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隣のジェミニと最高の誕生日  作者: 白井 六
1/2

前編

 

 B級映画のUFOみたいな音が、部屋のどこかで鳴っていた。

 寝ぼけた頭で、いつもの場所に手を伸ばす。

 彼の携帯は、だいたいその辺にある。


(あれ…。)


 ない。

 重い瞼を半分こじ開けた。


 アラーム音は浮遊し続け、うっとおしさ全開で部屋中に響き渡っている。


(うるせぇ…。誰だ、こんな音にしたの…。)


 彼は上半身を大きく動かし、勢い腕を伸ばして携帯を掴もうとした。


 ガシャン!


「うぉわっっ。」


 どんっ!


 声と同時に、掛け布団ごとベッドから滑り落ちる。


「ってえ…。」


 彼は、携帯のアラームを止めた。

 画面に、一件の通知が表示されている。

 差出人は、マンションの隣に住む幼馴染、竹原清来(せいら)だった。


【涼ちゃんごめん、用事ができたから先に行くね。】


 通知時刻は、午前八時四十七分。ほんの十三分前だ。


「はぁっ?」


 彼、高見涼太(りょうた)は絶叫した。

 絡まる布団を剥ぎ取り、慌てて立ち上がる。

 歩き出したところで机の角に足の小指をぶつけ、


「☆!☆!」


 二度目は声にならない声を上げた。


「痛っってぇ!!何なんだよっ!痛ってぇ!」


 痛みに悶え、のたうち回る。


「うるさいぞー、涼太。」


 部屋のドアが開き、三つ上の兄、啓太が顔を突き出した。

 風呂上がりの髪は濡れたまま、タオルを首にかけている。


「…何やってんの?お前。」


「うっせぇ!勝手にドア開けんなっ、クソ兄貴!」


 涼太は近くにあった柔らかいラグビー型のボールを掴むと、ドアに向かって投げつけた。


 啓太が絶妙なタイミングでドアを閉める。


 どすっ


 寝起き早々機嫌が悪いのは、兄が勝手にドアを開けたからでも、足の小指をぶつけたからでもない。

 清来からのメッセージだ。


 いつもなら、こういうことは電話で直接伝えてくる。

 しかし昨晩、つまりほんの九時間前に電話で話した時は、何も言わなかった。

 涼太は、清来が故意に約束をすっぽかしたように感じた。


「ちょっと、朝っぱらから何?啓太。」


 リビングに続くキッチンから、騒動を聞きつけた母親の声がした。


「俺じゃねーし。暴れてんのは涼太。」


 ドアの向こうの廊下で、リビングに向かう啓太の声が聞こえる。

 涼太は急いで着替えを済ませると、洗面所に飛び込んだ。

 急げば、バス停にいる清来に追いつけるかもしれない。


「お前、もしかして(せい)と喧嘩した?」


 啓太が、ニヤニヤしながら再び現れた。


「なっっ?してねーし!」


 鏡越しに兄を睨みながら、涼太は怒りにまみれた返事をした。

 清来からのメッセージは釈然としないものの、喧嘩した覚えは断じてない。


「ふぅん…。」


「な、なんだよ、ふぅんって。」


「いや、俺、ジョギングの帰りに清にばったり会ったんだよね。」


「ジョギングの帰りっ?何時だよ、それ。」


 兄の言っていることが本当なら、清来は涼太が考えているよりもずっと早く出かけたことになる。


「八時半頃かな、家の前で。涼太と行かねーの?って聞いたら、なんかよそよそしくってさ。」


「八時半?もうとっくにバスに乗ってるじゃん!どけ、兄貴。」


 涼太は、体格の良い兄の身体を押しのけた。

 涼太も中学高校とバスケットボールをしていたが、元来が骨太で筋肉質の兄とは体型が違う。


「おっと。そこで、俺はピンと来たよ。お前ら、喧嘩しただろ。」


「してねーって言ってんだろ!しつこいな。」


「涼太、朝御飯は?」


 母親が廊下に顔を出し、声をかける。


「いらない、大学で何か食べる。」


「あらそう、気をつけて。」


 玄関へ向かい、涼太は履きなれたスニーカーに手をかけた。


「いくら無神経なお前に慣れてるからって、乙女(せい)は繊細だからな。ちゃんと謝れよ。」


 啓太が、からかうように叫んだ。


「なんで俺が悪い前提なんだよっ…。」


(おかしいだろ…。)


 涼太は一人呟くと、自宅を後にした。



 ---------



 幹線道路にあるバス停まで、徒歩十分。走れば数分。

 駐車場と民家の間を通り抜ける近道を使えば、もっと早い。

 涼太は早足に、いや、それはもう走ったと言っていいスピードでバス停にたどり着いた。


 大学方面のバスは、概ね十五分間隔で来る。

 わずかな期待を抱いてバス停の集団を目で探ったが、そこに清来の姿はない。


 時刻表を見ると、八時四十五分という数字が目に飛び込んできた。

 清来が涼太にメッセージを送ったのは、四十七分。バスはその二分前だ。


(あいつ、バスに乗った後で連絡したのか。)


 清来は、わざと自分が追い付けない場所からメッセージを送ったのではないか。

 涼太の心に、微かな猜疑心が目覚めた。


 清は繊細だからなー。

 兄の言葉が、こだまする。


「ったく、俺が何したってんだよ…。」


(今日はずっと一緒に過ごすって、約束したじゃんか…。)


 誕生日だから、今日は一緒に過ごそう。

 涼太がそう言った時、清来は確かに、嬉しそうに「うん。」と答えた。


 今朝のメッセージに深い意味はないのか?それとも、兄が勘ぐったように相手を怒らせたのか?

 彼は今、少し混乱している。


 プシュゥ…


 清来にメッセージを送ろうとしたところに、一台のバスが来た。


(ちっ、内回りか…。)


 内回りとは、路線の通称だ。

 涼太が通う大学は付属の中学と高校があり、高校経由の大学行き路線と、大学経由の高校行き路線がある。

 前者が内回り、後者が外回りだ。

 どちらもめあての場所に行けるものの、所要時間に差が出る。


 目の前のバスに乗れば時間はかかるが、次の外回りを待つよりも若干、早く大学に行ける。

 彼は、内回りのバスに乗車した。



 ---------



【用事ってなんだったの?もう大学?】


 涼太は、バスに乗車しながら清来にメッセージを送った。

 足は、自然に後部座席の窓際へ向かう。

 携帯を片手に、かつての指定席にどさりと座った。

 この路線に乗るのは久し振りだ。


 涼太と清来は、同じ大学付属の中高一貫校に通った。

 幾つかのバス停を通り過ぎると、やがて青葉繁る並木の向こうに母校の門が見える。

 車窓から見るレンガ造りの校舎は、三か月前まで通っていたとは思えないほど遠い。


 涼太はふと、あの木曜日のことを思い出していた。



 ---------


 ガラッ


 バスケ部の練習を終えた涼太が、美術部のドアを開ける。


「清、帰るぞー。」


「涼ちゃん。」


 清来は一人、部室で涼太を待っていた。

 椅子から立ち上がり、デッサンを描いていたノートを鞄に入れる。


「あれ、今日はお前一人?」


「うん、皆さっき帰った。今日は少し早く終わったから。」


「あっそ。じゃ、鍵返しに行くよな。」


「うん。」


 二人は職員室に寄り、部室の鍵を返すと、校舎を出た。


「おっ、涼太!」


 校門で、先輩に呼び止められる。


「田崎先輩、お疲れっす。」


 涼太は、歯切れ良く挨拶した。

 弟気質がそうさせるのだろうか、彼は年上から可愛がられるタイプだ。


「お疲れ!今日は彼女の護衛か。熱いねぇ。」


 いつもの木曜日の光景を、田崎が冷やかす。


 清来は涼太の隣でうつむきがちに顔を赤らめ、涼太は「(まだ)彼女じゃないっす!」と苦笑いをしながら明るく答えた。

 これもまた、相手は変わるがいつものやり取りだ。


「ごめんね、涼ちゃん。」


 二人きりになったところで、清来が静かに口を開く。


「何が?」


「いつもからかわれて。」


「別に。嫌なこと言われてるわけじゃないし。」


「でも…。」


「でも?」


 涼太は、うつむく清来をチラリと見た。


「お母さんが無理なお願いしたせいで、涼ちゃんがからかわれる羽目になってるんだよ。」


「あー、ね。」


 涼太は短く答えた。

 清来の主張は、間違ってはいない。


 高等部二年の二学期。毎週木曜日に一緒に下校することになったのは、清来の母親に頼まれたからだ。

 涼太にとっては嬉しい口実。しかし、清来は申し訳なさそうにする。


 彼女は一人っ子で、母親は前の結婚でもうけた娘を二十年以上前に亡くしている。

 理由を知る者は少ないが、それはとても悲しい事件だったという。


 以来、清来の母親は、端から見れば過保護すぎると言われても仕方がないくらい、清来が夕方に一人で歩くことを心配する。


 バス停から自宅マンションまで徒歩十分の距離も、毎日欠かさず迎えに行く。

 決して一人では歩かせない。


「会社の人の産休と育休が重なって、おばさんも仕事のシフトを変えなきゃならなくなったんだろ。いいじゃん?週に一回くらい。その人達が復帰するまでなんだし。」


 涼太はまっとうな、そして正当な理由でもって清来を慰めた。


「だけど、涼ちゃんがからかわれて嫌な思いしてるの、私は好きじゃない。」


「嫌じゃないよ。俺、清のこと好きだし。」


 涼太はあっさりと告げた。

 というより、彼は昔からずっと言い続けている。


「だから、その好きは…。」


 清来が、か細い声をあげる。

 涼太は、右手で彼女の頬に触れた。


「俺、いつもお前に好きって言ってるけど、本気だよ?」


 彼女の白い肌が、ほんのり赤に染まる。

 少し潤んだ黒い瞳が、物憂げに涼太を見つめた。


「清は…?俺のこと嫌い?」


「わ、私は…。」


 清来は、本心を隠すように慌ててうつむいた。


「す、すごく、…嬉しい。」



 ---------



(すごく嬉しい、か。)


 涼太は心の中で呟いた。

 あの日以来、自分たちは付き合っている、と彼は思っている。


 ヴヴ…


 手にしていた携帯のバイブ音が鳴る。清来からの返信だ。


【用事、済んだよ。今、学食。講義まで時間があるから、いつもの席で待ってるね。】


 涼太は、少しほっとした。

 普段の清来と変わらない文面だ。

 いつもの席で待っている、というからには、やはり今朝の用事は突然のことで、彼女なりの気遣いだったのだ。


【今バスの中。もうすぐ着く。すぐ行く。】


 彼は、秒速で返信した。



 ---------



 食堂の、窓際の、観葉植物がすぐ横に置いてあるいつもの席に、黒髪の女子が背を向けて座っていた。


「清!」


 食堂に駆け込んだ涼太は、ひと目で清来を見つけると、テーブルに近づいた。


「え?」


 相手が、戸惑いの声とともに涼太を見る。

 何の疑いもなく涼太が声をかけたその女子は、全くの別人だった。


「あ。…と、すみません、人違いでした。」


 まるで、狐につままれた気分だ。

 次こそ慎重に清来を探すが、それらしき姿はどこにも見当たらない。


 構内に二か所ある食堂のうち、よく来るのはここだ。

 認識している「いつもの席」も、確かにさっきの場所なのだが。


「あ、高見!」


 清来にメッセージを送ろうとした矢先に、一人の女子が声をかけてきた。

 高等部からの顔見知り、諸田(もろた)だ。一度、同じクラスになったことがある。


「もしかして、清来を探してる?」


「あ、諸田。あいつ(せいら)がどこにいるか、知ってんの?」


「うん。さっきまでそこの席にいたんだけど。」


 と言って、彼女は観葉植物の隣の席をチラリと見た。やはり、涼太の認識は間違ってはいなかった。


「部室に忘れ物したから、一度戻ってそのまま授業に出るって。あんたに伝えてほしいって伝言頼まれたの。」


「はぁっ?」


(メッセージ送れよ!)


 涼太は諸田にではなく、心の中で清来に叫んだ。


「何よ、何かあったの?」


「いや、何でもない。てか、なんで伝言?」


「ああ、携帯の充電が切れたって言ってた。」


「あり得ねぇ…。」


「え、そう?とにかく、私は伝えたからね。」


「…ああ、ありがとな。」


 涼太は目の前の女子に礼を言うと、食堂を出た。



 ---------



 彼は足早に廊下を抜けると、連絡通路を渡った。

 清来が所属する美術部は、向かいの棟の三階にある。

 構内を猛ダッシュで駆け抜けたいところだが、自重しつつ携帯を操作した。


『ただいまおかけになった番号は…』


 やはり諸田が言った通り充電が切れているのか、聞こえるのは味気ない機械音。

 涼太は階段をかけ上がり、目指す美術部にたどり着いた。


 6月初旬の陽気が窓から差し込む、明るい廊下。

 戸口の前に立った彼はふと、動きを止めた。

 部室に人の気配が感じられない。嫌な予感がする。


 諸田はついさっきと言ったものの、涼太は途中、清来に追いつけなかった。

 既に行き違いになっている可能性は、大いにある。


(開いてくれよ…)


 彼はドアに手をかけた。


 ガチャン


「ぐわっっ。」


 予感的中。

 涼太は、思わずその場にしゃがみこんだ。


(なんか今日、おかしくね?)


 消化できないモヤモヤを抱え、彼は小さく唸った。

 今日は、まるで図ったようにタイミングが悪い。


(朝っぱらから充電切らすか?チャージャー鞄に入れとけよ。充電切れそうなら、一言教えろよ…。)


 涼太はしゃがんだまま、ぐったりと頭をもたげた。


「ヤバ、授業。」


 携帯の画面を見て、我に返る。もうすぐ、授業が始まる。

 今日は、清来と同じコマが一つもない。彼女を捕まえるのは、どうやら昼までお預けのようだった。


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