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愛の瞳のリリアック  作者: vlad
二月、邂逅
2/10

(1)仮面の吸血鬼



 フッと、いきなり電気が消えた。


「えっ、停電……!?」


 想定外の事態だ。真っ暗闇になり、チカは驚いて声を漏らした。単独行動をしている今、隣には誰もいない。頼れる人もなく、チカは暗闇を一歩進む。慣れない場所なので転ばないよう、壁に手をつこうとしてハッとした。

 ここはパリの地下墓地、カタコンブ・ド・パリなのだ。何百万という人間の骨がギッチリと積み重なり、剥き出しのそれらが壁となっている。チカの周りには、本物の骨が手を伸ばせば触れる距離にあった。そこにガラスや柵などの隔たりは一切ない。


(確か、骨はお触り禁止だったっけ……)


 地下墓地見学の際の注意を思い出し、伸ばしていた手を引っ込める。真っ暗になる前は、ちゃんと見学できるよう所々に電気がついていたのだが、今は全て消えてしまったようだ。今頃きっと、スタッフの人間が気づいて復旧作業を行っているだろう。チカはそう信じて、電気が再びつくまで闇雲に動かないことにした。


 カタコンブ・ド・パリはフランスの首都パリの地下深くに存在するどデカい納骨堂だ。ここはもともと採石場だったらしい。十八世紀頃、パリの地上の墓地が満杯になり「不衛生、ここに極まれり!」となったため、埋葬されてあった古い骨をこの地下採石場へ移動させたのが納骨堂の始まりだ。そうして採石場が納骨堂として完成してから、なぜかここは観光地として人気になり、十九世紀の頃から紳士淑女の皆さんの訪問が多いとのこと。いつの時代もオカルト好きな人間はいるものだ。


 チカの場合はオカルトよりも、歴史に興味があった。ここには名もわからないパリの一般市民から、フランス革命で処刑された有名人まで本当に多くの人々がごちゃまぜに単なる骨として積み重なっている。もはや誰が誰だかわからない。そんな「死の平等」を、歴史の古い街で間近に見れるのだ。史学科生として、今年入学したばかりの大学で、これからヨーロッパの歴史を深堀りして勉強したいと希望しているチカにとって、パリに行くならここは是非とも訪れておきたい場所だった。

 勿論ここだけでなく、有名なルーブル美術館やベルサイユ宮殿も見学した。今日はこの後、今は別行動をしている家族と合流し、オペラ座の方へ行く予定になっている。


「……なんか、急に冷えてきた。寒い……」


 今は夏だが、地下の納骨堂はもともとヒンヤリしている。しかし電気が消えてから、なぜか急激に空気が冷えた。先程までは半袖でも我慢できたが、今は切実に上着が欲しいレベルだ。

 チカが剥き出しの腕を擦っていると、少しして、一人ずつ手に蝋燭の灯りを持った外国人グループが闇の奥から近づいてきた。


(蝋燭……? もしかして、電気が復旧できないから、蝋燭で出口まで案内してるとか?)


 この集団からはぐれたら二度と太陽を拝めないのでは。そんな恐怖に襲われたチカは、このグループの後ろにくっついて歩くことにした。

 少し距離をとりながら、見失わないよう彼らを視界に入れて追いかける。そんなことを続けていると、チカは何かがおかしいことに気がついた。


(えっ……なんで皆、長袖? こんなに着込んでる人達、いたかな?)


 夏だというのに、彼らの服装はほとんど肌を出さないものだった。男性はしっかりとコートを着込み、シルクハットのような帽子をかぶっている人が多く、手にはステッキを持っている。女性も皆、長袖にロングスカートという格好で、半袖や膝が見える短いスカートの人はチカから見える範囲には一人もいない。

 いくら地下が涼しいからといって、ここまで完璧に冬の服装をした観光客は入場の列に並んでいなかった。しかも、彼らの服装はどれも堅苦しい上に古臭く、シャツにジーンズといったラフな組み合わせとは程遠い。

 首を傾げつつも、チカは蝋燭の灯りについて行った。

 するとしばらくして、地上へ戻るための階段に辿り着く。


(良かった! 出られる!)


 パリの地下墓地で迷子、地上に戻れず餓死、なんて最悪の結末は避けられそうだ。一緒に旅行に来ている家族にも心配と迷惑をかけることろだった。


(マチ達は買い物、終わったかな……?)


 両親と高二の妹、マチは三人でショッピングに行っている。なんでも、ブランド物のバッグを買いたいらしい。チカは興味がないので時間を有効に使おうと、一人でここを訪れたというわけだ。


(一人で来て正解だったかな。マチはお化け屋敷とか苦手だから、一緒だとギャーギャーうるさかったかも)


 小学生の頃、一緒に入ったお化け屋敷で半泣き状態の妹がずっと自分の腕にしがみついていたのを思い出す。

 過去を振り返ってクスッと笑いながら、ここでの体験をどう妹に話して聞かせようか考えつつ、チカが長い階段を上がり終わった時だった。


「さ、寒いっ……!」


 思わず声が出た。自分で自分を抱き締める。外は明らかに冬の寒さだった。まだ太陽は空にあるが、雲が多くどんよりしていて暖かさなど感じない。通りを歩く人達も、地下の納骨堂にいた観光客と同じで、しっかり服を着込んでいる。


(嘘でしょう……!? 今は夏だよね!?)


 夏だったはずだ。墓地に入る前は、半袖や半ズボンの男女がパリの街を当たり前に歩いていた。チカの格好も、膝丈のハーフパンツにTシャツだ。これで丁度良かったのだ。


(……何か、変だ)


 目の前を荷馬車が通り過ぎる。

 コートにシルクハット、ステッキ姿の紳士が早足で道を行く。

 吹き付ける冷たい風が、チカの剥き出しの肌を撫でた。凍りつけ、とでも言うように。


(荷馬車? ステッキ? 十九世紀でもあるまいし……そんな……)


 かなり不安になって来たチカは、ここでやっとスマホの存在を思い出した。見学が終わったと、歩きながら家族に連絡してみよう。そう考え、肩に掛けていたショルダーバッグを開けてスマホを取り出した、その時。


「Bonjour, Mademoiselle.」


 声を掛けられた。耳に心地いい、甘やかな男性の声だ。横を向けば、仮面で目元を隠した青年が立っていた。


「えっ……」


 挨拶をされたが、チカは青年の仮面を凝視したまま固まった。

 縁取りには金色。白をベースに、綺麗な青色の化粧が施されたその仮面は、仮面舞踏会でつけるような装飾が凝ったもの。そんな美しい仮面をつけ、黒いコートという出で立ちの彼は舞台役者のようで現実味がなく、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。


(オペラ座の、怪人みたい……)


 ここがパリだから、だろうか。

 仮面で顔がわからないのに、チカは目の前の青年をカッコいいと思い、ドキリとした。体型は細めでモデルのようだが、とびきり背が高いわけではない。とはいえ、百六十センチないチカからすると見上げる相手となる。

 より近くに歩み寄ってきた青年を注意深く見ると、彼の仮面は目の部分が灰色のガラスのようなもので覆われており、外からでは内側にある瞳の色も目の形も知ることはできなかった。


「Sărut mâna.」


 唇に微笑みを浮かべながら仮面の青年が囁く。視界に入るのは、彼の柔らかそうな蜂蜜色の髪。青年は優しくチカの手をとると、彼女の手の甲に軽いキスをした。


「ひゃっ……!」


 突然の接触に驚き慌てて、チカの口から意味の無い悲鳴が飛び出る。手を離してくれるかと思いきや、青年は挨拶のキスが終わってもチカの右手を握ったままだった。


「あ、あの……」


 咄嗟に英語もフランス語も出て来ない。チカが口をパクパクさせていると、仮面の青年はチカの手をくるりと反転させた。今度は柔らかな手のひらが上を向く。すると青年は再びキスを落とし、チカの手のひらを舌で舐め始めた。


「や、やめてください! 何してっ……ストップ!」


 流石にこれは挨拶ではなく変態行為だ。チカは声を上げながら逃げようとしたが、右手をガッチリと掴まれてしまった。そして次の瞬間。


「痛っ……!」


 手のひらに鋭い痛みが走る。噛みつかれたのだ。青年は傷ついたチカの手のひらに舌を這わせると、嬉しそうにこう言った。


「Bun!」

「え……?」


 その後は、あっという間だった。仮面の青年はチカを自分の腕の中に抱き寄せると、剥き出しになっている彼女の首筋に躊躇いなく噛みついた。


「っ……!?」


 訳がわからず、チカが目を見開く。荒い息と共に生々しく耳にこびりつく、血を啜る音。叫んで抵抗したかったが、恐怖でチカの体は凍りついた。白い肌から零れ出た赤を、青年はチカを抱きしめながら夢中で舐め取り啜る。


(な、に……? わた、し……なにを、されて……)


 見知らぬ青年に首を噛まれ、血を貪られている。この現実味のない状況が理解できず、チカは混乱した。


「や……めっ……」


 どうにかして青年の腕から抜け出さなければ。そう思うも、体に力が入らない。左手からスマホが落ちる。血を失い過ぎたのか、チカの意識は朦朧としてきた。


(もう……だ、め……)


 ガクリと、チカの体が崩れる。反射的に青年がそれを支えるも、限界を迎えたチカは既に意識を失っていた。危険な捕食者の、腕の中で。





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