第31話 打ち明けた過去
「ヴァル、私ね、この世界の人間じゃなかったの」
私の言葉は夜明けの光が差し込む部屋の中に、重い石ころのように鈍く落ちた。
静寂に包まれていた部屋の空気は私の言葉で破れてしまったように思える。じっと立ったまま話をしている私とヴァルサスの間には、手を伸ばせば触れるくらいのほんの少しの距離があった。
手を伸ばせば届く距離、けれどもそれは私にとって、とても遠くに感じられた。
「ユウ?」
ヴァルサスが微かに眉をひそめて私を窺った。
その長身を少し屈め、私の言葉を聞き洩らさまいとするように、身を乗り出して私を見つめた。
ヴァルサスの深い青の瞳が私を鋭く捉え、私の心は怖じ気づきそうになる。
私は再び大きく息を吸い込むと、からからに乾いてしまった唇から言葉を紡いだ。
「ヴァル、信じられないような話だけど、疑わないで聞いてくれる?」
「……ああ」
白い朝の光は私とヴァルサスをも飲み込んで、寒々とした空気が私達を包んだ。
ヴァルサスは温かい。まるで、私をすっぽりと包んでくれる毛布のように。
彼の温もりが、私に自分を語る勇気をくれた。
けれども、その温かさを感じる事ができるのもこれで最後かもしれない。
私はヴァルサスに拒絶されるかもしれないという事を、しっかりと心の中で覚悟した。
「私、この世界とは違う別の似たような世界の人間だった。私は元の世界では成人していて、仕事にも就いていた。けれど、ある日突然病気に襲われたの。もう、治療を施す事もできない状態で、見つかった時には手遅れだった。病気は確実に私を蝕んで、元の世界で私は死んだの」
私は言葉を切って一呼吸おくと、ヴァルサスを窺った。
ヴァルサスは息さえ止まっているかのように、ピクリとも動かない。
「私はあの苦しい生が終わって安堵した。漸く苦痛から解放されて、私という鎖から家族を解放できたから。死んだ私の意識はどこともつかない白い空間で漂って、流されるままに身を任せていたの。その時、突然誰かの声が聴こえた。“助けてくれ、我らに救いを”って。その直後、私の意識は物凄い力に引っ張られて、気が付いたらあの砦にいたの。砦が破壊されて、瀕死の皆がいる場所に」
沈黙が部屋に重く漂って、何の音も生じない。風の音も、鳥の囀りでさえ聞こえてこなかった。
ヴァルサスは瞬きもせず、身じろぎ一つしなかった。
私達はその場に立ちつくしたまま、二人の影だけが床の上に浮かび上がって行く。
ごくりと唾を飲み込んで喘ぐように息を吸うと、冷えた空気が肺に入り込んで体温を奪った。
「私は気が付くと、自分でも使った事の無い力を使っていた。どうしてそんな力が使えたのかは今も良く分からないけれど、ただ、その時は皆の苦しみを取り除いてあげたい、その一心だけだった。私も苦しんだから皆の辛さが余計に分かったの」
ただ、沈黙のみが私の話を促した。
「皆を癒した後、私は何かに引き寄せられるように移動したの。すると、目の前にヴァルが倒れていた。私はヴァルの輝く瞳をもう一度見たくて、治ればいいと力を注いだ。それから次に眼が覚めた時には、子供の姿になっていた」
私は話を終えると口をつぐんだ。
今の話を聞いてヴァルサスはどう思っただろう?
でも、どう思われてもいいと、頭の片隅では思っていた。だって、ヴァルサスの今までの気持ちだけでも十分だと思えたし、いざとなれば、ここからそっと立ち去ればいい。
その時も、多分何とかなるよ。
私はあえて楽天的に考えた。
「……そうか、驚いたな」
私はヴァルサスの表情を窺った。彼の気持ちのほんの一欠片でも知りたくて、そして知りたくなかった。
私は近付きたいようで、これ以上近付くのが怖くて、息を殺してヴァルサスの次の言葉を待った。
「私と初めて会った時、ユウは子供の姿だったな。とても小さくて、琥珀の瞳と闇を切り取ったような黒髪が印象的な可愛らしい子供だった」
「えっ?」
突然の言葉に私の思考は追いつかない。彼は一体何を伝えようとしているのだろう?
「ユウは子供の姿で私の前に現れた。私は自分の命が救われた時、命を救ってくれたのが小さな子供であった事が信じられなかった。だが、自分の命を救ってくれた目の前の小さな子供に感謝した。それは今も変わらない」
「……」
「ユウを異世界から呼び出したのは私だったのか? 私の声に応えてくれたのか……」
ヴァルサスの瞳が深く輝いたように見えた。
いつもより低めの声でぽつりとヴァルサスが言葉を漏らすと、ぞくりとさせる何かを秘めた青の視線が、ちっほけな私を捉えたかのような気がした。
「ヴァル?」
「ユウには悪いが……この世界に来てくれた事、存在してくれた事に感謝する。私の元に現れてくれて、これ以上の喜びはない」
「……ヴァル。私の事、気持ち悪くないの? 異世界人だし、死んでるんだよ?」
「目の前の君は生きてここにいる。温かくて、軟らかな心と身体を持って。それが私にとっての全てだ」
「でも!」
「ユウ、ここに居てくれ。頼む」
「……うん、ありがとう。私、ここに居てもいいんだ……」
止まったはずの涙が再び流れ出た。涙は熱く、間欠泉のように私の中から溢れて止まらない。私の顔は見る影もない位ぐしゃぐしゃになっていると思う。私はみっともない事になっているであろう自分の顔を両手で覆って俯いた。
しゃくり上げて泣く私の両腕を大きな手が掴んだ。ヴァルサスが私の両手をそっと外そうとしている。
私はイヤイヤと子供のように首を振って、両手を外すことを拒否した。だって、みっともない顔なんて見られたくない。
けれど、大きな手は優しい仕草で力強く、私の両手を顔から外してしまった。
駄目だ、涙が溢れて止まらない。私は眼を硬くぎゅっと閉じた。
大きな、少し骨ばった両手に顔と頭を優しく撫でられ、意思に反して上向かされる。私はこれ以上顔を見られたく無くて、口を弱々しく開いた。
ヴァル、見ないで。
けれど、伝えようとした言葉は最後まで言えなかった。
私の唇を、温かい唇が塞いで言葉を奪い取ってしまったから。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございます。