僕の病②
──かくして、僕の熱はインフルエンザもとい前世後遺症と診断された。
先生曰く、勿論前世後遺症なんて病は認知されていないため、僕の高熱は『精神的ストレスにより自分は体調が悪いと思い込んでしまっているために起きたもの』という何とも不名誉なものとされた。僕がインフルエンザだったのは事実だが、陰性に切り替わっても一向に下がらなかった熱について、各所から心配されていたらしい。
しかも、前世だの何だのを人に聞かれた時の予防として、そういう現実逃避をしている患者としてカルテには書いておくらしい。もう不名誉どころではない。あくまで病院内の看護師さんや他の医者にだけ共有するもので、絶対に僕の家族や知人にはその診断を話すなというところで話はついている。本当に心底不名誉だが。
さて。
では何故、僕はこの本当に納得いかない診断を許したか。
それは、僕の通院が決まったからである。
僕がかかったとんでも面倒くさい病──前世後遺症は。どうも、前世での悔いを解消しない限りは治らないらしいのだ。
例えばそれがすぐ済むものなら良い。最期にポトフ食べたいなとか、海が見たいなとか。その程度ならあっさり叶えることが出来、前世後遺症は完治する。
しかし、自分ではなく第三者や環境が絡むものは難しい。残された家族のことや、異世界にしか無かった何かのことだとか。そういったものは、それこそ自分──正確には、前世の自分の自我が──折り合いをつけてくれないとどうしようもないらしい。
先生は、前世は前世で今の自分とは違うと言った。
僕もそれには同意したい。でも、もし僕の前世の悔いが、今の僕にはどうしようも出来ないものであったなら。僕は、前世の記憶や人格を思い出して、今の僕の自我を消す事をしない限り、前世後遺症を治すことが出来ない。そして、これはただの理屈であり、実際はどっちが自我かとかわかるもんでもない。二重人格に近いけど違うものなんだと思う。わかんないけど。
まあとにかく。僕は前世の悔いを何とかしない限り、また高熱でうなされ続けるわけだ。
そしてなんとびっくり。僕は他の前世後遺症患者と違い、前世の悔いを丸っきり覚えていない。死の間際の情景しかわからない。今までの患者さんの中で、断トツで前世の情報が少ないらしい。
なので、僕の目下の目標は記憶を取り戻すこと。
その間は聖水に頼ることで、高熱を抑えるという方針に決まったのだった。
「──そういえば、皐月さん。彼女とは仲良く出来てますか」
「はいぅえ? 彼女?」
月二で病院に通うようになってから二回目。聖水入りの注射を射し込みながら、先生は少し躊躇しながらそう言った。
……彼女? 彼女ですと? 僕は生まれて十九年間その単語とは無縁のフツメンですけど……??
皮肉を言われてるのか居るのが当然という先入観か誰かと勘違いしてるのか。心が狭いので卑屈たっぷりに居ませんよと返したくなったのをぐっと堪えて、なんだか落ち着かない先生の様子へと焦点を当てる。
うーん……なんか、勘違いパターンな気がする。
「僕彼女いませんよ」
「………………………………………………あちゃー…………」
何その長い間。しかも間違えた時の気恥ずかしいようなものとも罪悪感とも違う、その心底同情するかのようなあちゃーは何。
「何ですか?」
「入乃くん、悪いんだけど彼に説明してあげて。私あの時目にゴミが入ってどんな子か見えなかったんだよ」
「わかりました。皐月さん、少々覚悟して下さい」
「え、何……怖いですね…………」
拝啓僕の心の吐露を聞いて下さっている皆さん、大変です。
僕はこの時、入乃さんこと診療内科担当の看護士さんに、とんでもないことを言われたのです。
「皐月さん、実は──貴方には彼女がいます」
「………………はい?」
何言ってるんだこの人。つい一ヶ月ほど前、先生に対して思ったことを看護士さんにも思うはめになるとは。ちなみに看護士さんも前世後遺症のことは知らない。よって、先生よりは遥かにまともなことを言っているはずなんだけど僕からしたら前世と同じくらい彼女の話は意味がわからない。
いや、だってだよ? 彼女がいますって何? 本人差し置いてそんな重要なことを周りだけ知ってるってことある? まだ生まれた時から婚約者がとか生き別れの妹がとかの方が文脈的には納得だ。いやそれもあり得ないんだけど!
「全然理解出来ないんですけど、もしかして催眠術におハマりになられてる?」
「いいえっ、あの、違うんです! 本当にいるんです!」
「えええ……僕ホラーもちょっと……苦手で……」
「違いますってば!」
入乃さんが顔を真っ赤にして両手を振る。言い回しが変だったことに気付いて恥ずかしかったらしい。かわいい。
しかし、話が全く見えてこない。入乃さんは羞恥で涙目だし、要領も得ないので先生へ目配せする。また苦笑していた。
「いやあ、実はですね。私と入乃くんは見てしまったんですよ」
「先生までホラー……?」
「はは、そうしてしまうには、あまりにも勿体ない話ですよ。皐月さんがどう思ってるのかはわかりませんが」
「はあ…………それで?」
先生はふふ、と笑いを堪えた。なんだかイタズラを考えている時の子供を見ているみたいだ。
いつの間にか回復していた入乃さんと目を合わせて、先生はにんまりと笑みを浮かべた。
「皐月さん、貴方熱に魘されていた間の記憶、無いでしょう」
「あー……まあ、結構がばがばですね」
「そうでしょうそうでしょう。では、女の子が面会に来ていたことも、覚えてませんね?」
「女の子?」
入院中に来てた可能性があるとしたら、母さんか、妹か──どちらも特徴を話してみても、先生と入乃さんは首を横に振る。それなら僕と同室の誰かだったんじゃないか? それにも二人は否定を返す。その女の子は、どうも僕のベッド横までちゃんと来て、先生と入乃さんは僕と話せないか確認するために訪ねたところ、その現場に居合わせたらしい。
「もう、すっごくかわいい子でしたよ! さらさらのロングヘアに、黒髪で、スタイルもよくて!」
「ええ……?」
「皐月さんと同じような年頃の子だと思います!」
入乃さんの喋りがヒートアップしている。頬を抑えて「素敵だなあ……」と呟く様子は完全にどこかに意識を飛ばしてるな。当事者の僕を置いていくな。
僕はといえば、当然、そんな特徴的な人物に心当たりなどなくて。
「皐月さんが、魘されながらも水を飲もうと手をさ迷わせた時です……! 彼女さんが皐月さんの手を取って、ぽつりと呟いたんです……」
入乃さん、頼むから戻ってきて。半ば引きながら「ああうん……なんてですか」と相槌を打つと、すっごい勢いで振り返った入乃さんが満面の笑みを見せた。
「『私を恋人にしてくれる?』と!」
………………………………なんて?
「…………いや……そんなことないでしょう……聞き間違いじゃないですか?」
「この耳で! はっきり! 聞きました! ねぇ先生、先生も聞きましたよねっ!?」
「そうだね、バッチリ聞こえてしまいましたよ」
「マジですか…………」
何その人生の一大イベント!? 全然信じられないし現実味ないから喜ぶことも出来ないんだけど、もし本当なら僕が健康な時に言ってほしかったな!?
ロングヘアー、黒髪。改めて考えても知り合いにはいない。しかし二人の言うことが事実なら、僕はその女の子と……えっ待ってつまり?
「あの……僕はそれ、なんて返したんですか?」
「彼女さんをぼんやり見ながら『うん』って言ってましたよ!」
「…………か、かの、……女の子はそのあと……?」
「皐月さんにお水を飲ませて、帰っちゃいました! でもすれ違った時に耳まで真っ赤にしてたのを私は見てしまいました……! クールそうな子でしたけど、緊張してたのかなあ……!」
「入乃くん、そろそろ落ち着こうね」
「あんなに可愛い子を逃すなんて勿体ないですからね! 皐月さん春ですよ春! 春が来た~~ッ!!」
「入乃く~ん」
だめだ、完全に自分の世界に入ってる。
「入乃さんってこんなキャラだったんだ……」
まだ知り合って間もないが、仕事が出来そうなきっちりした第一印象は既にかなり書き換えられている。まぁ入乃さんがこんな調子だからこそ、僕は混乱するより先に思考を逃避させることが出来てるのだが……ほら、自分より怖がってる人がいると冷静になれる原理というか。……いややっぱり混乱してるかも。
「……皐月さん、ちょっと」
「はい?」
キャー! と止まることの無い入乃さんのはしゃぎ声に紛らわさせて、先生がちょいちょいと手招きする。正面に座っているわけだから元から距離は近いのだが、一応周りを警戒しながら顔を寄せる。
「入乃くんがはしゃいでいる内容も大切なんだろうけど、実はもう一つ気になっていることがあるんだ」
「なんです?」
「私は仮にも聖職者だった人間だ。今生で聖水を造れるように、前世から引き継いだスキルが少しある。その中の一つに、《看破》というものがあるんだ」
「看破?」
「そう。名前の通り、偽りを見逃さない、見破るスキルだった。例えば人のフリをしている魔族がわかるとかね」
「……なんか、すごいですね」
「前世ではね。ただ今は便利でもないよ、異世界転生者にしか使えないし。だからこそ、彼女の詳細は調べてみたほうがいいかもしれない」
「えっと……それはつまり……」
かのじょ、は。この数分の間で何度も飛び交った単語を口に出してみると、なんだか酷く拙く遠いものに思えてむず痒い。
というか、ちょっと、待ってくれ。この話の流れは少し……いや、大いに嫌な予感が……!
「私が見た君の『彼女』の姿は、入乃くんの言う特徴とは少し違う。クールそうな、スタイルがいい、ロングヘアーの──プラチナブロンドだ」
前世の病で手一杯なのに恋の病まで追加してくれるな。
と、まだ恋も何も知らないくせに、僕は項垂れた。