第27話 想い
時間が少し遡ります。
h22.11/23 改稿しました。
両肘から肩にかけてジワジワと石化が進んでいく。
無数に襲いかかって来るゴルゴン達の石化の力が自分の結界をも浸食し、ヴァルサスを圧迫する。
灰色に変色した己の両手が視界に入った。肘から先はぴくりとも動かす事が出来なくなっている。上腕から肩にかけて激痛が絶え間なく走る。それは細胞や神経が石化によって障害されるために引き起こされる痛みだ。
無数の針で串刺しにされているような感覚に、堪えていたうめき声が私の唇から洩れた。脂汗が額ににじむ。
「殿下! 加勢します!」
「私が結界を維持している間に反撃を開始せよ! 石化してしまった者達の守護も頼むぞ!」
展開する結界によって石化から免れた黒騎士達は、急襲された衝撃からすでに態勢を立て直している。黒騎士達の詠唱が幾つも私の背後から耳に届く。騎士達はそれぞれ役割を分担し、結界を張って私と共に石化に対抗する者、反撃をする者と石化した者達を守護する者に分かれていた。しかし、今の状況は余りにも我々の方が圧倒的に不利だ。
ゴルゴン達は石化能力を撒き散らしながら空中から自在に攻撃をしてくる。猫が獲物を嬲るように。ゴルゴン達の嘲るような甲高い笑い声が神経を逆撫でした。
この状況を覆す事が出来るだろうか。不安とあせりが騎士達の心に浮かぶ。
銀鋼の闘神と呼ばれ、黒騎士達の要であるヴァルサスと副団長のレオンが石化を受け、背後には完全に石化してしまった仲間達がいる。ゴルゴンは騎士達と同数程度存在し、なおかつその能力は強力だ。騎士達は浮足立ちそうになる自分の心を必死で抑え込んだ。
石化はそれを成した魔物を退治すれば解ける。しかし、石化の間に受けた傷は解除された後も存在する。もし、石化した身体をゴルゴンに砕かれてしまえば、その体はそのまま肉片となり甦る事無く即死してしまう。
それだけは決してさせてはならない。
黒騎士達は自らの持つ能力の全てを使ってこの状況を乗り切ろうとした。それが出来なければ、待っているのは死あるのみだ。
石化能力を有し、身体能力も高いゴルゴンは上位の魔物に属する。美しい女の姿に剥き出しの殺意を纏って襲いかかってくるゴルゴンの体は下半身が蛇だ。猛毒を持つ猪の牙ががっと開いた口から飛び出している。鋭い威嚇音をたてて頭に生えた蛇がぞろぞろと蠢いた。
私の視界に襲いかかる蛇を切り飛ばしているレオンの姿が入る。続けざまに繰り出されたレオンの攻撃をゴルゴンは黄金の羽根をばたつかせてひらりとかわし、青銅の腕で反撃する。レオンは大剣で攻撃を受け止めた。
痛みが増して範囲が広がる。私は全身を針で刺され、灼熱の炎に身を焼かれている様だった。集中力が途切れそうになる。私は何とか結界の維持を続けているが、すでに痛みは胸にまで達し、石化の範囲が確実に広がっているのを嫌でも感じた。
自分がいずれ呼吸運動が出来なくなり、このまま心臓が石化して止まるのも時間の問題だろう。
「ぐううっ!」
息苦しい。さらなる激痛が私を襲う。今度のはより強烈で、胸が引き裂かれそうだ!
意識が朦朧とする。
不意に、私の脳裏にユウの姿が浮かんだ。
それは走馬灯のようにどっと一気に押し寄せる。
目の前に初めて出会った頃のユウが現れた。それは愛らしい子供の姿だった。
大きな琥珀の瞳は濡れたように潤んでいて私の視線を奪う。私と視線が重なり合ったユウは驚いたように大きな瞳を見開いて、寂しげな影を落とす瞳が瞬いた。
ユウの白くぷっくりとした手は愛らしく、私の掌の半分も無い。私はその小さな手を包み込み、子供の身体を引き寄せ抱き締める。ユウを私の腕の中に包み込むと、小さな手は私の身体にしがみ付いた。子供は私の胸に顔を埋めると年齢に似合わない泣き方で全身を震わせた。途端、ユウの姿はかすれていき私の腕から子供の重みが消えた。
私のすぐ傍に再びユウが現れる。その姿は蕾を思わせる可愛らしい少女へと変わっていた。
はにかむように笑顔を浮かべ私を見上げたユウは陽光を浴びた花のようで、私も思わず口元が上がる。その軟らかな頬に触れるとうろたえたように耳まで真っ赤になって下を向く。両手で顔を上向かせると目尻に涙をためて見上げる琥珀の瞳。
再びかすれて消える少女。
そして現れたのは、大輪の花を美しく咲かそうとする現在のユウ。
甘やかな香りが私の鼻孔をくすぐった。優しげな声で私の名前を紡ぐ花びらのような紅い唇。再びその軟らかく弾力のある身体を引き寄せると少し戸惑ったような表情をした。
些細な事を素直に喜び瞳を輝かせるユウ。うっすらと上気した頬と楽しげな声。私の身を案ずる瞳。
日々の記憶が現れては消えて行く。身体の温もりを感じる程鮮やかに。
それは、瞬きする程のほんの一瞬だが、わずかな時が私にはとても長く感じられた。
甦った記憶は私の気力を湧き立たせ、力と変える。
まだだ、まだ。今はまだ、ここでは死ねない!
強い想いは力となり腹の底から湧きあがる。
ユウへの思いだけが今の私を支えていた。この場の命懸けで戦う部下に対する責任や王族としての責務よりも。何よりもユウの存在そのものが私に力をもたらした。
身勝手だと言われて構わない。今の私は自分自身とたった一人の為だけに命懸けで戦っている。他の者全てを差し置いて。
全身に重くかかる石化の圧力を何とか押し返し、現状を打破しようと私は魔力を振り絞った。
眼を背け、封じ込めていた自分の中に存在する感情を見つめる。私は恐れていたのだ。自分の気持ちに。常識が私を戸惑わせ、再び人を愛するという事が私を臆病にした。だが、ここまで追い詰められて漸く向きあう決意ができた。
己の中に存在する想いと、ついに真正面から対峙する。心の奥底に硬く封じ込めていた感情は真っ赤に燃える溶岩のごとく滾り渦巻いている。
ユウ、私は今この瞬間はっきりと思い知った。
好きだ。
お前を狂おしいほどに愛している。
ユウ!
己の身を焦がすほどの熱く激しい想いが全身から迸った。
突如、周囲の光を奪い取るようにして空間が裂ける。
私達とゴルゴン達の頭上に黒々と燃える魔法陣が現れた。
その魔法陣には見覚えがある。いや、忘れようにも忘れる事が出来ないほどに圧倒的な存在感を見せつけた、あの漆黒の魔法陣だった。突然の事態に私は驚愕し眼をみはった。
今の私は結界を維持する事に全力を尽くしていて、新たな召喚を行える余裕など何処にも無い。
ちらりと周りを窺うが、誰も新たに召喚を行える状態では無かった。しかも、このタイミングだと? こうも都合良く再びイレギュラーが起こるなど考えられない。では、あれは一体何だ?
私達は緊張を漲らせながら固唾を飲んで見守った。
魔法陣は回転速度を上げ勢いを増して展開していく。中心に虹色の輝きが生まれ、瞬く間に人の形へと変化した。虹色の輝きを覆い隠すかのように魔法陣は音を立てて幾重にも重なり合いながら姿を変える。
ほんの一瞬。
わずか心臓が二拍打つ間に魔法陣の隙間から見えた、その姿は―――。
ユウ!
まさか! 本当にユウなのか?
ほんのわずかな間に見えたその姿は見間違える筈が無い愛しい者の姿だった。
巨大な球体となった漆黒の魔法陣が完成すると中から闇を退けるように虹色に輝く女が出現した。
今回も読んで下さいまして、ありがとうございます。