第15話 閉じ込めた想い
今回は、ヴァルサス視点です。
h22.10/28 改稿しました。
良い香りが部屋を満たしている。花の様なお茶の香りが執務室に漂った。
「ヴァル、お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとう」
幼い声と共に湯気が立ちのぼるお茶が机の上にそっと置かれた。傍には茶菓子も用意されている。ヴァルサスは湯気の立つカップを手に取ると、まずは香りを楽しんでからゆっくりとお茶を味わった。
ふわりと口の中に花の香りが広がる。少しだけ酸味のあるすっきりとした味が舌を刺激して喉を滑り落ちて行く。その香りがゆっくりと心を解していく。
「―――ん、ユウが淹れてくれたお茶は美味いな」
そう褒めるとユウは頬をほんのり赤く染めて嬉しそうに微笑んだ。
「本当?ああ、良かった!ちゃんと淹れているか心配だったの。ヴァル、このお茶菓子も一緒にどうぞ」
「ああ、ありがとう」
その笑顔を見ると、自然と自分まで微笑んでしまっている。
……可愛いな。この笑顔を見ているだけで癒される。
ユウが動くたびにこの国では珍しい黒髪がさらりさらりと揺れた。ふわりと、お茶とは違う香りが微かに漂いヴァルサスの鼻孔をくすぐる。
いつの間にか手を伸ばしていた。ユウの微かに揺れる黒髪に向けて。私はユウの頭を撫でるとユウの髪の感触をゆっくりとこの手で味わう。
ユウの髪はさらさらと零れ落ちる様にヴァルサスの指を愛撫してはすり抜けて行く。私はその感触に魅せられた。とても心地良い。
ユウの胸元には銀のチェーンにオパールを嵌め込んだ首飾りがさり気なく存在感を放っている。ユウが動くと首飾りも一緒に、きらりと輝いて揺れた。
……ユウにとても良く似合っている。
それは、ヴァルサスがユウに贈った首飾りだった。首飾りはユウの胸元にしっくりと馴染んでいて違和感がない。
ヴァルサスは湧きあがる満足感に満たされて微笑んだ。
その微笑みは猫が目を細めて喉を鳴らす時のような、蕩ける様な表情だった。
―――ヴァルサス自身気付かずに。
ヴァルサスは仕事中だったが、気付かない内に随分と時間が経っていた。丁度ユウがお茶を淹れてくれたので、一息淹れて少し休憩を取る事にした。私はユウも一緒に飲もうと誘った。
「うん。ありがとうヴァル。それじゃあ私も一緒にいただこうかな?」
ユウは白い小さな手で器用に自分用にもお茶を淹れた。カップの中を少し赤みがかった液体が満たして行く。
私はユウがお茶を飲みながら、嬉しそうに笑顔を浮かべて茶菓子を食べる様子を眺めた。私にとっては軽く一口で食べれる程度の小さな茶菓子を、ユウはあーんと口を開けてパクリと食べる。ユウにとっては茶菓子が少し大きいのだ。大きなそれを、下品ではないが気取らずにもぐもぐ食べている姿は小動物のようだ。その様子を見ているだけで気分が良くなった。
もう一度、私は今の顔が見たくなった。ユウに自分の菓子も勧めてみる。
ワザと少し大きいのをだ。
「ユウ、これも食べないか?私はもういいから、食べてくれるといいんだが」
「えっ?そうなの?じゃあ、もらいます。それにしても、このお菓子本当に美味しいねぇ。こんなの食べた事無いかも」
「そうか、気に入ったか?だったら遠慮するな」
ユウはもう一度あの顔を私に見せてくれた。…………可愛い。私もお陰で満足だ。
この子供は出会ってから少しの間にこんなにも、するりと私の心に入ってきた。
……一体いつの間だろう?
私の脳裏には先日の出来事が浮かんだ。
ユウを一人部屋に残して仕事をしていたヴァルサスだったが、ユウの事が気掛かりで脳裏から離れない。仕事の合間を縫って何とか少しの時間を作ると、ユウの様子を窺いに部屋へいそいそと戻った。部屋で一人、ユウが寂しい思いをしていないか気になって気が急ぐ。自然と歩調も早くなった。
宿舎の三階フロアに戻る。ユウの部屋の扉をノックして返事を待たずに扉を開ける。
私の脳裏には驚いて此方を見るユウの姿が浮かんでいた。今回は飛び上がるだろうか?それとも、笑顔で迎えてくれるだろうか?
顔が自然と緩んだ。
扉を閉めて部屋を窺う。
――――人の気配が無い。
私の予想は見事に裏切られ、其処にはがらんと静まり返ったユウのいない部屋があった。
「ユウ?」
返事は無い。
「……ユウ。何処に居るんだ、ユウ!」
段々と声が大きくなっていた。普段の生活では大声を出す事など無いというのに。
私はユウが部屋に居ない事を確認する。突如、訳も無く心に湧きあがってくる焦り。先程までの気分は吹き飛んでいた。
むくむくと焦燥感と喪失感が湧きあがって来る。
何だ?この気分は。
まるで、心に隙間が出来てしまったかの様だ。
侍女を呼んで声を掛けるが、彼女はおろおろと動揺しつつ、解らないと答えた。
ユウが居なくなっていた事に気が付かなかったのか。
拳をぐっと握りしめる。でないと何かに当たってしまいそうだ。
握った拳は白く汗ばんでいた。
何者かに侵入された形跡は何処にも無い。
此処には彼の張り巡らしている仕掛けがあった。部屋に侵入者があれば探索に引っ掛かるのだが、今迄何の反応も無い。
これらを見れば明らかだ。ユウは自分からこの部屋の外へと抜け出したのだ。
その場で召使いに指示を出し、急遽ユウを探させる。
幾ら、ユウが聞き分けが良く賢い子供とはいえ、こんな処に閉じ込められて平気な筈が無いだろう。
クソッ。
自分を蹴り上げてやりたい。
ヴァルサスは頭を掻き毟ると、ユウを探しに部屋の外へ出た。
もしやと思うが、ユウの身に何かあったらと思うと居ても立ってもいられない。
――――捜索を始めてから半刻後、意外な事にユウはレオンに連れられてひょっこり戻って来た。どうやら無事だった様で、私は安堵の為ほっと胸を撫で下ろした。
「ユウ!探したぞ、何処に行っていた!」
ユウが現れた時少しの間我を忘れた。私はユウの元まで駆け寄るとユウを抱きしめていた。気が付くと、腕の中には戸惑う様な表情をしたユウがいる。ユウの香りと体温が確かに己の腕の中にあった。
「…………心配したぞ、ユウ。無事で良かった」
「ヴァル、ごめんなさい」
ユウは花が萎れる様に項垂れた。しゅんと下を向く。
それにしても、何故レオンと一緒なのだ?
レオンに眼を向ける。
ヴァルサスは自分の立場をすっかり忘れていたが、自分を見つめるレオンの視線とぶつかった。レオンの間抜けな顔を見てはっと我に返る。高ぶっていた感情が落ち着きを取り戻した。
私とした事が、己の立場を忘れるなど。
自分を取り戻すと、レオンからの報告をひとまずその場で受ける事にした。
頭の片隅では別の事を考えながら。
――――さて、一体どうやって反省させようか?二度とこんな想いは御免だ。
小さな耳元にそっと唇を寄せる。
「悪い子には、後でたっぷり仕置きをするからな」
報告を受ける私の腕の中で、ユウはその小さな身体を一層縮こませた。
あの時、ユウを見て湧きあがって来た複雑な感情。一体あれは何なのだ?それは余りに強すぎて、自分の物でありながら持て余す。
自分でもどうしていいか分からない。何故と己に問い掛ける。
この感情は似ているのだ。未熟な自分があの人を想った時と。
……胸の奥が疼く。
ユウが部屋を一人で抜け出した日以降、ヴァルサスはユウを自分の眼の届く所に置いた。なんだかんだと理由を付けて、傍に居させる理由を自分に言い聞かせながら。
それだけに留まらず、更に何時でも所在が確認できるよう魔力の付加された首飾りを渡しておく。これはユウの為だと言いながら。保護者なのだからと、ユウのプライバシーまで侵害する。
あの時の心境は、もう二度と味わいたくない。
ユウが居ない事で感じた焦燥感と喪失感。まるで、自分の方が迷子になったかの様だ。私はこんな小さな子供に明らかな執着心を持っている。
その事実に嫌が応でも気付かされた。
――――出来れば己の腕の中に囲ってしまいたい。ずっと自分だけのモノだけにして。
はっとする。
今、何を考えた?
違う、そんな筈は無い。
己の感情に戸惑う。そして、危険性を感じる。
いや、持て余していると言っていい。
この強い執着心は何だ?
親や兄弟、そして自分には居ないが子供に向けるものとは違う。
何故、年端もいかぬ己の半分も歳を取って無いと思われる子供にこんな感情など覚えるのか……。
これ以上考えたくない。……危険だ。
心の奥底にこの感情を閉じ込める。硬く、硬く封印をした。
次の日、ヴァルサスはユウを執務室に連れてきた。
ユウは暇を持て余しているようなので、簡単な用事を与えてみたのだ。
昨日、ユウに説教をしたヴァルサスだったが、ユウの意見も聞く。やはり、寂しかった様だ。更に、他にもユウは意外な事を言った。自分も何か手伝える事をしたいと言うのだ。
驚いた。
何かの役に立ちたい様なのだ。こんな小さな子供がそんな事を言うのかと。
存在を認められたいという思いがあるのだろうか。人は他人に認められる事で、己の存在意義を確認するものだ。それとも居候をしているという心苦しい思いが、幼い子供の心にあるのかもしれない。
私は早速ユウの希望どうり用事を頼んでみた。これならば、抜け出そうなどとは思わないだろうし、ユウが感じていると思われる居候としての心の負担を軽くしてやる事が出来るだろう。
それに、自分の傍に居させる事が出来る。本当は別の用事でも良いのだが。
早速カイルに協力してもらい、ユウに簡単な用事ができるよう教えを頼んだ。
それからは早かった。ユウはカイルからお茶の淹れ方を教わると、直ぐに覚えてしまったのだ。しかも、回数をこなしていくうちに、カイルより上手に淹れるようになった。
今や、私とカイルのお茶を淹れるのはユウの仕事となっている。
他にも簡単な仕事(お使い)を頼んでみたが間違わずに行って戻ってきた。相手方に書類や、資料などもきちんと届いたようで、更には返事を持って帰ってくる。
おいおい、凄いな!ユウ。
期待以上の働きに驚愕する。思わず抱きしめ撫でていた。これにはカイルも驚いた様だ。
その時は、思わず力が入りすぎたのかユウが潰された様な声を出していたが。
勿論、お使いは重要でない内容の物を頼んでいる。
ユウに与える用事が無い時は本を与えて読ませたり、カイルに頼んで一般常識やマナーなどを教えてもらっている。ユウはこの国の者では無いので常識に疎い処があったからだ。
カイルは意外にも教えるという事に才能を持っていたようで、ユウはスポンジが水を吸う様に知識を吸収していった。
そうこうしているうちに、ユウは早くも此処の砦に馴染んできたようだ。
ヴァルサスの部下達とも話をするようになり、カイルやレオン、召喚士や召使いにまで可愛がられている。
その証拠に出掛けた先からお菓子を貰ってくるようになった。
今日も何か貰ってきたようだ。
「ヴァル、レオンと召喚士さん達からまたお菓子貰っちゃった!これ、初めて見るお菓子だけどとっても美味しそうなの!」
ユウはレオンの所へお使いに行って来たのだ。
嬉しそうに小さな袋を私に見せる。上機嫌だな。
うん?それは、有名な菓子工房の焼き菓子ではないか?
「そうか、良かったな。その菓子は王都にある有名な菓子工房に売ってある物だろう。私もその菓子を食べた事があるが美味いぞ」
……値段もまあまあした筈だったが。
「えっ、そうなの?嬉しい!どんな味だろう。食べるのが楽しみだなー」
女と子供は甘い物が好きだからな。ユウも一緒だ。
ユウはもう一つ何かを手に持っていた。菓子の他にも何か貰ったようだ。
どうやら果物?の様に見えるが、色合いが何となく不気味だ。しかも、蔓など途中で千切れていて、いかにも自分で採ってきましたという野趣溢れる感じがする。
これは食べ物なのか?
「ユウ、それは?」
声を掛けるとユウは楽しそうに返事をした。
「これはヒエンから貰ったの。とても珍しい果物らしくて、もぎたてだって。一体何処で採ってきたんだろう?」
「――――そうか」
レオンが騎獣にしているマンティコアか。変な処が飼い主に似ているようだ。
ユウはそんな獣にまで貰っているのか……。
何と言えば良いのだろうか。得体の知れない物は貰ってはいけませんと、教えてやる必要があるな。
ともあれ、仕事を与えた事は正解だったようだ。
それにしても、あやつら召喚士達からは毎回菓子を貰ってくる。もしや、ユウは餌付けされているのではないだろうな?
密かに疑ってしまうヴァルサスだった。
今回も読んで下さって、ありがとうございます。
次回は遅くなりましたが、漸く魔物との戦闘シーンになります。