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僕の病

「はい……? えっと……なんて?」


 怠さと頭痛でぼんやりする頭を必死に働かせながら、何か聞き間違えたのかもと思いながら布団の位置をずらす。先生と僕の耳にあった隔たりはなくなったので、今度こそ間違いなく理解できるだろうと信じて、僕は名医と名高い先生に視線を合わせた。


「前世後遺症ですね」

「…………ぜんせん?」

「前世です」

「ぜんせ」

「生まれ変わる前の世という意味です」


 お母さん。今は僕の部屋に着替えを取りに行ってくれている、お母さんよ。

 この医者、なんか大分やばいぞ。


 つい数秒前まですがるように向けていたはずの視線を先生から外し、病院の真っ白な天井を見上げる。インフルエンザの延長戦から何日経ったかわからなくなってきたけど、そろそろこの殺風景とはおさらばして大学に行きたい。別に勉強したいわけではないけど、僕は大学が好きである。だって友達とダラダラするのは好きだからね。


「皐月さん、皐月さん。逃避したい気持ちはよくわかりますが、一度私の話を聞いてくれませんか」

「……僕…………ちょっと……宗教は…………」


 だめだ、喋るのしんどい……。

 はあ、と熱い息を吐き出して、全身の力を抜く。

 先生の話を聞くために必死に意識を保っていたけど、連日高熱で魘されていた身では体力もないし、正直少しでも寝て回復をはかりたい。

 この人の話は聞く必要なさそうだし──早々に見切りをつけて、僕は微睡みへと落ちていくことを選んだ。

 次に起きた時は、今度こそ熱が下がっていることを願って。


「仕方ないですね……百聞は一見にしかずでしょう」


 えいっ。随分軽くて茶目っ気のある掛け声で腕に何かを刺された。

 もうコイツは許さない、なんて思えるようになるのは、ここからもっと先のこと。



***



 ──バートピア、バートピア。たのむ、近くにきてくれ。


 ぱちぱちと、火が弾く音が耳のすぐ横で聞こえる。

 身体はいつからかとても熱くて、周りを漂う空気さえ蒸している。寝たいのに寝ていられない。眩しいこの明かりはなんだ?

 僕は目をあける。そこは木製の家のような、小屋のような、おおよそ都会では見ることのないような場所だった。

 なんだ、これ──困惑する気持ちとは別に、僕は──いや、僕が見ている誰かは──ぼろりと涙を溢しながら、うわ言のように同じ言葉を溢した。──バートピア。


 その瞬間、胸がまるで何かにとらわれたかのように苦しくなり、目頭が熱くなる。ぼろぼろと溢れる涙が何なのかわからないまま、僕はこれまでの人生で味わったことのないような強い後悔と罪悪感、そして悲しみに心を塗り替えられた。僕は何も嫌なことや悲しいことは起きていないのに、張り裂けそうな苦しみは僕のものだと叫んでる。誰が? 何が? わからないけれど……もうそんなのどうだっていいんだ。

 ああ、僕は今死んではならない。死んじゃいけないのに、どうしたら。

 涙は溢れた矢先に渇いていく。火とは、熱とは、そういうものだ。

 願わくば『  』──君が僕の死を、どうか笑ってくれますように。


 深い深い、意識の海。何故だか最期に笑いを浮かべ、僕の魂は炎に捧げられた。



***




「……………………」


 ……ヤバい夢を見た。


「お目覚めですか、皐月さん」

「ううぇっハイ!?」


 びくり! と肩を揺らしながら横を見ると、ベッド横に置かれている丸椅子にニコニコと人のよさそうな笑みを浮かべて座っている医者がいた。

 恰幅で熊を思わせる体型に、頭のてっぺんが禿げた白髪の男性。目尻の下がった優しい顔つきは、この人の人柄をそのまま現しているのではないかと不思議とすんなり思えた。

 少ししゃがれつつも穏やかな声は、僕に「意識ははっきりしていますか?」と気遣いの言葉をかけてくる。戸惑いながらこくりと頷く。


「熱は……ああよかった、少しは下がっていそうだ。喉は渇きませんか? 頭痛は?」

「えっと……」

「ゆっくりで構いませんよ。夢の目覚めはいつも、ぼうっとするものです」


 お水とスポーツドリンクと、どちらが飲めそうですか? そう聞いてくる先生にスポーツドリンクと答え、上半身を起こす。

 確かに身体は、寝落ちる前より楽なような気がした。


「よかったよかった。本当に。貴方はとてもメンタルが強い人物だったらしい」

「はあ……」


 なんだ、その……変な言い回し。

 僕は別に落ち込んだり滅入ることは少ない方ではあると思うが、かといって全く何も感じない人間でもない。

 熱で弱ってる姿を見ていたから意外に感じた──という意味にしては、なんだか引っ掛かりを覚えるような気がする。

 スポーツドリンクをちびちびと飲みながら言葉を待った。


「いやね、誰しもが耐えられるわけではないのです。なので、万が一がなくてよかったなあと」

「なんですか、万が一って」

「ご心配なく。もしそうなっていたら、しっかり忘れさせておりました」

「だから何がですか」

「貴方の前世を」


 またその話か……僕は頭を抱えた。

 眠りに落ちる直前の記憶は、ちゃんとハッキリしている。この先生が僕に告げた謎の病名も、僕に何かをぶっ刺したことも。

 まぁ、突然何かを投入されたことについてはしっかり説明して貰うし出来れば責めさせて貰いたいけど、先生の発言については妄言だと一蹴することが出来なくなってるのは……残念ながら事実だ。

 僕は、このふざけた話に、耳を傾けてしまっている。


「……何なんですか、あれ」


 顔は見れない。俯いて、自分の手だけをじっと見ていた。


「前世とか、馬鹿げてると思うんですけど。僕が見たのは幻覚か何か? どんなヤバい薬注射したんですか」

「それが幻覚ではないことは貴方自身がよく理解しているはずです」


 ぴしゃん。ハッキリ断言されて言葉に詰まる。

 何故か、と理由を明確にすることは出来ない。何て形容すればいいかわからない。でも、先生の言う通りだった。

 僕はあの夢がただの夢ではないと、確信してしまって、いる。


「…………まあ、確かに気持ちはわかります。私も初めて夢を見た時は、自分に引きました」

「私『も』?」

「ええ、そうです。私も前世後遺症を持ってたことがあり、前世は神官です。貴方に刺した注射は薬ではなく、聖水ですね」

「待って……いきなりファンタジーを持ち込まないで下さい……えっ、なに……聖水……?」

「なるほど。皐月さんはさほど記憶を取り戻してないようですね。ふむ、となると少し厄介なことになりそうだ……」

「一ミリも待つ気ないじゃないですか……」


 先生は持っていたカルテらしきボードにさらさらと何かを書き込んでいた。前世後遺症・記憶少々とでも書かれているんだろうか。嫌すぎる。そもそもさらっと使ってるけど前世後遺症ってどういう病だ?

 先生がペンを走らせるのを止めたタイミングで「質問いいですか?」と挟み込んだ。先ほどの人のよさそうな笑みで先生は僕の言葉を待った。


「言いたいことも聞きたいことも山ほどあるんですけど……一つずついきますよ」

「ええ、どうぞ」

「まず僕の熱は、前世? が影響してた? ってことでいいんですか?」

「ええ、おそらく。私の聖水は前世で同じ世界にいた者にしか効果がありません。この世界でかかった病気の類いならば貴方は今も高熱に魘されているでしょうから、容態がよくなったということは、そういうことでしょう」

「…………『同じ世界』」

「前世も同じ世界にいたとは限りませんからね。異世界から転生してきた、ということを一つの事実として受け入れて下さい」


 受け入れられるはずはないんだが確かに夢の中の場所は日本ぽくはなかった。わかりたくないけど感覚的に納得してる心のシステム何とかしてほしい。

 話を戻す。


「異世界から転生して日本で暮らしてた、として…………いや、えーと、その前に確認なんですけど、先生も前世があって……異世界転生してるんですか?」

「ああ、異世界転生。分かりやすくて良い言葉ですね。流石若者です」

「僕が考えたわけじゃないんですけどありがとうございます。それで」

「ええ、はい。そうですよ。私は異世界転生者です。前世の記憶はハッキリ残っています」

「僕と貴方以外にも、会ったことは」

「あります。寧ろ、会うために心療内科医を選んだのです。そして、そうした方々を救うために」


 「ここからは私に話させてもらえませんか?」先生は僕にまた新しいスポーツドリンクを注ぎながら、黙って飲んでろと言わんばかりに渡してくる。流れで受け取ると、にこやかな笑顔を向けられた。

 神官。時間が経つにつれ、その肩書きがしっくりきている僕がいる。

 困惑していた気持ちは、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。


「私が前世の記憶を取り戻したのは、十六歳……高校一年生の頃でした。野球をしておりましてね。その日は大事な試合だったのですが、最後の回で私がボールを取り損ねて負けてしまった。ただのフライで、位置もぴったり合っていたのにですよ。私は自分をひどく責め、家で一人で泣きました」

「…………」

「そうして泣きつかれ、目を開けた時に、私は教会の前にいたのです」


 もちろん夢ですが──行ったことも見たことも無い場所だというのに、何故だかとても懐かしく、心が安らいだ。あれは私の育った教会だったのです。

 と、先生は目を細めた。


「それから、何度か同じ夢を見るようになりました。周りにいる人や風景は変わるのですが決まって場所は教会であり、私の視点は一人の人物なのです。魔法も知らない種族も出てくる様子はいかにも夢物語ですよ。ここまでは私もこれはただのよく見る夢だとしか思いませんでした」

「…………それが」

「ええ、その通り。私の前世の追体験です。では、何故それが前世だと気づいたでしょうか? 皐月さん、貴方に関係あるのはここからです」


 ごくりと唾を飲み込む。いつの間にか緊張して手に力が入っていたらしい。先生にまた一口スポーツドリンクを勧められて気がつく。


「私は、ある日夢を見ました。いつもの夢で、教会におりました。しかし今回は何だかいつもと違うなあと思いました。なんというか、いつもより妙に……自分事に感じたのです」

「それまでは自分事じゃなかったんですか……?」

「そうです。それまでは、夢だなあと思いながら見る夢でしたね。感覚も朧気でした。しかし、その時は風が肌にあたる感覚も、教会の鐘の音も、まるで直接そこにいて感じているような気がしたのです」


 そうして、私は出会いました──先生は目を伏せた。


「神に仕える者としては褒められたものではありませんが──まぁ要するに前世で愛した女性との出会いの夢で、私はその女性との身分違いの恋の果てに処刑されたんですけれどねはっはっは」

「それ笑い事でいいんですか!?」

「いいんですよ、前世の話ですから。今の私と前世は違います。影響はされていても、それも含めて私は私です」


 そう言い切る先生の顔に嘘は無く、躊躇いも引き摺っている様子も確かに無い。

 時間をかけて、あるいは元からの性分で、この人は前世と折り合いをつけて生きているのだろう。

 それはきっと、これから僕が考えていく未来の自分の姿への、一つの選択肢になるのだろうと漠然と思った。


「で、今皐月さんは、私のことを『前世と折り合いをつけたんだな……』と感心してくれたことかと思いますが」

「感心はしましたけど神官って人の心を読むスキルでもあるんですか?」

「はは、そうだと異世界みがあって面白いのですが、残念ながらこれは統計ですね。だいたい皆さんそう思って下さるのです」


 ですが、と先生はすぐに自分の言葉を否定した。


「私が折り合いをつけたというのは、間違いです。気持ちの問題ではありませんからね」

「……ん……? どういうことですか?」

「前世後遺症は、原因がハッキリしており、完治する病だということです」


 だから気持ちの折り合いをつけるつけないの問題ではない。そういう意味だろうか。

 先ほど僕がしようとしていた質問の最後も、前世後遺症という病についての話だった。今まで穏やかに自分の前世を話していた先生が、少し真剣な顔をして続きを語りだした。


「私の前世後遺症は、その愛した女性との出会いの夢から始まりました。突然右腕に激痛が走るようになり、次第に身体に痛みがじわじわと広がり、高熱に魘された」

「……それは…………」

「そうですね、熱に魘されていた貴方にはわかりやすいかもしれません。前世後遺症で出てくる身体への異常は、前世の最期の死因に基づくものです。私の場合、駆け落ちした際に追っ手に腕を切られ、そこから感染症にかかり弱っていたところで捕まり、牢獄で毒による処刑です。話さなくても構いませんが、貴方も死の前には熱を出していた。違いますか?」

「多分……合ってます。少なくとも、さっき見た夢ではそうでした」

「そうですか。今のところ皆さんそうなので、やはり共通なのでしょう。では、もう一つ私達には共通点があるはずです」

「共通点?」


 言われて考えてみる。といっても、僕が見た夢は不明瞭でしかも短いから、確信を持って言える情報は何も浮かばなかった。

 先生もそれがわかっていたようで、答えは早々に出された。


「強い後悔の念。それだけです」


 ──なんともシンプルで、ありがちなそれは。


「『誰しも後悔だらけだろうに何故自分達だけが?』これも皆さん尋ねることなので、先に答えますね」

「話が早くて助かります」

「慣れていますからね。これもシンプルな話で、前世後遺症は副作用といったところでしょうか」

「へ? 何のですか」

「『異世界へ行った』という副作用です」


 意味がわからず眉間に皺を寄せると、先生が「ゴブリンのような顔をしていますねぇ」と熊の腹を揺らした。異世界ジョークなのかもしれないが、生憎僕はまだゴブリンの記憶を取り戻してはいないし、取り戻してなくても良い表現じゃないことはわかる。

 意地になって神妙な顔で続きを促した。僕の様子に悪いと思ったのか、苦笑で誤魔化されてしまう。


「この世界にいる我々を、地球の魂と致しましょう。地球の魂は本来であれば地球の中だけで生まれ変わり続けます。しかし、ごく稀に地球ではないどこかの世界に、魂が転移、あるいは転生してしまうのです」

「今の僕達とは逆に、ですか」

「うーん、そうですね……正確には、私や皐月さんも元々は地球の魂であり、何かの都合で異世界に転生しているのです。そうして、異世界転生したあと、また更に転生して地球に戻ってきた。私や皐月さんはそういう立場の人間です。……異世界転生の使い方合ってますか?」

「バッチリです。えっ、じゃあ僕達はなんというか……本来の場所に帰ってきた、って感じなんですか?」

「その通り。そして、ここまでの条件が揃って、初めて起こりうるのが前世後遺症です」


 前世の更に前世まであることを考えると、なんだか気持ち悪いような気さえしてくる。この際深く考えないことにした。


「神様だか精霊だかの都合で魂を行ったり来たりした。その副作用として、生前での強い後悔を今生で痛みとして引き摺ることになる。それが貴方のかかった病──前世後遺症です」



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