029 目覚めの時
「……はっ」
石造りの天井に、魔力石を利用した電球型の照明が視界に入った。
あんまり覚えていないけれど……酷く長い夢を見ていたのははっきりと感じた。
左手には温もりがまだ残っており、見てみるとハスがベッドへ頭を沈めていた。
看病で疲労が蓄積していたのだろうか、だとしたら申し訳ないな……。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。夢と現実との記憶がごっちゃになっているものの……現実での最後の記憶はおそらく、スカルに撃たれたところだ。
上体を起こす。体のだるさはないものの、全身は汗ばんでいて気持ちわるい。
腕には管が血管を通されており、周りの機材は俺の心音と同期して音を鳴らしていた。
「ああっ! お気づきになられましたか!」
「えっ、あっ……んん? 王女……様?」
手術着を身に纏い、マスクをしている彼女は目のあたりしか王女と判断する要素がなく、一瞬分からなかった。
目の下にはクマができている、一目で見て取れる疲労、何日も寝てない顔だ。
「よかった……」
彼女は安堵のため息をついて、マスクを取った。
おれのせいで苦労と負担を強いらせたな……。
「どれくらい、眠ってたんですか?」
「六日間ほど。頭部を撃たれた際に、天国病の病原体が銃弾に組み込まれていたようでシマヅさんは天国病に罹っておりました」
「銃弾に病原体が……?」
普通の銃弾とは違っていたのは覚えている。
紫の銃弾だったかな、強化弾の一種かと思ったが……天国病を感染させるための銃弾だったのか。
誰かを意図的に感染させる手段を敵は用いている――これは、恐ろしい事実だ。
「治療のほうはどうやって……?」
「天国病の抗体の生成に全力を注ぎました」
「抗体ができたんですか!?」
「ええ、効いているかどうかも、今はっきりとしましたね」
俺を見ては笑顔を浮かべて、祈りを捧げてきた。
よしてくれよ、まったく……。
「ああ……。そうか」
「正直に告白します。抗体の生成のためにシマヅ様を実験体にしました、何度も心停止に追いやってしまい、私は何度も貴方を殺してしましました……申し訳ありません」
「いや別に生き返るから気にしなくていいですよ」
タオルを受け取りとりあえず汗を拭く。
喉もカラカラだ、近くには水入りの瓶とコップが置かれており、喉へ一杯流し込んだ。
「ん……はわ……」
「お、ハス~、起きるか~?」
「もう少し寝かせてあげましょう。ハスはよくやってくれましたよ」
「そうなのか? ありがとうな、ハス」
優しく頭を撫でてやる。
疲れているならどこか別の場所に寝かせてやりたいな。
膝をついてベッドに上体だけを任せるような座り方は体に悪いだろうし。
「これはもう外してもいいんですか?」
動きたいのだけれど腕の管が邪魔だ。
「構いませんよ。シマヅさんの意識が回復したのでもう不要でしょう。失礼します」
王女自らが取り外してくれる。
……とても大変な事をさせているんじゃないだろうか。
ようやく両腕は管から解放された事だし、そっとベッドから降りて一度別室で着替える。
「しかし生き返っても天国病に罹ったままだったのか……。傷は治るはずなんだけどなあ……」
「傷は確かに治っておりましたが、あの天国病と思しき病原菌は体内を巡っておりましたね。これは、覚えていますか?」
王女が持ってきたのはガラス瓶に入った紫の花――いつだか、見たような。
「ああ、なんだっけ……」
「ランハンショウです。ハスさん曰く魔力に反応して幻覚作用を引き出す効果がある、と」
「そうだ、そういえば見た事あるな……」
「ハスさんにランハンショウの生えている場所をお教えしてもらい、分析してみました。天国病はこのランハンショウを改良したもので間違いございません。彼女がいなければ天国病の解明、そして抗体の生成もできなかったでしょう。一番の貢献者です」
「そうか、ハス……すごいぞっ」
「天国病はランハンショウを魔法によって見せる幻覚を本人の記憶から幸福なものへと構築する細工がなされているようです。つまりこれは、人工的なウィルスですね」
「人工的……なるほどね、だから誰かに感染させる事も容易い、と」
「感染するといっても特に体調に変化はないのですが、シマヅさんの症状から見るにおそらく一度に多くの魔力を取り込むとランハンショウの毒素が反応するようです。これまでの例を思い返せば、天国病に罹った者達は皆魔力を補給していた節が見受けられます」
「そういえば俺達が見つけた天国病に罹った冒険者の近くには魔力補給薬が転がってたな……」
「そして厄介なのが天国病に罹っていても反応がしないのでギルドや国が実施している検査では見つけられません」
彼女の持つ医療設備あってこそ、か。
けれどこれらを共有するにも国が異なる文明を受け付けない性質にある、だからここでひっそりとやるしかないがどうしたものやら。
「じゃあもしかしたら感染者は既に広がってる可能性も……?」
「自覚症状が一切ないと思われるので十分にありえます、ですが感染力もあまりなく潜伏期間中に自然と消滅するようになっていますね。ハスさんにもこの天国病に感染していたようですが菌はわずか。抗体によって現在は完治しております」
「ならパンデミックの心配もない……か」
そのような条件を達成しない限りは発病しない、となればこれからゆっくり抗体を皆に打っていけば天国病の対策は十分?
「――聖火祭」
「え?」
「今夜……魔力を国民が受け取り、自身の魔力を含めて空へと放つ――聖火祭が行われます」
「まさか……」
――天国病は意図的に感染させられる事も分かった。
発病条件が一度に大量な魔力を取り込む事――聖火祭では国民全員が、一度に大量の魔力を受け取る。
もしスカルが、天国病を拡散させて聖火祭が始まったら……?
「これが、狙いか……」
「聖地には巨大魔力石が運び込まれております、それによって魔力の拡散も行われますが天国病もその流れに乗せてしまえば国民全員が感染するでしょう」
「じゃあ、どうするんだ……?」
「この抗体を魔力に溶けこむようにし、先に巨大魔力石へと注入するしかありません」
彼女が取り出したのは小瓶に入った透明な液体だった。
「ならすぐに!」
こうしちゃいられない。
俺は荷物を持って出る準備を始めるも、
「もう少しお待ちください、まだ抗体の加工ができておりませんの。それに巨大魔力石は厳重に警護されているため容易には近づけませんよ。無闇に動かず、慎重にいきましょう」
そうか、そうだよな。
そう簡単に済ませられる事じゃあない。
「はっ……! シ、シマヅ様っ!」
その時、ハスが俺の手を探して動かしたかと思いきや、異変に気付いて体を起こした。
「ここだ、ハス」
「あ、ああ……よかった、よかったです……ハスは、ハスは……」
「よーしよし、泣くな泣くな。俺はもう大丈夫だから」
思い切り抱きついてくるハスを受け止める。
頭を優しく撫でてやるとしよう。
「ハス、ありがとな」
「いえ、ハスは何もしておりません。ただ、祈る事しかできませんでした……」
「いいや、とても助かったよ」
「はわ?」
覚えてはいないか。
そもそも夢の中に出てきたハスが、このハスだとも限らないし……とはいっても、ハスのおかげには違いないのだ。
「失礼します。シマヅ様、無事にご快復なさったようで何よりでございます」
「ええ、どうもフラニフさん……本当は死にたかったけど」
「それは残念でございましたな」
フラニフさんは図面を持っており、テーブルに広げた。
この地下水路の図面か……。
「これからについて、お話しても?」
「お願いします」
「巨大魔力石が置かれているのは聖塔と呼ばれる施設、古い水路を使っていけばたどり着けるでしょう。敵もこの水路を把握している場合は遭遇できるかもしれません」
「なら抗体の加工が完成し次第、行動に移りましょう」
「私もできるだけ急ぎます」
王女は小瓶を手に別室へと移動した。
抗体が魔力に溶け込むようにする加工……か。卓越した知識と才能は、もはや魔法以上だな。
時計の針は昼の十二時を過ぎたあたり。
聖火祭まではまだ時間はあるはずだ。準備をするとして……。
「とりあえず、飯にしたいな」
腹の虫がよく騒いでいる。
「すぐにご用意いたしましょう」
昼食の準備をして貰っている間にシャワー室で体をさっぱりする事ができた。この地下研究所には生活できる設備が整っているからその気になればここで暮らす事も出来るようだ。地下とはいえ通気関係もしっかり設備されていてじめったい感じもなく快適だ。
これも魔力石のおかげなのだろう、元の世界に行って魔力石で一山当てたい。
……いや、元の世界には戻らなくていいややっぱり。
歯磨きに洗顔もして、我ながら生きている実感というものを十分に得られている。
鏡に映る自分の表情は……どこか穏やかに見えた。
「……死にたいんだけどなあ」
自分は今、どういう心情であるのか……自分自身でもよく分からない。
シャワー室から出ると律儀にハスが待っていた。そういえば宿屋での生活では何度か背中を流そうとしてきたが途中で断って以来、今度は俺が出るまで待っているようになったんだった。
「昼食の準備ができたようです」
「よし、じゃあ一緒に食べようっ」
「はいっ!」
……癒されるな。
ハスの笑顔に、とても癒される。