24. look at me ②
あの日以降、リリースイベントの会場に彼が来てくれるようになった。
とはいえ、全国津々浦々で開催していたイベント全てに参加するというのは、学生の身分では厳しいのだろう。
彼が足を運んでくれるのは、都内や、そこから電車で一時間圏内で開催されたものに限られた。
それでも、十分だった。
あの制服姿を見つけるだけで、俺の心には春風が吹いたからだ。
彼は決まって、ライブ観覧優先エリアの後方ブロックにいた。
最前列を陣取るのは、熱心な女性ファンたちだ。男が前にいると、いくら平均的な身長でも彼女たちの視界を塞いでしまう。
きっとそのことを懸念して、自ら下がっているのだろう。奥ゆかしい配慮だ。
けれど、俺の内なる悪魔が囁く。
(そんな配慮なんていらない。他の客なんてどうでもいいから、最前列に来て俺だけを見てくれればいいのに)
ステージの上から、何度も彼に視線を送った。
気づいてくれ。俺は君のためにここに立っているんだ。
しかし、彼は「芹澤聖」を熱心に見つめてはいるものの、ペンライトを振るだけで、それ以上のアクションを起こそうとはしなかった。
何より俺を苛立たせたのは、ライブが終わった後のことだ。
彼が特典会に参加してくれたのは、声を掛けてくれたあのときの一回きりだった。
ライブが終わり、俺たちが一旦ステージから捌ける。準備が整うまで、楽屋代わりのパーテーションの裏で待機する時間。
俺はスタッフの目を盗み、隙間から特設購入会場を覗き見るのが日課になっていた。
いた。
彼はきちんと、CDの購入列に並んでいる。
一枚、二枚ではない。学生の財布には痛いはずの枚数を、彼は毎回購入してくれていた。
つまり、彼は特典会に参加する権利──俺と話すためのチケット──を確実に有しているはずなのだ。
それなのに、彼はCDが入った袋を受け取ると特典会の列には並ばず、そのまま出口へと向かってしまう。
あの日はイレギュラーだったとでも言うように。
何度も、何度もだ。
なんで。
どうして帰ってしまう。
ああ、歯痒い。
喉まで出かかった叫びを飲み込む。
彼が落としてくれる金は、確かにグループの寿命を延ばす。ありがたいことだ。
だが、俺が欲しいのはそれじゃない。
あの時の言葉の続きだ。
君をもっと近くで見たい。声を聞きたい。俺がどれだけ君の言葉に救われたか、感謝を伝えたい。
なのに、彼は見返りを求めずに去っていく。
彼が来てくれなければ話しかけることすらできない。そのことが、俺をどうしようもなく飢えさせた。
──彼が何を考えているのか知りたい。
どんな気持ちで俺を見ているのか。今日のライブはどうだったのか。
俺は、君の期待に応えられていただろうか。
思考は熱を帯び、やがて一つの禁忌へと辿り着いた。
***
エゴサーチ。
それは精神衛生上良くないからと、マネージャーからひどく念押しされて止められている行為だ。
インターネットの海には、有象無象の悪意が漂っている。
「売れない」「顔だけ」「消えろ」。
そんな言葉を見て心を病むくらいなら、見ない方がマシだという理屈はわかる。
だが、今の俺には毒を食らってでも手に入れたいものがあった。
深夜の自室。青い光が満たす室内で俺はベッドに寝転がり、スマホの検索窓に指を滑らせた。
手がかりは少ない。
「男性」「学生」「都内のイベントに参加している」「聖推し」。
最初は単純なワードで検索をかけた。
『Q:UAR7Z ライブ 感想』
表示されるのは、馴染みの女性ファンたちのアカウントばかりだ。絵文字たっぷりの称賛や、推しへの愛を叫ぶツイート。
違う。これじゃない。
もっと具体的なキーワードを加え、検索条件を変えた。
『芹澤聖 推し』
これも違う。俺の顔写真──無断転載のものだ──をアイコンにした、botのようなアカウントが引っかかるだけだ。
俺は焦りを抑え、指先を動かし続けた。マイナス検索を使ってみる。
『-譲 -求 -交換』
グッズ取引のツイートを排除する。彼はグッズ交換なんてしていない。一人で来て、一人で帰っているのだから。
次々と手を変え品を変え、試行回数を増やしていく。
『"芹澤聖" -譲 -求 -交換』
『"聖くん" OR "ひじり" "リリイベ" -譲 -求 -交換』
砂漠の中から、一粒のダイヤモンドを探すような作業だ。
検索履歴だけが無意味に溜まっていった。スクロールしすぎて、親指の付け根が痛む。
時刻はすでに午前三時を回っていた。
諦めかけた、その時だった。ある一つの投稿が、指を止めた。
『今日のライブ、映像よりも聖くんのパフォーマンスに迫力があったような気がする』
投稿時間は、今日のイベント終了直後。
アカウント名は「煮卵」。
アイコンは、初期設定の人型のままだ。
プロフィール欄には何も書かれていない。フォロワー数も一桁だけ。
独り言を呟くためだけに作られたような、まっさらなアカウント。
俺は震える指で、そのアカウントの過去の投稿を遡った。
『CD購入。今月のおこづかいが消えたけど、実質無料』
添付されている写真には、今日俺たちが販売したCDが積み上げられている。
その手前に映り込んでいるピースサインの袖口は、見覚えのある紺色のブレザーだった。
間違いない。彼だ。
(……やっと、見つけた)
俺は貪るように、彼の過去のツイートを読み漁った。
そこには、俺への想いが溢れていた。
接触イベントに行かない理由も、そこに記されていた。
『あんなにリリイベ開催してて休みもなさそうなスケジュールだから、少しでもCD捌けてはやく休めるようになってくれてたらいいな』
『自分はパフォーマンスを見れるだけで幸せ』
──馬鹿か、君は。
スマホを握りしめたまま、俺は泣き笑いのような表情を浮かべていた。
俺の時間を奪ってくれ。もっと俺を求めてくれ。
君になら、何をされたって構わないのに。
そんな歪んだ独占欲と共に、俺は「煮卵」というアカウントを、秘密のリストへと放り込んだ。
それから数年。
俺は毎日、毎晩、彼の言葉を監視し続けた。
彼が大学に進学したこと。
バイトを始めたこと。
俺のダンスの癖や歌い方の変化に、誰よりも早く気づいてくれること。
画面越しでも、俺はずっと彼と共にいた。
彼が俺を見つめるよりも、遥かに重く、粘着質な視線で、俺は彼を見つめ返していたのだ。
***
そして、今。ついに接触した。
画面越しではなく、ステージと客席という隔たりもなく。
同じ高さの目線で言葉を交わせた。
『絶対、ドーム連れて行くから』
あの時の彼の表情を思い出す。驚愕に目を見開き、凍り付いていた愛しい顔。
彼は気づいただろうか。
あれが、あのときの言葉への回答であり、俺と君だけが交わした約束だということに。
気づいていてほしい。
いや、気づいていなければ嘘だ。
俺はスマホを取り出し、慣れた手つきで「煮卵」のアカウントを開く。
まだ更新はない。
当然だろう。あの様子で、すぐに何か反応してくれるわけがない。それくらいは見当がついた。
けれど、高揚を隠せなかった。手慰みに無意味なスワイプを繰り返す。
次に、君はどんな言葉をくれるだろうか。
どんな感情でもいい。君の心を、俺が支配できたのなら。
俺は暗い愉悦に唇を歪めながら、更新されないタイムラインを指先でなぞった。




