19. 余波
「いやぁ……すごかったな」
嵐が去った後の静寂。
いや、爆発的な興奮の余韻が渦巻く店内で、蓮が夢心地な声を上げた。
「マジで顔ちっちぇし。肌とかやばいくらい発光してたんだけど。あれどんなスキンケアしてんだろ。やっぱ美容皮膚科とか通ってんのかな」
「…………」
「つーか、湊へのファンサやばくね? 『ドーム連れてく』って、あの聖くんから言質取ったの。一生の自慢じゃん」
隣で興奮気味にまくし立てる蓮の声が、水槽の外から聞こえてくるように遠い。
僕は返事をすることさえ忘れ、自分の膝の上で握りしめた拳を見つめていた。
指先が冷たい。
全身の血液が急速に引いていき、末端から感覚が失われていく。
「──って、おーい! 湊? 大丈夫か?」
反応のない僕を不審に思ったのか、蓮が眼前でパタパタと掌を振った。
そのおかげでようやく僕の視界の焦点が合う。
けれど、脳内の処理は追いついていない。
先ほどの遼くんとの会話。そして、去り際に聖くんが告げた言葉が、壊れたレコードのようにリフレインしていた。
『今日もあの子が来てくれてる』
『絶対、ドーム連れて行くから』
その言葉の意味するところを、脳が理解することを拒絶している。
けれど、事実はあまりに残酷で、明快だった。
(……あの遼くんの口ぶりだと、かなり前から、僕は聖くんに認知されてたことになる)
それも、ただ顔を覚えられているというレベルではない。
「制服を着ていた」「学校帰りだった」というディテールまで認識され、メンバー間で話題に上るほどに。
あの日。
僕が客席から彼を見ていた時、彼もまたステージの上から僕を見ていたのだ。
マジックミラーだと思っていたガラスは、ただの透明な板だった。
僕は安全圏から「偶像」を眺めていたつもりで、その実、とっくの昔に彼らの領域に引きずり込まれていたということになる。
パリン、と。
僕と彼らを隔てていた世界の境界線が、音を立てて砕け散った気がした。
(……来なければよかった)
後悔が、どす黒い波となって押し寄せる。
蓮が楽しそうだし、たまにはこういうイベントも悪くないかも。そんな楽観的な気持ちは木っ端微塵に吹き飛んで消え失せていた。
もし今日ここに来なければ、僕は一生「ただのファン」でいられたのに。
彼らが僕を認識しているなどという恐ろしい事実を知らずに、幸せな夢を見続けていられたのに。
テーブルの上には、聖くんのコースターが置かれたままだ。
さっきまでは「当たって嬉しい推しのグッズ」だったはずの『それ』が、今は僕を見つめる監視カメラのレンズのように思えて、直視できない。
「……湊? 顔色悪いぞ」
蓮の声色が、心配のものへと変わる。
僕は乾いた喉を無理やり動かし、震える声で告げた。
「だいじょばない、かも」
「え?」
「ごめ……。気分、悪くなってきた……」
嘘ではない。
強烈すぎるストレスと許容量を超えた情報の濁流に、胃の腑が締め上げられている。
店内に流れるBGMのQ:UAR7Zの曲すら、今は不協和音のように耳障りだった。
これ以上、ここにいてはいけない。一秒でも早く、彼らの痕跡がない場所へ逃げ出さなければ。
崩れ落ちそうになる体を、僕は必死にテーブルで支えた。




