第36話 出現 5
大地が悲鳴を上げながら真っ二つに裂けて行く。裂けた大地には瞬く間もなく人も建物も全てが飲み込まれて消えてゆく。時計塔は崩れ落ち、今まで居た庭園は跡形もない。傍にあった露店が次々と亀裂へと消えて行くのをただ何も出来ないまま、私達は上空から見つめていた。
「そ、そんな。嘘でしょう?」
さっきまで私達が過ごしていた場所は跡形もなく、町の一部は一瞬で飲み込まれてしまった。あるのは底の見えないほど深い大地の亀裂だけ。ぽっかりと空いた深い亀裂の底からは、気味の悪い唸り声のような音が響いてくる。窺ってみても延々と続く裂け目は底が見えない。不気味なまでに、深く闇が凝っているかのよう。これだけ深ければ、飲み込まれてしまった人々は助からないだろう。
ぞくりと、冷たく怖気のする気配が全身を覆った。まるで、前回の地震のときのように気持ちの悪い何かが。
「いかんっ。これは前回と同じ気配だ。ヒエン、全力で城まで飛べ!」
レオンもこの気配を感じたのか、鋭い声で指示を出した。
ヒエンは一気に加速した。弾丸のような速さで急発進し、私の身体は後ろのレオンに強く押し付けられる。素早くレオンの片腕が私の腰に廻されると、しっかりと包み込まれた。
王城にいる皆は大丈夫だろうか。ヴァルサスは? お願い、どうか無事でいて。
私はひたすら祈るばかりだった。
風を切る音が悲鳴のように聞こえてくる。空気が痛いくらいに震え、耳鳴りがしてくる。全身の皮膚が焼けるように痛い。視界がぐるぐると回ってめまいが起き、頭の中で激しく警鐘が鳴っていた。頭の奥で何かの記憶の断片がちりちりと掠めるけれど、それに手を伸ばそうとすると、するりと霧散してしまう。
大地を分断するほどに巨大な亀裂から黒い霧が噴き出した。その量は前回の比では無く、あっという間に広がると視界は黒で覆われてしまった。先ほどから感じる嫌な気配も比例してどんどん膨らんでいき、このまま私達を飲み込んでしまいそうだった。
私達は急ぎ王城へと戻った。王城は地震の被害からは免れていて、心配をよそに無事存在していた。
「城の結界は持ちこたえたか」
レオンがほっとした声を出した。前回の騒ぎを受けて、結界を強化していたらしい。
騎獣専用門からヒエンが滑るように入っていくと、入れ替わりに騎獣に乗った騎士達が隊列を組んで慌ただしく出発していく。
次々と騎士達が飛翔して行くなかには、グリフィンの他、ペガサスやユニコーン、バイコーンもいた。
アーチ状になった回廊を抜け、召喚獣専用の発着場にヒエンは降り立った。その場には武器と鎧を着け武装した騎士や救急用の荷物を持った治療士が、次々と集まっては騎獣に乗って発着場を出ていく。その様子はまるで戦場にいるかのような、緊迫したものものしい雰囲気だった。
その中ですれ違った一人をレオンが呼び止める。
「おい、殿下はどちらにおられる?」
呼び止められた騎士は一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐに敬礼して答えた。
「これは、レオン副団長。殿下は正門にて指揮を執っておられます」
「そうか、呼び止めてすまなかったな」
「はっ、失礼します」
騎士は騎獣に飛び乗ると、隊の後を追ってすぐに飛び立った。
この時の私には、ヴァルサスの事しか頭になかった。ヴァルサスが指揮を執っているという事は無事でいるのだろうけど、この目で姿を見るまでは不安でならなかった。
広い城内を正門目指して急いだ。色鮮やかなタイルで装飾された長い回廊はいつもは静まり返っているけれど、今は人が慌ただしく行き交っていて進み難い。私達は人をかき分けるように進み、天井が巨大なアーチ状になっている大広間を幾つも抜けて、正門前に漸く辿り着く。
鎧姿に帯剣をしたヴァルサスが正門前の大広場にいた。傍にはカインもいる。ヴァルサスは私達が大広間に入った時点で、まるで背中に目が付いているかのようにこちらを振り返った。けれども、私はそんな事に疑問を感じる余裕など全くなくて、気付けば必死でヴァルサスの元まで走りだしていた。
ヴァルサスはカイル他、周りにいる人達へ何か告げると、こちらへ向かってきた。その表情は鋭く引き締まっていて、握りしめた拳が一瞬白くなった。
「ユウ、無事だったか! 怪我はないか?」
「ヴァル! 良かった、王城は無事で」
「レオンも共に無事だな」
私はヴァルサスの声を聞いた途端、膝から崩れ落ちそうになった。視界がぼやけて歪んでいく。一瞬ヴァルサスの腕に手を伸ばして縋りつきそうになったけれど、自分の体を叱りつけ何とか立つ。
今はヴァルサスの事で悩んでいたなど、頭から吹き飛んでいた。とにかく無事でヴァルサスが居る。それだけが全てだった。
レオンもヴァルサスの傍に寄り、言葉を交わすと状況報告を始めた。私達の周りでは、慌ただしく人が立ちまわっている。傍にいる司令官から続々と指示がなされ、新たな状況報告を携えた騎士が次々と集まってくる。
「こちらは無事なようですね。城下は市民区域が地割れに襲われ、貴族区域も地震による建物の倒壊が起こっています」
「ああ、結界を強化していたからな。王城内の者は全員無事だ。しかし、外は耐えきれなかったか」
「予想をはるかに上回る状況です。広範囲に及んで出現した黒い霧も、この目で確認しました。このままでは、被害は恐ろしい事になります。王都は魔物に蹂躙されてしまうでしょう」
「まさに未曽有の危機か」
「ええ。これを乗り越えなければ、明日は無いでしょう」
次々と報告を受けたヴァルサスは、周囲に命令を発した。
「状況報告を怠るな。騎士達は民間人を直ちに城内へ避難させろ! これは、自然発生した単なる地震では無い。必ず魔物が出現する。よいか、決して油断してはならん」
「ユウはレオンと共に避難してくれ。頼んだぞ、レオン」
「はっ、お任せ下さい」
「ヴァルも、気をつけてね」
「ああ。また後で会おう、ユウ。待っていてくれ」
ヴァルサスは己の責任を果たすべく、再び指揮へと戻った。
「決して王城内に魔物の進入を許してはならない。一人でも多くの人命を救助するのだ!」
背中でヴァルサスの言葉を聞きながら、私達は避難場所へと向かった。
胃がきゅっと縮こまって、重たくなるのを感じながら。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございました。