表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛の瞳のリリアック  作者: vlad
プロローグ
1/10

十九世紀、パリのとある香水店



「最近どう? こんな所に店を構えるなんて……パリの街は君にとって、よっぽど住み心地が良いのかな」


 足を組み、椅子に腰掛けている仮面の青年が口元だけで店主に微笑む。彼の瞳は仮面の奥に隠されており、外から覗うことはできない。

 店主のニコロは馴染み客である青年に笑みを返した。新作の香水を、彼の手首に試しながら。


「ええ、それはもう。金も人も死も集まる。魅力的な場所ですよ、ここは」

「ふーん。てっきり君はヴェネツィアで店を開くと思ってた」


 店内にはたくさん香水の瓶が並んでおり、ここが表向きは香水店であることを教えてくれる。しかし実際は裏で、美肌用の化粧水や媚薬、毒薬といった類いの商品も取り扱っていた。ニコロのお得意様のほとんどはそちらのリピーターだ。


「あそこは古巣なので、少々動きづらいのです」

「顔が知られ過ぎてるから? 貴族の女を誑かすのも程々にしないと、いつか首が飛ぶんじゃない?」


 手首の内側につけた新作の香りを楽しみながら、仮面の青年が皮肉げに笑う。これに対してニコロは明るく答えた。


「切られたところで死んでますから、何も問題ありませんよ」


 そう、死んでいる。

 ここはパリの片隅にある香水店。店主は生者ではなく、吸血鬼。既に死んだ人間が蘇った存在だ。ニコロは自身が吸血鬼だと大っぴらにはしていないが、この仮面の青年とはそこそこ付き合いが長い。お互いが吸血鬼であることはとっくに知っている。


「ところで、いかがでしょう。新作の香水は」

「うん。良いね。好きな香りだ。もらうよ」

「気に入っていただけましたか。それは良かった。ではこちらを、亡国の王子様に」


 棚から新品の香水瓶を取り出し、差し出してきたニコロに仮面の青年はムッとした。


「亡国とか言わないでくれる? 俺の国はまだちゃんと存在してる」

「しかしワラキアは最近、隣国のモルドヴァと合併したと聞きましたが」

「形が変わっただけで、滅んでない。間違った呼び方で俺に話し掛けるな」

「おや、これは面白いですね。では滅んだ時の楽しみに、今の呼び方はとっておきましょう」


 おどけた調子でニコロが言えば、仮面の青年は笑みを作り、香水を受け取った。


「滅びないよ。カルパチア山脈が崩れたり、俺達の体からローマ人の血が消えたりしない限りね」


 ワラキア生まれの仮面の青年、ミルチャはルーマニア人だ。ヨーロッパの東に位置するルーマニアと言えば、スラヴ民族の国に囲まれて孤立したラテン民族の国である。古代ローマ帝国が今のルーマニアの土地を属州とした歴史があるからこそ、そこだけイタリア人と同じラテン系の国になってしまった。

 そのせいかイタリア人吸血鬼のニコロは、この仮面のルーマニア人青年ミルチャに親しみを感じていた。自分の故郷ヴェネツィア産の仮面をプレゼントするくらいには。その仮面はミルチャの顔の上半分をしっかりと隠している。


「合併といえば……僕は未だにトランシルヴァニアがハンガリー領であることには納得できません」


 第三者の声が響く。注文した商品の確認作業を黙々としていた黒髪の青年が、ニコロとミルチャの方へ視線を向けた。不満をぶつけられ、ミルチャが楽しむようにクスクス笑う。


「その討論、シュテファニツァと決着ついたの?」

「つくわけないでしょう。彼の頭の中は封建時代の騎士のままです。成長が見られません」

「今更成長とか俺達に求められてもね」


 話に出てきたシュテファニツァも、ニコロやミルチャと同じ吸血鬼だ。しかしこの黒髪の青年、イオンは違う。彼はまだ死を経験したことがない普通の人間だ。そんな彼に「脳内が十五世紀で止まってるジジイ」とハッキリ指摘され、ミルチャは苦笑しながら立ち上がる。


「ミルチャ、どちらへ?」


 椅子から離れ、店の外へ出ようとしていたミルチャはイオンの声に振り返った。


「君の買い出しが終わるまで散歩してる。パリは久しぶりだしね」

「女性の死体は作らないでくださいよ。騒ぎになったら厄介です」

「ならパリから美女が消えるよう、神に祈りなよ」


 吸血鬼は人の血を啜る。ミルチャも例外ではない。やめろと釘を刺したイオンだが、ミルチャは同意しなかった。つまり彼の気分次第で血が流れる。出て行くミルチャの後ろ姿から視線をそらし、イオンは被害者となる女性を哀れに思った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ