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喚び寄せる声  作者: 若竹
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第34話 奇病 6


 私にとって眠れなかった一夜が明けた。

 今、私の周囲では奇病治療への準備が着々と進んでいく。眼の前では治療スタッフ達がずらりと揃い、治療に対する説明を受けていた。

 けれども、私の思考はともすれば、ヴァルサスの事ばかりに逸れてしまっていた。眼の前の事へと集中できず、つい意識が散漫になってしまう。そんな自分を叱りつけつつ、眼の前の資料に集中しようと気を引き締めた。

 私は今、治療院の一室に居る。ここは、緊急の会議を行う際に使用する、広い空間が確保してある場所だった。いつもはがらんとして寂しい筈のこの部屋は、異様な緊張感と熱気が籠っている。誰ひとり無駄口を叩く者は無く、しわぶき一つ立たなかった。しんと静まり返っている異様な空気の中、説明をする声のみが淡々と響く。

 私は部屋前方で説明をしている魔族を見ようと顔を上げた。すると、その傍近くに座って資料に眼を通している、ヴァルサスの姿が視界に入ってしまった。ヴァルサスは、この広い空間の上座に当たる場所に居て、私の席とは随分離れた場所にいる。

 もう、何度目だろう。こうやってその姿や表情を見てしまうのは。私は何度も繰り返して自分が嫌になってしまうくらい、気が付くと彼を見てしまうのだった。いけないと、何度も直ぐに視線を引き剥がしているのに。

 ヴァルサスの傍には、カイルが控えていた。さらに、その他部屋には役人達と治療士やスタッフ、関係者と思われる人達と共に、シリウス含む魔族数人がずらりと揃っていた。

 

 奇病治療に対しては、今この説明を行われている間にも、並行して行われていた。部屋の外からは、人と物が慌ただしく何度も出入りする気配が微かに伝わってきて、皆初めての事に戸惑っているのが良く判る。

 それは、今の現状が少しの時間も無駄にできない事実も、如実に表していた。今行われている説明も、僅かな時間しか無い中行われているため、簡潔明瞭かつ淡々と進んでいき質問は許されていない。そして、終わればすぐに私達も実施に参加するのだ。共に治療に参加し、経験する事での知識の共有を図ると共に、不測の事態に備えて少しでも人手があった方が良かったからだ。

 奇病が発症している人にとっては、残された時間は僅かしかなかった。

 

 今ここで説明を行い、治療に対して主導権を握っているのは魔族の治療士達だった。配布された手元の資料には、魔族での現状と治療、症例などが詳細に書かれている。シリウスは昨日消えた後、魔族のスタッフと共にこれを全て準備したのだろうか? よくもこれだけの物を、と感心してしまう。揃えるには一体どのくらいの人と物、手間がいったのだろう? 感謝の念が湧きあがったが、それと同時に疑問も浮かび上がってくるのだった。

 シリウスは一体何者なのだろう? 一般の者ではこんな事は不可能だろうに。感謝しつつも疑問が頭から離れていかない。

 また、資料の内容にも驚愕させられていた。ただし、この突然の事態や治療内容に驚愕しているのは、私だけでは無い事は確かだろう。多分、ここに居る全ての人間が当て嵌まっている筈だ。それは、実際この部屋の雰囲気が良く物語っていると思う。


 しかし、この魔族側から提供される奇病治療を実施する事に、皆驚きや困惑を隠しきれない。中には拒絶や嫌悪感を覚えた者もいる。それはそうだろう、突然治療に横槍が入ったのだから。見ず知らずの第三者、しかも他種族が割って入ってきては、良い思いはしないに違いない。皆、それぞれ自分の仕事に責任や誇りを持って、患者に全力で当たっているのだ。

 しかし、それでもこのように魔族の介入をスムーズに実現できているのには、理由がある。それは、奇病自体が未知の病で、治療法が分からず打開策が無い事。さらに被害は拡大の一途を辿っており、王族が奇病に掛かったにも拘らず、手をこまねいているしかない状況にあった。そのため、今回の突拍子の無い事態に一切の物を捨てて、飛び付いたのだった。さらに、背中を押す様に王家からの命令が下った。これには誰も反対出来なかった。間違い無くヴァルサスが手を尽くしてくれたに違いない。私は同じ治療室で、資料に眼を通しながら説明を聞いているヴァルサスをそっと見た。

 

 私はヴァルサスに感謝して、またも思考がぶれてしまった。あの、激しい口づけによって、私の唇はまだ少し腫れている。唇をそっと舌で舐めると、微かにヴァルサスの味がしたような気がして、思わずどきりと心臓が跳ねた。昨日の行為は熱い焼き鏝の如く、私の唇にヴァルサスの感触を刻みつけられてしまったかのよう。

 私はキスが初めてという訳ではない。もちろん初心な反応をする程経験が無い訳でも無かった。ただ、それは生前の事であって、こちらでは少し違うけれど。

 この世界での初めての軽いキスと、二度目の深い口づけは共にヴァルサス一人だった。

 ただ、あんなに激しく身を焼かれる様な口づけは初めてだった。私の体と心に深く刻みつけられるような物は。

 あの時、明らかにヴァルサスの欲望を感じた。それは、私を子供などでは無く、一人の女として見ている事をはっきりと私に知らしめたのだ。

 ヴァルサスが少し前に、私に言った事が甦る。

 

 子供であるとは思わない。成人女性として見る。

 そう言ったのだ。

 ヴァルサスは親兄弟ではない。私にとって、一人の男であるとはっきりと自覚してしまった。昨日改めて感じた筋張った大きな手も、しっかりと美しい筋肉が付いた逞しい身体もヴァルサスが男性である事を主張していた。

 今後どうヴァルサスと接すれば良いのだろう。私は分からなくなってしまった。

 いけない。今は、そんな事を考えている場合じゃない。

 

 私は意識をなんとか切り替えた。






 私達が治療室に入ると、部屋には大きな魔法陣が描かれていた。その上には数人の患者がベットと共に運びこまれている。焚かれている香がうっすらと紫煙で部屋を覆い、四方から治療士達の呪文が這う様に部屋を満たしていた。

 それは、何とも怪しく奇妙な光景だった。このような呪いか祈祷を思わせる行いは、奇病の原因が意外にも精神領域にあったからだ。そのことが、奇病の原因を今まで誰にも分からせず、対応させないでいた。

 

 数人の患者達の中にはクリス先生もいた。先生の容体は昨日よりもさらに悪化しているのが、傍目にも簡単に見てとれる。ここに集められているのは一刻の猶予も許され無い者達ばかりで、皆同様に立ち昇る魔力が弱々しく消えそうになっていた。その代わりに、毒々しい程に黒く淀んだ靄のような物が、身体という器から溢れるように滲み出している。なんという禍々しさだろう。まるで、視覚から侵されたかの様に、私の身体にぞわりと怖気が走った。


 やがて、唱えられる呪文がうねるように大きく激しくなった。部屋には緊張が走る。何かを払うかのように呪文を唱えていた魔族達から発せられる。

 途端、私には黒い靄が砕け散るように消え去った。床に描かれている魔法陣が淡い光を帯びて、美しく浮かび上がる。

 

 すると、今まで虫の息だった患者達の呼吸が安定した。心なしか、放出される魔力の輝きに力が籠ったように見えたけれど、やがてそれも収まった。どうやっても止める事のできなかった魔力の一方的な放出が、ぴたりと止まったのだ。

 周囲からわっと声が上がった。初めて、奇病という避けられない死から助け出す光が見えたからだ。周囲の興奮している声が溢れんばかりに部屋を満たした。

 しかし、一人だけ状態の変わらない患者が居た。クリス先生だ。

 黒い霧はその存在を主張するように濃さを増して、纏わりついているように見える。

 呪文は途切れず詠唱され続けていたけれども、魔族の術者は額に汗を浮かべて、髪を張り付かせていた。その様子から、再び部屋には息詰まるような沈黙が覆った。


「誰か、彼女の家族や親しい友人はいないか? 彼女の精神を救うにはその人の協力が必要だ!」


 状況を察したシリウスが緊張した声を放った。こんな声音、私は初めて聞いたかもしれない。

 けれども、クリス先生の事を詳しく知る人物は誰もいなかった。私は今まで知らなかったけれど、先生は家族と呼べる人が居ないのだそうだ。この国の治療院で働く以前には子供が居たそうなのだけれども、その子供も病で亡くなっていた。そんな事、私はちっとも知らなかった。普段の表情からは決して伺わせず、事情を知ることは無かったのだ。


「私が手伝いましょう! 何をしたらいいでしょうか?」


 その声を発したのは、意外な事にカイルだった。カイルはシリウスに指示されるまま、用意された椅子に腰かけクリス先生の手を握ると、意識を先生に合わせる。シリウスが何か唱えると、途端にカイルは意識を失った。それを見て、周囲に動揺が走る。


「彼は今、精神のみで患者の精神領域に入り込みました。成功すれば、侵されている患者の意識をこちらに導く事が出来る筈です。我々は彼と患者の絆を信じましょう」


 私は思わず息を飲んだ。資料の一部にこのような内容が記載されていたけれども、それはかなりの重症例で、心の闇が深い者ほど精神が蝕まれ改善し難いと。それに、協力者も一緒に引き摺られ、精神が闇から戻れなくなってしまう危険性が十分にあった。

 私達はひたすら眼の前の事態を見守った。クリス先生の呼吸がか細く、何度も止まりそうになった。纏う魔力が弱々しく掠れて殆ど眼には見えなくなる。

 

 時間がとても長く感じられ苦しくなった頃、魔法陣が淡い光を放った。

 ピクリとカイルの体が動いたかと思うと、意識を取り戻した。カイルがクリス先生の手をぎゅっと両手で握りしめると、皆の見守る中、クリス先生の呼吸が安定し魔力の放出が収まったのだった。






今回も読んで下さいまして、ありがとうございました。

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