巨大なサイクロプスが腕を振り回すと柱が吹き飛び、壁に大穴が空く。石像になってしまった人々の向こうにはラミアの一群がいて、ケタケタと笑い声を上げながら騎士達を襲っている。床や天井にはムカデのような魔物が這いまわり、宙には蜘蛛と蜂が合わさった様な魔物が飛びまわっている。ムカデの体長は成人よりも遙かに大きく怖気がはしる。蜘蛛の様な蜂は大型犬ぐらいの大きさで、気味が悪い。
対するソレイユ達は、明らかに苦戦している。呼吸は荒く、皆、満身創痍だ。
再び建物が激しく揺れると、壁や天井の一部が剥がれ落ちてきた。
避難している人々から悲鳴が上がった。
「ここに居たのかっ。ユウ。探したよっ」
背中側から声が聞こえた。振り返ると、広間の奥から走ってくるシリウスの姿があった。
素早く私の傍に駆け寄って来る。
「ユウ、僕と一緒に来て。魔族の住む、僕の国へ逃げよう。ここはもう持たない。いいかい、僕以外の魔族は既に自国へと転移させている。この城はもう危険だ」
私はその言葉を受け入れる事は無かった。
駄目。ヴァルサスやレオンや、他の皆が戦っているのに。
否、私には為さねばならない役目がある。
視界はさらに広がって、ビデオを見ているように次々と映像が切り替わる。
外では魔物達から逃げ惑う人々の悲鳴と剣戟の音が響き、戦闘によって美しかった王宮は次々と炎に包まれた。
周りの景色が二重になったようにぼやける。
ざわり。ざわり。
頭の奥から音がする。
私は、この光景を知っている。
そう思った突如、暗闇が押し寄せてきて私の意識は一瞬で飲み込まれた。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございます。