第36話 出現 1
王都は落ち着きを取り戻した。再び城下には活気が溢れ、人々の表情には笑顔が戻りつつある。奇病に罹患した人々は治療を施されて日常へと戻っていき、蔓延した奇病は、もはや手の付けようの無い病ではなくなったために、人々にとって今までのような脅威ではなくなっていた。
しかし、落ち着いているように見えているのは表面上だけの事であり、今だ人々の間では拭えない不安や恐怖が心の中に潜んでいた。
それは、絶えることなく続く地震が人々の心に暗い影を落としているからだ。地震と共に、再び魔物が出現する事を恐れているのだった。
その状況は人々の不安をより強く煽りたて、様々な憶測や流言などが口々に飛び交った。その内容といえば、世界はこのまま魔物によって滅亡を迎えるのではないか。新たな魔物が出現し、奇病を越える疫病を撒き散らすだろう。地震は今以上に強くなり被害は拡大の一途をたどる。やがては魔物によって人類の住まう所は皆無となる。滅亡を迎えた国がある等と実に様々ではあったが、どれも暗く不安を掻き立てる内容ばかりであった。
不安や恐怖によってもたらされた影響は眼に見える形となって現れている。ウィルベリング国内の治安は以前より悪化し犯罪が多くなった。今では、夜だけでなく昼間でも女子供の一人歩きは危険となった。また、物価は徐々に高騰し、物資は品薄状態の兆しをみせている。
今の所、騎士達によって何とか治安は守られているが、犯罪率は日を追うごとに上昇して行く。それは、人々の不安が徐々に強くなっている証でもあるようだった。
また、国内四方では有色の騎士団によって魔物への抵抗力と結界を強化したのだが、地震と共に魔物が出現するようになってから確実に魔物は強くなり、数は多くなっている。
この状況に有色の騎士達は、度々魔物の討伐に飛びまわる事となっていた。
ここ数日間ユウは出来るだけ治療院にいる時間を増やしていた。ユウに出来る事といえば、治療の手伝いや傷の手当てくらいだったが、人手不足の今はそんなユウでも随分と重宝されている。今日も負傷した騎士達が何人も運び込まれて来ていた。
ユウは処置室にて、自分が責任を持って行える範囲の負傷者の手当てに当たっていた。
ここ数日間で、今までより怪我人が多く出るようになったと思う。しかも、その怪我人の何割かは魔物によって負傷した傷では無くて、明らかに人によって傷付けられたと思われる刃物や打撲によるものだった。
最近では王都や、それ以外の地域でも治安が悪くなっているようで、治安が悪化している事を何度も耳にした。ここ王城でも、どことなくピリピリとした空気が流れている。
私にとってもこの数日間はどことなく落ち着かない多忙な日々が続いている。それは自分にとっては有り難い事だとも言えた。何故かというと、忙しくしていれば色々な事を考えなくて済むからだ。ヴァルとの事と自分の気持ち、この世界での自分の居場所。そして自分自身の力や存在そのもの。
一体、私は何なのだろう。
今後ヴァルサスと、どう付き合って行けばいいのだろう。いや、ヴァルサスだけでなく異質な自分は周囲の人とどう接していいのだろう。
考え出せばきりが無い。
だから今は、考える余裕の無い状況の方がありがたかった。
処置室の外へと声を掛けると、新たな負傷者が処置室の中に入ってきた。見ると相手はまだ随分と年若い騎士で、今の自分とあまり変わらない外見をしていた。何となく騎士になりたてかと思う様な雰囲気がある。
具合を尋ねると、年若い騎士は自分の怪我をしている腕を差し出した。見れば、腕に明らかに刃物で出来たのであろう傷があった。騎士の腕に当てられた布は血で濡れそぼる程傷が深く、じわじわと滲むように血が出ている。血管が損傷しているのだろうか。
私は傷口を消毒し感染の無い事を確認すると、傷口を圧迫して止血した。
軽く精神を集中すると、体の奥から癒しの力がするりと出てきて組織を修復し、傷口を塞いでいく。後に残されたのは、赤みを帯びて少し盛り上がった皮膚だけだった。
「腕を動かしてみて下さい」
「あっ、はい。……痛く無い」
指示どおりに騎士は腕をゆっくりと動かした。恐る恐るだけれども腕はスムーズに動き、異常無さそうだった。
私のたどたどしい癒しの力はどういう訳か、力のコントロールがしやすいようになった。また、その力も増したように思える。今迄は力が及ばなかった傷や組織の修復が、あっさりと出来るようになっていた。その理由やきっかけは分からないのだけれど、力が使えなかった事と何か関係あるのだろうか? 周囲は日頃の努力の賜物だと思ってくれているので、私はそのまま否定せずにいた。
「よし、傷の手当てはここまでですよ。お疲れ様でした。傷は化膿していないですが、割と深く出血もありましたから、明日も体調をみせに来て下さいね。今日はしっかり栄養を取って、休んで下さいね」
「はい。あ、ありがとうございます」
手当てを済ませて労いの言葉を掛けると、相手の騎士はうめく様にして礼を言った。その表情を見れば、何かを訴えたい様な顔をしている。痛みが強いのか、随分と疲労がたまっていたのだろうか? 結構出血していたし、しんどいのかもしれない。治療は上手く行えたと思うのだけれど。
「あの、どうされましたか? 傷がまだ痛みますか?」
「い、いえ。その……」
次の言葉を待ってみたが、もごもごとはっきりしない。何だろう?
すると、返事を待っている間に横からさっと声が掛かった。
「では、お疲れ様でした。出口はこちらですよ。はい、次の方どうぞ」
シリウスが処置室のしきりとなっているカーテンをさっと開いて促すように身体を開くと、騎士は結局何も言わずに退室していった。何だったのだろう? まあ、いいか。
私は次の負傷者を処置室へ招き入れた。
それにしても、何故かシリウスと一緒に処置をしている。彼に処置などは出来ないので雑用をしてもらっているのだけれど、気が付くといつの間にやらシリウスが雑用係となって傍についてくれるようになっていた。決してこちらから頼んだ訳ではないのだけれど。
いいのかな? こんな事してもらって。
どうやらシリウスはある程度の身分のある人みたいなのだ。彼には部下のような人達がいるし、周囲の魔族がそういった態度なのだ。
そこは疑問が浮かぶのだけれども、自分から手伝ってくれる本人が良いというので、何となく流されるように受け入れていた。
「ユウ、これがいるんだろ? こっちに準備してあるから」
「えっ? う、うん。ありがとう」
何とも要領が良く無駄が無い。シリウスが手伝ってくれるのは有り難い限りなのだけれども、ときどき押されてしまう。
「何考えてんの? 僕と一緒だと気が散る? 僕はユウの傍に居る事だけで幸せだけど、ユウが辛いのなら……」
シリウスは悲しそうに歪んだ表情を見せると俯いた。
「いえいえっ。つ、次の方どうぞ」
私はあたふたとしながら、処置にとりかかった。処置室にはとてもではないが似合わない、シリウスのニヤニヤとした笑い顔が視界に入った。またもやからかわれたのだろうか。絶対に面白がっているに違いない。私は表面上精一杯真面目な顔を作って、負傷者の治療に当たったのだった。
「よう。ユウ、今日も頑張っているな。元気にしてたか?」
「レオン!」
しばらくして落ちついた頃、処置室奥の裏手からひょいと顔を覗かせたのは、久しぶりに合うレオンだった。あの、城下での地震後に一度、ほんの僅かな時間だけ会ったけれども、後は顔を見る事が無かった。レオンは黒の騎士団副団長という立場にあるので、忙しくしていたのだろう。
「お久しぶりです。何だか、レオンと随分会っていない様な気がする」
「おう、最近は忙しくてな。王都に戻ってこれたのも昨日の夜中だったんだ」
「そうだったの。それは大変だね。レオンの方こそ、体調は大丈夫なの?」
どうやらレオンは殆ど王城にはいなかったみたい。最近では魔物が多く出現するようになっているので、当然ながらレオンも対処に追われていたのだろう。
久しぶりに会うレオンは特に、いつもと変わった様子はないように見える。少し疲れているような印象を受けるけれども、表情は穏やかだった。
「ああ。ところでユウ、こちらは?」
「あ、彼はシリウス。魔族なの。それと、彼が今回の奇病に対して治療法を提供してくれたのよ」
「へえ、君がそうなのか。俺は……」
レオンが言い終わらない内に、シリウスが遮った。
「レオンさんでしょ。存じていますよ、貴方の事は」
「へえ、そうか。俺も有名になったもんだな。よろしく、シリウス」
「こちらこそ、よろしくお願いしますよ」
やけに爽やかに、お互い挨拶を交わし合っている。シリウスなんて、いつもの様子はなりを潜めて、礼儀正しく挨拶なんてしちゃってるし。せめて、十分の一でいい、私にもその態度で接してほしい。
「ところで、ユウ。たまには息抜きに出かけてみないか? 実は、ヒエンがユウに会いたがっていてな。あいつもストレスが溜まっているようで、久しぶりに会ってやってくれないか?」
「ヒエンが私に? そういえば、ヒエンとも随分と会ってなかったかも。……そうね、都合が空けば会いに行ってみようかな」
「よし。なら、都合の良い日を教えてくれるか? ヒエンと一緒に出掛けよう」
「うん。ありがとう、レオン」
「ふーん、楽しそうだね、ユウ」
シリウスが興味深そうに言っている。
気分転換が出来るかもしれない。そう思った私は有り難くその誘いに乗る事にした。
ヒエンと久しぶりに会える事を考えると、私は今の内から気分が軽くなるようだった。
何も考えずに楽しみたい。今の私はただ、それだけだった。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございます