EP 7
狂騒のアメリカ・ファーストと、流血のペン
1938年、秋。ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン。
会場を埋め尽くした数万人の群衆が、地鳴りのような歓声を上げていた。
壇上のスポットライトを一身に浴びているのは、大西洋単独無着陸飛行の英雄であり、「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」の象徴であるチャールズ・A・リンドバーグだ。
「愛国者たるアメリカ市民よ! 我々は今、重大な岐路に立たされている!」
リンドバーグのよく通る声が、マイクを通じて熱狂する人々の頭上に降り注ぐ。
「政府内の『戦争屋』たちは、我々の愛する若者たちを再びヨーロッパの血の海へ送り込もうと企んでいる。彼らは、それに反対した陸軍の良識派――マーシャル准将やアーノルド准将を、不可解な『事故』に見せかけて葬り去ったのだ!」
「そうだ!」「ルーズベルトを引きずり下ろせ!」
「我々の息子を死の商人から守れ!!」
怒号と熱狂が渦巻く会場の片隅で、フリー記者に扮した坂上は、プレスの腕章をつけながらその異様な光景を静かに見つめていた。
(……完全に、火がついたな)
リンドバーグが声高に叫んでいる陰謀論。それは他でもない、坂上が薄暗いアパートの部屋でタイプライターを叩き、全米のメディアや議員にバラ撒いた「偽情報」そのものだった。
事実無根の作り話。しかし、二人の有能な将官が立て続けに死んだという現実が、その嘘を「隠された真実」へと仕立て上げてしまったのだ。
坂上の放った活字の弾丸は、見事にアメリカという巨大な国家の臓腑に命中していた。
ホワイトハウスでは、ルーズベルト大統領が頭を抱えているはずだ。
マーシャルという頭脳を失い、軍の再建案は完全にストップ。アーノルドを失い、航空隊は指揮系統を喪失。そこへ追い討ちをかけるように、孤立主義の世論が爆発したことで、イギリスへの支援(レンドリース法案)など議会を通るはずもない。
アメリカの戦争準備は、これで完全に数年単位の遅れを余儀なくされた。歴史改変のミッションとしては、これ以上ない大戦果である。
「ルーズベルトの戦争法案をぶっ潰せ!!」
演説が終わり、興奮状態の群衆が会場の外へと雪崩れ込んでいく。
だが、その熱狂はすぐに、通りで待ち構えていた「参戦派(反ファシズム派)」のデモ隊との激しい衝突へと発展した。
「この卑怯者どもが! ナチスに国を売る気か!」
「黙れ戦争屋! お前らが前線に行け!」
怒鳴り合いは瞬く間に殴り合いへと変わり、投石がショーウィンドウを粉砕する。駆けつけた警官隊が警棒を振り下ろし、催涙ガスが撒かれ、ニューヨークの華やかな通りが、血と暴力が支配するスラムの暴動と化した。
「がはっ……!」
坂上の足元に、頭から血を流した若い学生が突き飛ばされて倒れ込んだ。
警棒で殴られたのか、痙攣しながらうめき声を上げている。
坂上は、その若者の血に塗れた顔を、氷のような目で見下ろした。
(……俺は、手を汚すことから逃げたはずだった)
アーノルドの家族を壊した罪悪感から逃れるために、情報戦という「血の流れない戦場」を選んだ。
だが、現実はどうだ。
俺のついた嘘が、この国を分断し、無関係な若者たちに石を投げさせ、血を流させている。俺のペンは、あの毒ガスよりも遥かに多くの人間を狂わせ、傷つけているじゃないか。
「……逃げ道なんて、最初からなかったんだ」
坂上は自嘲気味に呟き、倒れた若者を跨いで、催涙ガスの煙の中を歩き出した。
どんなに美辞麗句で飾っても、自分はテロリストだ。祖国と家族を守るためなら、他国を内部から腐らせ、血の海に沈めることも辞さない、歴史の悪鬼だ。
(……大衆の暴走で稼げる時間は、せいぜい数年。アメリカの底力はこんなものでは終わらない)
情報戦の限界を、特戦群の冷徹な頭脳が冷静に計算する。
いずれ、アメリカはこの混乱を収束させ、再び巨大な軍事力で立ち上がるだろう。その前に、残された最後の「軍の要」を、やはりこの手で物理的に排除しなければならない。
坂上の脳裏に、冷酷無比な海軍の重鎮、アーネスト・J・キングの顔が浮かぶ。
「……待っていろ、キング提督。次はお前だ」
煙にむせぶ摩天楼の影で、坂上はポケットの中で砕けたコーヒーキャンディの破片を飲み込んだ。
狂騒のアメリカで、孤独な亡霊は再び、血に染まった暗殺の道へとその足を踏み出そうとしていた。




