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08. ラストまで


 閉店時間をとうに過ぎた店内は静寂に包まれていた。

 対面の壁に掛けられている時計の針は、22時10分頃を示している。

 レジからお札を取り出して前の時間帯に点検したときの金額とズレがないかを確認が終わったのは、先ほどのことだ。一通りの入力作業を終えて、今はレジの電源が落ちるまでを見届けている最中だった。


「さすがに出番終わっちゃってるよなぁ……」


 タイムテーブルは確認していないが、この時間だと大半の出演者は出番を終えているだろう。もし、出番がこれからだったとしても、締め作業はそれなりに残っている。

 いくら客足が少なくて閉店間際には閑古鳥が鳴くチェーン店のカフェとはいえ、営業時間中には手が回らない作業があり、すぐに終わるようなものではない。

 バイトを上がって家に着くころには番組自体が終わっているような時間帯となっているはずだ。


 それにしても、まさか、番組の追加出演者発表が第3弾まであるなんて。

 特にイベントの予定がない日だからと、店の締め作業があるラストまでシフトを入れてしまっていた。

 

(まぁ、生放送とはいえ歌番組だしな……)


 よくある番組収録のサプライズで、当日告知の「これからライブイベントをします! 今からここに集合!」というものに比べたら、遥かにましなのだが。

 録画自体は大学に行く前にしてきているうえ、ウェブでも見逃し配信を1週間ほどされる予定となっていた。

 だから、わざわざリアルタイムにこだわる必要は本来ない。とはいえ、最速で見られる機会があるのならば、それを逃したくないというファン心理があるのも事実。複雑な感情に脳のリソースを奪われて、手元の作業に身が入らない。

 しかし、僕も迂闊だった。

 出演者発表の第1報だけを見て、ツアー中だし、各メンバーの個人仕事が忙しいから難しいか、なんて考えてしまっていたのである。後で告知済みのメンバー全員のスケジュールを照らし合わせたら、今日の夜だけ予定がぽっかりと空いていたのは、わかっていたはずなのに。


(それに、蓮も今日はリアタイできないって言ってたし)

(帰ったら、通話しながら見逃し配信を一緒に見ないかって誘おうかな)


 そう考えると、早く帰りたいという気持ちがふつふつと湧いて出る。先ほどまでは惰性で動いていた体が、少しだけ軽くなったような気がした。


***


 薄暗い室内は、喧騒で満たされていた。

 アルコールとタバコ、それから色んな香水がブレンドされた匂いが漂う空間は、素面だったら到底近づきたいとは思わないだろう。

 

「今夜も! 素敵な姫様から!」


 少し遠い距離のテーブルでは、十数人の男たちが席を囲うようにしてシャンパンコールを行っていた。数秒間、ぼんやりとそれを眺めているとシャツの袖口を控えめに引っ張られる。


「蓮、酔ってる?」


 小型犬のように潤んだ瞳。俺の手だと、軽く一周できてしまう手首。何より、溶けるような甘い声色。俺を指名して2、3回目の『お姫様』が、誘うように小首を傾げた。

 あえて眉をたれ下げて、目の前の女の腰を強引に抱き寄せる。きゃぁ、と喜び半分、悲鳴半分といったような声が耳元で響く。

 

「そーかも。これ以上ヘルプ回りたくねぇ……」

「……じゃあ、行かなくていいようにしてあげよっか?」

「マジー? めっちゃ助かるんだけど。やっぱ俺のこと心配してくれんの、お前くらいだわ」


 そういうとこ好き。

 唇が、耳の輪郭に触れるほどの距離で囁いた。その言葉に満更でもない様子の姫は、身を乗り出してメニュー表を見始める。指先のネイルパーツがキラキラと反射していた。

 手持ち無沙汰になっていた左手で、彼女の赤くなっている耳たぶを軽くなぞる。


「もう! それはずるすぎるってぇ! 気分いいし、モエ入れちゃお~! コールはなしでいい?」

「サンキュ。マジ助かるわ。そういうとこに気が回るのめっちゃいい女すぎない?」


 先ほどよりも姫との間隔を詰めた。半身同士がくっついて、生ぬるい体温が服越しにも伝わってくる。

 しなだれかかってきた彼女からは見えない角度で、ひっそりとスマホを確認した。

 23時10分。営業終了まで、まだ1時間以上ある。


(この姫帰したら、またヘルプで酒飲みまくんなきゃいけないよなぁ、だりぃー)

 

 今からまた、方々のテーブルを回って色んなお客様と話したり、ひたすら酒を飲んで盛り上げなければならないと考えると頭が痛くなりそうだった。ただでさえ、歌番組をリアルタイムで見れなくて、苛立っているというのに。

 

「マジでこの卓癒しだから、離れたくなさすぎるってぇ。なぁ、今日は最後までいるだろ?」


 片手で姫の頭を引き寄せ、目を合わせる。

 髪の毛を梳くように指先で撫でてやると、勢いよく体重を預けられた。柔軟剤と香水の混じりあった甘ったるい匂いが辺りに漂う。


「はぁ……マジで蓮、最ッ高~他のボトルも入れちゃおっかな」


 上機嫌な声をBGMにもう一度、手元のスマホを一瞬の隙に覗き込む。さっきから5分も経っていない。

 舌打ちを飲み込むように、近くの酒を煽る。周囲の喧騒はまだしばらく収まる気配はなかった。

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