逆転世界に生まれた俺がファーストキスに至るまで
この世界おかしくね?
この違和感にもっと早く気づけていたら、果たして何か変わったのだろうか。
『お、おお、おおお......おほぉ』
『あら? もしかしてお尻の穴に指入れられて感じちゃった? 本当、どうしようも無い変態雄豚ね! そんな雄豚さんには罰を与えないとねぇ?』
画面にドアップで映るデブでブサイクな男優の、何かを我慢しているような見るに耐えない醜悪な表情。
そして、それを嬉々として責め立てるボンキュッボーンでナイスバデーな女優さん。今は罰と称して男優のお尻に乗馬鞭? を模したようなものを叩きつけている。
ここまでは、まあ、前世で同じようなものもあっただろうから許せなくもない。きっと女性主体で攻めてほしい、いわゆるMの男向けのこういうビデオは一定数存在しただろうし、少なからず需要もあったと思うから。俺は興味ないけど。
『お、オオン! オオオオオオン!』
いや、何でさっきからそんな男ばっか撮ってんの? とか、喘ぎ声(?)うっせえよ! とか、色々突っ込みたいところはあるんだけど、まあ、許せなくもない。俺の金じゃないしね。コスプレものなのも、まあ、百歩譲ってよしとしよう。
でもさあーー。
『ふふっ、正義の騎士様がこんなに淫乱だったなんてね。これで何を守るっていうのかしら?』
なんで男がくっころされる騎士役で女の人が魔族っぽい何か役なの?
『くっ......俺は快楽なんかにまけなおおお!?』
ねえ、これどこに需要あるの? ねえ。
「う、うわぁ......」
「そしてお前はなに前のめりになってんだよ」
「あいたっ!」
隣に座る男の頭をペチリと叩く......ついでに、わしゃわしゃと髪を掻き乱してやった。なんでこいつこんな髪サラサラなんだよ、しかもなんかめっちゃいい匂いするし。はげろ。
「あうっ......つむじ押さないでぇ」
「ねえ、お前こういうのが好きなの?」
「えっ!? ち、違うよ! 僕、実はこういうの初めて見たから............」
「ふーん」
頭のてっぺんを抑えながらほおを赤く染め、気まずそうに俺から目を逸らすこいつーー小鳥遊千秋は、こんなでもこの学園の生徒会副会長を務める男だ......そう、男だ。男なのだ。ロシア人の母親譲りだという銀髪と、同じ遺伝子由来のビー玉のように透き通った透明な瞳。世界さえ違えばメインヒロインとして表紙を飾れたであろう優しげなシルエットは、しかし、ブレザーとスラックス......つまり、この学園の男子生徒用の制服に包まれている。男の娘通り越してまんま女の子な外見でも、からかってやった時の反応とかいちいちあざとくてこちらをドキリとさせてくるようでも、こいつは男。
男子高校2年生なのである。
「お前、この年でAV初めて見たの?」
「え、いや......まあ、うん」
俺のあけすけな質問にただでさえ小動物的なサイズ感の体をさらに縮こまらせて答える千秋。しかし、次の瞬間には目を思いっきりつぶって「えいやっ」って効果音がつきそうな一生懸命さで聞き返してくる。
「そ、そういう四方君はどうなのさ!」
「俺か? そりゃまあーー」
ある。そう答えようとして思いとどまる。
人並みに性欲があり、良質なオカズにも恵まれた前の世界ではともかく、肉食系通り越してチンパンな女子どもと、チンパンのチンパンによるチンパンのためのオカズしかないとわかっている世界で、わざわざAVなんか見たことあっただろうか? 前の世界の男子高校生がシャツ出すノリで女子がパンツ出してる世界だぞ。金払ってAV買うなんてバカのやることだろ。履歴だってつくのに。
「ないな。これが初めてだ」
「そ、そっか。初めてなんだ............え? じゃあなんで僕のことからかったのさ!?」
「まあまあ。そう怒るな」
「別に怒ってないよ。四方君が常識ないのは今に始まったことじゃないし」
唇を尖らせてそっぽむく千秋を横目に、俺はDVDプレーヤーからディスクを取り出して収納する。タイトルをチラリと見れば、『あの百万部を突破した人気エロ漫画を実写化!』なんて文言が。
これで割とノーマルな性癖に分類されるのか......終わってんな、この世界。
俺はその没収品を「処分」と書かれたトートバッグに乱暴に突っ込み、肩にかける。
「じゃあ行くぞ。面倒だが規則は規則。チェックも済ませたし、教務室で処分してもらう」
「あ、だめだよ。四方君」
千秋は俺の服の裾を掴み、左の方向を指さした。
「それ校長が持ってきてたやつだから、風紀委員会の方に持っていかないと」
『生徒と教師、放課後の特別授業』『生意気な生徒をマジカルま◯こでわからせ!』俺は処分品の中から二冊の同人誌を取り出す。千秋にもよく見えるよう机の上に叩きつけ、笑顔で首をかしげた。
「あ、それも」
「............なるほど」
俺はもう一度、今度は声を出してつぶやいた。
「終わってんな、この世界」
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
アイドル扱いされる男性タレントに、男性に対するセクハラ問題、男性専用車両に男性参画社会......期待しなかったと言えば嘘になる。
ここはいわゆる「貞操逆転世界」ってやつで、身内の贔屓目を抜きにしても頭ひとつ抜けた美人である母親の遺伝子と、前世の記憶の両方を持つ俺なら、この世界で最強なんじゃないかと。とんでもない美人でボンキュッボーンな女優さんとかと結婚して、主夫という名のヒモとして悠々自適な生活を送れるのではないかと。
事実、中学まではうまくいっていたのだ。
全国レベルでも有名な私立の一貫校で、良いとこの女の子たちを抑えて常に一番。小学校で児童会長、中学校で生徒会長を務め、バレンタインには告白で長蛇の列ができる。軽い男だと思われんのも癪だから実際に付き合ったりはしなかったが、それはそれで色んな女子からチヤホヤされるという利点があって良い。まさに漫画のようなモテ期。我が世の春。
しかしーー高校に入ってから、世界が狂った。
「あ、あのっ! 四方!」
こいつらもその理由の一つだ。
生徒会室の外で出待ちしていた、この女。
「今日一緒に帰らない............かな?」
ぎこちない笑みを浮かべ、伺うような控えめな眼差しで俺を見上げている。顔にこれといった特徴はなく、強いて言うなら、美人というより愛嬌のある顔立ちと評するべきだろう。運動も勉強も良く見積もって中の上程度。趣味はこれと言ってなく、特技は料理。まさに平凡 of 平凡。ただ一つ特別なことがあるとすれば、それはこの俺、天草四方という完璧な幼馴染がいること......だと思っていた。少なくとも、中学まではそうだった。
今ではぶっちぎりでこの学校の危険人物ランキング(俺調べサンプル数1)ナンバーワンだ。
「鈴木さん」
「............昔みたいに、琴美って呼んでくれないの?」
泣きそうな声音で請われても、俺の心はカケラも動くことはない。むしろ警戒しかない。
「すみません、これから風紀委員会の所に用事があるので」
「じゃあ、私もついて行くから......」
「結構です。あと、近いです。離れてください」
こちらの拒絶の意思を物ともせず、処分品の入ったトートバッグを代わりに持とうとする琴美の手を振り払う。
最悪だ。こんなところ、ヤツラに見られたらーー。
「あ、お前! またボクの琴美に!」
ちっ、遅かったか。
「ああっ! 王子、お待ちください!」
「ふんっ、これだから天界民は......この俺様のようにいついかなる時も余裕を持ってだな」
「そんなこと言って、君も本当は駆け出したいのを必死に抑えてるくせに」
金髪の男を先頭に、顔面偏差値の高いこの世界の基準でも見目麗しい男たちがワラワラと湧いてくる。驚くべきことに、彼ら全員のお目当ては琴美だ。俺曰くテンプレハーレム四銃士。天界の王子や魔界の貴公子を自称するヤバい奴らで、琴美にくっついてガヤつきながら方々で面倒な出来事を引き起こす極めて迷惑な野郎共である。
そして、その中でも一等琴美への愛が重い金髪が怒ったように口を開く。
「琴美、君はボクのフィアンセなんだから、こんな男を相手にする必要はない!」
「いやあの、でも............」
こっちみんな。
「琴美!」
はっきりしない琴美の態度に業をにやしたのか、金髪が琴美の手を強く引く。
「四方君、危ないよ」
琴美がよろけた瞬間、今まで空気だった千秋が俺をさりげなく抱き寄せる。すぽっと、そんな擬音がしそうな軽い感じで千秋の胸に収まった俺とは対照的に、強引に引き寄せられた琴美は思わず金髪の方によろめいて。
「わわっ!?」
「ち、ちょっと!?」
ドーン!
二人してもつれるように倒れ込んだ。あーあ。そしてここからは、お決まりのアレだ。俺がこの世界を大嫌いになった理由の一つ。
「あいたた......ごめん、だいじょうぶ?」
「こ、琴美......」
片手で頭を押さえて起き上がる琴美に対して、金髪の顔は真っ赤だ。注意してみれば、下敷きになった金髪の股間の部分に、琴美の手が置かれているのがわかる。
慌てて飛び退く琴美。
「ご、ごめん!」
しかし、琴美が手を離したにも関わらず、Mの形に開かれた金髪の股間の辺りが、徐々に盛り上がってきてーー。
「このっ......痴れ者が。そういうことは、二人きりの時にだな............」
ね? 地獄でしょ、この世界。
千秋が俺を抱き寄せてくれなかったら、金髪の引く力が違っていたら、琴美が別の方向にバランスを崩していたら。もしかしたら、あそこで倒れていたのは、俺だったかもしれない。そうしたら、俺は、こんな衆人環視の前で股間を触られて......いや無理無理無理無理! まじで無理! 恥ずかしいとか、そういう次元じゃない。寒気がする。「生徒会長の天草四方って廊下で股間握られておっ立ててたらしいよ」なんて噂された日には俺は首を吊るぞ! まじで!
「ちっ、また琴美のやつだけ」
「あー羨ましい。私も王子の揉みたい......」
「えー、私は会長派かな。あの冷たいけど身内には甘い感じが......いい! 普段は冷たいけど二人きりの時はー、みたいなー?」
「あんた夢見すぎー」
「「「あははははっ!」」」
ねえ、どうしてそういう反応になるの? ドン引きだろこんなの、普通に。
しかし、驚くべきことに、本当に驚愕すべきことに、これがこの世界の普通の反応なのである。カスみたいなエロ漫画がミリオンセラーを達成し、校長は学校にAV(生徒との不道徳恋愛モノ含む)持ってきてても「しょうがないね、校長だから」でお咎めなし。平々凡々な琴美はしょっちゅうコケて彼女には不釣り合いなイケメンのち◯こを揉み、男に縁のないモブ共はあろうことかそれを羨ましがる。
前世のラッキースケベでおっぱい揉んでスカートの中に首突っ込むノリを現実に持ってきているのだ。そして、貞操観念が逆転しているこの世界において、俺はスケベされる側の男。
ねえ、なにこれ? まじで誰得なの? 俺なんか前世で悪いことした?
「悪いな、千秋。助かった」
「............すんすん」
もう巻き込まれることはないだろう。
とはいえ、男同士廊下のど真ん中で抱き合っているのもそれはそれで外聞が悪い。軽く肩を叩いて離れるように促しておく。
「千秋。おい、千秋?」
「............すーっ......はーっ......すーっ、はーっ」
ん? どうしたんだ、こいつ?
近すぎてわかりにくいけど、どこか上の空というか、なんというか。呼吸はしてるんだけど、なんか目が......怒ってる? うまくは言えないけど、まるで獲物を狙う動物のような目をしている......気がする。
「おい、千秋? 千秋!!」
「ーーッッ!? ご、ごめんなさいっ!」
あ、戻った。
「一体どうしたんだ、お前」
「いや、違くて。これは別に、何でもなくて! うん、何でもない。何でもないんだよ!?」
「いや何かはあるだろ、その反応」
顔真っ赤だし。あとその手なに? パントマイム?
「いや、違くて。こういうと嘘っぽく聞こえるかもしれないけど、本当に違うんだよ」
「......なにが?」
「だから! 僕が。僕がその、にぉぃを............」
「......なんて?」
「とにかく! 本当になんでもないの!」
顔が近い。さてはこいつ、勢いだけで押し切ろうとしてるな? サラサラの銀髪が俺の鼻先をくすぐるほどの距離だ。瞳を覗き込めば、その目の端にうっすらと透明な液体が溜まっているのがわかる。
別に誤魔化されてやってもいいけど、ちょっとからかってやろうか。
「......本当に?」
「ほんとに!」
俺がわざと意地悪そうな顔を作れば、千秋はぶんぶん縦に首を振る。
「本当の本当に?」
「ほんとのほんとにっ!」
ぶんぶん。
「うっそだぁー」
「うそじゃないもん!」
リスのようにほおを膨らませる千秋。可愛い。琴美たちを見て荒れた心が浄化されて行く気がする。
どうせこの後も風紀委員室行ったら校長がいて、過剰なボディタッチと下ネタとセクハラで絡まれて帰るの遅くなるんだろうな。家に帰ったら帰ったで「息子の筆下ろしは母親の義務」とか宣う変態と弟の私物をホルマリン漬けにしてコレクションする変態、兄の下着を勝手に盗んで励む変態が待ってるだけだし。地獄すぎるだろ、この世界。まともな女いないの?
癒しが必要なんだよ、俺には! もうこの際男でもいい! ロシア人ハーフ銀髪美少女(♂)をからかって遊ぶくらいの役得はあっていいはずだ!
「もしかして千秋......エロい妄想してただろ」
「し、ししし、してないよっ!?」
別に俺も本気では言ってない。正直適当だ。でもAV見たうえで同級生の痴態を目撃して、いくらそういうことに興味無さげな千秋とはいえ、うっすらとした心当たりくらいはあるはず。バーナム効果? だっけ。占い師がよく使う手だ。
見た感じ見事にハマっている。
「大丈夫、別に恥ずかしいことじゃない。その年頃なら誰にだってあることだ」
「四方君も?」
「あ? あー、うん。もちもち」
「............そうなんだ」
一瞬、千秋が俺の体を舐めるように見た......気がした。まあ多分気のせいだろう。それより仕上げだ。
「だからほら、認めろよ。『僕は廊下のど真ん中でエッチな妄想する変態です』さん、はいっ」
「ぼ、僕は廊下のど真ん中でエッチな妄想する変態......って、言うわけないじゃん! ばか!?」
「ほぼ言ってたけどな」
うーむ、でも思ったより興奮しないな。中身男とはいえ、ガワは銀髪美少女なのに。やっぱ俺、性欲薄くなってんのかなあ。
「まあいいや。お前で遊ぶの飽きたし、さっさとこれ届けてかえろーぜ」
「......ほんとに怒るよ?」
「へいへい。悪かった悪かった」
「もう! 後悔しても遅いんだからね!」
こうして俺たちは生徒会室の前を去った。
「アババ、オサナナジミハマケフラグ............オサナナジミハマケフラグ......オサナナジミハ............」
「琴美! 大丈夫か、しっかりしろ!」
「だ、駄目です! 唐突な寝取られ展開に脳が破壊されてます!」
「............会長×副会長」
「やめなさい! その道は喪女一直線よ!」
「でも会長、副会長だけには敬語じゃないし、態度もなんか気安い気がする」
「......それって、身内扱い?」
「え、あの二人って......まじ?」
その場に結構な爪痕を残して。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「もういいですね。失礼します」
「えー、もう行っちゃうのぉー? もっとワタクシとイチャイチャしましょう?」
「触らないでください」
さりげなさを装ってケツに向かって伸ばされた手を叩いて振り落とす。こんなしけた高校のいち校長に触られるほど、俺という男は安くねえんだよ。
「では」
潔癖で有名な風紀委員長(通称ハレンチ君)にターゲティングが移行したのを見計らい、俺たちは素早く風紀委員会の部屋を後にした。
「はぁー」
つい、ため息が漏れる。
「なんでこんな、どこ行っても女に煩わされないといけないんだ。ただちょっと届け物しただけだぞ」
かなり自意識過剰なセリフだし、前世の俺のことを思えば随分贅沢な悩みだと思う。しかし、そもそも前世と今世は世界観が全く違う。
油断したら体を触られて、それが続けば「会長は誰にでも体を許すビッチ」なんて噂が立つ。それだけでもう致命傷だ。前世より圧倒的に性犯罪の危険が多いこの世界、油断したら搾取されるだけ。
だからといって、告白を断りまくっている今の状況も少し不味い。断られたうちの何人かは俺を恨んでいるだろうし、もしそういう奴らが結託すれば、きっと面倒なことになる。
「......もう、適当に誰かと付き合おうかなあ」
時々、全てがどうでも良くなる時がある。
前世のラノベで同じような境遇に落ちた主人公たちは、大抵自らの性欲に正直に生きていた。何人もの女の子と付き合って、好き放題やって。俺みたいに前世の価値観引きずって周りにドン引きしてる奴の方が珍しいだろう。薄くなったとはいえ、性欲だってある。この世界の女子は総じて夜は積極的らしい。興味がないわけじゃない。誰かと恋人関係になれば、手っ取り早くその辺の人間とヤれば、少なくとも琴美みたいな童貞に夢見てそうな輩からのアプローチはなくなるだろう。そうすれば、今よりも負担は減る。そして俺は、快楽に身を任せて好きなように生きるのだ。スペックとか価値観とかそういう難しいことはなーんも考えずに、ただ体だけで判断する。
............なんかもう別にそれでいい気がしてきた。
「よし、決めたぞ千秋。俺、次に告白してきた女と付き合うわ」
「はあっ!? な、なにいってんの君は」
今までも同じような考えに至ったことはあった。けど、告白の時点で明らかに下半身目的だったり好きになった理由とやらにピンとこなくて衝動的に断ってきた。そして、あれよあれよともう高2。周りも徐々にカップル率が増えてきている。
そろそろ妥協するべきなのでは......?
「ほら、付き合ってから好きになるってこともあるかも知らんしな」
「いやちょっと、ここ廊下のど真ん中だよ! 何考えてるの、みんな聞いてるんだよ!?」
千秋が慌てたように辺りを見回す。放課後の人もまばらな時間帯とはいえ、人がいないわけじゃない。だというのに、俺たちの周囲は不思議なほど静まり返っていた。まあ、自意識過剰ではなく、俺達は普段から注目されている。今のはちょっと迂闊だったかもしれない。女子たちの視線は俺への欲望混じりのものが七割。後の三割は互いへの牽制といったところか。
まあでも、この状況で告白できるやつなんて、よほどの馬鹿か自分に相当自信持ってるやつじゃないとーー。
「へー、いいこと聞いちゃった」
弾むような声色と、軽薄な口調。思わず舌を打ちそうになったのを誤魔化すように唇を噛んだ。
「じゃあ私たち、今日から恋人ってことでいいよね?」
馴れ馴れしく肩を組んでしなだれかかってきたのは、槍松京子ーー通称ヤリ松。偏差値高めのこの高校では珍しい、派手に染めた金髪と耳に空いたピアス。着崩した制服の胸元からはド派手なピンク色のブラジャーがチラチラと見え隠れしていて、スカートもありえないくらい短い。
まるでNTRモノの同人誌(この世界ver)から出てきたような出立ちのこの女は、その見た目通り、この世界では珍しいビッチである。
「前からかいちょーくんのこと良いなって思ってたんだよねえ、私」
「それでこの俺が応じるとでも?」
うざったい肩を振り解いて距離を取る。
ある程度妥協するにしてもこいつはない。120%体目的で顔さえ良ければ誰でもいいクズ。生活態度も悪いし、こいつと関わっているだけで俺の株まで連鎖反応的に下がっていくだろう。百害あって一利なし。あと単純に合わない。生理的に無理。
「えー。さっき誰とでも付き合うって言ってたじゃん。嘘はよくないよ、嘘は」
「次告白してきた奴と付き合うとは言ったが、誰とでも付き合うとは言ってない」
「......それ同じでしょ」
「違う」
そもそも告白されてないし。
さっきの一連のやりとりを俺は告白とは認めない。
「ふーん」
そんな言葉なき主張が伝わったのか、ヤリ松はつまらなそうに唇を尖らせた。しかしそれはあくまでも一瞬で、すぐに軽いリップ音と共にニヤニヤといつもの軽薄な笑みを浮かべる。
「じゃあさーー」
そのまま俺に体を密着させ、顎を軽く押し上げる。いわゆるアゴクイってやつ。身長は(癪なことだが)俺の方が低いため、その蛇のような瞳を見上げる形になる。
「今ここで告白しちゃおっかなぁ」
キャー。なんて、無責任な外野の悲鳴。てかさっきより人増えないか? どっから湧いたんだこいつら......まあいい。
「随分と自信があるんだな」
「まあね」
「面白いじゃねえか。やってみろよ」
「じゃあ遠慮なく」
まあ絶対おっけーすることはないけどな。でもこの心の中では男を見下してそうな女がどう告白するのか気にならないと言ったら嘘になる。精々モテ女の技術を拝見させてもらうとしようか。
えっと、まず、顔が近づいてきてーー? ん? 近づいてきてぇ?
「えっ、ちょっ!?」
いや近い近い近い! こいつまさかキスーー!? やばい。油断した。
「ちょっ、はなれーー」
「だぁめ」
これは、間に合わない。密着されてて動くこともできない。万事休す。嘘だろ、こんな所で。こんな奴と。この、この俺が?
黒髪まじりの金髪が視界を覆い尽くす瞬間ーー何かが物凄い勢いで飛んでくるのが見えた。
「だあああぁぁめええええぇぇぇえええええ!!」
諦念とともに受け入れる唇の感触。前世含めても初めてのそれは、思っていた何倍も硬くて。冷たくて。ああ、まさか、俺のファーストキスがーー。
ーー床ァ!!
「おい............千秋」
「ご、ごごご、ごめんなさいぃ!」
いや助かったけど、助かったけどさあ。
飛んできた勢いのまま俺を押し倒し、背中に馬乗りになった状態の千秋に声をかける。
「取り敢えず上からどいてくれ。重い」
「お、重くないし!?」
「いや、お前男のくせにケツ柔らかすぎだろ。ダイエットした方がいいんじゃねぇの?」
「ッッーー!?」
悲鳴じみた、声にならない絶叫。ついで、背中への連続した、柔らかい衝撃。
「もうなんなの!? なんなんだよ、君は! 僕に優しくしてくれて、信頼してくれて、頼ってくれて、1人だった僕の友達になってくれて、副会長にも選んでくれて............僕が勘違いしちゃったのって、僕が悪いのかなあ!? この、この......すけこまし!」
............は? え、なに。なんでこいつこんなキレてんの? もしかして体重とか気にするタイプか? 俺、地雷踏んだ?
「その何もわかってなさそうな顔にも腹が立つ! 四方くん、わかってる? 君もう少しでき、ききき、キスされて、先輩の彼氏さんにされちゃう所だったんだよ!? いつもいつも僕のことからかってくるけど、四方くんの方がよっぽど常識ないから! 無防備すぎるんだよ、ほんとに!」
「されちゃう......ってのは納得できないけど、確かに会長くんはかなり無防備な所があるね。夏場とか第二ボタン開けてるし。シャツとか見えてるし。そんなんだから私みたいなのに付け込まれるんだぞ」
おいヤリ松。したり顔で頷いて、他人事みたいに振る舞ってる暇あったらこの俺の背中でロデオしてるジョッキーを止めろ! 半分以上お前のせいだろ!............多分!!
しばらくはそんな調子で、からかってくる俺への怒りとか、女子目線でいかに俺がエロいかとか、あとはだらしないみたいな単純に俺の悪口みたいなことを衆人環視の前で大暴露していた千秋だったが、五分くらいしてようやく落ち着いた。いやどんだけ不満溜め込んでたんだよ、こいつ。
「ねえ、四方くん。これだけ言われても、まだわからない?」
「いや、うん。さすがにわかるよ」
「えっ、ほんと? そ、それはそれでちょっと恥ず......」
「お前、意外と俺のこと嫌いなんだな」
「........................は?」
そのころには、さすがに首が痛くなって千秋が持ち上がった瞬間に仰向けに体勢チェンジしていたから、千秋の表情はよく見えた。なんというか、冬休み全部バイトに費やして、ソシャゲの新年ガチャひいたら、推しキャラだけすり抜けたみたいな。そんな、徒労感滲ませる虚無の表情をしていた。
「悪かったな、今まで勝手に子分みたいにしてて。お前なんかすぐ赤くなるし、反応いいから。なんていうか、いじめたくなる?んだよ。これからはーー」
「もういい。黙って」
今まで聞いたこともないくらい低い声に思わず固まる。その隙を縫うように、千秋のどこか達観した、無表情が迫ってきて。でも、その目だけはいつか見た時のように仄暗いナニカで燃えていて。
間に合わない。動けない。さっきの焼き直しのような状況なのに、何故か。本当に何故か。
ーー嫌じゃない。
俺も未だ知らない未知の感覚とともに受け入れた唇の感触は、思っていたよりずっと柔らかくて。暖かかった。
「僕、本当はお............ううん、そんなの関係ないよね。四方くん。僕、君のことが好きだ」
これが、貞操逆転世界に生まれ変わった俺が、ファーストキスに至るまでの一部始終である。
貞操逆転タグに釣られてやってきたハーレム信者どもを純愛教男の娘派の同志に変えてやろうと思って書きました。後悔はしてません。