第34話 奇病 3
私の眼の前には、いつの間にかシリウスが立っていた。
誰もいなかった筈の私の部屋に突然現れたのだ。以前突然現れて消えた時のように。
「シリウス?! どうやって此処へ」
「どうやってって、君が呼んだから転移したんだよ」
私の驚き慌てた様子が面白いのか、シリウスはニヤリと笑って答えた。
「どうして私の居場所が分かったの? 砦から居場所が変わったのに」
私はシリウスの名を小さく呟いただけなのに、どうやってシリウスは聞きつけたのだろう? それに、最後に会ったのは守護者の砦だったのに、どうして今の居場所が分かったのだろう?
「言っただろう? 君が僕の名を呼べば、どこへなりとも飛んで行くってね。僕には君の居場所が分かるんだ。でも、あんまりにも長い事呼んでくれないから、実は忘れているんじゃないかと思っていたところだよ」
「え、いえ、忘れた訳では……」
吃驚だ。シリウスの事を忘れていた訳では無いけれど、呼ぶ事は思い出す事も無く、全く思い付かなかった。そして、ここで再会するとも思っていなかった。
言い返した言葉は何となく、しどろもどろになってしまった。これでは全く信憑性が無い事だろう。それを裏付けるように、私の返事を聞いたシリウスは、すうっと眼を細め口元をゆがめた。
「へぇ、そう。まあいいよ。それにしても、ユウは随分変わったね。女らしく成長して、綺麗になった」
シリウスは今までの表情をがらりと変えて、真剣な表情を浮かべると言った。
「えっ? あっ。背、伸びたでしょっ」
突然放たれた言葉は、私を動揺させるに十分だった。あまりにも恥ずかしい。
ああ、そう言えば、この人はこういう恥ずかしいセリフを堂々と口にする人だった。そんな事を思い出す。
顔が赤らむのを感じながら、その恥ずかしい部分をさり気なく無視して返事をする。
「シリウスがいなくなった後、急に体が成長し始めて。短い間でここまでになったの」
すると、シリウスは眼を細めて猫の様な笑顔を浮かべた。まるでお気に入りのミルクを舐める猫のよう。
もしかして、シリウスは何か知っているの? あの時、私の体に負担が掛かるって言っていたよね。
シリウスは異常な成長に関して、特に気にする様子も見せなかった。なぜだろう? 彼は疑問を抱くどころか、何となく満足そうにすら見えた。
「そう、それは良かったよ。僕にとっては今の姿の方が好きだ。それどころかもうちょっと成長してくれても良い位だよ」
また、あのからかうような、猫のような表情で言う。その視線は明らかに私の胸を見ている。それに、上から下まで私の体に視線を這わせた。
「や、やだっ! やめてよ、どうせ胸は大きく無いし! まだ、これからなんですからね!」
「はははっ!」
シリウスは楽しそうに笑い声を上げた。どうやら思いっきりからかわれたみたいだった。そう、シリウスは元々いじめっこだった。
「ところでユウ、何か困った事になっているんじゃないの?」
そうだった。今はそれどころじゃ無かった。
「ああっ、そうなの。実は私の先生が奇病に罹ってしまって。でも、治療法が全く見つからなくて。私、今回初めて奇病に罹っている患者を見たの。奇病に罹った先生の様子を見た時、似ていると思った。初めて会った時のシリウスと」
「初めて会った時か。成程、確かに君は、僕のあの姿を真に視た人だ。僕はあの時重度の奇病に侵された状態だった」
シリウスの瞳はきらりと輝きを放ち、何かの確信に満ちた表情を浮かべた。
その表情はまるで、シリウスは私が奇病について相談するのを、見透かしていたかのようだった。
「ユウが僕を癒してくれた後、僕は奇病についての経験を情報として国に持ち帰ったんだよ。僕の国でも奇病は蔓延していたからね。そして、僕の経験を元に研究がすすめられた。国を上げての急ピッチで進められた研究の結果、対処法が見つかったんだよ。今、僕の国では急速に、奇病が沈静化しつつある」
「す、凄い! それじゃあ」
「但し、その方法が人間にも同じように効果があるかは分からないよ。ただ、ためしてみる価値は十分ある」
今までに全く対処法が分からなかった奇病に対し、種族が違うとはいえ、効果は十分に期待できた。何故なら、魔族と人間とで子供が成せる程に両種族は構造が非常に似通っている。
「シリウスお願い、早速その方法を教えて!」
「良いよ。君は僕の恩人だからね。ただし、その方法を試してみるにはリスクがある。だが、ここでそれを教える事が出来るのも、今の所知っている僕だけだ。だから、何か褒美が欲しい」
「褒美? 一体どんな事? 私にできる範囲の事であれば良いけれど、それ以外では無理だよ」
「ああ、君にしか出来ない事さ」
「私にしか?」
「ああ、そうだ。……僕の女神の唇を味わいたい」
「ええっ? ななな、何それ! 変な冗談やめてよ」
「冗談なものか、本気だよ。いいかい、掛かっているのは人の命だよ?」
シリウスはいつものように、私をからかって面白がっているんだろうか? シリウスは掴み所の無い表情を浮かべている。
「また、私をからかってるの?」
途端、シリウスは私の腕を取って引き寄せた。以外にも強い力で引かれた私の体は、シリウスの腕の中にあっけなく囚われてしまう。
「本当にそう思っているのかい?」
私の心臓は小鳥のように震えた。喉がカラカラに乾いて心臓が口から飛び出しそうになる。言葉が何も出てこない。私は呼吸の仕方さえ忘れてしまった。
シリウスは私の反応を見て、承諾したと思ったのだろうか?
あっという間に私の後頭部に手が掛かり、顔をくいと仰向かされる。私の顔に影が落ちて視界にシリウスの整った顔が映った。赤い瞳が誘う様に私を捉えて離さない。
「あっ……」
唇に軽く吐息が掛かり、シリウスの体温を感じた様な気がした。
「そこまでだ」
突如、冷やかな声が部屋の怪しい空気を切り裂いた。
私は、はっと呪縛から冷めたようにシリウスにのまれていた意識を取り戻し、シリウスの体を跳ねのけると両腕から抜け出した。
シリウスから距離をとって離れた途端、私の腕は力強く掴まれて引き寄せられた。
それは、あっと言う間の出来事で、気付いたら覚えのある温かい体温を背中に感じていた。
馴染みのある逞しい体の傍に引き寄せられていたのだ。
「ユウ、大丈夫か?」
「ヴァル」
反射的に見上げた視界には、今までに見た事の無い程冷たい雰囲気を纏ったヴァルサスが、無表情に立っていた。
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