21. 誤算
改札の向こうへ消えていく湊の背中が見えなくなるまで、俺はその場に立ち尽くしていた。
ホームの雑踏に飲み込まれていく友人の姿は、どこか頼りなく、糸が切れた操り人形のように見えた。
ポケットからスマホを取り出す。
画面には、先ほど送ったばかりのメッセージたちが動かずに鎮座している。
既読はまだつかない。
「……はぁ」
重たい溜息が、雑踏の騒音に混ざって消える。
最悪だ。
完全に俺の読みが外れた。
湊には伝えていなかったが、本来なら今頃は二人でカラオケにでも行く予定だった。
あるいは少し奮発していい焼肉屋に行き、網の上で肉を焦がしながら「聖くんと目が合った!」「ファンサ貰った!」と、今日起きた奇跡を肴に祝杯を挙げているはずだったのだ。
湊の笑顔が見たかった。
普段、斜に構えて「接触とか興味ない」なんて強がっているあいつが、推しを目の前にして年相応にはしゃぐ姿が見られると思っていた。
だから、初日だったのだ。
俺だって伊達に夜の世界で生きていない。
イベントの初日、それもマスコミが入る可能性が高い枠に、キャスト本人がサプライズで顔を出す確率が高いことくらい、予測済みだった。
もちろん、賭けではあった。
だが、Q:UAR7Zの直近のライブやイベントスケジュールでは地方に飛ぶような予定はなかった。
そうなると、都内で開催されているコラボカフェに来ることは容易に考えられる。話題作りも含めて、メンバーの誰かしらを送り込んでくるだろうという勝算はあった。
狙いは、もちろん芹澤聖。
湊の推しである彼が来れば、あいつは泣いて喜ぶだろうと思った。万が一、俺の推しである颯が来ればラッキー。それくらいの小さな賭け。
結果として、俺の引きは強かった。強すぎたと言ってもいい。
ドンピシャで聖と遼が現れ、あろうことか湊は聖から直接言葉をかけられるという、ファンなら卒倒ものの特大ファンサまで引き当てた。
俺なら、一生分の運を使ったと狂喜乱舞するところだ。
けれど、湊の反応は違った。
喜び? 感動?
あれはそんなポジティブなものじゃない。
真っ青な顔で震え、過呼吸寸前になり、呆然としていた湊の横顔を思い出すと、胸の奥がチクリと痛む。
(……俺、余計なことしたか?)
良かれと思ってやったことが、完全に裏目に出た形だ。
湊の抱えている感情は、俺が思っているものとは全く別物なのかもしれない。
ふと、スマホの時計に目を落とす。
まだ夕方にもなっていない。それなのに、夜までの予定がぽっかりと空いてしまった。
とはいえ、一人で家に帰る気分にもなれなかった。
部屋に戻れば、嫌でもさっきの湊の表情を反芻してしまうだろう。
「……仕事、出るか」
ぽつりと独り言をこぼして、俺は連絡先リストを開いた。
店長に短いメッセージを送る。
『今日、ラストまで出れます』
即座に『了解、助かる』と返信が来た。
休みを返上して働く。
今の俺には、その方が精神衛生上いいような気がした。余計なことを考えずに済む。
俺は駅のトイレに入り、鏡の前で身だしなみを整えた。
少し乱れていた前髪を手ぐしでセットし直して、シルバーアクセサリーの位置を調整する。
流れるようにスマホのカメラを起動し、少しあざとい角度で自撮りを一枚。
そのままSNSのストーリー作成画面へと移行する。
『急遽予定空いたから、やっぱ今日出勤しまーす。会いに来てね』
可愛いフォントで文字を乗せ、投稿ボタンを押す。
──送信完了。
これで俺は「湊の友だち」から、歌舞伎町のホスト「レン」へと切り替わる。
俺は鏡の中の自分に向かって、営業用の微笑みをひとつ作って見せた。
***
店に着く頃には、俺のスマホは通知で埋め尽くされていた。
「今日いるの!?」「行く!」といった姫たちからのDMを捌きながら、フロアへと出る。
黒を基調としたシックな内装。重低音のBGM。そして、甘ったるい香水の匂い。
いつもと変わらない慣れ親しんだ職場に少し安心感を覚えた。
「レンくん! お疲れー!」
VIP席から声がかかる。
手を振っていたのは、華やかなドレスに身を包んだ女性──美玲だった。
彼女は俺の太客の一人であり、同時にアイドルオタクでもある。今回のコラボカフェの予約方法や、チケット戦争の勝ち抜き方を教えてくれたのも彼女だった。
「美玲、おつかれ。来てくれたんだ、ありがと」
「ストーリー見た瞬間、タクシー飛ばしてきたよ! だってレンくん今日休みじゃなかったっけ? デート?」
「あー。まあ、そんなとこ。友だちと原宿行ってきた」
「えっ、もしかして例のコラボカフェ!?」
美玲が目を輝かせて身を乗り出してくる。
俺は苦笑しながら、彼女のグラスにシャンパンを注いだ。
「そう、そこ。おかげさまで楽しんできましたよ」
「嘘でしょ!? よく取れたね!? 初日とかあれ超倍率高いやつじゃん?」
「だろ? 褒めてよ。俺、頑張ったんだから」
「どうやったの? 魔法?」
「まさか」
俺はグラスを傾け、自嘲気味に笑った。
「教えてもらった通り、発売開始の30分前からネカフェに籠もったんだよ」
「は……? ネカフェ?」
「そう。家の回線じゃ勝てないって言ってたろ? だから、スペック高いパソコン置いてある個室に入って、時報と睨めっこしながらF5連打」
「ぶっ……! あはははは!」
美玲が腹を抱えて爆笑する。
無理もない。
普段、こうして何万もする酒を空けているホストが、薄暗いネットカフェの個室でマウス片手に必死の形相で画面のクリックとキーボードの連打を繰り返していたのだ。
想像するだけでシュールすぎる光景だろう。
「マジで!? レンくんがネカフェ!? 想像できないんだけど!」
「俺もだよ。ネカフェとか行ったの、高校生以来かも。独特の匂いするし、隣のブースからイビキ聞こえるし、地獄だったわ」
そう。地獄だった。
けれど、あの時の俺は必死だったのだ。
どうしても、湊と一緒に行きたかったから。
あいつに「すごい!」って言わせてやりたかったから。
その一心で、慣れないキーボード操作と格闘し、奇跡的に初日の予約をもぎ取った。
「よっしゃあ!」と個室で叫びそうになり、慌てて口を押さえた時の高揚感は、まだ記憶に新しい。
「へぇ……。レンくん、その子のこと、ほんとに好きなんだねぇ」
笑い収まった美玲が、しみじみとした口調で言った。
その言葉に、グラスを持つ手が止まる。
「……は? 友だちだって」
「友達のためにネカフェ籠もってF5連打するホストなんて、聞いたことないけど?」
「うるせ。これは義理堅いって言うんだよ」
「はいはい、そういうことにしておきまーす」
ニヤニヤと笑う彼女の視線を逸らすように、俺はシャンパンを煽った。
炭酸の刺激が喉を焼く。
脳裏に浮かぶのは、やはり湊の顔だ。
怯えていたあいつ。青ざめていたあいつ。
そして、ガードレールに寄りかかりながら、弱々しく「ありがとう」と言ったあいつ。
(……あー、くそ)
酔いが回るのが早い。
営業中だというのに、気がつけばポケットの中のスマホの振動を待っている自分がいる。
目の前の姫を楽しませるのが仕事なのに、思考の一部はずっと、あの冴えない大学生に向かっていた。
「レンくん、ボーっとしてる。罰ゲームで一気ね」
「あー、はいはい。いただきます」
俺は思考を振り払うように、再びグラスを空けた。
今日ばかりは、少し酔いたい気分だった。




