第30話 信頼
薄ぼんやりと青白い光に部屋が染まっていく。光は徐々に明るくなり、静寂に包まれていた部屋は、暗闇から日が昇る前の白々とした青さを秘めた光へと染まっていく。
眼が覚めた時見えたのは、自分の部屋の見慣れた天井だった。
ぼんやりとした思考の中、違和感を感じてごろりと寝がえりを打った途端、視界に入ったのは鋼色の髪だった。
椅子に座って長い脚を緩く組み、腕組みしたまま俯いているヴァルサスの姿があった。
私は驚いて身体を起こした。ベットが軟らかく揺れて、私の身体を受け止める。私はきょろきょろと落ちつきなく部屋の中を見渡した。
一体何がどうなっているんだろう?
いつの間に自分の部屋に戻ったの? 確か、あの薄暗い森の中でヴァルサス達と共にいたはずなのに……。
一瞬の内に、まどろんでいた私の頭は眠気が吹き飛んでいた。
椅子に座ったまま、器用に眠っているヴァルサスの姿をじっと見つめる。
記憶がぷっつりと途切れていて、状況が分からない。初めてヴァルサスの部屋で目覚めた時のようだった。
椅子に座っているヴァルサスは、肌寒い中何も掛けずに眠っている。昼と夜では気温差のあるこの地では、日が沈むとぐっと冷え込んでしまう。
このままではヴァルサスが風邪をひいてしまうかも。そっと近寄って、シーツを掛けよう。
そう思った私はベットから音をたてないよう抜け出した。シーツから抜け出した素足をひんやりとした空気が撫でる。
「眼が覚めたか? ユウ。具合はとうだ?」
突如、静寂を破るように声が聴こえた。驚いて声のした方を振り向くと、青白い部屋よりもなお深い、夜空の青が私を見つめていた。暗闇の中、二つの青い瞳が浮かんでいるかのようだった。
「ひゃあ!」
私の心臓は驚きのあまり飛び上がった。ヴァルサスは一体いつから起きていたんだろう? さっきまで眠っていると思ったのに。
「ヴァル、起きてたの? 寝ていると思ったよ」
「ああ、ユウが起きたくらいから眼が覚めた。それよりどうだ? 調子は」
「えっ、調子? ……特に変な所は無いよ。私、一体どうなったんだろう?」
「ユウ、君がゴルゴン達から我々を救ってくれた後、その場で気を失ったんだ。あの森での事は覚えているか?」
「……うん」
強張ってしわがれた声が私の唇から漏れた。とても自分の声とは思えない。
確かにヴァルサスは言った。
はっきりと、私が彼らを救ったと。決して聞き違いではない。
前の時は分かっていないようだったのに。
あの、私であって、私では無い状態を、ヴァルサスは分かっていた。ということは、あの場にいた全員が分かったのかな? 私であるという事を。
前回は子供へと変わっていたから気付かれなかったのかもしれない。でも、今回は違う。
私はヴァルサス達皆の前で堂々と姿を晒して、力を使った。あの時は必死で、自分の事など考えてもいなかった。
私は、人間としてはどう思われただろう。あんな風に力を使っている人などこの世界に来て以来見た事などない。
普通の人間とは違うんじゃないの? 成長にしても、力にしても。とても異常な状態なのでは? 異端、その言葉が脳裏に浮かんだ。
ヴァルサスは私の事をどう思ったのだろう?
ひやりと冷たい空気が身体を包んだ。ぶるりと身体の芯から震えがきて、止まらなくなった。
どうしよう。
とてつもなく怖くなった。ヴァルサスから否定や拒絶をされたら?
私は自分の頼りない身体をかき抱いた。
私の冷たくなった手を、温かい大きな手がぎゅっと包んだ。その途端、ぐいと強い力で引かれていた。何が起こったのか、突然の事態に私の思考と身体は追いつかない。
衝撃は襲って来なかった。私の身体は広い胸に優しく受け止められ、気が付くと私は強引にヴァルサスに抱きしめられていた。
「震えているな、ユウ。どうした? 何を考えている?」
頭のてっぺんからヴァルサスの声が降ってきた。優しい、労わりに満ちた少し低めの声。
思わず、顔を上げると青い瞳と視線がぶつかった。真摯に私を案じる光が灯っているその瞳は、再び家族の眼差しと重なった。
気が付くと、私は自分の思いを素直に口に出していた。
「私みたいに成長したり、ゴルゴンを退治した時のように力を使ったりする事ってあるのかな?」
これ以上は聞けなかった。
けれど、ヴァルサスには私の思いが伝わったようだった。
ヴァルサスは私の俯きそうになる顔を捕らえると、顎をくいと持ち上げた。青い瞳が私を覗き込んでいる。大きな手は私の頬をゆるゆると撫で、私の強張った気持ちをゆっくりと解していく。
「ユウ、君にどんな事があろうとも、これだけは確かだ。ユウはユウだ。それ以外の何者でもなく、根本的に私の知っているユウである事に変わりはない」
「…………」
私は口が効けなくなった。言葉が出てこない。
視界が歪んでヴァルサスの顔がぼやけた。いつの間にか、涙が頬を濡らしていた。
ヴァルサスは私の事をそのまま受け入れてくれる。
私が再び俯こうとした時、ヴァルサスの手がそれを阻んだ。私の目尻に微かに吐息がかかる。温かくて弾力のある唇が、そっと目尻に触れた。反対側にも。
ヴァルサスは唇で私の涙をそっと啜った。
「甘いな」
吃驚して私の涙は止まってしまった。次に羞恥で何も考えられなくなった。身体が熱くなる。
「確かに、普通の人間にはあれ程の力は無い。けれど、それが何だというのだ。少し違うくらいで私が動揺するとでも思ったのか? ユウへの気持ちが変わるとでも? ユウ、私を信頼してほしい。私が君を信じているように」
「うん。ヴァル、ごめんなさい。……それに、ありがとう」
「……ん。それは、私の言葉だ。ユウに命を救ってもらったのだからな。ユウには感謝しても足りないくらいだ」
ヴァルサスはほんのり目尻が赤くなった。突然、ぎゅっと抱きしめられヴァルサスの胸に顔が押し付けられる。私からは彼の顔が見えなくなった。ヴァルサスの、少し速めの鼓動が耳に心地好く伝わってくる。
「あの時、ユウだと解ったのは、私とレオンだけだ。他の者には見えていない」
「見えていない?」
「そうだ。あの時ユウは、光り輝いて姿がぼんやりとしか解らなかったからだ。ユウが気を失った後光は消えたが、他の者には見えないようにしてここまで運んできた」
そうだったんだ。私の気持ちは少し落ち着いてきた。ヴァルサスの心遣いに感謝する。けれど、レオンはどう思っただろう? 私の心は絡まってしまった糸のように乱れた。けれど、ヴァルサスが私を受け入れてくれた事が、私に勇気をくれた。
ヴァルサスに全てを話そう。彼が私を信じてくれているように、私も今まで以上に信頼しよう。
ヴァルサスの身体を少し押して、隙間を作ると私は大きく息を吸った。冷たい空気が肺に入り込んで、身体を冷やす。
私が再び顔を上げると、ヴァルサスの瞳をじっと見つめた。心臓の音が煩く響く。私は腹に力を込めると口を開いた。
「ヴァル、私ね、この世界の人間じゃなかったの」
ぽつりと、漏れた言葉は青白い光から黄みを帯びた白い光で明るくなって行く部屋へと落ちた。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございます。