16. コラボカフェ
原宿駅の改札を抜けた瞬間、熱気を含んだ人の壁にぶつかった。
平日だというのに竹下通りへと続く坂道は、制服を着た若者の集団や外国人観光客で埋め尽くされている。得も言われぬような匂いと、多国籍な言語が混ざり合うカオス。
大学とバイト先と自宅のトライアングルだけで生きている僕にとって、ここは酸素濃度が著しく低い、めまいがするような異界だった。
助けを求めるように、蓮へメッセージを送る。
『改札出た』
送信ボタンを押した直後、スマホが震えた。
逡巡する間もなく、僕は応答ボタンをタップする。
「湊、今どの辺いんの?」
「改札出てすぐのところ。……人が多すぎて動けない」
「あはは、ライブのときよりマシだろー? ま、俺がそっち向かうからこのまま通話繋いどいて」
「うん、わかった」
スピーカー越しに、蓮の軽い笑い声が聞こえる。
少しだけ安心感を覚えながら、人混みに流されないように柱の陰へと避難した。
「──見つけた! 湊!」
耳元のスピーカーから流れてくる電子音と、頭上から降ってくる生の声が重なる。
弾かれたように顔を上げると、人波を割って歩いてくる長身の男がいた。
けれど、その姿を認識した瞬間、僕は思わず後ずさりそうになった。
派手だ。
目が痛くなるほど、派手だった。
オーバーサイズの黒を基調としたペイズリー柄のシャツに、足のラインを強調する黒のスキニーパンツ。
胸元にはシルバーのネックレスが幾重にも重ねられ、完璧にセットされた濡れ髪のような黒髪が、陽光を弾いて輝いている。
すれ違う通行人が「え、モデル?」「インスタやってるのかな」と振り返るほどのオーラを垂れ流しながら、当の本人は屈託のない笑顔で手を振っていた。
「悪い、待たせた?」
「ううん。……っていうか、何その恰好」
「え? 変? 今日は気合い入れてきたんだけど」
「変っていうか、目立ちすぎ。ただでさえ人多いのに」
隣に並んだ瞬間、周囲の視線が突き刺さるのを感じた。
洗濯を繰り返して色が褪せたジーンズを履いている自分が、ひどくみすぼらしく思える。
彼が単なる社会人というにしてはやけに洗練されていることには気づいていたが、今日の彼は輪をかけて仕上がっていた。
「そりゃ、今日は推し活するんだから当たり前だって! 行こっ!」
「ちょ、待って、引っ張らないで……!」
蓮は僕の引きつった表情など気にも留めず、強引に手首を掴んで歩き出す。
その容赦のない握力と、迷いのない足取りに引きずられるようにして、僕は原宿の喧騒という濁流へと飲み込まれていった。
***
目的のイベントスペースは、路地を一本入った場所にあった。
建物の外壁には、Q:UAR7Zの巨大なキービジュアルが掲げられ、入店待ちの列がとぐろを巻くように伸びている。
周囲を見渡せば、缶バッチや紙のフォトカを敷き詰めた「痛バッグ」を持った女性や、推しのメンバーカラーで全身をコーディネートしたグループ客ばかり。
男二人組など、僕たちの他には見当たらなかった。
「うわー、すげぇ熱気。やっぱ初日は違うな」
「……帰りたい」
「まだ入ってもないでしょ! ほら、もうすぐだって」
列が進み、蓮がスタッフに予約画面を提示する。
自動ドアが開いた瞬間、鼓膜を震わせる重低音と共に、視界全てがQ:UAR7Z一色に染め上げられた。
壁一面に飾られた等身大パネル。
天井から吊るされたメンバーごとのタペストリー。
大小さまざまなモニターが、新曲のMVを延々とリピート再生している。
「やっば! 天国じゃんここ!」
「……目がチカチカする」
はしゃぐ蓮とは対照的に、僕は圧倒されて立ち尽くす。
情報の洪水だ。どこを見ても彼らの顔、顔、顔。
案内されたのは、店の中央付近にある二人掛けのテーブル席だった。
あれもこれもと悩んでいる蓮とは対照的に、僕は条件反射で聖くんをイメージしたドリンクだけを注文した。
少しして、注文した品が運ばれてくる。
僕の前には、白を基調とした『白桃・カルピスソーダ』。
蓮の前には、鮮やかな緑色の『抹茶ラテ』。
そして、その横には銀色の袋──特典のコースターが置かれていた。
「きたきた!」
蓮はドリンクにストローを差すことすらせず、獲物を狙う肉食獣の目で銀色の袋に手を伸ばした。
「ドリンク飲まないの」
「そんなん後! 今はこっちがメイン! 頼む、颯来てくれ……!」
拝むように両手を合わせ、蓮が袋の端を慎重に破る。
銀色の包装が剥がれ、中身が露わになる。
出てきたのは──クールな表情でこちらを見据える、聖くんの顔だった。
「……あー、マジかぁ」
蓮がわかりやすく肩を落とし、テーブルに突っ伏した。
この世の終わりのような嘆きっぷりに、思わず吹き出しそうになる。
「聖くんじゃん。一番の当たりでしょ」
「当たりだけどさぁ! 俺の狙いは颯なの! はぁ……湊のほうは?」
「僕は誰でもいいけど」
無欲の勝利、というやつだろうか。
適当に袋を開けると、そこには蓮が熱望していた颯くんの姿があった。
「うわ! お前、颯引いてるじゃん!?」
「あ、本当だ」
「交換して! お願い、今日の帰りタクシー奢るから!」
「……別にそんなことしなくていいよ。あげる」
「マジ!? 湊、一生ついていくわ! 愛してる!」
コースターを交換した途端、蓮の表情がパァッと明るくなる。
現金なやつだ。
彼は手に入れた颯くんのコースターを、まるで国宝でも扱うかのように丁寧にクリアケースにしまい込み、うっとりと眺めている。
その横顔を見ながら、僕はストローで氷の溶けたソーダを吸い上げた。
甘ったるいシロップの味。人工的な炭酸の刺激。
周囲の黄色い歓声と、モニターから流れる大音量の音楽。
(……やっぱり、ここは僕の居場所じゃないな)
居心地の悪さを感じながらも、目の前で嬉しそうにしている友人の姿を見ると、来てよかったのかもしれないと思える。
蓮は時折、スマホの時計をチラリと確認しながらも、終始ご機嫌に颯くんの魅力を語り続けていた。
異変が起きたのは、入店から40分ほどが経過した頃だった。
「キャァァァァァァッ!!」
入口付近で、ガラスが割れるような悲鳴が上がった。
それは、「コースターで推しが当たった」といった類の、喜びの歓声ではない。
もっと切迫した、信じられないものを目撃した時に、喉の奥から絞り出されるような絶叫。
「え?」
「なに、今の」
店内の空気が、一瞬にして凍り付く。
ざわめきが波紋のように広がり、客たちの視線が一斉に入口へと吸い寄せられた。
BGMの音量すら掻き消すような、怒号のような歓声が巻き起こる。
「嘘、本物!?」
「ヤバい、待って、無理!」
「聖くん!?」
その名前が聞こえた瞬間、僕の心臓が早鐘を打った。
まさか。
嘘だろう。
初日とはいえ、こんな真昼間のカフェに、彼らが来るはずがないのに。
「──お邪魔しまーす」
マイクを通したわけでもないのに、凛とした声が店内に響く。
その一言で、モーセが海を割るかのように人々が左右へ分かれた。
人影の奥から、圧倒的なオーラを纏い、二人の青年が悠然と姿を現す。
一人は、人懐っこい笑顔を浮かべた、センターの遼くん。
そして、もう一人。
深々と被っていたバケットハットを指先で持ち上げ、氷のような瞳で店内を見渡す、美貌の持ち主。芹澤聖。
非日常な空間でしか見ることのできないはずの『偶像』が、数メートル先の現実に立っていた。




