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喚び寄せる声  作者: 若竹
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第34話 奇病 8

 ここは、どこだ。

 ヴァルサスの目の前は、黒で埋め尽くされた空間が広がっていた。景色は黒い闇に支配されるのみで、上下左右の感覚すら覚束ない。一瞬ヴァルサスは眼が見えなくなったのかと思った。しかし、黒の濃淡や僅かな明るさが、失明した訳ではないと気付かせる。足元の闇が蠢いている。見ると、ゆっくりと泥が飲み込もうとするように、足元が黒い空間に沈んでいく。何とも言いようのない、絡みつくおぞましさを感じる黒い泥だった。

 このまま足元が埋まってしまわないよう、ヴァルサスは足を踏み出し歩を進めた。足元が埋まるスピードはゆっくりであるが、足が取られて歩き難い。黒以外何もない世界で、ヴァルサスは声を張り上げた。


「アルフリード! ソレイユ! どこにいるんだ!」


 自分の声が空間に吸い込まれていった。この空間は思ったより広いのか、声が反響しない。自分以外に音を出す物の無い空間の中で、ヴァルサスは何度も声を張り上げた。

 

「兄さまっ!」


 確かにソレイユの声が耳に届いた。振り向くと、ソレイユが喜色を浮かべてこちらに向かってくるのが見える。私は彼女の元に急いだ。


「ヴァル兄さまっ! 良かった、わたくし一人で彷徨っているのかと思いましたわ」

「ソレイユっ。無事だったか、良かった」


 ヴァルサスは自分の胸に飛び込んできた妹を抱きしめた。腕の中の体は意識だけの存在であるというのに、ソレイユは温かかった。実際に存在しているという、心強い存在感がある。どうやらどこにも異常は無さそうだ。思わず安堵の息がついて出る。

 

「しかし、何と暗い所でしょう。それに、この黒い泥のようなおぞましい物は一体……」

「ああ。こんな物がアルフリードの中に存在しているとは」


 ソレイユが身震いしたのが分かった。ヴァルサスは、次に出かかった言葉を口にしなかった。ソレイユをいたずらに不安がらせたくは無い。まるで、魔物の放つ闇の様であるなどと。

 

 二人はアルフリードを求めて彷徨った。一体どれほどの時間が経ったのだろう。時間の経過が曖昧で、長いのか短いのかすら分からなかったが、疲労感だけは徐々に溜まっていくのを感じた。纏わりつく黒い泥は、まるで意志を持つかのように絡み付いてくる。

 微かに、視界に金色の何かが目に入った。この空間で初めて見る、黒以外の物だった。

 近付くと、アルフリードが膝を抱えて胎児のようにうずくまっていた。その姿は闇に浸るかのように、腰まで闇に飲まれている。


「アル兄様っ! 大丈夫ですの、しっかりして下さいまし。迎えに来たんです。眼を開けて下さいなっ」

「これは……」


 アルフリードに呼びかけても返事は無い。抜け殻のようなアルフリードの肩を、ソレイユが思わず掴んで揺さぶるとぼんやりと目を開いたが、その眼は焦点が全く合っておらず、ガラス玉のようだった。

 

「ああっ!? 何なの、これっ」

「どうした? ソレイユ」

「あ、頭の中にっ。入り込んでくるっ」

「ソレイユっ」


 ヴァルサスは肩を掴んでいるソレイユの手を引き剥がそうと、ソレイユの腕に触れたその時。


 ヴァルサスの体は石にでもなったかのように動かせなくなり、頭の中に何かが侵入してくるのを感じた。眼前の景色とは違う景色が浮かび上がり、ころころと画面が変わる。

 様々な声が周囲から聞こえ、それは笑嘲となり、重なっては消えていく。


「こ、これは……」


 アルフリードの記憶だ。唐突に理解した。眼の前には少し若い頃の自分を含めた家族が立っている。しかし、その中にアルフリードのみ含まれていない。家族達は穏やかに談笑し合っている。声だけが、アルフリードもその場に居る事を証明していた。その中で、胸を塞がれるような感情が流れる。

 苛立ち、劣等感、卑小な自己への怒り。

 手の届かない、偉大な父と立派な兄。尊敬と同時に湧き上がる嫉妬。自己への未熟さに対し、くすぶる嫌悪感。


 それらの強い感情に、ヴァルサスは自分が流されそうになったが、そこで抵抗する。


 臣下達のひそひそと、囁く様な声が聞こえてくる。

 アルフリード様ではなんと頼りない事か。現王と兄であるヴァルサス殿下はあんなにも立派であらせられるのに、それと比べてアルフリード様は。ああ、ヴァルサス殿下が王位を継いでくれれば良かったものを。


 やめろ! 煩い! 自分だって努力しているんだ。これは自分の実力なんかじゃない。違うんだ! 

 兄上と僕とでは違いすぎる。なぜ、僕は兄上のようにできないんだろう。


 ひときわ強い思念がヴァルサスの頭を打った。嵐のようなそれを、ヴァルサスは何とか受け止め、流して行く。ヴァルサスと同じく影響を受けているであろうソレイユは無事だろうか。果たして己を保てているだろうか。これに流され、飲み込まれてはいないか?

 ヴァルサスはソレイユの気配を必死で探った。途端、アルフリードの中から自分が弾き飛ばされたかと思うと、記憶の景色の中に佇んでいた。眼の前には今よりも幼いアルフリードがいる。アルフリードは驚いたような表情でヴァルサスを見ている。こちらのアルフリードは反応があるようだったが、この表情からみるとヴァルサスの突然の出現に、驚いたのだろうか?

 アルフリードに重なるように、ソレイユの気配を感じた。ソレイユはアルフリードの中に引き込まれたままの様だ。

 

「アルフリード、お前の意識はこんな所に居たのか。探したぞ」

「……兄上?」

「ソレイユもお前の傍にいる。さあ、私達と共に帰ろう」


 幼いアルフリードは顔を伏せ、視線を合わせようとはしなかった。


「嫌です。私は帰りません」

「アルフリード。私達にはお前が必要なんだ。たとえ、誰が何と言おうと」


 先程のアルフリードの中で見た、記憶と感情。それらが今の事態を招き、アルフリードを苦しめる原因だろう。


「私、……いや、僕は帰らない。ここで、じっとしていたいんだ。兄上、どうして王位継承権を放棄してしまったんだ。どうして僕なんかに譲ったの? 兄上の方がずっと優れているのは誰だって、僕にだって解っているんだ」

「アル……」

「ここは気持ちが良いんだよ。誰も何も言わないし、僕を批判しない。心地好いぬるま湯に浸かっているみたいだ。何も考えなくても良いここは、とても楽なんだよ」

「そうやって閉じこもっているつもりか? 皆、お前を心配して目覚める事を待っているんだぞ。ソレイユだって、お前の為に命懸けでここまで来たんだ」

「……ソレイユ。兄上、二人共僕を放って帰ってくれ! 嫌だ、このままにしてくれ!」


 アルフリードの言葉に呼応するように、周囲に黒い霧が立ち込めた。そのままアルフリードを包み込もうとする。眼の前でアルフリードの瞳は徐々に生気を失い、死んだ魚のような光の無い眼へと変わっていく。


 いけない。このままではアルフリードは黒い霧に取り込まれてしまう。確信めいた考えが浮かぶ。

 思わず腕を伸ばしたその時、意外な人物の声が割って入った。


「甘えないでよっ! わたくしの自慢のアルフリード兄様は、こんな不抜けた人じゃなくってよっ!」


 ソレイユの一喝で霧が四散した。アルフリードの瞳に活気が戻る。

 眼の前には、ソレイユが仁王立ちで立っていた。握りしめた両の拳が、ぶるぶると震えている。


「アルフリード兄様は、表には見せないけれど意外と努力家で、不器用だけど意思の強い自慢の兄ですわっ! 周囲が何だっていうの。そんなの、勝手に言わせておけばいい。きちんとした評価は後から付いてくるもの。わたくしには分かっています。じきに、そんな言葉は出なくなるという事を」

「ソレイユ」

「私だってそうだぞ。お前の代わりは誰も出来ないし、私にだってお前のようにはなれない。お前は、私にとってかけがえのない、自慢の弟だよ」


 そう言って、手を差し伸べた。幼いアルフリードはおずおずと手を伸ばしたが、力強く私の手を握った。


「兄上っ」


 私はアルフリードを引き寄せると、抱きよせた。すると、ソレイユまでもが横から抱きついてくる。二人分の重みが私の体に掛かってくる。アルフリードの肩が震えているのが分かった。


「一緒に戻ろう」

「はいっ」


 途端、身体が淡い光を放ち、そのまま急速に意識が引き上げられるのを感じたまま、目の前が白く染まって行った。





 アルフリードの容体は落ち着いた。私とソレイユは無事意識を取り戻し、アルフリードの魔力の放出は止まっていた。

 容体は日を追う毎に改善し、やがて、アルフリードはベットから起き上がれるようにまでの回復ぶりを見せている。

 王都に広がる奇病の蔓延も治療法が見つかった今、次々とその数を減らして行き、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 この国は、魔族に随分と大きな借りを作ってしまったな。

 私は窓の向こうに広がる、抜けるように青い空を見上げた。






今回も読んで下さいまして、ありがとうございました。

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