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喚び寄せる声  作者: 若竹
13/70

第13話 新緑の瞳

h22.10/22 改稿しました。

 ――――猫の手も借りたいくらいだ。


 ヴァルサスは疲れを感じて、思わず溜息が出た。

 目の前には、山の様に書類が積まれているが、一向に減らない。


「ヴァルサス殿下、新たに治療所から報告が。それと、治療上必要な薬草や物資の不足により備蓄庫からの使用許可を求めています」


 部下から報告書を受け取ると、眼を通しつつ指示を出す。


「使用は許可する。物資の補充状況はどうなっている?急がせろ」

「はっ」


 報告書には現状と問題点、更には今後予想される事態が記載されている。

 こうして新たな仕事が増えると言うわけだ。


 他に眼をやると、従者のカイルも同じように仕事に追われている。ひっきりなしに執務室に持ち込まれる問題に指示を出している。何時もは爽やかなカイルの表情にも疲れが滲んでいるように見える。ヴァルサスは眼頭を揉むと再び目の前の書類に意識を向けた。


 この砦は魔物の襲撃にあって以来、人手が不足している。


 魔物に襲撃された後、奇跡的に死人は出なかったのだが、疲労と心労からの病気や修復作業での怪我などで倒れる人間が続出した。おかげで治療所の全てのベットは患者で埋まってしまい、スタッフは悲鳴を上げている。

 いくら傷や、体の損傷が治ったとしても、受けた苦痛や恐怖等の感情や経験はそのまま消せずに残っている。心の傷やストレス、疲労などは目に見える傷の様には癒されない。心の奥深くに刻まれたまま、根深く残っているのだ。この現状を迎えているのも当然の事態かもしれない。


 倒れたのは騎士や召喚士達ばかりでは無い。この砦での下働き達も数多くいたのだ。それは、この砦を支える土台となる人員であるため、砦の機能を正常に保つ事に滞りが出る程だった。

 そのためヴァルサスの所からも人員が駆り出された。まさに何処も人手が足りない状態となっていた。


 ヴァルサス自身も極力自分の身の回りの事は己自身で行わないといけない。しかし、幸いな事に元々そういった性分なので、特別何かに困る事など無かったが。

 それに此処が戦場であれば、そんな贅沢など最初からありもしない。


 しかし、ヴァルサスには一つだけ気掛かりに思う事がある。それはユウの事だ。


 ユウをずっと放置したまま私は仕事に取り組んでいる。ユウは一体どんな気持ちで独りこの時を過ごしてるのだろうか。さぞかし寂しい思いをさせていることだろう。

 慣れない場所で独り過ごさせている今の状況は、子供にとって不憫だった。


 ……独り部屋で過ごしているユウには何冊か本人の元へ書物を届けておいたが、今頃どう過ごしているだろうか。


 ユウは年齢の割に妙に大人びた、手の掛からない子供ではあるが、まだほんの小さな子供である事には変わりない。


 この自分の腕の中で、全身を震わせるようにして泣いたユウを思い出した。小さな、小さな身体で魂の底から振り絞る様にして泣き声を上げた、脆くて哀れな存在を。


 あの小さな存在を抱きしめたその時からユウが何処の誰であろうと構わなくなった。もしも、ユウの保護者が現れたのならその時はそれで良い。しかし、現れなければこのまま自分の元で引き取ろう。あの時そう思ったのだ。そして、今もその気持ちはほんの少しも変わらない。

 自分には一人養うくらい出来るだろう。しかも、私は王位継承権を放棄しているので今後世継ぎを残す煩わしい義務も無いし、その気も無い。婚姻もしない。今迄も、そしてこれからも。

 周りは色々と煩く騒ぎ立てるだろうが、構わない。もう二度と、心から傍にいて欲しいと思える様な女性には出逢う事など無いだろう。


 今もまだ、あの人に未練があるのだろうか?解らない。極力考えない様にしているからだ。私としては、ただ、彼女が幸せである事を願うのみだ。

 私はこれ以上思考する事を半ば強制的に止めた。そうしなければ、己の心に向き合わなければならない。思考と心の迷路に迷い込みそうだった。


 私は目の前にある山積みになっている仕事に集中する事にした。



 報告書には今回の魔物の襲撃によって起こった被害状況と破損状況、被害損額、修繕状況、人員確保、物資の補充状況などが記載されている。ヴァルサスは現状把握のため部下を呼び付け報告をさせると更なる指示を出す。現状の砦の機能を元の状態に回復させなければ。

 この砦の本来の役割とはすなわち、魔物からこの国を守るというものだ。これを正常に機能させ続けなければならない。


 更に、此処に住む人々の生活もある。この砦には300人の騎士と60人の召喚士、医療班と砦に住む者達の生活を支える下働きの者や、スタッフが存在している。また、出入りの商人などもいた。


 時間はいつもより早く、物凄いスピードで否応なく過ぎて行くように感じた。



 報告書に目を通して行く。報告によると、砦の修復は順調に進んでいる様だ。

 襲撃を受けたその日の内に王都へ報告がなされると、王都からは医療スタッフや建築技術者などの第一陣が当日のうちに到着し、次の日には大工や騎士達、その他の人員が物資と共に到着した。

 こうも早くに修復が進んでいるのは、王都が手早く対応してくれた結果だ。迅速なその対応に、ヴァルサスや砦の者は尽く彼らに感謝した。

 お陰で人手不足だった現状には大いに助けとなり、何とか砦の運営ができている。現在は王都から次々と資材と物資が運ばれてきていた。


 出来るだけ速く、砦の機能を復旧させなければならない。この砦は常に魔物の脅威にさらされているのだ。


「砦の警戒、巡回に回す人手は確保出来ているな?」


 カイルは報告に来た騎士隊長から書類を受け取って見ていたが、眼を此方に移して返事をした。


「はい、そちらの人員の方は足りております。ただし、先日の魔物の様な、相手でなければですが」

「そうか。皆、良くやってくれている。現状が落ちついたら、人員の交代を王都に寄越させよう。此処での務めが長い者では3年位になる。彼らにも、此処を離れての休息が必要だろう」

「は、かしこまりました」


 カイルは書類の束を抱えて執務室を出て行った。私は再び次の報告書を手に取った。

 どのくらい経っただろうか。部屋を漂う良い香りに気が付いた。お茶の香りがする。私は顔を上げた。

 カイルが香しい香りのするお茶の入ったティーカップを持って現れた。一緒に菓子も付いている。カップからは温かな湯気がゆるりと立っていた。


「どうぞ、召しあがって下さい。少し休憩をなされてはいかがですか?」

「ああ、ありがとう、カイル」


 私はお茶の入ったカップを受け取ると、しばし香りを楽しんだ後ゆっくりと飲んだ。疲れた体に熱いお茶が潤いをくれる。ホッと息を付いた。

 カイルは私が一息つくのを見守った後、口を開いた。この様子だと、ずっと機会を窺っていたのだろうか。


「ヴァルサス様、この前の召喚の事をお聞きしたいのですが」

「何だ?」

「あの黒い球体の魔法陣と虹色の召喚獣は一体……?私には見た事も聞いた事も無い魔法陣と召喚獣でした。あの召喚は何だったのでしょうか?殿下は何かご存知なのではないですか?」

「……」

「私は、あれ程の力を持つ召喚獣を喚ぶ事が出来る者など、貴方以外知りえません」


 カイルの言葉に返事をせず、黙って聞いていた。


「召喚者は殿下ですね?あれは殿下自ら行われたもの、違いますか?……あの状況であれ程の召喚を行うとなると、随分と御無理を成されたのではないのですか?」


 カイルはため息を交えながら聞いてきた。成程、言いたい事は解っている。何時ものものだろう。


「……ああ、私が召喚したものだ。あの状況では仕方なかったんだ。だが、あの召喚獣は故意に呼び寄せた訳でなく、イレギュラーが発生したものだ。……事故だよ。だから、詳しい事は私にも解らない。しかし、そのおかげで我々は生きているし、私も死なずに済んだ」


 ヴァルサス自身、今回の召喚での契約で己の命を取られずに済んだのはイレギュラーが発生した為だろうと考えている。彼は、国内の学者にあの黒い魔法陣と虹色の召喚獣について早急に調べさせるよう手配していた。過去の文献にも載っていないあの不思議な召喚獣は一体何なのか。


「そうですか。くれぐれも御身を大事にしてくださいますよう、お願いいたします。貴方に何か合っては、我々は……」


 私は、その言葉を遮る様に言葉を発した。いい加減聞き飽きている言葉だからだ。


「我が国は今だ王が健在だ。それに、アルフリードも居る。あいつが次期後継者と決まっているのだし、何も心配する事など有りはしない。この任務には常に危険は付きもの。そうだろう?」

「……」


 カイルは諦めた様に口をつぐんだ。カイルの瞳には一瞬憂いの様な感情が渦巻いている様に見えたが、それを実際に口に出すことは無かった。カイルは眼を瞬かせると、本を閉じたかの様に、あっという間にその瞳には何の感情も見えなくなった。

 これはいつもの様に繰り返される遣り取りだった。カイルは私の身体を心配してくれている。それはありがたい事だが、私には自分の身以上に守りたいと思う物や、重く感じる王族としての責務があった。決して自分の命を軽く考えている訳ではない。

 しかし、カイルの眼には自分がどう映っているのかは解らなかった。


「そういえば、今、殿下の部屋には子供がいるとか。一体何があったのですか?

 まさか、噂どうり貴方の隠し子ではないでしょうね?」


 カイルは話題を変えた。これも気になってたのだろう。

 先程の表情とは異なり、面白そうに澄んだ湖の様なアクアブルーの瞳を輝かせて、カイルは聞いてくる。これは、明らかに楽しんでいる表情だ。

 カイルは冗談めかして聞いてくるが、まさか本心ではないだろうな?


「……」


 一体どんな噂が流れているのやら。

 早くも子供は噂になっているみたいだ。全く、何処から話が出回ったのか。噂は今頃尾ひれが付いて流れているのだろう。


「違う。子供は私の命の恩人だ」


 そう言うと口をつぐんだ。無駄に面白がられたくないからだが、カイルはその答えに明らかに物足りなさそうな表情をしていた。






 ――――暇。


 時間を持て余してる。ユウは椅子にだらりと座った。

 砦の人員と違ってこの時ユウは一人、する事も無くぼんやりとしていた。ヴァルサスは何冊か本を用意してくれたが、手渡された本は子供向けだったので、あっという間に読んでしまった。本の内容はというと、この国の歴史や神話で美しい挿絵が乗っていた。どちらかというと、文字が少なく挿絵の量が多いような本だったので、すぐに読めてしまった。


 ユウは、此方の世界に慣れようと思い、紙とペンを用意してもらって文字の書き取りをしていたけれど、しばらくすると気分転換がしたくなった。

 単に飽きてしまったとも言える。


 此処から外へ出てみたいな。窓の外を眺めながら心の中でポツリと呟いた。何度もそう思っては、自分を窘めた。それは、ヴァルサスより一人で出歩くかないようにと言われていたからだった。でも、もうそろそろ好奇心の方が強くなってきている。

 慣れない場所で一人過ごす時間はとても長く感じた。

 

 ちょっとだけ……。

 そう思ってしまう程にユウは時間を持て余していた。それに、何かしてないとひたひたと、孤独がユウに迫って来る様に思えた。私は孤独の影に怯えていた。


 私は部屋の外へと通じる扉をゆっくりと開いた。扉は音も無く静かに、思っていたよりもずっと軽くあっさりと開いた。扉を開けると何かがいるのではないかと密かに思っていたが、其処には誰もおらずしんと静まり返った廊下があるだけだった。


 私はきょろきょろと周りを見渡して、誰もいない事を確認した。よし、どうやら大丈夫そう。私は部屋の外という、初めて経験する場所へと第一歩を踏み出した。

 広い廊下には人影が無く、私は堂々と廊下を歩いた。


 廊下の端まで来ると下の階に降りる階段があったので、私は迷わず下の階に降りた。此処の階はユウが居た上品な雰囲気がするフロアとは違って、どちらかといえば実用的な雰囲気がする。扉が幾つも並んでいて、まるで宿舎の様な造りだ。そのまま更に階段を降りると1階に出たようで、廊下を忙しそうに歩く人々とすれ違った。


 すれ違う人々は皆背が高く、女性でも170cm以上はありそうだ。途中、怪訝そうに私を見るメイドさんや騎士達、作業服を着た男性達等がいたが、私は気にせず砦の中を探索した。

 初めて見る珍しい石造りの建物はさり気なく柱や壁、手すりなどの所々に飾りが施してあった。それらは私の視線を奪い、怪訝そうな視線など全く気にならなかった。

 差し込む日差しと建物に遮られて出来る複雑な影が美しい。


 私は気の向くままうろうろしていると、中庭だと思われる場所に出た。

 私の居た部屋の窓から見えた場所だろうか?

 中庭は美しく整えられていた。花壇には花が咲き乱れている。花以外にも植物が植えてあった。


「わぁ、綺麗……」


 菫の様な可愛らしい花や、白や、ピンク色の小さな花が風に揺れて咲いている。辺りに花の香りが濃く漂った。私はしばらくその花々を眺めて香りを楽しんだ後、好奇心と共に更に中庭の奥へと進んだ。

 私は自分が子供というのを武器にして、この砦を見学して回ろうと思っていた。子供ならば、注意を受けるとしても多少大目に見てくれるだろうから。


 けれど、うろついている間に本当に迷子になってしまった。

 この砦は広く、そして入り組んでいる。ワザとそういう造りになっているのだ。敵が来た時に砦の構造が直ぐには解りにくい様にしてあった。


 ……此処って何所?

 右も左も分からない。いつの間に来たのか石畳みの広い空間に来ていた。


 此処が何処だかさっぱり解らなくなった私は、どうやって部屋まで帰ろうかと半ば途方に暮れて考えた。

 ……どうしよう。誰か人に尋ねようか。


 突如、自分の周りの日差しが遮られ、大きな日陰が私の上から出来ていた。

 ――――え?


 大きな鳥の羽ばたく音が頭上から聞こえてくる。

 空を見上げると、私の遙か上の方から大きな影が覆いかぶさって来た。影は3m以上はあろうかという大きな獅子の胴体に、巨大な鳥の様な翼を持った生き物が、翼を羽ばたかせ降りてくる。


 な、何アレ!

 砂埃を大量に巻きあげながら獅子は降りてくると、私は風圧に吹き飛ばされそうになり、思わず体を竦ませた。


「うわっ!」


 突如、私の頭上から声が降ってきた。

 獅子の背には男性の姿があった。男性は獅子の背からひらりと降りると私の前に素早く移動した。


「おい、踏まれてないか、大丈夫か?どうしてこんなところに子供がいるんだよ?」


 そう言うと、声の主は私を猫を持ち上げる様に両脇に手を差し入れ、ひょいと自分の眼の高さまで持ち上げた。不安定になった私の両足はブランブランと宙で揺れる。


「あっ!」


 驚いて顔を上げると目の前には燃えるように鮮やかな赤毛で、新緑を思わせる碧の瞳を持つ凛々しい男性が私を覗き込んでいた。






今回も読んで下さって、有り難うございます。




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