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喚び寄せる声  作者: 若竹
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第33話 前触れ 4

 考えろ、考えるんだ、私。

 こんなちっぽけで無力な私にだって出来る事が何かある筈だ。

 思考が泡立ち混乱しそうになる。

 そんな自分を叱りつけ、冷静になろうと努める。


 今の私に出来る事があるとすれば怪我人を治療する事。

 グールの爪と牙は鋭利でその力も強い。もし、殴られでもすれば骨折だけでは済まない。出来るだけ手早い対処が必要だ。

 幸いな事に今日買った薬がある。私の僅かな癒しの力と薬で傷や多少の打撲ならば、何とか対応できるだろう。

 私は急いで一階に戻ってみると扉はきっちりと閉まっていて、相変わらずの混乱状態だった。

 女性がヒステリーを起したように泣いていて、他の人も皆取り乱している。

 けれど、ざっと見た限りでは治療が必要な程の怪我人はいないようだった。

 ただ、この状況では扉の鍵は開ける事など出来そうに無かった。開けようとしても余計に混乱を増長させるだけだろう。更に周りを見渡すが、出入り口は目の前の扉しか無さそうだった。

 せめて荷物だけでも回収したい。

 私の荷物は邪魔だったのか隅の方に避けてあった。私はこれ以上皆を刺激しないように素早く大小の荷物を手に取ると、急いで二階へと戻った。






 中央広場の様子を見ると、戦い続ける二人は驚異的な身体能力を発揮し、その戦いぶりはまるで鬼神だった。

 ヴァルサスの剣が躍るごとにグールの四肢や首が宙を舞う。

 上から横から襲い掛かる凶悪な爪を回転しつつ駒のように宙を舞って避けると同時にグールを切り飛ばし、回し蹴りをたたき込む。その動きは止まる事を知らない。

 体をひねりながら右腕が閃くとグールの顔が西瓜のように二つに飛び、左腕が振り下ろされるとグールの両足は胴体から別れを告げる。遅れて血飛沫が勢い良く飛び散った。


 一方、レオンが大剣を一振りすると、一瞬にして上半身を失ったグールの血が雨のように噴き出した。

 グールが爪を突き出し鋭く攻撃を放ってくる。レオンは大剣の平で勢い付けて受け止めそのまま振り抜く。衝撃に吹き飛ばされたグールは歪な角度に折れ曲がる。息をつく間もなく四方から襲う攻撃を転がりつつ回避し、起き上がり動作と共に切り上げ横薙ぎから背後まで一閃する。レオンの周囲には紅い花火のようにグールの血が噴き出した。


 中央広場にはグールの死体が至る所に転がっていた。

 二人はまるで死神か剣を持つ竜巻だ。

 気が付くと中央広場は血みどろになって汚れ、グールの死体が広場を覆った。


 そこに、遅れて王都の警備を務める騎士達が到着し、次々と交戦していく。

 一糸乱れぬその動きは次々とグールを退治していく。

 あっという間に生きて動いているグールの数はわずかに残っているだけとなった。


 しかし二人は無事なのだろうか? 

 二人の様子は所々服に赤黒い血がべっとりと付着していて、怪我をしている事を予想させられた。

 さらに、後から駆けつけた警備の騎士達の様相も瞬く間に赤黒く汚れて行く。

 私の体から音を立てて血の気が引いて行く。

 無意識の内に握りしめていた掌に、冷たい汗がじっとりと浮かんで指先を痺れさせる。



 建物の外へ出られそうな場所は今の所、二階の窓だけだ。

 窓の下を覗いて見てみると石畳が見えた。二階だけど結構高さがあるので、このまま飛び降りる事は私には出来そうにない。

 窓のすぐ下の壁を見てみると足を付けそうな幅の梁があり、建物の右橋には非常用のはしごが見えた。

 時計台の最上階から避難する時に使う緊急用の物だろうか、あれならば掴って降りれそうだ。

 ただ、荷物を持って伝って下りる事は出来そうには無かったので、私は先に荷物を窓の下へ落とすことにした。

 数個ある割れやすい瓶を小さい袋に入れ換え、腰のベルトに袋の持ち手の部分を通して頑丈に括りつける。

 少し重たいけれど、両手は開いている。体の横に来るように括りつけると取りあえず何とかなりそうだった。

 今回瓶の中身に水薬は無かったので瓶は重すぎず、幸いだった。


 私は大きな、薬草や割れる物の入っていない袋二つを下に落とした。

 予想外に大きなどさりという音が続けざまに聞こえると、窓の下に二つの袋が石畳の上に無事落ちているのが見えた。

 次は自分の体の方だと気を引き締めると、私は窓を乗り越えた。

 足がしっかりと建物の梁についた感触があった。

 よし、このままいける。

 私は壁に向かいあう形で体をひっ付けるようにしながら、不用意に地面を見ないようにじりじりと移動する。

 地面を見たら、怖くて足がすくんでしまうだろう。

 そのまま壁を伝って右端まで何とか移動すると、非常用のはしごを掴んだ。

 はしごを左手で掴み片足を掛けて降りようとしたその時、足を踏み外してしまった。


「!!」


 体がずるりと滑った。咄嗟にはしごに掴るが、片手では自分の体重を支えきれない。

 左手は私の意思に反して外れ体が嫌な浮遊感を感じたかと思うと、そこから落ちた。

 一気にはしごが遠ざかり、びゅうびゅうと自分の体が空を裂いて落ちて行く。

 体が石畳で打ち付けられ衝撃と強烈な痛みが襲う、思考が頭によぎったと同時にぎゅっと硬く眼を閉じた。

 衝撃を背中と足に感じた。けれど強い痛みは襲って来ない。

 そろりと、硬くつむっていた眼を開いた私の視界にはレオンの固く強張った表情が飛び込んできた。

 私の体は力強いレオンの腕にがっちりと抱かれていたのだ。


「おい! 大丈夫か? ユウ」


 レオンは怖いくらい鋭い表情で私に言った。

 私を抱いているその腕も上半身も血で汚れている。


「レオン! あ、ありがとう。……助かった」


 止まっていた息がどっと一気に出た。


「怪我はないのか?!」

「私なんかより、レオンこそ無事なの? こんなに血が付いて、どれだけ怪我をしたの?ちょっと見せて!」

「……無事だったか」


 安堵したように息を吐いてレオンは言うと、私を抱え直してぎゅっと抱きしめた。

 私はレオンの傷を確認しようとしたけれど、強く抱きしめられて身動きできない。


「レオン!」


 レオンの右腕は私の上半身から後頭部をしっかり支え、下半身は左腕でを抱き抱えられてていた。私の頭を支えている右手に力が籠ると私の顔はレオンの首筋に押し当てられた。

 レオンの肩の上に私の顔が乗る形となった。

 どくどくと、早めなテンポでレオンの頸動脈が拍動しているのが感じられる。

 レオンは私の首すじに顔を埋めてじっと動かない。少し苦しく感じる腕の力も緩まなかった。


 「……これは全部返り血だ、怪我はしていない」

 「本当? ああ、良かった」


 いつの間にか、騎士達とヴァルサスの手によってグールは全て退治されていた。

 激しい戦闘の音とグールの鳴き声は聞こえなくなっていた。



「それよりユウこそ、あんな所から降りようとするとはどうしたんだ? 感心しないな」


 レオンは私の首筋に顔を埋めたまま、少し低い声で聞いた。

 一体いつからなのか、どうやら私がごそごそと壁を伝っている所を見られていたのだろう。

 レオンが唇を動かすと、少しかさついた軟らかい唇が羽毛のように私の首筋をなぞった。微かに吐き出された息が温かく首筋にかかって、私の背筋を震わせる。

 レオンの表情は私には見えなくて、僅かに視界に入るのはレオンの後頭部の燃えるような赤毛だけ。熱い体温が私を包み、血の匂いに混じって微かにレオンの汗と男らしい匂いがした。


「ごめんなさい。でも、二人の事が心配でたまらなくて。けれど建物は閉鎖されてとても出られないし、窓以外に出れそうな場所が無かったから」

「その場で大人しく待っておく事もできただろう? ユウが落ちかけた時には肝が冷えたぞ。俺の心臓を止めるつもりか? たまたま物音に気付いたから間に合ったが、いつもこうとはいかないぞ。ユウは運動神経が無いに等しいからな」


 そりゃあレオンから見たら、ヴァルサス以外の誰だって運動神経なんて皆無だろう。


「……それはそうだけど、でも自分が少々怪我しても構わないくらい二人が心配だったの」

「ユウ……。くそっ!」


 そう言った途端、首筋に吐息より熱い少し湿った何かが触れた。


「あっ」


 不意に私の首筋を襲った感触に背筋がゾクリとして思わず声が漏れる。びくりと体が強張った。

 な、何? 今のは。思わず変な声が出てしまった。


「……とにかくもう止めてくれ」


 そう言って私を抱えたままレオンは落とした袋の前まで移動すると、漸く私を解放してくれた。

 レオンは私を降ろすと、その時初めて自分の服の汚れのひどさに気が付いたようだった。


「結構返り血を浴びていたな。済まない、ユウの服も血で汚れてしまったかもしれないな」

「ううん、大丈夫」


 やっとそれだけ言葉が漏れた。


 レオンは私が落とした荷物を拾うとヴァルサスと合流する為に歩きだす。

 私は少しの間、何も言えなくなって大人しくレオンの後を付いて歩いた。

 先程の感触に心臓が動悸を打つ。

 さっきのはレオンの唇?

 偶然? それとも故意に?

 レオンはそれ以上何も言わない。その表情はとても優しいとは言い難い、怖いものだった。 

 だから私は何も言えず、偶然としか思えなかった。


 合流したヴァルサスにも至る所に血が付いていた。


「ヴァ……、ルゥ。怪我は? 体は無事なの?」

「ユウは無事だったようだな」


 ヴァルサスは私をざっと見た後、返事をくれた。


「私の方は大丈夫だ。グールから受けた傷など無い。ただ、グールの数が多くて少し血を浴びてしまっただけだ」


 本当に?

 私はこの手でしっかりヴァルサスの無事を確認したくて、ヴァルサスのマントの前を肌蹴ると、両腕を掴んで他に血が付いて無いか確認した。

 そこにはしっかりと筋肉の付いた力強い腕に、どこにも怪我をした様子の無い体があった。

 マントの下の服には血の汚れは見当たらない。

 不自然な身体の動きも見られなかった。


「……ああ、本当に無事で良かった」


 二人の無事を確認して安堵した途端、急に脱力感が私の体を襲った。

 足から力が抜けて立っていられない。思わずそのままヴァルサスの体にしがみ付いた。

 視界が滲んで眼頭が熱くなる。望んでもいないのに涙が出そうになった。

 ヴァルサスが私を静かにぎゅっと抱きよせた。


「心配させたな」

「……うん、本当に。物凄く心配したし、何かあったらと思うと怖かった。二人共怪我が無く無事で本当に良かった。……あんな所に私一人、置いて行って」

「ああ」


 ヴァルサスは私を上から覗き込むと、私の顔を両手でなぞって微かに溜まった涙を啜った。その後、私の顔を覗き込むようにして顔をほころばせた。

 綺麗な笑顔を浮かべたヴァルサスの表情は、私の視線を釘付けにする。

 私は自分の顔が異常に赤くなっていくのを感じながら、ヴァルサスから身を離した。


 私は二人の無事が分かると漸く気持ちが落ち着いた。

 騎士達が中央平場の後処理を始め出していた。見ると、レオンが騎士隊長に何らかの指示を出している。

 私は他の騎士達にも怪我が無いか確認して回り、何人かの負傷している騎士達の傷に対して傷や打撲の治療を施した。

 負傷した騎士達への手当てがあらかた済むと、ヴァルサスが切り出した。



「レオン、ここの他にも魔物が出現しているかも知れない。他の騎士達と共に見回りを頼む。あと、一般市民への怪我人への対応も任せるぞ。私は王城が気になるので一足先に戻らせて貰う」

「分かりました。ここはお任せください、ルース」


 視界に映るレオンは何を考えているのか分からない、硬い表情をしていた。ちらりと、レオンは私の方を見たけれども、直ぐに眼を逸らした。


「ユウ、ルースと共に先に城へ戻ってくれ」

「はい、レオン。……気を付けてね」

「ああ、ユウもな」


 私はレオンの態度が僅かに気になりながら、ヴァルサスと一緒に急ぎ城へと向かった。






今回も読んで下さいまして、ありがとうございました。

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