23. look at me
季節は、梅雨入り前の湿った空気が肌に張り付く頃だった。
Q:UAR7Zがメジャーデビューして、半年が過ぎようとしていた時期だ。
結論から言えば、その時期の俺たちは沈みかけていた。
華々しかったデビューイベントの熱狂は、潮が引くように急速に冷めつつあった。
2ndシングルのリリースイベント。
会場は都内某所のショッピングモールにある、吹き抜けのイベントスペースだった。
三階まで吹き抜けになった開放的な空間で、休日であれば家族連れやカップルが行き交う一等地。集客にはもってこいの場所だ。
だが、それはあくまで「人気があれば」の話だ。
俺たちにとって、そこは公開処刑場に等しかった。
「……人、少ないな」
楽屋代わりのパーテーションの裏で、颯がポツリと漏らした言葉が、メンバー全員の心に重くのしかかる。
否定できなかった。
回を重ねるごとに、目に見えて観客の数は減っていた。
最初の頃は黄色い歓声で埋め尽くされていた最前列も、今では空席が目立ち始めている。
飽きられたのだ。
「顔が良いだけ」
「曲が微妙」
そんな心無い評判が、SNSを通じてじわじわと真綿で首を絞めるように広がっていた。
一方で、事務所の先輩グループはテレビで見ない日はないほどの人気を誇り、アリーナツアーを成功させている真っ最中だった。
そして、さらにもう一方では、半年後にデビューを控えた後輩グループが控えていた。
彼らは、事務所の提携する芸能スクールの内部オーディションを勝ち抜いた精鋭たちだ。歌もダンスも英才教育を受けて育ったエリートたち。
俺みたいな、顔だけでスカウトされた歌やダンス未経験の素人を混ぜられた寄せ集めとは訳が違う。事務所肝いりの大型プロジェクト。
Q:UAR7Zのデビュー以降、MVや広報の予算が露骨に削られたのも、リソースが彼らに回されている証拠だ。
上と下に挟まれ、俺たちは窒息寸前だった。
今、ここで結果を出さなければ、俺たちは「売れなかったアイドル」の烙印を押され、そのまま静かにフェードアウトしていくだけだ。
その焦燥感が、俺の喉をカラカラに乾かせていた。
特に、俺は酷かった。
センターとして太陽のような輝きを放ち、MCもこなす遼。
メインダンサーとして確固たる地位を築いた颯。
他のメンバーについても同様だ。言うまでもない。
ボーカル、ダンス、ラップ。彼らにはそれぞれ己だけの「武器」がある。
けれど、俺にあるのは「ビジュアル担当」という、実力のなさを誤魔化すための肩書きだけだ。
歌もダンスも、人並みかそれ以下。
ステージに立つたびに、自分がただの「綺麗な置物」であることを突きつけられるようで、足が竦んだ。
俺がいなくても、グループは回るんじゃないか。
むしろ、実力不足の俺がいるせいで、Q:UAR7Zの評価が下がっているのではないか。
そんな被害妄想めいた思考が、四六時中頭から離れない。
「時間です。スタンバイお願いします」
スタッフの機械的な声に促され、俺たちはステージへと上がる。
平日の午後。
パラパラと響く雨音のような疎らな拍手。
集まっていたのは、数にして十数人といったところか。
顔ぶれは、いつも最前列にいる固定ファンばかり。その中に俺のネームボードやうちわはない。
彼女たちの視線もどこか惰性を含んでいるように見えた。「来てあげている」という義務感すら透けて見える。
それはそうだろう。彼女たちはライブではなく、その後にあるメンバーと接触できる特典会が目的なのだから。
通りすがりの買い物客たちは、一瞬だけ足を止めるものの、「なんだ、知らないアイドルか」と興味なさげに通り過ぎていく。
少し離れた位置にあるフードコートの喧騒の方が、俺たちへの歓声よりも大きい。
──惨めだ。
営業用の笑顔を貼り付けながら、俺は内心で吐き捨てた。
こんな場所で、誰にも届かない歌を歌って、何の意味があるんだろう。
いっそ、辞めてしまった方が楽になれるんじゃないか。
そんな暗い誘惑が脳裏をよぎった時だった。
視界の端に、異質な存在が飛び込んできた。
客席の最後列。
通りすがりの人垣の中に、制服姿の青年が一人、立ち止まっていた。
紺色のブレザーに、少し緩めたネクタイ。学校帰りの高校生だろうか。
彼は、買い物袋を持っているわけでも、友人と談笑しているわけでもない。
ただ一人、直立不動でステージを見上げていた。
目が、合った気がした。
遼ではない。颯でもない。
彼は、ステージの端に立っている俺を見ていた。
手には公式から販売されているペンライトが握られている。
けれど、その振り方はぎこちなく、リズムにもあまり乗れていない。
周囲にいる何度も足を運んでいるファンとは明らかに動きが違う。こういうイベントに慣れていない一般人だ。
なのに、その視線だけが異常なほどの熱を帯びている。
瞳の中には、星が瞬いていた。
俺を見てた。
「置物」としての俺じゃない。
必死に笑顔を作って、汗を流して、それでも何者にもなれずに足掻いている、等身大の「芹澤聖」を見ている。
そう錯覚するほど、彼の瞳は澄んでいて、まっすぐだった。
その視線に射抜かれた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
指先の震えが止まる。
誰にも届いていないと思っていた歌が、少なくとも、あの青年一人には届いているのだという確信。
それが、枯れ果てていた俺の矜持に火をつけた。
(見ろ。──もっと、俺を見ろ!)
俺は彼に向かって、一歩踏み出した。
他の誰でもない。君だけのために歌い、踊る。
パフォーマンスのことは、よく覚えていない。ただ、彼から目を逸らしてはいけないということだけを考えていた。
***
ライブが終わると、すぐにCD購入者限定の特典会が始まった。
長机やパーテーションは設置されていない。メンバーが横一列に並び、ファンが流れ作業のように目の前を通っていくだけの簡素なものだ。接触禁止。ハイタッチすら許されない、数秒間の会話のみ。
剥がしのスタッフが目を光らせ、ファンを次々と流していく。
列はすぐに途切れた。十数人のファンが通り過ぎれば、もう終わりだ。
だが、最後尾に、あの彼が並んでいるのが見えた。
やがて順番が来る。
近くで見ると、彼はまだ幼さの残る顔立ちをしていた。
緊張しているのか、顔が赤い。
遼や颯の前を通り過ぎる。
メンバーが声をかけても、上の空で会釈をするだけだ。
そして、俺の前で足が止まる。
「あ、あの……っ」
震える声。上ずっていて、今にも泣き出しそうだ。
何を言われるんだろう。
「かっこよかったです」か?
それとも「頑張ってください」か?
ありきたりな言葉でもいい。
君が俺を見ていてくれたなら、それだけで──。
「はい、お時間です」
無情にもスタッフの声がかかる。
彼の肩に手が伸び、強制的に体を出口へと向けさせようとする。
行ってしまう。
そう思った瞬間だった。
彼はスタッフの手を振り払う勢いで、俺に身を乗り出した。
「いつか、聖くんがドームに立つまで、ずっと応援し続けます!」
叫びにも似た、誓いの言葉。周囲の喧騒が一瞬にして消え失せた。
ドーム。
今の俺たちには、口にすることさえおこがましい夢の場所。
事務所の期待も外れ、世間からも見放されかけている俺たちに。
いや、「聖くん」と言った。
彼は何者でもない俺に、そんな大言壮語を吐いた。
「え……」
俺が呆然としている間に、彼は我に返ったように顔を真っ赤にして、スタッフに促されるまま足早に去っていった。
一度だけ振り返り、深々と頭を下げて。
俺はその後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。
心臓が痛いほど脈打っている。形容できない熱い塊が胸の奥から込み上げてくる。
──ずっと。
その言葉は、俺の心に深く深く突き刺さる楔となった。
辞められない。もう、逃げるなんてこともできない。
だって、彼は「ドームに立つまで」と言ったのだ。
なら、俺は連れて行かなくちゃいけない。
あんなに熱のこもった目で、俺だけを見てくれた彼を。
俺の存在を肯定してくれた、たった一人のファンを。
それは絶望の淵にいた俺への救済であり、同時に一生解けない呪いでもあった。




