22. eyes on you
「ほら、この子!」
遼が獲物を見つけた猛禽類のように俺の腕を引く。
強引な力に導かれ、俺は数メートル先のテーブルへと足を踏み入れた。
そこには、彼がいた。
セットされていない柔らかそうな黒髪。
シンプルな無地のシャツと色褪せたジーンズ。
俺たちとは違って、人前に立つこと、誰かから見られることを想定していない恰好だった。
その無防備さが、どうしようもなく愛おしい。
周囲の光を吸い込んだような丸く大きな瞳が、驚愕に見開かれている。
その瞳に映っているのが、今の俺だという事実だけで脳髄が痺れそうだ。
ステージからアリーナ席を見下ろすのでも、スタンド席を見上げるのでもない。全く同じ目線に彼が立っている。
心臓が早鐘を打った。こんなに近いのは、いつぶりだろうか。
記憶の糸を手繰り寄せる。
数年前、まだ俺たちが何者でもなかった頃。あのショッピングモールでのリリースイベント以来だ。
ふと、視線が彼の後ろへ吸い寄せられる。
机には俺の顔が印刷されたコースターと、俺の複製サインが印刷されたフォトカードが収められたスマホが置かれていた。
(……なんだ)
つい先日、SNSに投稿された感想が薄味だったことに不安を感じていた自分が馬鹿みたいだ。
こんなにも彼は変わらず俺を推してくれていたのに!
「聖推しなんだってさ。貴重な男の子ファンだし、なんかファンサしてあげなって」
遼が無邪気に煽る。
ファンサ。
その軽薄な響きに、俺は心の中で冷笑した。
違う。これはそんな安いものじゃない。
俺がこれから口にするのは、アイドルとしての定型文でも、その場しのぎの愛想でもない。
これは返答だ。
あの日、君がくれた言葉への。
何年もかけて、幾千もの舞台に立って、ようやく君に返すことができる、俺からの答えだ。
俺はバケットハットの縁を持ち上げ、その瞳を真っ直ぐに見据えた。
逃がさない。逸らさせない。
君の網膜に、今の俺を焼き付けてほしい。
「まだ今は、難しいかもしれないけど」
震えそうになる声を、腹に力を入れて押し殺す。
感情を露わにするな。特別だと悟らせるな。
でも、言葉に込めた熱量だけは、嘘偽りのない本物だ。
衝動のままに。けれど、確信を持って言葉を紡ぐ。
これはファンサではない。
俺と彼との約束だ。
「──絶対、ドーム連れて行くから」
宣言した瞬間、彼が息を呑むのがわかった。
伝わっただろうか。俺が、あの日の君の言葉を片時も忘れていないことが。
君が俺を見つけてくれたように、俺もまた、君のことを見つめ続けていたことが。
「──じゃあな! 応援ありがと!」
遼に促され、俺たちは店を後にする。
背を向けた瞬間、背中が焼け付くような焦燥感に襲われた。離れたくない。もっとこの空間にいたい。
去り際にもう一度だけ振り返った。
呆然と座り込む彼の姿がスローモーションのように網膜に焼き付く。
名残惜しさに後ろ髪を引かれる思いだったが、これ以上ここにいれば俺の中の怪物が暴れ出してしまいそうだ。俺はバケットハットを目深に被り直し、喧騒の中へと足を踏み出した。
送迎車に乗り込み、シートに深く沈み込む。
興奮して喋り続ける遼の声が、遠いBGMのように聞こえた。
瞼を閉じる。
暗闇の中に、先ほどの彼の表情がフラッシュバックする。
そして、記憶は自然と、彼と初めて出会った「あの日」へと遡っていった。




