10. お返し
ピピピ。無機質な電子音に叩き起こされた。
唸り声を上げながらも、枕元に置いてあるスマホを手探りで掴む。
重い瞼をこじ開けると、遮光カーテンの隙間から眩い光が差し込んでくる。
どことなく頭の中に靄がかかったような感覚があった。睡眠不足の四文字が頭に浮かぶ。
昨日、蓮の電話を切った後、深夜特有の変なテンションで、いっきにレポートを片付けた反動がやってきていた。
鳴り響くアラームを停止させる。
ホーム画面のチャットアプリのバッジ通知が1件表示されていた。指が止まった。
『起きてる?』
送信者は蓮だった。送ってきたのはたった数分前。
いつも通り、メッセージで「起きてる」と返信しようとして、やめた。少しくらいなら意趣返しをしたっていいだろう。
些細な悪戯心から、僕は躊躇うことなく通話ボタンを押した。
「昨日はマジでごめん!」
「記憶あるの?」
「ふつーにある。……から、今めっちゃ恥ずい」
「可哀想だけど、自業自得だろ」
スマホの向こうで呻く様子に、耐えきれずに「ふっ」と空気が漏れた。
口元を手で覆いながら話しているのがありありと伝わってくる。くぐもった声が余計に情けなさに拍車をかけていた。
昨日は彼に振り回された分、気分がいいものだ。
「そんなこと言うなら今度湊と会うときは、めっちゃ飲ませて醜態晒してもらおうかな」
「アルハラやめてくださーい。それに僕、普通にお酒弱いから期待してるような感じにはならないと思う」
「どんな感じ?」
「え、吐く。あと立てなくなっちゃう」
「急に下ネタぶっこむのやめろって」
数秒の沈黙。
通話越しでも伝わってくるニヤニヤとした気配に、言葉の意味を理解する。よくもまあ、素面でそんな最低な変換ができるものだ。
「……その絡み方だるいな。まだ酔っぱらってる?」
「ぅゅ」
「もー……僕あと10分後には家出ないとなんだって」
「あ、マジ? それはごめん。昨日俺が電話しちゃったから、録画まだ見れてないんじゃないかって思ったけど、タイミング悪かったか」
教科書をトートバッグに入れようとした指先が、空中でピタリと硬直する。
その言葉は僕の内なる悪魔を呼び起こした。天使はまだ寝てるらしい。
今学期はまだ休んだことのない授業なのだから、一回くらいなら休んだって良くないか。心臓が音を立てる。単位か推し活か。天秤はサボるほうへと傾き始めていた。
「まぁ、必修じゃないし、多少遅れたりしても大丈夫ではある」
「ほんと? ……俺、大学のことわかんないから間違ってるかもしれないけど、欠席ってできる回数決まってるんでしょ? ライブのときとかさ、もっと湊がここぞってときに取っとけよ」
「う、それはそうだけど」
「もしかして俺の予定とか気にしてくれてる感じ? なら大丈夫。今日は予定ないから。連絡くれたらすぐ反応する」
さっきまでのふざけた調子とは違う、低く、落ち着いた声色。
適当なようでいて、こうしてふとした瞬間に大人の顔を覗かせてくる。
「なんかさぁ」
「ん、何?」
「蓮ってずるい」
「いい意味で? 悪い意味で?」
「……黙秘権を行使します」
「お前それはずるいわ」
どちらからともなく、笑い声がこぼれ落ちた。
なんだかんだ言いつつも、蓮と話している時間が心地いいと思ってしまっている自分がいる。
「わかった。大学行ってくる。で、終わったら連絡する」
「よし」
「じゃあ、また後で」
「ん、いってらっしゃい」
「……いってきます」
黒い画面に戻ったスマホをポケットに滑り込ませ、バッグを肩にかける。
耳の奥には「いってらっしゃい」という響きがまだ残っていた。




