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13. まだ?

 楽屋の空気は、緩やかに弛緩していた。

 都内スタジオでの雑誌撮影の合間。ケータリングのコーヒーの香りと、コスメ特有の甘い匂いと、それぞれが身に纏っている香水が混ざり合う空間で、Q:UAR7Z(クォーツ)のメンバーたちはそれぞれの休憩時間を過ごしている。


 ソファの隅。

 俺は、死んだ魚のような目でスマホの画面をスクロールしていた。

 指先が画面を弾くと、流れるような動作で新しい投稿が濁流のように表示される。しかし、自分の表情はピクリとも動かない。

 ディスプレイに映っているのは、とあるSNSだ。

 特定の「リスト」を開き、専用のそこにある専用のタイムラインから、たった一つのアカウントの更新だけを監視し続けている。


(……動かない)


 前回の投稿は、昨日の昼だった。

 歌番組の生放送が始まる数時間前のポストで更新は止まっている。

 もう丸一日が経過しようとしているのに、新しい投稿が一つもない。


 普段の彼であれば、新曲のパフォーマンスについての感想を長文で投下するか、あるいは番組の衣装の細部についてマニアックな視点からの分析を呟いていてもおかしくないはずだ。

 録画はしてあると言っていた。ならば、帰宅後に必ず見ているに違いない。

 それなのに、なぜ。


(もしかしたら、体調が悪いのかもしれない)


 バイトで疲れが溜まっていて、すぐに録画を見るような状況ではないのか。

 それとも、今回の新曲が気に入らなかったのか。パフォーマンスが期待外れで、感想を呟く気にもなれないのか。

 あるいは──『くろ』とかいうユーザーネームの男と、何かあったのか。


 最新の投稿として表示されているリプライの文面を見る限り、かなり親しい間柄であることが窺える。

 アイコンもプロフィールも適当なこの男は、一体何者なのだろう。わかっているのは颯推しのQ:UAR7Z(クォーツ)ファン、ということだけ。『煮卵』さんとはSNSだけの繋がりなのか、それともリアルの友人なのか。

 思考の沼に沈みかけたとき、視界の端にスポーツドリンクのペットボトルが突き出された。


「聖、顔強張りすぎだって。またエゴサ?」


 顔を上げると、呆れたような表情の颯が見下ろしていた。

 隣では、遼がヘアセットを直されながら、鏡越しにこちらを見て笑っている。


「お前、好きだよなぁ。そんなに評判気になる?」

「別に」

「それはさすがに苦しいって、眉間に皺寄ってたくせに。……新曲の評判なら上々だろ。トレンドも一位取ったしな」


 颯が隣に腰を下ろし、聖のスマホを覗き込もうとする。

 俺は自然な動作で画面を伏せ、ソファの上に置いた。


「……感想、見てるだけだから。自分じゃ気づかない細かい部分への反応がわかる」

「細かい反応って、アンチコメとかか? お前、意外と気にしぃだよな」

「違う」

「はいはい。聖は真面目だねぇ~」


 遼がからかうような口調で割り込んできた。

 メンバーたちは、俺のことを「無愛想だが、グループの評判を人一倍気にする真面目な奴」だと思っている。

 クールで口数は多い方ではないが、パフォーマンスに対してはストイック。だからこそ、こうしてSNSにかじりついているのも、仕事への熱意が由来のリサーチ行為だと好意的に解釈してくれているのだ。


 誰も知らない。

 自分が──芹澤聖が、世間の評判など一切無視して、たった一人の男子大学生の感想を求めて血眼になっているとは。

 もし知られたら、遼は腹を抱えて笑い転げ、颯はドン引きして説教を始めるだろう。「お前、それはアイドルとしてのラインを超えてる」と。他のメンバーはどうだろうか。いくら考えても、いい反応を得られるようには思えない。


「大丈夫だって。トレンドに上がってる投稿を見たけど、概ね好評じゃん。新規のファンも増えてるっぽい」


 颯が励ますように肩を叩いてくる。

 俺は短く「あぁ」とだけ返し、再び手元のスマホに視線を落とした。

 相変わらず、通知バッジはゼロのままだ。

 世界中から何万件の賞賛が届こうとも、あのアイコンが動かなければ、俺にとっては無音と同じだった。


(本当に、まだ、録画を見ていない……? もう半日以上経ってるのに?)


 焦燥が胸の奥で、黒い澱のように渦巻いていた。

 もし、このまま永遠に彼のアカウントが更新されなかったらという妄想が、脳裏を駆け巡る。

 リアクションのない理由が単なる多忙ならいい。

 けれど、もし『芹澤聖』への関心が薄れているのだとしたら。


「──聖、そろそろスタンバイだって!」


 ドアの方から遼の声が響く。

 俺は小さく息を吐き出すと、スマホの電源を落として立ち上がった。


「……ん。今行く」


 鏡を横目で一瞥する。映っているのは、完璧に作られたアイドルの顔だ。

 無愛想でクールなビジュアル担当。

 その仮面の下で、一人のファンのSNS投稿を待ちわびて焦がれているなんて、誰も想像すらしないだろう。

 ポケットの中にあるスマホは未だに沈黙を保ったままだった。

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