第12話 拠り所
h22.10/16 改稿しました。
昨日の事を少しでも思い出すと、今だに顔が赤くなってくる。ううう、は、恥ずかしいやらどうしていいやら。
私は一人、青くなったり、赤くなったり、百面相を繰り返してしていた。
現在、この部屋には彼女独りで居るわけではない。先程一人のメイドさんが衣服を抱えて持って来てくれたのだ。
ユウが悶々と一人で考えている中、メイドさんは手際よくクローゼットに入っている今までの服を入れ替えてくれている。ユウは手間を掛けさせるという事に申し訳ない気持ちから、メイドさんに手伝おうと声を掛けたのだが、笑顔ではっきりと断られてしまった。
まあ、自分が逆の立場でも断ると思うが。
自分の仕事を子供に手伝わせる訳にはいかないだろう。
キビキビと働くメイドさんの姿を私は大人しく椅子に座って眺めながら、こうなった顛末を思い返していた。
私は風呂から上がってふらふらする頭と体を少し休ませた後、部屋で着替えを済ませてベットに潜り込み、シーツを頭からすっぽり被って一人恥じ入っていた。何故かベットの上で正座となる。これは一人反省モードだ。
次にヴァルサスと会う時はどんな顔をして会えば良いのだろうか。あんな事や、こんな事までされてしまった。そもそも、どうしてあの時お風呂に入りたいと言ってしまったのか悔やまれる。他のタイミングで言えば良かったものを、更にアピールまでしてしまった。あのアピール作戦が失敗だったのか?あの時、逃亡に失敗した自分の運動神経の無さが呪わしい。
もう、穴があったら入り込んでしまいたい。ついでに上から蓋を被せて頂きたい。
せめて、自分の姿が子供でなければ、こんな事態に為らなかった筈だ。くうっ!
……いやいや、そしたらこんな怪しい人物なんて、此処まで優しく受け入れては貰えなかったかもしれない。見ず知らずのがりがりに痩せた不健康な三十路女など。
私の動揺を余所にヴァルサスは、女?の裸を見といて動揺も無く全く平気そうだった。そう、あの余裕のある態度は、明らかに知っていて免疫のある証に違いない。……初心者では無く、経験者だ。しかも、男の子と思ってた、とか言ってたし。つるぺた真っ平らの胸とくびれの無い己のボディを思い出し、がっくしと落ち込んだ。せめて胸さえあれば……。
ぬううー、口惜しや~。今すぐ湧いて来い、女性ホルモン!
「ユウ、入るぞ」
ひゃあ!
私は飛び上がった。
突如部屋の扉が開いて、ヴァルサスがユウの部屋に入ってきたのだ。
ノックくらいせい!
心臓が小躍りしている。
予想よりも遙かに早く、早速ヴァルサスに会ってしまった。心の準備が全く出来ておらず、思わず体が硬直する。
ヴァルサスは手にグラスを二つ持って入って来た。どうやって扉を開けたんだろう。両手が塞がらなかったのだろうか?彼は器用にドアを開けて入ってきたようだ。
「ユウ、どうしたんだ、その格好は?」
私の格好を見たヴァルサスは怪訝そうに言った。今の私は傍から見ると相当怪しい格好に違いない。
はっ、し、しまった!一人反省モードを発見されてしまった!
「具合でも悪いのか?」
「い、いえ、違います!何でも無いんです!そ、そう、気分転換です!」
動揺の為、口走った言葉は何という返事だ。素直に気分が悪いと答えた方が余程良かったかもしれない。既に後悔した。
先程の返事を取り消す様に、私は勢い良くシーツを跳ねのけベットから飛び降りた。
ヴァルサスは少し眼を見張ったが、やがて瞳を笑みの形に崩した。楽しそうな表情になると瞳が煌めいた。
「クッ、ククッ。そうか、ならいいんだ」
両手に持っていたお茶の入ったグラスをヴァルサスはテーブルへ置くと、椅子に座って長い脚を組んだ。彼は私にも座ってお茶を飲むよう勧めてくれた。
「ユウ、冷えた茶を用意したから飲まないか?」
「ありがとうございます。いただきます」
何て気が効く人なんだろうか。ノックはしないのに。ヴァルサスはのぼせた私の事を思ってこの冷えたお茶を用意してくれたんだ。……いい人だな。
私が椅子に座ると、ヴァルサスは優雅にお茶を飲んだ。自然な仕草なのにやけに決まって見える。しかも、なんとなく色気が有る様に思えた。お茶を飲み込む時に微かに喉仏が動いた。
私の心臓はドキリと一度大きな音を立てた。慌てて下を向くと、ごくりとお茶を飲み込む。ああ、顔が火照って来た。今頃赤くなっているに違いない。
先程見たヴァルサスの引き締まった体が脳裏に浮かんだ。大きな筋張った手と、力強い腕。そして逞しくて広い胸。
はっ!イカン、思い出しちゃイカン!!
私は己の脳裏に浮かんだ映像を必死に消そうとした。
そんな事を考えているとは予想だにもしていないだろうヴァルサスは、私に声をかけた。
「ユウ、君は今まで何処で、どんな風に生活してきたんだ?」
私がお茶を飲み込むのを見届けた後、ヴァルサスは尋ねた。
「……へっ?」
唐突に発せられた質問を、私は理解するのに時間が掛かり、答えられない。
「ユウは今迄何処に住んでいたのだ?」
「……えっと、私は日本に住んでいました。私の住んでいた地域は比較的温暖な小さな島で、とても自然が豊か(田舎ともいう)な海が綺麗な所です」
故郷の風景が脳裏に浮かび上がった。青い海と、美しい緑。港に繋いである数々の船。吹き抜ける潮の香りを少し孕んだ風と、キラキラと水面を反射する光。思い起こすときゅんと胸が切なくなった。
しかし、ヴァルサスは怪訝そうな顔をした。
「そうか、悪いが日本という島は聞いた事が無いな。地図で教えてくれないか?」
「え?」
日本はそんなにマイナーだろうか?
ヴァルサスは何処に持っていたのだろうか、世界地図を私の眼の前に広げてみせる。なかなか用意が良い事だ。
この地図をじっと見つめたが、日本は何処にも無くユーラシア大陸もアメリカ大陸やオーストラリア、南極大陸も無かった。それは今迄に見た事の無い地図だった。精緻に描かれたその地図は、私が見た事も無い文字で、国名や海、山の名称や数字等が事細かに書いてある。
――――何これ。こんな文字見た事無い。まるでアラビア文字を見ている様。
おまけに、見た事が無い文字なのに、慣れ親しんだ日本語の如くにすらすらと読めた。
「……あの、これが世界地図ですか?」
「そうだが。ユウは地図を見るのは初めてか?そうか、ならば解らないかな?此処が私達の居る国、ウィルヴェリング。この辺が私達の居る砦、守護者の砦だ」
そう言いながら、ヴァルサスは指差しして教えてくれる。
「ここ?」
「そうだ」
……違う。ここは違う、世界が違う。今までの地球じゃない。
頭を何かで殴られたかのような衝撃を受けた。くらりと視界が揺れた。
魔物、異なる地図、知らない食材、見た事の無い文字、形の違う耳、あり得ない体の変化。それがパズルのピースの様に、パチリ、パチリと音を立てて嵌まって行く。
此処は異世界だ。大きな音を立てて最後のピースがカチリと嵌まった。
――――最早、否定のしようが無い。私は今、異世界に居る。
視界が黒く染まった。
もう、何でも有だ……。どうにでもなれ。私は生きて此処に居る。それ以上でも、以下でも無い。健康な体で病気は無く、衣食住もどうにかなっている。ヴァルサスのお陰で。
これ以上に何を望むと言うのだろう。今の私には健康な体がある。これ以上の望みなど何も無い。
腹を括るしか無い。一度は死んだ人生だ。もう一度、違う世界でやり直す機会に恵まれたんだ。再びもう一度生きる事が出来るという奇跡を私は手放したくなど無い!
腹を括ればもう、死んで生き返ろうが、子供になろうが、異世界だろうが、大した事でも無い様に思えてきた。こうなったら死から甦った女は強いのだ。
もう、何でもドンと来ィや―――!!
私は小さく拳を握り、未知なる世界で生きるという困難に立ち向かう決意を顕わにした。
そんな私の様子を見ていたヴァルサスは、立ち上がると傍まで来て私を軽々ひょいと抱えた。私はヴァルサスと向き合う様に抱きかかえられた形となった。突然力強い腕の中に閉じ込められ、どうしようかと思わず顔を上げてヴァルサスの顔を仰ぎ見ると、彼も私を上から見下ろしていた。
――――家族の眼差しを思い起こさせる、あの優しい眼差しで。
「ユウは私と共に居ればいい」
ヴァルサスの言葉は私の心に直接届いた。その言葉は優しくじんわりと沁み込んで来ると、徐々に温かく私の心を満たした。
私は自分で思っている以上に寂しさや孤独、不安を感じていたのだろう。
思わず目の前の景色が涙で歪んだ。
後から後から涙が溢れて出てきた。止まらない。
私は恥ずかしくなって、ヴァルサスの胸に顔を隠すように押し当てた。泣いている顔なんて誰にも見られたくはない。泣き声を上げない様にぐっと我慢していたがそれは抑えようが無く、やがてはみっともなくしゃくり上げながらの激しい嗚咽となって涙と一緒にぼろぼろと零れた。
ヴァルサスの胸は広くて温かく、包み込むように小さな私を抱きしめてくれた。
耳に心地良い何時もより少し低めの声で、私をあやす様に囁きながら。
この時から、ヴァルサスは私にとって他人ではなく家族の様に大切な、心の拠り所となる人となった。
「ユウ、私の事は年の離れた兄か、父親の様に思ってくれないか?」
「えっ?」
「だから敬語を止めてくれないか?もっと親しく話したい」
「でも、迷惑なんじゃ……」
「お願いだ」
そう言ってもらえた私は幸せ者だ。なんて有り難い事だろうか。彼の持つ深い懐のお陰で、私は彼の優しさに甘える事が出来た。
「はい!」
ヴァルサスは私が落ち着くまで抱き締めてくれていたが、頃合いを見計らって更に質問してきた。
「ユウの住んでいた島では女の子は髪を伸ばす習慣は無いのか?ウィルベリングでは、子供の行事毎に髪を結い上げられるよう、伸ばすのだが。そのように短くては結えないし、男の子の様だ」
ああ、それでヴァルは私を男の子と勘違いしたのか。
「私の居た国では、これが普通なんです。……なの。髪は男女共、自由な長さにしていたよ」
「そうか。だが、此処だとその髪の長さでは悪目立ちしてしまうな。ユウ、どうだろう、カツラか付け毛をするか?髪が伸びるまでには時間が掛るからな」
ヴァルサスは此処での私の生活が、不自由で無いか心配してくれていた。有り難い事だ。しかし、鬘や付け毛など、寧ろ面倒くさくて回避したい所が私の本音だ。
「えっ?イイよ、このままでっ。このまま男の子の格好をしときます。鬘とか、必要無いよ。髪なんて伸びるし」
「しかしなぁ」
「動きやすい方が好きなんです。このままで十分だから」
「そうか。ならば、そうしようか」
しかし、ヴァルサスは私を思っての事だろう、男でも女でも通用する様な服に入れ替えてくれる事となった。
今回も読んで下さって、ありがとうございます。