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14. 足りてる/ない

 入浴を済ませ、ドライヤーで髪を乾かす。

 まだ微かに湿気を帯びた髪を気にせずに、僕はそのままベッドにダイブした。スプリングが軋む音と共に、身体が沈み込む。

 枕元に放ってあったスマホを手に取って、流れるようにSNSのアイコンをタップした。


(そういえば、歌番の感想、まだ呟いてないな)


 投稿画面を開いた。

 キーボードが表示され、カーソルが点滅する。

 いつもなら、ここで指先が止まることはない。

 イントロの照明や演出、衣装の生地感、コレオグラフィー、ソロパートで「聖くんの指先の角度がいかに美しかったか」ということに言及した、分析もどきの感想たち。

 脳内に溢れる情報の洪水を、まるでダムから放水するかのような勢いで文字に変換していく。そうすることでしか、パフォーマンスを見ることで心の奥底に溜まっていく熱情を解放する術を知らなかった。


 ──それなのに。


「…………」


 指が動かない。

 いや、正確に言うと、今までのように迷いなく言葉を綴れなくなっていた。

 書きたいことがないわけではない。間違いなく昨日のパフォーマンスは素晴らしかったし、聖くんも沢山カメラに抜かれていた。ここ最近の音楽番組の中だと、群を抜いて語るべきポイントが山ほどある。

 けれど、いざ文章にしようとすると、言葉が上滑りしていくような感覚に陥るのだ。書こうとする言葉のすべてが、どこか色褪せて見えた。


(……そっか)


 ふと、記憶が蘇る。スピーカー越しに聞こえる、少し低くて、心地の良い相槌。

 

『俺は面白いと思ったよ』


 蓮だ。

 彼との通話で、僕は既に吐き出してしまっていたのだ。

 僕にとって、この「煮卵」というアカウントは、行き場のない感情を吐き捨てるための場所だった。

 誰にも理解されなくていい。そう思うくらい重たくて気持ち悪いほどの情熱を、誰もいない壁に向かって叫ぶことでなんとか心の平衡を保っていた。誰かに聞いてほしかったわけじゃない。共感して欲しかったわけでもない。ただ、自分の中に留めておくには大きすぎただけだ。


 そんな「壁打ち」は、壁に向かってボールを投げるからこそ成立する。

 投げたボールを受け止めてくれる相手──蓮がいる今、虚空に向かって独り言を叫ぶ必要性は、もう僕の中には残っていないのかもしれない。


「……でもまあ、何も書かないのもあれだしな」


 感想をポストすることが義務でもないのに、僕は誰に聞かせるわけでもない言い訳をこぼす。

 その場の勢いで話してしまう音声通話は、いつ何を話していたかを忘れてしまうし、何より「煮卵」としての記録は残しておきたい。そんな気持ちも少なからずあった。


(投稿日時を見たときに、番組名と、どんなパフォーマンスをしてたかが思い出せるような内容にすればいいか)

 

 僕は軽くなった思考のまま、指先を動かした。

 深く考えず、そして推敲もせず、胸にある率直な気持ちだけを紡ぐ。


『やっとさっき録画見れた! 初披露の白セットアップかっこいい!』

『ツアーでもあの衣装でパフォーマンスして欲しいなあ』


 投稿ボタンを押す。

 タイムラインに流れたのは、これまでの何行にもわたる感想が嘘のような短文だった。

 いつもなら、ここからツリー形式で長文の考察を連ねるところだが、今日はもう、その気力が湧いてこなかった。

 満足してしまったのだ。

 誰宛なのか不明瞭なひとりごとよりも、電話の向こうの友人と「良かったよね」と語り合う時間のほうが、今の僕には心地よかったから。


 スマホを充電ケーブルに繋ぎ、ベッドに放り投げる。

 部屋の明かりを消すと、心地よい眠気がすぐに意識を包み込んだ。



***



 スマホが震えたのは、移動車のシートに深く身を沈めていた時だった。

 通知バナーに『煮卵』の文字と見慣れたアイコンが浮かぶ。

 祈るような気持ちで通知をタップした。数秒のリロードすら煩わしい。

 くるくると回る輪がパッと消え、タイムラインが更新された。


 その瞬間、画面を見て俺は自分の目を疑った。

 焦りを誤魔化すかのように、何度も何度も画面を下に引っ張ってリロードするが結果は変わらない。

 更新されていたのはたったの2ポストだけだった。


「……なんで」


 喉の奥から、絞り出したような掠れた声がこぼれ落ちる。

 感想を待ちわびていたはずだった。だけど、期待していたものじゃなかった。

 いつもなら「続きを表示する」を押さなければ読み切れないほどの感想があるはずなのに。今日はその「続き」がどこにもない。

 文字列を指でなぞった。やっぱり、今までの投稿とは文字数も熱量も、何もかもが違っている。

 放送直後に連投されたものと言われたら、まだ納得できた。とはいえ、そういうときは大抵、彼はあとから追加の感想をツリーに長文で繋げるのが当たり前だったのに。

 それに、この当たり障りのない文章は、俺宛のものに思えなかった。

 芹澤聖以外の「誰か」に置き換えたとしても、意味の通じてしまう無味な感想。

 背筋が凍りつくような錯覚に襲われる。

 

 言葉にする価値もないほどに期待外れだったのか?

 ──それとも、もう俺自身に興味がなくなったのか?

 

 足元からガラガラと音を立てて崩れ落ちていくような絶望感。

 暗い車内で、俺はただ呆然と、光を放ち続けるディスプレイを見つめ続けていた。

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