復縁の条件なんてありません。
約束の時間になっても彼がこない。
それは大体いつものことであり、ミレイユは小さくため息をつきながら慌てる使用人に気にしないように伝えて王太子アルベリクの元へと向かった。
彼の婚約者であるミレイユは、結婚後は王太子妃として王室入りし、この国を導いていく立場となる。
そして彼のことも同様だ、少々困ったところのあるアルベリクだけれどそこはミレイユの行動でカバーしていくしかない。
そうして助け合って……。
ノックをして、いくら待っても侍女が出てこないので考えつつミレイユは扉を開いた。
「あ」
「え」
「きゃぁっ!」
ミレイユが開いた扉は寝室の扉ではない。アルベリクの私室の扉だった。とても大きなソファーがあって寝転がることはできるだろうけれど、そういう用途のものではない。
しかしベッドの上でしか許されないような乱れぐあいでアルベリクの上に女性が乗っている。
「やだっ、もうだからやめてっていったじゃないの」
「……なんだよ。答えない時点で察せよ、ミレイユ」
「……」
「いいところだったのに」
彼は膝の上にのせていた乱れた格好と髪の女性がどいた後、ゆっくりと立ち上がってミレイユの方へとやってくる。
彼女は自分で衣類を直して、窓ガラスの反射を使って髪を整える。
美しい桃色の髪だ。見覚えがある。すぐにモンテスパン伯爵家のものだと特定できる。
伯爵家の中でも魔力量の多い姉のベルティーユという女性だ。
「……なにをしていたのかしら」
「ハッ、野暮なこと聞くなよ。いいだろ、男なんて好色なぐらいが丁度いいんだ」
「違いますわ。もしその方と閨を共にしたいというのなら私は絶対にお勧めしません、というか止めます」
「は?」
「ですから、いえ。そもそも好色な方がいいなどと言いますけれど、そんな言葉にまったくもって根拠などないでしょう」
「……」
ミレイユは彼の言葉に、ベルティーユを睨みつけながら、部屋の中に入る。
彼女は窓ガラスの反射でミレイユの行動に気が付いてくるりとこちらを向いた。
「たくさんの女性と通じることにはそれ相応のリスクも伴いますし、なにより将来、あなたと結婚したあと私たちの子供が困ることになるといつも言っているでしょう」
「あー……始まった」
「いいえ。その前に、不特定多数の方とこんなことをして無事で済んでいるだけましな方なんです。きちんと定期的に検診を受けているからということもあるともいますが、運がいいだけとも言い切れません」
こちらを見たベルティーユは少し首をかしげて、笑みを浮かべる。その笑みにミレイユは眉間にしわを寄せて、言葉をつづけながら振り返る。
「だからこそ、控えてほしいと常に言っていますよね。どうしてそうすぐに人を引き込んでしまうのですか、ただでさえあなたは━━━━」
ミレイユはこれを機に、本当にきちんと言い聞かせないとだめだと判断し、厳しい口調で続けようとした。
しかし、アルベリクは不機嫌な子供みたいな顔をして、おもむろにミレイユの胸ぐらを掴んだ。
「っ、」
そしてベルティーユの口紅が移っている鮮やかな唇でミレイユの唇に吸い付く。
ムニッと柔らかい感触がしてミレイユはすぐさまアルベリクを突き飛ばした。
彼は突き飛ばすと簡単に離れていったが、まったく悪びれもなくミレイユに言う。
「嫉妬してるならそう言えよ。ったく、ウザすぎ」
煽るようにヘラりと笑って彼はミレイユを通り過ぎて、ベルティーユの元へと向かう。
彼女の肩に手を回してそれから丁寧に口づけた。
小さなリップ音が響き、ミレイユは腑に落ちない顔をしながら無意識に唇を拭ってそれから言った。
「嫉妬ではないですよ」
「嫉妬だろ」
「違います」
「あら、本当かしら。ミレイユ様」
「……」
「絶対嫉妬だよな。それにペラペラと説教垂れ流してお前は私のなんだ?」
彼女の体の線をなぞって彼はミレイユに問いかける。
なんだと聞かれたら婚約者である。
「母親かよ。恥ずかしい、ただの婚約者のくせに偉そうに干渉してきやがってさ」
「……窮屈なのね、アルベリク様」
「ああ、そうなんだ。ベルティーユ」
干渉するのは彼が、干渉しなければならないようなことをするからだろう。
ミレイユは公爵家の長女で、彼の婚約者に選ばれた。
王太子妃になり最終的には王妃となるために選ばれた。望まれている役目はわかっているし、これまでもこれからも関係はつづいていく。
今は嫌な顔をしている彼だってきっと助かったと言ってくれるように尽くしている。
「お前と来たらずっと……なぁ私たちっていったい何のために婚約なんかしてるんだろうな?」
問いかけられる、その言葉はまるでミレイユに原因があって婚約を疑問視しているみたいな言葉だ。
しかし、そんな言葉を言われようともミレイユは引くわけにはいかない。それはいつだってそうだった。
彼が人妻に手を出して怒りを買った時だって、彼を説教しつつも謝りに行ったし。
彼が、気を持たせた女の子たちを競争させるようなことをして争いが激化した時には、丁寧にそんなことをしても将来の為にならないと女の子たちを諭したし、彼に説教をした。
そして今回だって、引くわけには行かない。
今ひいたらきっと彼は後悔する。
それがわかっているから、引けない。
いつも通り説得を試みたり説教をするだけである。
しかし、声が出なかった。
「……」
「お前はいつもカリカリカリカリ怒っていて私のあらを探して目をギラギラさせて。自分より可愛い女性に私が気持ちを許したら関係ないことも絡めて文句を言って」
「……」
「おまえ、楽しい?」
「わ、私は」
「私は、最悪。過干渉ホントやめてくれ」
突き放すように言われて、たしかにミレイユだってそんなふうにいわれて楽しくなんかない。
まったくもって楽しいわけなどない。
将来きっと、感謝してくれると思っていたし、そういう役割だと言われてきた。
道を外れないように、意見を求められれば有用なことを言えるように色々な人のことを頭に入れて、ミレイユは彼のためにたくさん知識を持っている。
でもそのためにすぐに怒ると彼に言われる。最近自分はたしかに怒ってしかいない……ような気がする。
……なんのために私たち、婚約しているの?
ミレイユもその答えがわからない。
でも一つの事実はあるはずだ。
「……でも」
「?」
「たしかに、なんのためにってもうかもしれないけれど、あなたが私を選んでくれないと……困りますよ。そうでなければ私はあなたのそばにいる意味がない」
ミレイユは彼のブレーキになり、彼の知恵になり、彼のために生きるためにここにいて、その役目を正常に果たしている。
ただ、問題があるとすれば彼の方で、彼がミレイユの言う言葉を聞いて真面目に受け止めてくれなければミレイユはその真価をまったくもって発揮できない。
だから、ふと確認のつもりで言った。
ベルティーユはミレイユの言葉に少し悲しそうな顔をした。
花瓶に飾られている花がなんの理由もなくはらりと花弁を落とす。
ひらりとまったのが視界の端で見えた。
「はははっ、そんなわけあるか! お前かベルティーユだったら私は間違いなくベルティーユを選ぶ!」
彼はミレイユの言葉を真っ向から否定して、とても愉快そうに肩を揺らして笑う。
その光景がどうしても信じられなくてミレイユは、呆然としてその場に突っ立っていた。
「いっそ婚約なんて破棄しよう! 私はお前みたいなうざったい女なんて最初からいらなかったんだ。文句を言うやつは全員なにかの罪を吹っ掛けて投獄してしまえばいい」
「……」
「もう私だって子供じゃないんだ、自分の未来を自分で選ぶ権利がある!」
そうして高らかに宣言する彼に、ミレイユは突然、今までのモチベーションがすべてゼロになるどころかマイナスになって、血の気が引いた。
返事も返さずに、ふらつきながらゆっくりと毛足の長いじゅうたんの上を歩いていく。
……アルベリクは……もう私を選ばないのね。……もう?
自分の思考に疑問がわいて、美しい王城の廊下を歩きながら、ミレイユは癖で親指で大切にしている婚約指輪に爪をひっかけた。そして指から抜き取って手に取る。
……もう、というか最初からあの人、私を選んではいなかったような? ずっとやっかまれていたような? ……愛情も守りたい気持ちも尊敬する気持ちもあったのは私だけ?
そう思うと、思いだした。彼は、きっと将来ミレイユに感謝すると言ったのはミレイユを婚約者に推した大人たちだけであり、彼自身はなにも言っていなかった。
だから初めからこの婚約に意味などなかったのだ。まったくもってすべてが無駄だったのだと今更思う。
ミレイユが信じていたのは虚構であって空想であって願望であって、幻である。
それをはたと思い知った。
すると鳥肌が立つほどの怒りが襲ってきて、それは様々なものに対してだったが、一番大きいのは自分に対してだった。
毛が逆立つような思いでそして大切にしていた婚約指輪を、握って走った。
外廊下に出て庭園に向かって、思い切り投げ飛ばす。大きなダイヤが付いていたのでよく飛んだ。
太陽に照らされてダイヤは一瞬キラリと強く光った後見えなくなって、ミレイユは大きなため息をついたのだった。
ミレイユは領地に帰ることにした。
婚約解消はミレイユが、アルベリクのことをもう見離したと両親に言うと簡単にすることができて、しばらく領地のカントリーハウスに戻った。
長い休暇を与えられたような状態だったが落ち着かず仕事をしようと思い立つ。
しかし、自分の屋敷で仕事をすると事務官たちに気を遣わせてしまうので、隣領地の友人の元で仕事をした。
仕事をさせてくれることについてはとても助かっていたけれど、その友人のことで少しだけ困っていた。
「あのね、ラウル」
「なんだ? 嬉しいか?」
「ええ、嬉しいですよ。でもね、ラウル」
「ああ」
「こんなにいいものをもらっては困りますよ。私は、一時的に親戚筋から預かっている仕事ができる女性ということになっているわよね」
「そうだな」
「それなのにこんな贈り物をして不自然に思われてはあなたが困るはずです。今回はあなたがこうして選んでくれたのだから受け取るけれど、次からは気を付けることを……」
約束してね。
そう言おうとしてミレイユは口を閉ざして、とても微妙な顔をした。
彼ラウルは、辺境伯家の跡取り息子だった。先日、領地が平和過ぎて暇なので辺境伯になって、元辺境伯は自由気ままな旅に出たらしい。
辺境伯夫人はまだいないが、立派な辺境伯である。つまるところ自立した一人の大人であってミレイユが説教をする相手ではない。
だからこんな言葉遣いをそもそもしてはいけないのだ。友人だとしてもうざったく思われてしまうだろう。
「……」
「ああ、気をつける。気をつけるし、調子に乗って高額なものを選んでしまったのは悪いと思ってるでも、なにも不自然なことじゃない」
「? ……どうして」
「誰しも大切な人のことを気にかけるのも、なにかと理由をつけて交流したがるのは当たり前のことだろう。だから不自然じゃない」
彼はとっても嬉しそうにそう言った。ミレイユの小言を喰らったというのに、否や顔一つせず、肯定する。
それに彼や彼の周りにとっては不自然ではないらしい。そこになにかミレイユの知らない事情があるのかもしれないと思った。
「そうなんですか。土地の文化ですかね。……ところでせっかく来ていただきましたし、こんな高価な茶葉もいただいたのですからお茶にしましょう。ラウル、時間があればですが」
「ある、問題ない」
「そうですか。では、掛けて待っていていてね」
そうして部屋の中へと案内して、ミレイユは丁寧に紅茶を淹れた。彼が持ってきてくれたそれはとても香り高く美しい水色をしていた。
「嬉しいプレゼントだわ。いただきます」
「淹れてくれてありがとう、いただきます」
二人でそうしてゆっくりとお茶を飲んでほっと息をつく。
「……おいしい」
すぐに純粋な感想をミレイユは口にした。
「そう言ってくれてよかった。吟味した甲斐がある……がしかし気持ちばかりやはやって君に叱られていては世話ないな」
「……」
そうやって、ミレイユの言葉に反省していう彼にミレイユは、小さく首を振って返す。
「ごめんなさい、さっきの言葉はあまり気にしないで。……元婚約者の為になると思ってずっとそうしてきたから、すぐに出てしまうのよね」
「そうなのか」
「ええ、私だけが悪かったとは思わないし、婚約は破棄してよかったと思う。でも不思議ね。時間が経つと、自分はやっぱり小言が多くて……私にも悪い所があったのかもと少し思うんですよ。正論ばかりで融通が利かないところとか……」
「……そんなふうに思っているのか」
つい、彼に言うと弱音が出てきて、ぎこちなく笑みを浮かべる。
そんなミレイユを見てラウルは腕を組んで考えて、少し目を合わせてそれからやっぱり空を見る。
言葉を選んでくれている様子に思いやりを感じた。
「でもそのアルベリク王太子殿下は、こないだ馬車の事故で下半身が使い物にならなくなったらしい、という話、を君に一番にするためにプレゼントを持ってきたって俺が言ったら引くか?」
「え」
「なんでも、モンテスパン伯爵令嬢と王都外に出かけた時に運悪く、道が崩れてとか。君に知らせたら……興味は引けるだろうと思ってな」
「うそ……」
「それに間違いなく恨みだろうな。モンテスパンと言えばそもそも王族の派閥じゃない」
「……」
「そんな令嬢と王都外に行くなんて、あまりに非常識だ。それだけでもわかる通り、君の言葉は正当なものが多かったんじゃないのか? むしろ黙っていては今頃、君までやり玉にあげられていた可能性もあるんじゃないか」
思案しつつもラウルは冷静に判断してミレイユに言う。
しかしミレイユとしてはラウルがこの話を持ってきたことよりもずっとベルティーユのことが頭に浮かんで、気持ちが重たくなった。
……わかっていたんですよ。彼女が何をしようとしているか。
だからこそ止めたかった。彼女が被害者でありそして復讐のために彼に取り入ったことなど見た瞬間にわかっていた。
昔、アルベリクが女性たちを弄んで競わせるようなことをしていた時がある。その時に、一人の令嬢……モンテスパン伯爵家の次女に気持ちをよせるようなそぶりをした。
その後に彼女は、同性から嫌がらせを受けて、通っていた魔法学園を退学して引きこもるようになってしまった。
嫌がらせの内容については深くは知らない。
けれどもとても酷いもので精神を病んでしまって、恨まれるのなんて当然のことだった。彼女たち姉妹は、同じ桃色の髪をしている美しい仲のいい姉妹だった。
だからこそ、いつもよりも警戒して彼に話をしたのに、結果は婚約破棄、復讐は完了したのだろう。
「止められなかったですね」
「なんだ、知っていたのか?」
「その令嬢こそ、私が捨てられた理由ですからね」
「……なるほど、でもそれははたして君の責任か」
ミレイユが落ち込んだ声を出すとラウルは見かねたように問いかける。
「言っては悪いがそもそもすべて、アルベリク王太子殿下がまいた種ではないのか? 君は……止めたんだろう」
問いかけに無言でうなずく。
「なら、彼の責任だ。復讐をした令嬢も、自分の責任だ。君は間違ったことは言っていないのに追い出された、違うのか」
続く言葉に、ミレイユはうまく言葉を返せない。
それでもと思ってしまう自分がいる。自分が面倒を見なければ、やっぱり彼に将来はなかった。
「ミレイユ。君の言葉を俺はどれも納得できるものが多いし、口を出してくれるしっかりしたところも昔から変わっていなくていいところだと思う、でも」
一度、言葉を切って、優しげな笑みを浮かべた。
「君だってなんでもできるわけじゃない、正しく人を導く力があっても万能じゃないだろ」
「……」
「人が駄目な責任を自分に転嫁して、傷つくなんてつらいだろう。君は君の幸せを願っていいし、君が優しく諭すべき相手を選んでもいい。それは誰にでも与えられた権利で俺はあってほしい」
……権利、ですか。
たしかに言われてみるとミレイユの気持ちは囚われていて、彼の責任を感じている。けれども彼の言葉は正しいと思う。ならば……。
「……そうですね。ラウル。ありがとうございます」
「ああ」
「お見舞いに行こうと思います」
「あ、ああ……?」
ミレイユの決断に彼は少し首をかしげたが、帰ってきて結論が出たら、今の彼の言葉にきちんと答えを出せるような気がした。
お見舞いという体で、アルベリクの元を訪れると待っていたとばかりにすぐに案内される。
寝室に入ると巨大なベッドの真ん中に鎮座し、少しやつれた様子の彼の姿があった。
ベッドのそばに配置された椅子に座り、ミレイユは少し手持無沙汰だった。
お見舞いの品はすでに渡してあるし、後は声をかけるだけであるが、アルベリクとこんなに長いこと離れていて、すぐに言葉が出てこないような気まずさ感じるのなんていつぶりだろうか。
「……調子はどうですか」
悩んだ末に、ミレイユは静かに問いかけた。
彼は、ミレイユの方を少し見て「まぁ、ぼちぼち」と静かに返す。
「……」
「……」
そうして沈黙が訪れる。次につながる会話を考えたけれど少し時間がかかってアルベリクは控えめに話し始めた。
「来てくれてありがとう。……まさかこんなことになるだなんて思っても見なかった」
「……そう、ね」
まず最初にお礼が出たこと、それにミレイユの心は少しだけ解けて、小さく頷く。
「あんなことがあっても父上は、やっぱり私に無関心だし、ベルティーユは罪に問われたとはいえ手紙の一つも寄越さない。本当に気にかけてくれたと思えるのはお前だけだ」
つぶやくような声、それにとても冷静に話ができていて、それが新鮮な感覚だった。
彼なりに気持ちの整理をつけるためにいろいろなことを考えたのかもしれない。
「私を一番に気にかけてくれるのはお前だけだったんだな。本当の意味で俺を大事にしてくれている人間が誰かやっとわかった気がする」
それは、ずっとミレイユが言われたかった言葉だった。
いつかそうなると思っていたこんなふうなタイミングではなく、将来でそう気が付いて笑みを向けてほしかった。
でも、その昔の気持ちはほんの少し報われた。
ただ、ああ自分はこれで良かったのだと……思う気持ちとはまったく違った。
ミレイユが持った感想は怪しいだった。
「……そうなの?」
「ああ、あの時もこうなる可能性があると思ったから止めてくれていたんだろ? それ以前のことも、ミレイユがいなくなった途端にこんなことになったんだ私だってわかる」
怪しくてそして、彼はどこまでもミレイユのことをきっと本当の意味で理解できないし感謝してくれない。
「お前は私のことが大好きで止めようとしていたのに、私は突っぱねた。でももっと言い方があったんじゃないか?」
「……」
「私のプライドもあるし、どうしてそういうことに気を回してくれなかったんだ? むしろ見捨てたのはお前の方じゃないか、あんなに口うるさく言っていたのに突然、やめて」
「……」
「責任の放棄だろ。あの時は婚約者同士だったのだから、おかげで私はこんなふうだ、子供も望めないらしい。責任を取ってくれるんだろ?」
彼にとってはミレイユは、いつだって起こった悪いことの責任を持つ人間であり、自分の欲望のままに生きることを止められればそれに怒る。
そして欲望のままにした結果に起きた出来事も監督不行き届きだと怒る。
全部ミレイユのせいであり、いつだってミレイユは自分のはけ口。
そんなふうに思っている。いやミレイユにだけではないのかもしれない。誰も彼も彼にとっては感謝するにも値しないし、大切にする対象にだってならない。
彼は自分の欲望だけを優先して人のことなどどうでもいいそんな、人間なのだ。
「いや、責任を取ってくれなくちゃおかしい、あれだけいい思いをさせてやっただろ。あんなに一緒にいて、あんなに俺のことを心配してただろ。以前より少しならお前のいうことも聞いてやるだから、わかったな?」
優しげな顔で言われて、ミレイユは同じく笑みを浮かべて、ちいさく頷いて「わかりましたよ」と簡単に言った。
彼の表情が明るくなるのを見て、そして吹き出すように笑った。
「っふふふ、うふふふっ、ええ、ええ、わかりましたよ。アルベリク」
「……え」
「そうですね。あなたの言うことは全部正しい。それでいいじゃありませんか。いいんですよ。私の言うことなんて聞かなくて、いいんですよ」
うふうふと笑って軽やかに言うミレイユの明らかに場違いな様子にアルベリクはキョトンとしていた。
「私はもうあなたに言いたいことなんて、なにもありません。もうなにも思えそうになりません。あなたがこうなっても一切不憫だと思えません」
「な、なんだって?」
「ですから、もういいんですよ。殊勝なことを言わなくても、もういいんです。あなたは一生そのままでいてくださって結構ですからね。アルベリク、好きに生きることが一番です。その結果あなたがどうなったって、私には関係がないですよ」
「な、なんで?」
「なんでって、嫌ですね。あなたに……ええと、なんていうんですかね。そう、とても呆れてしまって、もうバカバカしくて、どうでもよくて、ふふっ、ああ、責任ですか?」
ミレイユはそうしてアルベリクの手を取った。
彼は、ひくっと頬を引きつらせて、信じられないものでも見るようにミレイユのことを見ていた。
「どうして私に責任があるんですか。あなたがまいた種、あなたが負った傷、それをどうして私が?」
「っだって、お前はあんなに私を支えて」
「その恩を無に帰したのは誰ですか」
「必死になって、ベルティーユを引き離そうとして」
「そうしてあなたは私を捨てた。なのに、責任だけは取らせようなんてっもう、ふふふっ、可笑しいですね」
ミレイユは彼にわからせてやる気など一切なく、肩を揺らして笑って返す。
彼はどうしようもない男だ。その見苦しさも滑稽さも今までそれにまったく気がつかなかった自分の間抜けさも何もかもがおかしい。
自分はおおむね正しかった、唯一間違ったとしたら、大切にしていた人だけ。
彼を選んだ周りの人間に従っていたことだけ。
なんと盲目的でなんと愚かだったのだろう。
「都合がよくて独善的ですね。私だって大概馬鹿ですけどね、あなたはそれ以上ですよ。アルベリク、でもいいんです。私の言葉なんて意味のないものですよ」
「い、いいや、どうでもよくないだろ、あるだろもっとやり直すための条件とか!」
「無いですね」
「いいや! あるはずだ、少しは聞いてやると言ったが、君の助言には全面的に従うでもいい!」
「無理なさらずに」
「君との約束をすっぽかしたりしない、ほかの女性に手出しすることだってやめる!」
「いいんですよ。やったらいいじゃないですか。なんだってあなたの責任で、あなたの人生ですからね。好きに生きていきましょう、お互いに」
ミレイユはかってに両手で熱い握手を交わして、締めの言葉を言った。
もうそれ以上なんの助言も出てこないしどうでもいいし、彼は好きに生きたらいいのである。
そしてミレイユだって好きに生きる。
手を離した。
「っ、」
「では、またいつか、どこかで、アルベリク王太子殿下」
「ま、待って!!」
「……」
最後に怒鳴った彼に、ミレイユは視線を送って歩き始め、流し目で最後までその情けない男の姿を焼きつけて、部屋を出た。
ミレイユを呼ぶ叫び声はずっと廊下にも響き渡っていたがそれがミレイユの後ろ髪をひくことはなかったのだった。
見舞いのあとにミレイユは王都の情勢について気にすることはなくなったが話だけは入ってきた。
アルベリクはその後不自由な体からくるストレスから医者や魔法使いの忠告を聞かなくなった。
病状は悪化の一途をたどるものの、飲酒をやめられずに骸骨のように痩せて行っているらしい。王族のことなので誰も言わないが先は長くないと噂されている。
一報ミレイユは指摘をするときもさほど気にせずに、しかし相手を傷つけないようにだけ気を付けて仕事を続けた。
そして変わらず、ラウルはミレイユのところへと会いに来た。
彼とお茶会をするのも習慣になってしまっている。
しかし、彼の気持ちについてはあまりよく理解できていない。
なにかと気にかけて、高額ではないプレゼントはもちろんのこと頻繁に会いに来て話をしてくれる。
それが持つ意味を、ミレイユは薄々気がついていたけれど断定するのもはばかられて、やっと聞くことにしたのだった。
「あのね、ラウル」
「ああ、なんだ?」
「気になっていることがあるんです」
「悩み事か? 深刻か?」
「深刻……ではないですが」
改まって言ったミレイユに彼は真剣な顔になる。
けれども最悪ミレイユの勘違いということもあるのでその時には気軽に流せるような雰囲気が良かったのだがそうもいかなかった。
しかしここでやっぱりいいというのも、気が落ち着かないだろうと思って切り出すことにした。
少し気まずくてミレイユはティーカップを親指で少しなぞる。
「……あなたは、私がこちらに帰ってきたとき快く受け入れてくれましたよね」
「それなりにはな」
「それは友人として、普通の思いやりだと思っていたのですが、私が妙な誤解を避けるためにはプレゼントはしない方がいいと言っても、それについては問題がないと言いますし」
「そうだな」
「この間は誘ってくださって二人で出かけることもありましたね」
「そうだな」
「それに、言葉の端々に、私のことを友人以上の大切な人間だと思っているような発言があると思うのですが」
「……」
様々なことを引き合いに出して彼の様子を窺うと、あまり動揺しておらず、やっぱり勘違いだったのかと思う。
しかし、話し始めたからにはと続けて言った。
「他とは違った思いを……私に抱いているのでは、ありませんか?」
すでにその問いかけが恥ずかしくてミレイユは目線を彼の胸元におろして聞く。
すると平然とした声が返ってきた。
「あるな」
「!」
「あるが、答えはいらないし、君がいいなと思ったら選んでくれたらいい」
「?」
「もうずっと前から気が付いているものだと思ていたが違ったんだな」
ラウルはそうして、さわやかな笑みを浮かべる。
ふわりと紅茶の香りがして、気持ちを落ち着けるようにコクリと飲む。
それから、やっと聞いた。
「ち、ちなみに、どうして答えがいらないのかしら」
「……そうだな」
ラウルは惰性で肯定してそれから、彼は手で手に触れて悩んでいるように動かした後、指を組んでいった。
「……君は、昔からとても気立てがよくて、しっかりしていて、ここらにいる貴族は大体君に恋していたと思う」
「それは、大袈裟すぎでは」
「じゃあ、少なくとも俺は、ということで。でも君は大人に決められて、その気質を使って人を支える役目についた。立派だと思ったけれど同時に悲しかった。君はそれで幸せになれるのかととても疑問だった」
ラウルは切なそうな顔をしていて、ぐっと何か喉の奥に詰まったようにミレイユは少し苦しくなった。
彼の気持ちがとてもよく想像できて、共感してしまったのかもしれない。
「とても心配していた。そして君は戻ってきて俺は、君に選ぶ権利があると言っただろう。だから、明確な言葉は言わないようにしているし、求婚もしない、誰の手を取るかは君の自由だ。ミレイユ」
「……」
「俺はただ、君に好かれようと必死なだけ。幸い俺の頑固っぷりを多くの人間は知ってるからな、君に嫉妬する人間もいないし、俺が君に時間を割いていることなど当たり前だと思っている」
想像していた以上の彼の気持ちはあまりに重たいものであると同時に、愛情と思いやりに満ち溢れていて、何故か鼻の奥がつんとしてミレイユは泣きそうだと思った。
「だからゆっくり、君が幸せになる道を……自分の道を選んだらいい」
「……あ、ありが、とう」
「ど、どういたしまして?」
そうして、二人はまだ結ばれることはなかった。
しかしその未来もきっと遠いものではない。
彼がいいと思ったとミレイユがいう日は近い。けれども今は穏やかな時間を過ごしたのだった。
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