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魔法使いの苦悩-ADVENT-~闇の聖女と光の魔王~  作者: 黒緋クロア
第三章 The story began to move.[動き始めた物語]
28/32

魔法使いの道化師

「道……化……?」




「あぁ、道化――お笑いってことだよ」




 その声は、暖の心を激しく揺さぶった。あまりの衝撃に、彼は咄嗟に顔を上げ、声の主に視線を向ける。それが、間違いだった。




「か、一真……」




 暖の声が、恐怖で震える。目の前――ほんの数十メートル先にあったのは、闇色の衣を纏った親友……久城一真の姿だった。もちろん、言葉を発しているのは黒なのだが、今の暖にはその判断が出来ない。彼にはまるで、一真が悔恨の念で蘇ったように思えるだろう。




「どうやら、思い過ごしみたいだな……久城一真が気にしていたから、何かあるんじゃないかと思ったが、形見の銃すら満足に使えないなんて、これが笑い以外に何だっていうんだ?」




「うっ……あぅ……」




 黒の言葉に、暖は頭を抱え、耳を塞ぎ、身体を丸める。幽霊に怯える子どものような暖を見て、黒は禍々しく微笑んだ。




「まぁ、そんなに気にすることは無いさ。元々お前、久城一真に何の期待もされてなかったみたいだからな」




「……う?」




「お前のこと、こいつがどう思っていたか教えてやるよ」




 背後の一真を指さし、一層、口角を吊り上げると、黒は高らかに笑いながら、暖に告げた。




「“ジョーカー-道化師-”だとよ! わかるか? ピエロだぜ? バカやって笑わせるだけの存在だよ!」




「……」




 暖の目から、光が消えた。次々に襲い来る衝撃に、心が耐えられなかったのだ。一真から託された銃が、暖の右手を離れ、床に転がる。黒の高笑いと、竜の咆哮だけが、呪怨のように暖の耳を、意識を、蝕んでいった。




「さて、十分に笑わせてもらったことだし、ピエロにはご退場願おうか」




 先ほどまでとは打って変わり、冷酷な視線を暖に向けながら、黒は右手を前方に伸ばす。だが、




「ちっ――気付いていたのか」




 呟きながら、黒は伸ばした手を右側に90度動かし、魔法陣を3つ重ねて生成する。それと同時に、魔法陣に9本の尾が突き刺さった。




「聴覚まで獣並か……」




 尾の出所に視線を向け、黒は呟く。距離はあったが、その先に居るのは間違いなく梨紅だ。様々な音が反響する中で、暖の叫びを聞き取ったらしい。




「――で、そっちは魔族並ってとこか」




「えぇ、そうよ」




 黒の呟きに、落ち着いた様子の声が応える。暖の方に視線を戻すと、彼を護るように、和服を纏った魔族――沙織が立っていた。




「暖くんの叫びも、あなたが彼にあること無いこと言ったのも、全て聴いていたわ」




「あること無いこと?」




 沙織の言葉に、黒は再び口角を上げた。その様子に、沙織は眉をひそめ、大鎌を前方に構え、警戒する。




「オレが言ったことは事実だよ。久城一真の記憶の中で、そいつ――川島暖は、ジョーカーと呼ばれていた」




「そんなわけ……っ!」




 否定しようとする沙織の声を遮り、黒は唐突に、禍々しい魔力――まるで怨念を凝縮し、魔力と混ぜ合わせたような負の塊――を、放出し始めた。




「悪意に満ちた魔力……こいつがこんな物を作れるなんて、お前は知っていたか?」




「……久城くんが、これを?」




「そう、お前らが知っている久城一真なんて、ほんの一面に過ぎないのさ」




 黒は左手を軽く振って魔力を操り、梨紅の尾を防いでいる魔法陣に流し込む。すると、魔法陣を構成する線が徐々に黒く染まり始め、突き刺さった尾を押し戻し始めた。




「とある世界では、魔法の深淵に触れた者が、悪意を糧とする力を手に出来た。“闇”に深く沈んだ先にあるのが、この力だ!」




 黒が右手に力を込めると、魔法陣から尾が完全に離れ、梨紅に向かって弾き返る。




「“災厄-ディザスター-”と“輝き-グリッター-”……あらゆる世界を回り、そこで得た魔法を混ぜ合わせた、久城一真のオリジナル……」




 そこまで言うと、黒は沙織に視線を向けたまま、両目を獰猛に輝かせる。子どもが『買ってもらったおもちゃを早く箱から出して遊びたい時』に見せる純粋な輝きを、邪悪に、狂気に漬け込んだような、そんな目だ。




「《禁忌》の名を付けて封印された、暗黒魔法……」




「“サイズ・スラッシュ”!」




 身の危険を感じた沙織は、先手を取るべく大鎌を振り、いくつもの真紅の刃を放つ。その全てが黒に向かっていくのに加え、彼の右側からは梨紅が高速で突進していく気配がする。そんな中でも、黒は冷静だった。




「“闇に鳴け、黒き獣”」




 左手を真上に伸ばし、目を閉じると、詠唱を開始する。あの“9つの鍵”を詠唱省略で繰り出す黒が、詠唱を行っているのだ。放たれる魔法の威力は計り知れない。




「“災厄と共に……襲え”」




 至極短い詠唱――にも関わらず、黒の手元に集まる魔力が発する重圧は、沙織が今までに感じたことの無いレベルのものだった。


 だが、そんな重圧を物ともせず、梨紅は黒を護っている魔法陣に突進を強行する。しかし、高速での体当たりも、魔力に阻まれ、魔法陣に触れることも叶わない。




「“ディザスター”!」




 魔法の発動を告げる詠唱と同時に、黒は左手を振り下ろす。すると、放たれた魔力は2つに分かれ、それぞれが形状を変化させながら、沙織が放った真紅の刃に向かって飛んでいく。


 2つの魔力は四肢を伸ばし、獣の姿へと近づいて行く。だが、顔であろう部位が現れた段階で、双方の変化は止まった。目も耳も、尾も無い異形の獣だ。




「……食い破れ、ディザスター」




 黒が冷酷に呟くと、異形の獣の顔が半分に割れ、鋭い牙と赤い口内が出現した。獣は真紅の刃に噛みつき、砕き、咀嚼し、飲みこんで行く。それを繰り返すにつれ、獣の身体が膨らんでいき、巨大になっていくではないか。




「っ! 魔法を食べて、糧にする魔法……」




「へぇ、よくわかったな。まぁ、実際は魔法だけじゃなく、元の魔力や、“退魔力も”糧にするんだけどな」




 黒が言う中、沙織は右足に力を込め、全力で地を蹴り、左へと飛んだ。獣の姿から、追尾性能があると予想したのだ。その意図の先には、暖から矛先を反らすという目的があった。だが、




「なっ……」




 予想に反し、獣が沙織に着いてくる様子は無かった。2匹の進む正面には、心の折れた暖が座り込んでいた。




「残念だったな。追尾性能はあるが、目標はお前じゃない」




 先ほどまでと異なり、どこか退屈な様子で、黒は呟く。目の邪悪な輝きも、悪意に満ちた魔力も、今は消え去り、ただただ視界に映すのは、座っている暖、それに向かうディザスター、そして……




「暖くん!」




 退避した道を駆け戻り、暖に駆け寄ろうとする沙織の姿だった。




「……暖くん、あなたは、ピエロなんかじゃないわ!」




 そう呼びかけながら、沙織は走る。何の反応も示さない暖を見つめながら、それでも諦めず、続ける。




「久城くんの言った“ジョーカー”は、ピエロを示す言葉じゃない……ジョーカーには“切り札”って意味もあるの」




 そう、黒が“ジョーカー”という言葉を出した時から、沙織はそれを“切り札”という意味で捉えていた。一真が、久城一真という人間が、仲間をそんな風に扱うとは、考えられなかったのだ。


 だが、暖の心にはまだ、沙織の言葉が響かない。だが沙織は、それを責めたりはしない。何故なら、知っているから。




「……少なくとも私は、後者であることを信じる!」




 暖とディザスターの間に立ち、大鎌を手放した沙織は、両手を広げる。そう、彼女は知っているのだ。




「久城くんが託した“想い”と、暖くんを、私は――信じる!」




 川島暖という人間が、誰よりも自分の無力を嘆き、誰よりも迷い、苦しみ、そして、




「……沙織……ちゃん」




 誰よりも、仲間を護る強さを、求めていることを……








「沙織ちゃん!」




 蝕まれていた意識は、沙織の呼びかけによって取り戻せたようだ。だが、復活した暖の目に飛び込んで来たのは、沙織が自分の盾となり、今まさに、2匹の化物に襲われようとしている場面だった。




 暖は咄嗟に、床に落とした銃を拾いつつ、前のめりに立ち上がる。




(銃なんか使えなくても、構わない)




 目の前に立つ沙織の腕を手の甲で跳ね上げ、前傾姿勢のままくぐり、沙織の前に出る。




(託された想いに応えられなくて、罵倒されても、構わない)




 沙織が驚き、目を見開く中、暖はディザスターと沙織の間に立ち、右手で持った銃の側面を前方に向けたまま、左手を添えて突き出す。




(一般人以下の道化師だって、構わない。だけど……)




「暖くん!」




「沙織ちゃんだけは、絶対に護る!」




(オレの、何を犠牲にしてでも……)






























 一面が純白な空間。前後、上下、左右もわからない空間が、目の前に広がっていた。




「……あれ?」




 その空間に、間の抜けた声が響く。暖の声だ。




「なんだ? あれ? どうなった? 沙織ちゃん?」




 辺りを見回しても、何もない。何も見えない。気味が悪いぐらいに純白が広がっていて、黒の表情とは別種の狂気を感じる程だ。




「……まさか、死んだ!? ここが天国か!」




「違うよ」




 暖の言葉に、幼い声が応える。その声は、暖の記憶にある声だった。しかし、何処でその声を聞いたかは思い出せない。暖は声の主を求めて、振り返る。




「ここは、君の心の中さ」




 そこに居たのは、1人の少年だった。橙色の髪に、桃色の瞳……背丈や声は、小学校低学年の子どもだが、発する雰囲気は神々しくもある。




「……笑与ノ神・陽雅?」




「正解! 久しぶりだね、暖くん」




 暖の内に住む神、笑与ノ神・陽雅が、姿を現した。





「でも、おかしいな……君の記憶は消してあるから、僕の名前を知ってるはずないのに」




 陽雅はそう言いながら、暖の顔を覗き込む。




「ねぇ……どうして知ってるの?」




「っ!」




 陽雅に問われた暖は、咄嗟に半歩、後退する。身の危険を感じたわけではないのだ。感じたとすれば、それは……




「敬い? 畏れ? それとも、別種の何か?」




「……何なんだ、あんた」




 思考を読まれ、背に冷たい汗を流しながら、暖は一歩、足を前に踏み出した。その行動に、陽雅は驚嘆の表情を浮かべる。




「凄いね、《上位神族》の僕が放つ威圧に耐えるなんて……流石は僕らの《複数転生体-マーズ・ヘイムルギアン-》だ」




「マーズ――何?」




「マーズ・ヘイムルギアン、原初の神が転生した人間である《転生体-ヘイムルギアン-》を超える、“奇跡の人”――君のことさ」




 眉をひそめ、首を傾げる暖に、慈愛を孕んだ微笑みを向けながら、陽雅は続ける。




「君が生まれて、もうすぐ17年……区切りよくとはいかなかったけど、ようやく、君に真実を伝える時が来た」




「真、実……?」




「さぁ、まずは自己紹介だよ、暖くん。彼らと会うのは初めてだよね?」




 陽雅はそう言って振り返り、背後に現れた者に手を伸ばして示す。手の先に居るのは、2人の男性……左側の男性は、銀色の長髪に、とがった耳。2mは超える長身を、豪華な装飾が施された白地のローブが包んでいた。右側の男性は、黒髪の短髪に、浅黒い肌。隣の男性と同じローブだったのだろうが、袖が無理矢理引きちぎったような破れ方をしており、粗雑な印象を受ける。




「左が《無限神-タニティロア-》、右が《虚無神-インデストロア-》。僕の名前はもう良いよね?」




「……あんたたち3人が、オレの中に居る神様ってこと?」




「そうそう! 呑み込みが早くて助かるよ」




 暖の発言を肯定し、陽雅は笑顔で頷いて見せる。だが暖は、腑に落ちないといった表情で、3人を見つめる。




「……3人も居るのに、どうしてオレには魔力も退魔力も、そんで、霊力もほとんど無いんだよ?」




「まぁ、当然の疑問だよね」




 暖の問いに頷くと、陽雅は振り向き、虚無に視線を向ける。




「……面倒だ、端的に説明させてもらう」




 ため息混じりに、虚無は暖に向かって続ける。




「我の力とこいつ――無限神の力は、人間で言うところのプラスとマイナスの関係にある。掛けあわせたらどうなるか、わかるか?」




「えっ? あぁ、数学で言えば、マイナス?」




「そうだ、無限を司る力にマイナスが掛け合わされ、マイナス無限の存在、つまりは《虚無限-ゼオウ・ル・ミレイ-》となり、現実に存在することが出来ない状態にあった」




 そこまで言うと、虚無は無限に視線を向ける。その視線に込められた「後はお前がやれ」という訴えに、無限は手を左右に広げ、やれやれといった様子で、了承の意を示すべく頷いた。




「虚無限って言うのは、現実に存在出来ないんだ。例えば、そうだな……りんごが1個存在することは出来るけど、りんごがマイナス1個存在することは出来ないだろ? 私と彼は、そういう状態にあったんだ」




「それを存在出来るようにしたのが、僕の力ってわけ」




 最後に纏めるように、陽雅は胸を張り、そう言った。




 3人の説明を受けても、正直な所よくわからない。それが、暖の現状だった。




「……陽雅が一番強いってのは、わかった」




「いやまぁ、上位の存在ではあるけどね? 攻撃とかに生かせる能力ではないよ」




 暖の言葉に苦笑して見せ、陽雅は両手を頭の後ろで組み、無邪気に笑う。




「僕は笑与ノ神、“笑いを与える神”だから、戦闘においては無力に等しい。それは君もわかるよね? 僕の力が最も強く、今の君に反映されてるんだし」




 これには暖も、思う所があった。昨年の夏には“ラフメイカー”なる名前を付けられた、自分に唯一備わっている能力は、日常のみならず時には戦闘中でも、発揮されていたのだ。




「確かに、笑いじゃ人は護れないな」




「けど、笑いで人を救えることもあるんだよ?」




「お前たちの笑い談義など、どうでも良い」




 暖と陽雅のやり取りに、虚無が横やりを入れる。その表情からは、呆れ果てている様子が取って見られた。




「悪いが、本題に入らせてもらう……川島暖」




「えっ――あ、はい?」




「お前の友を、仲間を助けてやる。だから、お前の身体を我々に明け渡せ」




「……はい?」




 虚無の言葉に、暖はここに来て何度も傾げた首を、もう一度傾げた。




「虚無、それでは説明が足りな過ぎるよ」




 そう言ったのは、無限だ。彼は苦笑しながら呟くと、暖に向かって穏やかに微笑み、言葉を紡ぐ。




「私たちの力を使えば、君は大切な者を全て護ることが出来る。だけど、君に力の使い方を教えるには、時間が足りない。だから、今回は私たちが君の身体を使って、君の護りたい者を護る。だから、身体を明け渡して欲しいってことなんだ」




「……本当に、そんなことが出来るのか?」




 無限の説明を聞いても、暖はそれを信じることが出来なかった。つい先ほどまで、今の自分には人を笑わせることしか出来ないという話をしていたのだ。突然、仲間を護れるなどと言われても、釈然としない。




「現に君は、僕らの力で仲間を救っているんだよ?」




 陽雅はそう言って、暖の頭に手を伸ばす。そのままでは届かないので、少しだけ身体を浮かせて、暖の頭頂部に左手を乗せる。すると、暖の頭の中に、映像が流れ込んで来た。


 バイクを走らせている、運転手視点の映像……その視線の先には、両手で何人もの人を掴んでこちらに走ってくる、女の子が見える。それが今城梨紅だと気付いた時には、運転手はバイクから飛び降り、地面に踵で着地し、勢いを殺しながら滑る。その視線の先には、運転していたバイクが飛んでいる様子が映る。それは光を帯び始め、一筋の光の矢となって、何かに向かって放たれた。




「……夏の、キメラの時?」




「そう! 君の身体を使って、僕らが放った虚無限の力さ」




 同時に、暖は理解した。否、思い出した。何度か記憶を失い、その度に感じていた違和感を……そして、その正体を今、知った。


 陽雅は満面の笑みを浮かべながら、暖に向かって手を差し伸べる。




「さぁ、みんなを護ろう! 君に眠る力を、解き放つんだ!」




「……オレは……」




 暖の左手が、恐る恐る――ゆっくりと伸びていく。陽雅の手を取るべく、微かな震えを伴いながら、動く。




 求めていた力が、そこにある。




仲間を護る力が、目の前に差し出されている。




 それを手にするべく、暖は陽雅の手を――












「騙されるな、暖!」













 暖の服の襟を、誰かが勢いよく引っ張った。




「うぉあっ!」




 暖はそのまま後方に吹っ飛び、身体を数回打ち付けながら床を転がり、最終的には床に後頭部を強打し、そのまま倒れ込んだ。あまりの激痛に目の奥が震え、打った部分を両手で押さえながら、のた打ち回る。




「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」




「何やってんだお前、バカか?」




「お前がやったんだろうが! ……っえ?」




 理不尽な物言いに怒り、暖が顔を上げると、そこには思いもよらぬ人物が立っていた。




「かっ、一真!?」




 緋色の前髪、黒髪短髪、左目に輝く《全知の眼-ヴィアン・ト・エニス-》。暖の記憶の通りの久城一真が、そこに居た。




「よう、心の中でも楽しそうだな」




「痛がってんだよ! って、そうじゃなくて、お前何で……」




「どうして君がここにいるんだい? 久城一真」




 暖の言葉を遮り、陽雅が言った。その目に先ほどまでの微笑みは無く、あるのは驚愕と苛立ちの色だけだ。




「どうして……か。まぁ、一種の現地調査ってやつ?」




 一真は陽雅に視線を向けることなく、暖に向かって歩きながら、続ける。




「ここ数か月のこいつの奇行には、目に余る物があってな。こいつどんな頭してんだ? バカか? って思ったわけさ」




「おい!」




「冗談だ、冗談。実際、全知の眼で見ても普通の人間としか思えないのに、極稀に変な力を使うからな。それを調べるために、誰にも気付かれないように暖の中に侵入した……もちろん、あんたらにも気付かれないように」




「僕らにも気付かれないように……いったい、どうやって」




「ディバイン・バスター」




 一真が唐突に発した言葉に、陽雅たち3人が思わず身構える。だが、何も放たれた気配は無い。そう、魔法の詠唱では無かったのだ。




「近頃は専ら、暖へのツッコミとして使ってたバスターに、少しずつオレの意識を混ぜて、潜り込ませる。放っているのはほとんどが大気中の退魔力だ、自然に摂取してても可笑しくない程度の量ならバレないだろうと思ってな」




 言いながら一真は、床に座り込んだ暖に向かって手を伸ばす。暖はそれを掴み、立ち上がると、改めて一真に視線を向ける。




「一真……」




「暖、今のお前にはオレの力が使える。右目に意識を集中して、あいつらを見てみろ」




 暖は一真に言われるままに、陽雅たちに視線を向ける。そして、右目の眼球に意識を集めると、橙色の線が視界に現れ、図形を描いて行く。




「これ、《全知の眼-ヴィアン・ト・エニス-》か?」




 暖の右目に現れたのは、全知の眼の紋章だった。一真の左目の物とは色が違うが、能力は同等のようで、暖の脳内に情報が流れ込んでくる。




「笑与ノ神、虚無神、無限神……どの情報も正しいぞ?」




「見えたな? なら、さっきこいつらから聞いた話、もう一度脳内再生してみろ」




「急に難易度上げたな、おい……えっと、オレの身体を……」




 一真と暖がやり取りする様子を、陽雅たちは黙って見ていた。だが、その表情は3人バラバラだ。陽雅は諦めたように苦笑し、無限は焦りつつ冷や汗を流し、虚無は憎しみを込めた視線を一真に向け、拳を強く握りしめていた。





 橙色の光で構成された、尾の長いジェスターハット。それを被った暖の、右の目尻には水滴模様のペイント、左目は星型のペイントが同じく、橙色で描かれていた。


 飛んでくる魔法は、橙色の膜で消え去り、反射し、暖には当たらない。相対する黒の姿は、見るも無残だ。黒衣は破れ、片腕が無く、腹部には大きな穴が空いている。それでも、魔力で作られた身体はすぐに修復され、ダメージはほとんど無い。だが、魔力は確実に減っていく。


 黒が何かを叫ぶ。その音は、暖の耳に届かない。暖が右手を上げると、その先に漆黒の球体が現れる。大きさは、野球ボールと同等の物だ。それを見た黒は、明らかに焦っている様子で、一真の身体を自分の前面に持ってくる。そして、何かを叫ぶ。音が無くても、一真の身体を盾にしているのがわかる。しかし、暖はそれに見向きもせず、その球体を放った。


 球体は黒い光の矢となり、黒を、一真ごと飲みこんだ。空間に満ちていた魔力、退魔力、そして壁と天井、その全てを巻き込んで、黒い矢は空高く消えていく。


 訪れた静寂……それを消し去ったのは魔族の体を獣化させた梨紅の咆哮だった。一真を失った梨紅は、橙色の膜を切り裂こうと爪を立てる。だが、膜に触れると同時に、腕が消失する。何かが噴き出すのも気にせず、梨紅は四肢を、身体を、膜に打ち付ける。


 やがて、その音も聞こえなくなる。首から先を残した獣は、膜の前に転がり、動かない。声も上げない。どうやら、絶命したようだ。


 その様子を見届けると、暖は膜を消し、歩き始める。足元に転がる獣の頭部を拾い上げると、それを自らの胸に押し付ける。




 何かを噛み砕く音が、辺りに響いた。




 暖の背中から、獣の頭部が転がり落ちる。両目から紅の涙を流し、口から橙色の液体をしたらせた獣は、地に落ちると同時に消失した。それに続き、暖は地面に膝を着く。そして、そのまま……












「……何だよ、これ」




 長い、長い映像。自分の頭に情報として流れ込んだそれを見て、暖は吐き気を覚える。それは、絶望の物語……力を得て、仲間を救おうとして、だけど暴走して、全てを失い、命を終わらせた、道化師の物語。




「これが、あいつらの目的だよ」




 暖に向かって呟き、一真は陽雅たちに視線を向ける。




「オレと梨紅を殺すこと……それが、あんたらの目的だろ?」




「いいや、正確にはそれは、手段でしかない」




 一真に問われ、陽雅は即答する。だが、答えとしては肯定ではなく、否定だった。




「私たちの目的は、他にある。《転生体-ヘイムルギアン-》を消し去るのは、達成へのプロセスの1つでしかないんだ」




 陽雅に続けるように、無限が言った。どうやら観念したようで、表情は至って穏やかだ。




「なら、お前らの目的は……」




「ある男への復讐……そして、奴の計画を断固阻止することだ」




 虚無の憎しみを込めた言葉に、一真と暖は、他者に向けられた殺意を感じた。






「どこから、説明すべきだろうか……」




 悲しみの色を瞳に浮かべ、語り始めたのは無限だった。一真と暖を交互に見つめ、彼は唐突に、質問を投げかけた。




「君たちの仲間に、《神童》を名乗る雷の眷属が居たね?」




「《神童》……進藤?」




「雷の時点で勇気しか居ないだろ」




 無限の言う雷の眷属が勇気であると確信した2人は、言いながら頷く。それを確認した無限は、更に言葉を続ける。




「彼は君たちと初めて会話した時、言ったね? 『今の神が、この国を見捨てた』と」




「あぁ、言ってたな」




 一真の返答を受けると、無限は目を閉じ、表情を曇らせる。何かを迷うような雰囲気を感じた一真は、黙って次の言葉を待った。


 しばらくして、無限はようやく目を開き、告げた。




「……彼の言う『今の神』は、私なんだ」




「……はぁっ!?」




「正確には、“そういうことになっている”だけどね」




 驚愕する暖に視線を向けながら、無限は語り始めた。






 初代女神以降、人間界を見守る役目を与えられた神は、一定の期間ごとに交代を行うという形式を取りながら、代替わりを繰り返していた。


 無限も、その中の1神として、何代目かになる神の座についていた。話が反れるが、これは《上位神族》になるために必要な経験であり、数千年もの期間に渡りこの役目を成し遂げた後、神としてのランクが上がるのだ。つまり、無限は《笑与ノ神-ショウヨノカミ-・陽雅-ハルマサ-》に並ぶ神として、《無限ノ神-ムゲンノカミ-・○○》なる名を与えられる可能性があったのだ。だが、






「ある日、私はその可能性を永久に奪われた……」




『奪われた?』




「殺害されたのさ」






 いつもと何一つ、変わらない朝だった。


 起床し、朝食を取り、役目を果たすべく、アーヴァンクル神殿の《神の間》へ向かう。そこから見る人間界は穏やかな物で、魔物の襲来も微々たる量だ。もちろん、退魔士に無理の無いよう、対処は各国に振り分けていた。


 至極順調に、1日の仕事をこなしていく。根が真面目な無限は、全てのチェックを怠ること無く、人間界の隅々まで目を向けていた。


 ところが、問題は天界で起こった。『魔界側が天界への侵攻を開始した』という報告が入ったのだ。


 報告して来た大天使に詳細を聞くも、無限は俄かには信じられなかった。当時、魔界と天界は不可侵の取り決めがあり、それは何万年も前から続く伝統的な物だった。簡単に破棄するとは思えなかったのだ。しばらく考えた後、彼はすぐに魔界に赴くことに決めた。もちろん、単独では無い。腹心である先の大天使と、無二の親友である虚無神、インデストロアの2人を伴って――だ。




 天界には、魔界へ繋がる扉が存在する。魔界にも逆の物があるのだが、そちらは先述の取り決めの中で使用不可が義務付けられている。取り決めを破棄したとすれば、攻めてくるのは扉からだと考えられる。大天使と虚無を連れた無限は、天界から魔界に向かう扉へと向かった。




 そこへ到着しても、扉に異常は見られなかった。魔族が放つ魔力、威圧、それに類する物は感じられず、無限は安堵する。きっと、報告は何かの間違いだったのだ――そう結論付けた彼は、来た道を戻るべく、振り向いた。




 瞬間、両腕を失った親友の姿が、無限の視界に飛び込んで来た。




 虚無の表情が、驚愕に変わる。それは、一瞬のことだった。虚無が何かを伝えるべく口を開いたと同時に、無限は自分の背に、衝撃を感じた。




 腹部から現れた、虹色の刃……




 親友の叫びが音の波となり、無限の肌に訴えてくるが、彼の耳には何も届かない。




 引き抜かれた剣と、噴き出す血潮。




 次の瞬間、嫌な浮遊感が彼を襲った。身体は立ったまま、顔すら動かせずにいるにも関わらず、首だけが横に倒れていくのだ。世界が、自分を中心に回り始めた。




 落下したのだ。




 そして、鈍い音と共に、足元に転がった。




 痛覚は無く、視界は白くなり始めた。一瞬だけ映った親友の顔は、真っ青だ。




 無限が最後に見た物……それは、自分の首を見下ろす、蔑むような大天使の顔だった。






「これが、私の覚えている全て……ここからは虚無、お願いするよ」




「……あまり、良い記憶では無いのだがな」






 無限が事切れると同時に、彼の身体はゆっくりと倒れた。それを中心に血だまりが広がり、その中心に立った大天使は、狂気そのものだった。


 虚無は受けた衝撃を押し殺し、自分の両腕を探した。奴の持つ剣で斬り飛ばされたのは間違いないのだ、必ずある。




「ありませんよ」




 冷静な声が、虚無の考えを否定する。彼はそれに、更なる衝撃を受ける。今度は、押し殺すことが出来なかった。




「虚無の力を使うためには、腕が必要ですからね……消し去るのが最も安全な手段と判断しました」




 呟きながら、大天使は虚無に向かって歩き出す。思わず逃げ出したくなるが、虚無はその思考を切り捨てる。振り向いた瞬間、自分の命が消え去るであろうことは容易に想像出来たからだ。




「無限と虚無、強力な力を持つ故の慢心……それが、貴方たちの敗因です」




「……何のために」




 そこから先は、言葉に出来なかった。大天使の剣が、虚無の喉に突き刺さったのだ。




「《天地創造-アマテラス-計画》の遂行……それが、我々の目的ですよ」




 勢いよく飛ばされた首が、宙を舞う。そして、虚無の意識は急速に身体から離れていった。





 何も無い、空間だった。陽光に包まれたような穏やかな陽気だけが、満たされていた。ただただ、視界に入る物が何も無かったのだ。




「虚無?」




 名を呼ばれ、虚無は振り向く。すると、目の前には先程まで一緒に居た――否、首を斬り飛ばされていた親友の姿があった。




「無限か、どうなっている?」




「わからない……気付いたら、ここに」




 短い会話の末にわかったのは、互いにここが何処なのかわからないという点のみだった。それ故に、話題はごく自然と、大天使の凶行に関する物になる。




「《天地創造-アマテラス-》……虚無、わかるか?」




「聞いたこともない。だが、お前を殺し、神の座を空けたことをプロセスとするなら……その目的は恐らく、人間界の掌握だろう」




 虚無の仮説を聞いた無限は、眉をひそめる。大天使である彼は、役目を果たしても《上位神族》にはなれないし、そもそも神殺しは大罪――天界追放すら考えられる。メリットは何も無いのだ。




「奴は『我々の目的』と言った。単独ではメリットが無くても、集団として成し遂げることでメリットが生まれるのかもしれない」




「……計画の全貌を掴む必要があるな」




「どうするつもりだ? 我々は殺された身、閻魔界で人間に転生した所でどうしようも無いぞ」




 そう、恐らくはこれも目的の1つなのだ。すぐに転生出来たとしても、《原初の神々》や《上位神族》でない限り、転生後の人間に意識を残すことは出来ない。転生した瞬間、打つ手が無くなる所か、存在も消えてしまう。




「転生せずに情報を集めるのは、可能だろうか? 集めた情報を閻魔に渡し、対処してもらうのはどうだ」




「閻魔が現世に干渉できるとは思えないな」




 あれもダメ、これもダメと、いくら考えても良案が浮かばない。無限の考えを虚無が否定し、虚無の考えを無限が否定する。それが何度も繰り返された後、2人は同時に黙り込んだ。どうやら、案は出尽くしたらしい。




「……なんだか、面白そうなことを話しているね」




 唐突に、声が響いた。とても若い、子どものような声なのだが、それに込められた力は、2人の神が震えあがる程の物だった。




「僕も混ぜてよ、良い考えがあるんだ」




 姿を現したのは、やはり子どもだった。しかし、同時に2人は理解した。彼が、自分たちより上位に位置する存在であることを、本能的に悟ったのだ。




「ただし、相当な無理をするよ? だけど、凄く面白いと思うんだ!」




 その言葉が、全ての――殺害された2人の魂を呼び寄せ、自分の支配する空間に放ち、干渉してきた《笑いの神》による、打倒《天地創造-アマテラス-計画》――の、始まりだった。






 全てを語り終えた無限と虚無は、互いに目を閉じ、黙り込む。ここから先の説明を陽雅に託す素振りも無い所を見ると、とりあえずの説明は以上なのだろう。




「……嘘では無いみたいだな」




 暖に向かって言いながら、一真は左目を閉じる。次に左目を開けると、全知の眼の紋章は消えていた。




「《天地創造-アマテラス-計画》……一真、計画の全貌って、頭に入って来たか?」




「あぁ、一応な」




 暖に問われ、一真は陽雅たちを見ながら答え、続ける。




「“天界による《人間界と魔界の支配》”か。よくわかったよ、お前らの目的」




「一真たち《転生体-ヘイムルギアン-》の力を利用して、2つの世界を武力支配する計画だから、2人を殺そうとした……力を持ち過ぎたオレも、利用される前に消す。それによって、3人は再び神として転生し、天界で大天使を止める」




「そう、それが僕らの計画さ」




 両手を上げ、陽雅が肯定の意を示す。つまりは、一真たちの死は彼らにとって時間稼ぎでしか無いということだ。




「途中までは無限のこと、良い神様だと思ったんだけどなぁ」




 呟きながら、暖は寂しそうに俯く。自分の中に居た神々に少なからず失望を感じてしまったことに、落胆を隠せずに居た。




「よく覚えておけよ、暖。復讐は人格を変えるし、身を滅ぼすぞ」




「無限たち本人を前にして、よく言えるなお前……そっちこそ身を滅ぼされそうだろ」




「いや、オレもう身体ねぇし」




「笑えねぇよ! ……って、そうだよ!」




 一真とのやり取りの中、暖は弾かれたように顔を上げ、一真に視線を向ける。




「このままだと、一真だけじゃなくオレも、沙織ちゃんもヤバいんだった!」




「そうだな、どうする?」




「どうするって……」




 暖に問う一真の視線。それに込められた想いを、暖は感じた。自分の中にあった、強い力。仲間を護ることが出来る力。だが、その力は復讐心によって生まれた力だった。それらとの折り合いを、暖自身がつける必要があるのだ。




「……さて、無限に虚無。僕らの計画はどうしようか?」




 唐突に、陽雅が振り向き、2人に向かって微笑む。虚無は無反応だったが、無限は溜息を吐き、腕組みをする。




「久城一真の言う通りさ……復讐は身を滅ぼす。その末路なんて、こんな物だろ」




「そう? 彼らと戦うっていう道もあると思うけど」




 陽雅の言葉に、一真が身構える。だが、無限も虚無も、揃って首を横に振った。




「笑与、わかっているんだろう? 私たちは既に、他の道に掛けることにしている」




「三位一体の身だ、わからないとは言わせぬぞ」




 無限と虚無の言葉に、今度は陽雅が溜息を吐く番だった。そして、まだ答えの出せずにいる暖に振り向き。言った。




「暖くん、僕らの総意を伝えるよ」




「総意?」




「僕らの力を全て、君に渡す。僕らは消えるから、あとは好きにしていい」




「……はぁ!?」




 暖の叫びが、辺りに木霊した。





 無限の力、虚無の力、笑与の力。3つを全て、暖に渡す。そして、彼らは消える。好きにして良い。


 一見、好条件だ。力の使い方は、一真が全知の眼で情報を得て教えるか、今の暖なら自ら情報を得ることが出来る。だが、




「ちょっと待ってくれよ! 勝手に決めんなって!」




 暖は、その条件を呑まなかった。同時に、陽雅は気付く。暖が言った瞬間、一真が両目を閉じ、満足気に微笑んだことに。




「オレ、陽雅はともかく、2人の気持ちはわからなくもないんだ。復讐はしないに越したことは無いけど、したい気持ちを持つのは仕方ないって言うか……」




 少しずつ言葉を紡ぎながら、暖は考える。どうすべきかではない。自分が、どうしたいかなのだと、彼は心の奥底で理解し始めていた。




「……《天地創造-アマテラス-計画》は、止めなきゃいけない。それには、3人の力も必要になると思うんだ。いや、力ってのは無限とか虚無のことじゃなくて、気持ちっていうかさ――だから、3人にはオレの中に居てほしい!」




 そこまで言うと、暖は3人に向かって歩き出す。無限と虚無はそれに驚くが、陽雅は不敵に笑い、暖に向かって歩き出す。




「具体性は無いけど、気持ちの込められた良い言葉を紡いだと思うよ? もう一言だね」




「あぁ、もう決めてある」




 言葉の足りないやり取り。だが、足りない部分を補う《絆》が、2人の……いや、“4人”の間に結ばれ始めていた。


 互いに向き合う、陽雅と暖。しばし見つめ合った後、暖は緊張の面持ちで、掌を上に向けた右手を、陽雅に差し出した。




「3人の力を、貸して欲しい。仲間を護るために。親友を救う為に。そして、《天地創造-アマテラス-計画》を止めるために」




「全部を叶えるつもりなんだ……欲深いけど、面白そうだね」




 暖の言葉を受け、陽雅は満面の笑みを浮かべ、暖の右手に自分の右手を重ねる。




「気に入ったよ。喜んで力を貸そうじゃないか」




「ありがとな……おっ?」




 陽雅に視線を向けていた暖は、歩いてくる無限と虚無に気付いていなかった。2人は陽雅の左右に立つと、無限は微笑みながら、虚無は溜息を吐きながら、そろって右手を重ねて来たのだ。




「……改めてよろしくな、3人とも」




 目を閉じつつ暖が呟くが、既に3人の姿は無かった。暖の心の、もっと深い所に帰っていったのだ。だが、居なくなったわけでは無い。姿は無くとも、心は暖と共にある。


 暖は自然と、3人と重ねた掌で、自分の左胸に触れる。自分の鼓動が手に伝わり、心なしか力強く脈動している。暖はそのまま振り向き、目を開いた。




「……本当に、良かったのか?」




 その視線の先には、心配そうに自分を見つめてくる、親友の姿があった。





 一真の言葉に、暖は首を傾げて見せる。それを見た一真は、先程の虚無と同じように溜息を吐き、暖に向かって歩き出す。




「これでお前は、あいつらの力を借りて、オレたちみたいに人間離れした能力を得たわけだ」




「そうだな」




「もう一度聞くけど、本当に良かったのか?」




 ここで、暖は気付く。久城一真という人間――自分が親友と呼ぶ唯一の男――が、何を言わんとしているのかを。




「オレはお前ほど、心から力を求めている人間を知らない。そして同時に、お前ほど“人間でありたい”と思ってる人間も知らない」




「……そういうの、何でわかるかな――全知の眼? それとも、魔法使いだからか?」




「如いて言うなら、オレがお前の“友達”だからだろうな」




 暖の問いに、一真は迷いなく答える。暖は密かに、一真のこういう面に憧れていた。魔法が使えることよりも、自分の心に真っ直ぐに向き合い、心からの言葉を他者に伝えることができることの方が、羨ましくあったのだ。


 一真は暖の目の前まで歩いて来ると、足を止め、腕組みをする。




「お前が1年も『親友、親友』言ってるから、うつったんだろうな」




「ははっ、計画通りだ」




 満面の作り笑いを浮かべる暖に、一真は暖かな眼差しを向ける。未だかつてない視線に、暖も自然と、偽りの笑顔を解いていた。




「……自分が普通の人間じゃないって、怖いんだよ」




「ん」




「半魔になった時の沙織ちゃんの気持ち、凄くわかるんだ。そりゃもう、超怖いんだよ」




 呟く暖の顔が、泣きそうに歪んでいく。だが、暖は涙を流さない。堪えているのかはわからないが、そのまま言葉を紡ぎ続ける。




「でもさ、オレの大切な人たちって……人間離れした奴らばっかりじゃん?」




「そうだな」




「だからさ、良いんだ」




 その表情には、迷いも、歪みもなかった。ただただ真っ直ぐに一真を見つめ、力強い眼差しを送り、言った。




「今のオレは、人間から離れることよりも、みんなを護れないことの方が、何倍も嫌だ」




 暖の視線を、一真は黙って受け止める。込められた想いが、強い想いが、伝わってくる。




「……お前が真面目なこと言ってると、調子狂うな」




「うるせぇよ」




 互いに言葉を交わすと、2人は楽しそうに微笑み、どちらからとも無く右の拳を突き出した。




「お前の力、貸してもらうぞ? 暖」




「任せろ。必ず一真を、みんなを護る!」




 2人の拳が今、交わされた。


























 目の前に迫る、異形の獣……距離にして、約3メートル。






 自分を護ろうと飛び出した暖を引き止めるべく、沙織は手を伸ばす。だが、この状況下での回避が不可能であることは、明らかだ。






(せめて、暖くんだけは……)






 その想いだけを胸に、沙織は暖と獣を見つめ続ける。






すると、突然――沙織の指が暖の身体に触れる、刹那――










――《付加・虚無-アディル・ノス-》










 小さく、穏やかな声が、響いた。






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