004 邂逅。
「――くそ! なんであんなのがこんな場所に出てくるんだ! おい! 今のうちに金を拾い集めろ!」
「は、はい……!」
屋根布に獣の爪がつけた三つの歪な線から見えるは、灰色の肌をした少女。
髪は黒く艶やかで赤い瞳は特徴的だった。
初めて見る配色の人間だ。
「また来るぞ! お前! 場合によっては捨てるからな!」
「ど、どうかそれだけは……」
「ゴァァァァアアァァァァァアア!!」
「来やがった……!」
だんっ、だんっ、と一歩一歩に確かな重みが感じられる足音が聞こえ、地面が震えていた。
奥の木々が揺れ、時には倒され、邪魔なものは薙ぎ払われている。
「うわっ」
獣が吹き飛ばした岩がすぐ近くに飛んできた。
「ぶへっ……げほっ」
おかげで土煙に巻き込まれてしまった。
夜光と男の持つランプの光によってその全貌が露わとなる。
黒く若干丸い体形、両腕は大木のように太く、足は短足ながら腕とは比べ物にならないほどの太さで爪もその分大きく鋭い、踏み込むと深く地面へ食い込んでいた。
熊とかそういうものではない、見た事のない獣だ。ようやく異世界らしい要素が出てきたじゃないか。
「は、走れ!」
男が手綱を振るわせ、馬が鳴いては走りだすも、獣の攻撃が荷台へと当たり、荷台は大きく傾いて道の端に今にも倒れそうな状態になってしまった。
乗っていた少女のほうは大丈夫だろうか。
どうしよう、手伝ったほうがいい?
木陰に身を寄せ、すぐ傍まで来ているが、どうにも判断がつかない。
男は急いで袋を手に取っていた。じゃらりという音からして、金でも入っているのだろう。
「ああくそっ! おいお前! ここで囮になっていろ!」
「ああっ! そ、そんな……」
「奴隷に出来る最後の仕事だ!」
荷台は切り離されるやバランスを崩して完全に横転し、男は馬に乗って去ってしまった。
二人がどういう関係か、先ほど出た単語――奴隷から察するに奴は奴隷商か何かか? 身なりもそれなりに装飾品が多かったし。
少女は足錠がつけられていた。鎖の長さは四十から五十センチ? 全力では到底走れない、置いていかれたという事は、つまりはあの獣に襲われたら確実に逃げられない。
獣の喉を鳴らす声は先ほどから聞こえている。逃げた馬のほうよりその場で動けない荷台のほうへと照準を合わせたようだ。
馬車にあったランプもあり、近い上に見やすい場所から狙ってくるのは当然の事であろう。
「……あそこにいれば、獣が俺を襲ってくれるな」
次は獣にやられてみるとしよう、すんなり死ねたら嬉しいな。
俺はすぐに荷台へと駆け寄った。
少女は荷台から出てきては影に隠れて身を潜めている。とりあえず、話しかけてみよう。
「や、やあ……大丈夫?」
「あ、貴方様は……?」
近くで見ると、意外とまだ幼さ残る十代半ばくらいの少女だった。
「ただの通りすがり、ちょっとあの獣に用があって」
「よ、用ですか!? 危険ですよ!」
「だからいいんじゃないか。行ってくるよ」
再び咆哮が傾斜の下から聞こえてきた。
重みのある足音が近づいてくる。荷台の影から飛び出して獣の前へと出ていくとした。
こちらにこれ以上距離を詰められたらこの少女も巻き込みかねない、俺の自殺のせいで誰かを巻き込むのは後味が悪いのでそれは避けたいところだった。
「おお~……」
対峙する。
俺の目線をゆうに超え、俺の首はほぼほぼ真上を見上げるような形に。
これまでの人生で、こうも間近で獣と対峙するなんていう状況があったであろうか。
心臓の鼓動はまるで別もののように激しく脈動している。
獣の顔は熊のようで、しかしどこか牛を思わせる双角もあり、今までに見た事のない異形であった。これもまた、異世界要素というものだな。
「さ、さあ、俺を殺してくれ!」
「えっ?」
両手を広げて、獣を威嚇してみる。
どうした? かかってこないのか? そんな品定めでもするかのように見つめやがって。こっちは勇気を振り絞ってるんだぞ、少しは反応してもらいたいものだね!
これならどうだ? おらっおらっ。
俺は獣の膝に二発ほど拳をめり込ませた。
その瞬間――
「あぇ?」
「ひぃぃ!」
視界がぐるぐると回転していた。
何をされたのか、分からなかったがその回転が止まった時の光景でようやく理解する。
首のない俺の体が、あるではないか。
首を吹っ飛ばされたのだ。一瞬の事で気が付かなかった。
これでもしかして死ねる? ああ、意識も薄れて――
「あれ?」
はっきりとした。
しかも視界が変わっている。
また獣の前だ。
俺の頭があったであろう場所には何もない。
「……おいお前、俺を殺せないのかもしかして」
首を傾げている。
あっ、右手が動いた――と思ったら、今度は逆方向に、これまた視界がぐるぐると回転していた。
さっきとおなじような状態だ、今度は顔の向きが悪くて自分の体が確認できないが、首を吹っ飛ばされた感覚は確かにあった。
……のだが。
「あら。やっぱり戻ってる……」
「あ、貴方様は……一体……」
「はぁ……どうやらお前には俺は殺せないみたいだ」
肩を落として深いため息をついた。
やっぱりそう簡単に見つかるわけはないよな。
獣は何度殺しても元通りになる俺に違和感を得ては警戒心を見せた。
軽く二、三歩後退し、右手側に生えてた木をそのまま引っこ抜いて、俺へと振り下ろす。
「うわっ!」
反射的に左手を盾にするものの、このままぺしゃんこで殺してくれれば幸い――と思った。
けれど、それも叶わない。普通に防げてしまった。
死にづらくする――神様の与えた能力によるものであろうか、痛みはほとんどない。
少しは期待したのだけれど、駄目みたいだ。でも二回くらいは殺してくれたんだし奮闘したほうかもしれない。死ねる方法ではなかったが、よく頑張りましたの判子を押してあげたい気分だね。
「じゃあ、もういいよ」
手を振ると獣は大げさに後退し、じりじりと暫し俺を睨みながら暗闇の中へと溶けていった。
最後まで睨みながらもどこか珍妙なものを見るような視線だったのは気のせいだろうか。
獣の気配が完全に消えると後ろから安堵のため息が聞こえ、振り返ると少女が地面にへたり込んでいた。
「大丈夫?」
「は、はい……。貴方様は、一体何者なのですか?」
「何者、う、うーん……何者なんだろうね自分は」
「あっ、申し遅れました。私はハス・ピパルと申します。貴方様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「島津……島津生哉だ。島津でも生哉でもどっちで呼んでくれても構わない」
「ではシマヅ様とお呼びしても?」
「様付けは慣れないが……」
「恐れおおくて、様以外つけられません。この度は助けていただきありがとうございます」
ハスは両手をついて丁寧なお辞儀をした。
ぴしっと背筋を伸ばしていて姿勢がよく、躾の良さを知るには十分であった。