06. リテイク
『以上を持ちまして、本日の公演は終了いたします。お帰りのお客様は──』
照明が点灯し、場内の明るさが数段あがる。
アナウンスを聞き終わる前に僕は手早くバッグを肩にかけ、席を立った。
終演後は速度が命だ。
座席で荷物を片付けて帰りの準備が完了してから動き始めようとすると、通路で人の大渋滞に巻き込まれる。そうなったら最後。会場から脱出するまでに時間が掛かり、乗車予定の電車が平気で4本、5本も後ろ倒しになって、帰宅時間が遅れてしまう。
慣れている人は、アンコールの最終曲が終わってメンバーがステージから捌けきった暗転中に帰り始めることもある。余韻を感じるのも大事だが、次の日のスケジュールを考えると悠長なことはできない。ライブが日常生活に溶け込んでいるが故の宿命みたいなものだ。
通路を早歩きで進みながら、首に掛けっぱなしだった双眼鏡をバッグにしまう。
この瞬間の僕の頭を占めていることはライブのことではない。
いかにはやく駅まで到達できるか、である。
同じことを考えているだろう、並走している何人かは駆け足で出口を目指していた。この場にいる人たちはわかっているのだ。あと5分もすれば、こんなにスムーズに退場することは不可能なことを。
会場を抜けると、空はすでに闇が覆っていた。
***
駅のホームについて、ようやく一息つくことができた。
周囲にいるのはライブ以外が目的の駅の利用客ばかりで、どことなく日常に戻ってきたという感触があった。
僕のライブ終わりのルーティンとして、電車が来るまでの待ち時間にSNSを確認し、その日のライブレポを漁るということがある。そして、そこを起点として今日のライブの記憶を掘り出していくのだ。
今日もいつも通りにそれをしようと、スマホを取り出す。
珍しいことに点灯したロック画面に、メッセージアプリからの通知が表示されている。送信時間は6分前。相手は──『くろ』さん。
軽い気持ちで通知をタップした。ディスプレイにメッセージが表示される。
『今どこにいる?』
青天の霹靂。
驚きのあまりに一瞬だけフリーズしてしまった。けれど、少しずつ焦燥感が追い付いてくる。
『××駅のホームです』
ひとまず、自分の所在を明かした。
けれど、6分前という送信時間。僕みたいな多ステ前提──同じタイトルのライブに複数公演参加することだ──のファンではなければ掛かってしまう、退場までの所要時間。それらが意味をもって繋がってしまいそうで、急に胃がキリキリとし始める。どうか、予想を裏切っていて欲しい。
そんな気持ちを抱いている中、すぐに返信がきた。
『え、もしかして、もう帰っちゃった!?』
『はやくね』
その言葉に全てを察する。
きっと、くろさんは帰りも僕と話したいと思ってくれていたのだ。
もしかしたら、退場後も「煮卵さんがまだ会場にいるかもしれないから」と会場近くに留まっていたのかもしれない。そうだとしたら胸が苦しい。
『すみません』
『ライブを誰かと一緒に行くとか、誰かに会うとか、そういう経験がなくて』
『終わった後に合流するって考えが頭になかったんです』
『本当にすみません』
言い訳がましく見えないか、不安を抱えながら送信ボタンを押した。スマホを握る手に力がこもる。
数秒も経たないうちに、くろさんからの返事がやってきた。
『そんなに謝らなくていいっすよ!』
『まだ会場近くにいたら、今日のライブの感想とか話したいなーって思ってただけだから』
『別に今すぐじゃなくても、煮卵さんの都合のいいときに話させてください』
(……いい人すぎる……)
不覚にも涙腺が緩んでしまいそうだった。
『はい。いつでも誘ってください』
もし今度、くろさんと会うとなったときは最優先でスケジュールを立てようと決める。そう意気込んだ直後、再度メッセージが送られてきた。
それを見て、僕はまた固まってしまう。
『じゃあ、今週か来週会いましょ!』
***
約束をしたのは、ライブ翌週の平日昼間。
僕の時間割で午後が全て空きコマかつ、くろさんの都合が良い曜日だった。
カフェで待ち合わせをして、合流後、今ちょうどQ:UAR7Zとのコラボルームの開催中のカラオケに行く予定となっている。
そんな中、僕は大学帰りのその足で、くろさんの元へ向かっている。
もう既に彼はカフェに入っているらしいという連絡をもらっていた。ライブのBDなど、文房具やレジュメ以外の荷物で厚みのあるトートバッグのように、胸の中は期待感で溢れていた。
店内に入り、周囲を見渡す。
くろさんは隅のボックス席から控えめに、けれど軽やかに手を振っていた。それに会釈を返し、席へと向かう。
この間会ったときとはくろさんの恰好の雰囲気が違った。
前回は、厳ついというインパクトで近寄りがたかったが、今日はオシャレすぎて近寄りがたい。
ハイブランドのロゴが入った白いTシャツにシルバーのチェーンネックレスを首にかけ、モノグラム柄の薄青のデニムジャケットを羽織っている姿は、芸能人と言われても納得してしまうような華があった。
「お疲れ様です」
「おつかれーって、何かこの挨拶だと仕事感あるね」
ふふ、と微笑まれると、先ほどまで感じていた近寄りがたさはすぐに瓦解する。
「ドリンク頼んだ?」
「いや……」
「なら荷物置いて行ってきな? 話すのはそれからにしよ」
「……あ、じゃあ、くろさんのも奢らせてください。もうちょっとで飲み物なくなりそうですよね」
「じゃあアイスティーをお願いしようかな」
カウンターからドリンクを受け取って席に戻る。
グラスをくろさんに手渡すと「ありがと」と肩を軽く叩かれた。
着席直後の一息ついた、その瞬間。僕はいの一番に謝罪をしようと口を開く。
「先日は本当にすみませんでした!」
「──え。マジで気にしないでいいのに」
「でも、きっとメッセージ送るまで、帰らずに待っててくれましたよね……?」
「や、俺も開演前に『終わった後にまた合流しよう』って言ってなかったし」
僕がまだ、何か言おうとしているのを察したのだろう。先ほどよりも、一段明るいトーンでくろさんは言葉を続けた。
「ってか、この前思ったんだけど、こうやってリアルに会うときに『煮卵さん』って呼ぶの変な感じするからさ。嫌じゃなかったら教えてよ、名前」
「……高槻湊です」
「湊クン! 俺は黒瀬蓮っていいます。聞いたらわかったと思うけどユーザーネームの由来、わかりやすいでしょ」
悪戯っぽい笑顔に釣られて、僕も口角が上がった。
それから、ところどころにぎこちなさはあったものの、先日のライブの感想を二人で話し始めた。どの曲の入りが良かったとか、演出がどうだとか。
盛り上がっていくうちに敬語や堅苦しさは消えて、いつも通話しているときのようにリラックスしている状態で喋ることができていた。
しばらくすると、どうしてくろさん──もとい蓮が、なぜQ:UAR7Zにハマったのかについて話題が移った。どうやら、メンバーの名前もろくに知らないときに、知り合いによってライブに連れていかれたことが契機らしい。
なるほどと関心していると、蓮は僕を真っ直ぐ見つめてくる。次は僕の番のようだ。
「聞かせてよ。湊がQ:UAR7Zにハマったときのこと」
そうして僕は、Q:UAR7Zと芹澤聖との出会いについて話し始めた。




