魔法使いの友
「――自ら魔力を使い切るなんて、何を考えてるんだ」
一真の亡骸を見下ろしながら、黒は右手を下ろし、暖に視線を向ける。その手に握られた魔銃を一瞥すると、眉をひそめた。
「川島暖……自らの命をかけて託した魔銃……何の意味があるんだ」
「……知ったこっちゃ無いわよ、そんなこと」
黒の呟きに、愛が答える。俯き、拳を握り、身体を、声を震わせながら、言葉を紡ぐ。
「カズが暖に何を託したかなんて、どうでも良い」
愛が言葉を発する度に、愛の両腕と両足の紋章が、赤く明滅し始める。明滅のテンポは徐々に速くなり、それに応じて、紋章がゆっくりと、回り始める。
「はっきりしてるのは、1つだけ」
愛の髪が、逆立つ。そして、明滅していた4つの紋章の輝きが、黒く染まった。
「あんたをぶっ殺してでも、カズを取り戻す!」
愛が叫ぶと同時に、愛の隣から闇が溢れ出す。隣……豊の立っていたはずの地面から、それは溢れ出していた。
「……雅」
闇の中から、豊の声が聞こえる。豊に呼ばれた黄緑色のカーバンクル、雅は闇から飛び出し、ウサギに似た2つの長い耳を身体に巻き付け、黄緑の光となる。
「溶、潜」
雅と同じように名を呼ばれ、紅色と蒼色のカーバンクル、溶と潜も闇から飛び出し、それぞれの色の光になる。
「……暗」
最後に呼ばれたそれは、豊を包んでいた闇そのものだった。闇は豊の頭上に集まり、漆黒のカーバンクル、暗に姿を変え、豊の頭に着地する。
「豊ぁぁぁぁぁぁ!」
「風、火、水、闇――“四霊獣化”!」
愛と豊が叫ぶと、暗が愛に向かって跳躍する。3色の光は暗の回りを飛び回り、共に愛の身体に入っていく。瞬間、愛の身体を白い焔が包み込んだ。
「グルル……」
白い焔から出てきたそれは、先ほどまでの愛とは思えない姿となっていた。白い焔を纏い、前足と後ろ足には漆黒の爪、頭から尾に向かって伸びる2本の長い角、両目を隠すようなバイザーと、伸びた犬歯。4匹の精霊を宿した愛が、そこに居た。
「凉音、意識はある?」
「グルアァァァァァ!」
「……どっちでも良いか」
豊の問いに答えることなく、愛は魔物に向かって突っ込んで行く。意識があろうが無かろうが、愛が取りそうな行動とも見えるため、判断がつかない。だが、豊は止めるつもりは無い。豊の目もまた、愛と同様に怒りに満ちていた。
「――“神法、迅雷化”」
「“重忍法、重鎚裂衝”!」
続いて動いたのは、勇気と恋華だった。勇気はその身に雷を纏い、目にも止まれぬ速さで魔物を焼き払う。一方の恋華は、部分的に重化した右手で足元を殴りつける。船全体が振動したかと思うと、黒の足元から、鋭利な形をした漆黒の物体が飛び出す。
「ブラックホール……直接狙って来れるのか」
呟きながら、黒はそれを易々と避け、一真の亡骸の脇に屈む。
「逃げるのも、大変そうだな」
言いながら、黒は一真の襟首を掴む。すると、
「……触らないで」
冷たく、威圧するような声が、黒に向かって放たれた。
声の主は、梨紅だ。血が滲む程に強く華颶夜を握り、涙を抑えることなく、しかしどこか厳かな印象さえ受ける声で、更に続ける。
「その手で、一真に、触らないで」
梨紅の声は、黒の耳にも届いている。しかし、黒は一真の襟首から手を放すことなく、梨紅に視線を向ける。
「久城一真を生かしておきたくないオレと、是が非でも生かしたいお前ら……意見が合わないのは、わかりきってるだろ」
黒の言葉は、梨紅の言葉と同様の冷たさを孕んでいる。それは、決別を意味することを、誰もが理解していた。黒は梨紅から視線を外し、それを天井に向ける。一真を持つ手はそのままに、反対の手を天井に伸ばした。
「“ファム=ブルーラ”」
黒が呟くと、その手から、蒼い火球が放たれる。一真が使用していた、ヴェルミンティアの火属性魔法だ。蒼い火球は真っ直ぐに天井に向かっていく。だが、
「――“アロア=シリウル”!」
火球が天井を破壊しようとした、その時。水色の防壁が現れ、火球を打ち消した。蒼い炎が霧散する中、黒の視線は、魔導隊の先頭で杖を上げる、1人の女性に向けられた。
「逃がすわけないでしょ? 一真は、私たち全員の恩人であり、仲間よ」
青いショートカット・ヘアを微かに揺らし、マナ・リップ・リバティが言い放つ。それに同調するように、先程まで狼狽していた魔導隊の面々も強く、頷いた。その目には、確固たる意志が感じられる。
「……全、隊員の魔導リミッターを、解除」
麻美の言葉と同時に、全ての隊員の腕に巻き付いていたリングが、桃色の光を放ちながら外れていく。心なしか、隊員達が杖を掴む手に、力が込めらたように感じる。
「敵性を黒に変更、久城一真の奪還を優先!」
『了解!』
魔導隊全員の、士気が高まる。それは、一真の言葉がもたらした現象だった。彼の叱咤があってこそ、彼らの心が1つになったのだ。
「盾の呪文を使える者は、マナとミナを中心に防護壁を! 黒を逃がさないで!」
麻美の号令の下、多くの隊員が杖を上げ、壁や天井に防護魔法をかけていく。凄まじい速さで壁が覆われ、既に逃げ道は無い。
「――ふん」
だが、黒は慌てる様子もなく、短い嘆息の後、杖を上げる魔導隊の一角に手を向ける。当然の狙いと言える。魔法を使う魔導師が居なければ、防護壁も消えるのだ。
「“ラナグレード=フォズライト”」
放たれたのは、今まで誰も見たことの無い魔法だった。掌から現れた魔法陣は、無数の闇色の剣を吐き出し、魔導隊に向かって飛ばす。攻撃要員の魔導隊員たちが火球や風刃で打ち消そうとするものの、剣は魔法を切り裂き、魔導隊に向かって行く。
「――イージス!」
声が響く。同時に、金色の球体が現れ、防護壁を張る魔導隊を包み込んだ。闇色の刃は球体に触れると、弾かれ、地に転がった。
「私が、護ります!」
魔導隊の先頭に現れた少女、金色の球体、絶対防壁-イージス-を携えた凉音友美は、真っ直ぐに黒を見据え、言い放った。
「友美ちゃん!?」
驚いたのは、恋華だ。どうやら、友美が“イージス”を持っていることを知らなかったようだ。何せ彼女は、昨年の夏に使って以来、決してそれを使っていなかったのだ。存在を知る沙織達でさえ、友美が飛び出した時は肝を冷やした。
「……絶対防御か、確かに厄介だ」
黒は呟くと、魔法陣を横にスライドさせ、新しい魔法陣を作り出す。それは、平面の魔法陣では無く、球体型の魔法陣……異世界メフィカンタのそれだった。
「“ウィヅィン・ベルルグ”、召喚」
黒が言うと同時に、球体の中心に魔力が集まり、何かの形を作り出す。それは、巨大な鳥だった。漆黒のそれは、体調数メートルはあるカラスにも見える。だが、禍々しく輝く目が5つ、異様に動いていた。
「“ベルルグ・ドゥライス”!」
恐らく、黒鳥ベルルグへの指示なのだろう。黒が叫ぶと、ベルルグは巨大な翼を羽ばたかせ、舞い上がり、友美に向かって突き進む。だが、その行動に違和感を覚える。突進するなら、嘴は閉じたままの方が威力は高そうなものだ。さながら、槍による一撃を思わせるその発想は、ベルルグが嘴を限界まで開いたことで、消え去った。
「突進じゃない! イージスごと食べるつもりだ!」
最初に気付き、注意を呼びかけたのは正義だった。だが、気付いた所で、対策を瞬時に考えられるほどの対処能力は誰も……
「“赤の刃-ラヴェルディラ=ヴァーラ-”!」
「“闇火の剣-リュラサード・ダルク・パラディア-”!」
イージスにベルルグが触れる刹那……その身体が、嘴から尾にかけて、×印に切り裂かれた。
「ミジンコが、お兄様の姿で暴れてんじゃないわよ」
「ミジ……何にしても、友美さんは私たちが守ります」
杖から、赤く揺らめく光の刃を出したプチ子と、漆黒の炎を纏う剣を構えたハウルが、初対面とは思えない息の合い様を見せる。直後、2人の背後でベルルグが爆発と共に散った。
「どうしたもんか……」
ここに来ても、黒の表情に焦りは見えない。呼び出した魔物はまだ、半数以上残っているものの、消えるのは時間の問題にも関わらず、だ。加えて、脱出も難しい。残された道は、唯一だった。黒は一真の身体を空中に投げ、魔法陣で自分の周囲に固定する。
「押しとおるしか、無いな」
その言葉は、本当に仕方なく、至極面倒な様子で放たれた。同時に、黒の身体から魔力が吹き出し、空間を埋め尽くさんばかりに侵食し始めた。
「魔力……沙織ちゃん!」
「大丈夫よ、暖くん」
沙織の身体を案じた暖だったが、沙織は二つ返事で対応する。だが、暖は気付いていた。
沙織の肌が、手先から徐々に、漆黒に染まっていくことに……
「その、指……」
「うん、少しずつ、人間から離れてる」
暖の想いを他所に、沙織は平然と言い放つ。それは、自分の身体が、人と魔族の間に在った自分が、徐々に魔族に近づいていることを受け入れている言動だった。
「正直に言うとね、怖かった。半魔になった時、人間じゃなくなった時」
沙織の、そして暖の脳裏に、1年近く前の記憶が過る。一真の部屋で、沙織は一命を取り留めたものの、純粋な人間としての命は尽きたのだ。
「それでも今、こうしていられるのは、暖くんが、梨紅が――皆がいるからだと思う」
沙織は言いながら、大鎌を地に突き刺し、両手を広げる。そう、黒の放つ魔力を受け入れるように。
「ここに居る人たちは皆、私の大切な友達で、仲間だから……」
沙織の身体を、闇が包み込む。闇は漆黒の着物となり、沙織はそれを纏う。伸びた爪は薄い紫に染まり、側頭部から2本の角が突き出し、顔には爪と同色のラインが現れる。
「だから、護りたい。その為なら、受け入れるよ」
紫に輝く両目に、不安は無かった。完全に姿を変えた沙織は、大鎌を掴むと、片手で回転させる。すると、大鎌は更に大きく、そして禍々しい形状に変化した。同時に、沙織の背中から漆黒の――蝙蝠のそれに酷似した――翼が生える。
「“魔族化-アジェクト・ベルグ-”」
完全なる魔族化。沙織は大鎌を構え、暖に背を向けたまま歩き、梨紅の横に並ぶ。
「沙織、意識はある?」
「うん。不思議なぐらい、いつも通りよ」
沙織の返答に、梨紅は胸を撫で下ろす。しかし、同時に微かな罪悪感が、梨紅の全身を駆ける。
「……ごめんね、沙織」
「何が?」
「私……」
梨紅の様子が気になり、沙織は梨紅に視線を向ける。瞬間、その背筋が凍りついた。
「私、抑えてられない」
殺気に満ち、虚空を見つめるその瞳。黒から放たれた魔力を全身に纏い、梨紅は咆哮した。咆哮は愛と勇気の動きを止め、プチ子とハウルの髪を靡かせ、友美のイージスはそれを攻撃と感知し、金色に輝いた。
「梨紅、アリスは――!」
沙織が防護服の着用を促す中、それを無視し、梨紅は跳躍した。漆黒の帯が何層にも渡り梨紅の身体を包み込む。全身が闇に包まれる中、梨紅の手に握られていた華颶夜にも闇が纏い、形状を変化させる。大剣・蒼夜乃華颶夜と同等の大きさのそれは、あまりにも刺々しく、それ自体が殺意を放っているようだ。
「“魔族の体-ベルグ・パード-”の暴走――いや、あれが本来の姿なのか」
自分に向かって高速で飛び掛かってくる梨紅を見つめ、黒は両手を梨紅に向けて突き出す。
「闇の聖女……ベルグ・パードの“獣化-ビースト・リヴァル-”」
「ヴォォォォォォォ!」
梨紅の咆哮と共に、彼女が振り上げた華颶夜と、黒の作り出した魔法陣がぶつかった。瞬間、陽光と見紛う光が輝き、衝撃波が放たれた。
「何て、衝撃だ」
腕で口元を覆い、衝撃波に耐えながら、正義が呟く。梨紅や愛が先陣を切って斬り込む中、一真の残した言葉を胸に、正義は頻りに視線を動かし、情報を集めていた。一真を失った悲しみ、黒への怒り、それらを引き金に仲間が闇を纏っても、ただただ冷静であることを心がける。
(魔力を纏っているとしても、今城の剣は退魔刀――普通の魔法陣なら、例え防御用でも一刀両断のはずだ。つまり……)
「魔力だけじゃなく、退魔力への変換も出来るのか? 加えて、一真以上の発動スピード、誰も知らない魔法まで使ってくる……」
自分の考えを整理するように、正義は呟く。明確な弱点は浮かばず、攻撃に一定のパターンがあるわけでも無い。どうしても、黒の厄介な部分ばかりに目がいってしまう。対応策が何も浮かばない自分への苛立ち、動揺、それらがプレッシャーとなって、正義の心を抉り始める。だが、
「まー君、しっかり!」
「うっ!」
背中への強烈な一撃と共に、正義の心に熱が押し入って来た。熱が引くと、背中に痛みと冷たさが残り、正義の頭から雑念の類を吹き飛ばす。痛みに呻きながら振り向いた正義の目に、自分に向かって微笑む恋華の姿が映る。
「大丈夫だよ、皆がいるから」
「恋華……」
1人で背負うことは無い――そういう意図の発言だろう。恋華の注いだ熱が、囁いた言葉が、正義の心を満たし、絶望の淵から引き上げた。
「……そうだな」
言いながら、正義は視線を前に戻すと、両手で両頬を叩き、気合いを入れる。視線は真っ直ぐに黒を見据え、再び思考を巡らせる。その表情は先ほどと異なり、微かに余裕が出来たように思える。
「――隙を見て、一真を取り返す。恋華、とにかく手数を増やして攻撃するぞ」
「了解!」
言うや否や、正義は黒に向かって駆け出し、恋華は天井に向かって飛び上がる。その最中、梨紅と黒の間から再び、衝撃波が放たれる。
「荒々しいな……よく今まで抑えてられたもんだ」
梨紅の猛攻を魔法陣で防ぎながら、黒が呟く。梨紅から放たれる殺気が、退魔刀を媒体に伝わってくるのだ。今や漆黒と蒼の獣と化した梨紅は、蒼く輝く両目で黒をしかと捉えながら、その身体に一刀を叩き込むべく、退魔刀を振るっていた。
「グルァァァァァ!」
唐突に、もう1匹の獣が雄叫びを上げ、黒の視線がそちらに向けられる。白炎纏う愛は、目の前の魔物を切り裂きながらも、視線は黒から反らしていない。こちらも、魔物に相違ない殺気を放っていた。
「化物共が……ん?」
黒が苦々し気に呟く中、絶え間なく打ち込まれていた梨紅の攻撃が一瞬、止んだ。違和感を覚えた黒は、愛から視線を戻し、梨紅の様子を窺う。
「……嘘だろ」
黒の表情が、驚愕に染まる。その目に映ったのは、梨紅の遥か後方にある退魔刀……ゴムの如く伸びた右腕が、今まさに、こちらに帰って来る所だった。
黒は魔法陣に意識を集中し、衝撃に備える。加速度、腕力、重量、全ての相乗効果が働き、その威力は予想も出来ない。
風を斬る音と共に、退魔刀の剣先が迫ってくる。それを見ながら、黒は魔法陣から右手を外し、自分の背後に回す。左手だけで受け切れるとは思えないが、勝算があるとすれば、手段は1つに限られていた。
「紅蓮……」
黒が呟く中、左手の魔法陣に剣先が触れる。その瞬間、黒は魔法陣の角度を変え、受け流す形を取る。退魔刀と魔法陣が擦れ、火花が散る。同時に、背後に回していた右手を戻す。すると、
「華颶夜姫!」
その手には、一真の退魔刀、“紅蓮・華颶夜姫”が握られていた。黒は華颶夜姫を振りかぶると、梨紅の退魔刀の腹に叩き込む。その一撃は、梨紅によって力任せに扱われ、少しずつダメージを蓄積していた退魔刀に、引導を渡す形になった。
退魔刀は砕け、いくつかの破片となり、光を反射して輝きながら、黒の足元に降り注いだ。
黒の口角が、自然と上がっていく。退魔刀が折れた今、自分への対抗手段は大きく減少したと言っても良い。最も危惧していた物が、思いの外早く処理出来たのだ。
「――ぐぁっ!」
安堵しかけた黒だったが、自分の背後から響く呻き声に、再び気を引き締める。首を左に回し、背後――久城一真の身体に視線を向ける。それと同時に黒の視界に入って来たのは、苦しげに顔を歪ませる桜田正義だった。
一真の身体を空中に放置するほど、黒は甘く無かったのだ。触れた者に、麻痺に似たショックを与えるトラップが仕掛けられており、正義はそれに掛かったらしい。黒は正義に視線を定めると、振り下ろした華颶夜姫を水平に捻り、振り返る勢いを使い、正義の首に向かって振るった。
「“重変-後方500-”!」
自ら動くことが出来ない正義に、華颶夜姫を避ける術は無かった。だが、一刀が首を捉える寸前、正義の身体が後方に跳び、華颶夜姫が空を斬る。寸前に聞こえた声から、恋華による重力操作だと判断した黒は、華颶夜姫から右手を放し、飛んでいくそれに見向きもせず、恋華の姿を探す。
「“グラビティ……」
声は聞こえるのだが、姿が見えない。声の響く方向から、正義側に居ると判断出来た物の、そちらには、跳んで行く正義の姿しか無い。
「――影か!」
「インパクト”!」
黒が気付いた時には既に、正義の影に身を潜めていた恋華が姿を現し、自分に向けて、漆黒の鎚グラビテスを振り上げようとしていた。
黒は咄嗟に右足を上げ、恋華のグラビテスに足を乗せる体勢を取る。グラビテスの動きに合わせて右足を動かす。衝撃を減らすように引きの動きをしつつ、衝撃が放たれる一瞬を逃さず、右足に体重を乗せてグラビテスを踏みつけると、グラビティ・インパクトによる衝撃を利用し、上に向かって跳躍した。
黒、左手の魔法陣、そして一真の身体が宙を舞い、天井に向かって上昇していく中、黒は空中で身体を捻り、梨紅たちに視線を向ける。
地上から黒を見ているのは2人――打ち上げた恋華と、白炎の獣だけだ。黒はそれに、違和感を覚えた。
(――今城梨紅は?)
そう、梨紅の視線がこちらに向いていないのだ。黒は梨紅の姿を見つけると、その行動を注意深く観察する。
バラバラに砕けた華颶夜を前に、梨紅は動きを止めていた。だが、唯一……梨紅の身体で、動いている部位があった。黒く、長い尾が、まるでクラゲの触手の如く、忙しなく動いているのだ。
だが、それも数秒間の出来事だった。1本の尾だったそれは、唐突に動きを止め、後方に向かって真っ直ぐに伸ばされる。すると、尾の付け根が徐々に、膨らみ始めた。
「何を……」
眉をひそめ、黒が呟く中、梨紅の身体が急速に変化していく。まず、膨らんだ部分から8本の尾が飛び出した。最初の1本と合わせ、梨紅の尾が9本になったのだ。それらは、梨紅の前にある華颶夜の破片へと伸ばされ、取り込んでいく。全ての破片を綺麗に吸収すると、9本の尾の先が、明らかに鋭利な形状に変化した。
「ヴォォォォォォォ!」
梨紅の雄叫びと共に、9本全ての尾が、黒に向かって伸びていく。梨紅は黒に視線を向けていないのだが、まるで背後に目があるかの如く、精確に狙って来ている。
「ちっ……」
数の多さに、黒の頬が微かに引きつる。だがそれは、あくまで『対処が面倒であること』に対する反応のようで、どこか余裕な雰囲気は健在だった。
黒は両手を前方に伸ばすと、最初に使用していた魔法陣を中心に、8つの魔法陣を作り出し、攻撃に備える。すると、
「グルル……」
「うぉっ! いつの間に」
完成した魔法陣の1つに、愛の姿があった。どうやら、黒が梨紅に視線を向けている内に、跳躍して来たらしい。愛は前足の爪を魔法陣の上部に引っかけると、魔法陣越しに黒を睨みつける。
「こっちはこっちで、まるで魔物みたいだな」
呆れた様に言うと、黒は微かに嘆息し、愛の顔を一瞥する。目のバイザー以外は白炎を纏っており、表情は読み取れないのだが、バイザー越しに、愛の瞳が見えたように思えた。
そう、“怒りの炎を宿した、強い光を放つ瞳”が……
「――お前、まさか」
「“紋章破壊-スペル・ブレイク-”!」
白炎が薄れ、口角を上げた口元が現れると同時に、愛は魔法陣に引っかけていた爪を外し、右の後ろ足を振り上げた。足は目の前の魔法陣に微かに触れたのだが、にも関わらず、まるでガラスの様に、魔法陣が砕け散った。いや、それだけに留まらない。他の8つの魔法陣も、連鎖するように砕け始めたのだ。
「“紋章術士-スペル。ドライバー-”の力か」
「残念、外れよ」
愛は空中で回転すると、足元に正方形の紋章を作り、着地する。身体全体が白炎を纏っていた先ほどまでと異なり、身体の数か所に白炎を集中させた形態のようだ。長かった角も、短くなっている。
「どうにも、私は作るより“壊す”方が得意みたいでね……紋章術士の能力に加えて、ちょっと特殊な技も習得したわけよ」
言いながら、愛は手元に五角形の紋章を作り出す。紋章は愛の指先で回転し、黄色の光を放って輝き始めた。だがすぐに、紋章は作った本人の手で、無残にも握り潰されてしまう。愛はそのまま、握った拳を真っ直ぐに、黒に向けて突き出した。
「“紋章破壊者-スペル・ブレイカー-”……それが、私のもう1つの能力よ」
瞬間――愛のバイザーが外れ、怒りを孕んで真紅に輝く瞳が、黒に向けられた。
足元の紋章から跳躍すると、愛は黒の顔に向かって、白炎を纏った右拳を振りかぶる。恐らく、梨紅が放った9本の鋭利な尾と同時に襲ってくるであろう一撃……その対処法を、黒は脳内でシミュレートする。だが、
「雷龍閃‐ボル・スライオ‐!」
「大蛇の牙‐バジリス‐!」
雷を纏った槍と鮮血のように赤く輝く大鎌が、黒の後方から迫っていた。勇気と沙織だ。
「……“カムイ”」
それらから同時に身を護るべく、黒は飛翔魔法で加速を図り、天井に向かって飛び上がる。だが、魔導隊の防壁により、そのまま突き破ることは出来ない。無理矢理に破壊しようと思えば可能だろうが、背後に迫る彼らを相手にしながらでは、時間が掛かり過ぎるのだ。
黒は天井まで到達すると、空中で反転し、まるで重力を逆転させたかの如く、着地して見せた。
「身体1つでは、面倒だな」
そう呟くと、背後の一真を一瞥し、視線を地上に移す。こちらに向かってくる愛、勇気、沙織が視界に入るが、それらを敢えて意識から外し、地上全体を捉える。魔導隊や、そのなかでも突飛な戦力である麻美やハウル、あおい、そしてMBSF研究会の面々。決して気を抜くべきでは無い状況でも、冷静に思考する黒の様子は、普段の一真に酷似していた。
「魔力は使うが、仕方ないか……“ドラグレア”」
地上に向けて右手を伸ばし、黒は短く呟いた。すると、その手を中心に巨大な魔法陣が出現し、獣の唸り声が室内に響く。
「“リラケルプ”、“ファローネ”、“ファルクス”、“ベルデュラ”」
黒の詠唱は更に続き、その度に巨大な魔法陣が出現していく。その状況に、愛、勇気、沙織の3人は上昇を止め、視線を上に向けたまま、地上に向かって下降を開始した。
「クソが――面倒なもん出してきやがって」
「図体がでかいのはどうにでもなるわ……問題は、人型の2体よ」
「福音と幻惑、リラケルプとファローネよね」
3人が呟き、それぞれが顔をしかめる。ヴェルミンティアの鍵たる魔法たちは、一真の使用する魔法の中でも強力な部類にあり、対処にも相当な労力が必要となるのだ。
「“メリフィア”、“アヴィスラ”、“サヴォルガ”、“スタンベル”」
更に、4つの魔法陣が現れる。黒はほとんどの詠唱を省略し、9つの鍵を全て召喚してみせた。最初に魔法陣から現れたのは、漆黒に染まった龍――ドラグレアだ。更に言えば、首と両手だけではなく、尻尾や翼も生えた完全体……右手で大剣アヴィスラを掴み、左手をスタンベルの魔法陣に入れ、手首から先を龍の顔に変化させる。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
黒龍の咆哮が轟き、空間の全てを震えさせた。
「麻美姉、ハウルちゃん!」
地上の魔導隊、その隊列から飛び出し、あおいはハウルと麻美に向かって呼びかける。対する2人は、あおいの意図を全て理解したように頷き、それぞれの杖を天井……咆哮する黒龍を始めとした、魔法陣に向ける。
『“その身に宿す、9つの光……”』
杖の高さと各々の距離を等しく揃え、正三角形を作ると同時に、3人は詠唱を開始した。
「“我らが王より受け継ぎし、アロア、ライズ、グラル、エルク”」
「“我らが王より受け継ぎし、ファム、ダール、クード、スピノ”」
あおいとハウルが続け様に詠唱し、青、白、茶、黄、赤、黒、緑、クリーム色、8つの光球が正三角形の中心を漂い始める。
「……“我らが王より受け継ぎし、フィノ”」
麻美が詠唱すると、透明な光球が現れ、他の光球を纏め上げ、正九角形を作り上げる。同時に、3人の杖先が緋色の線で結ばれ、その中の光球は白い線で結ばれる。そして、白い正九角形が外接する、緋色の正三角形……それが更に外接する、大きな円が現れた。
『“異色なる光は、今ここに、1つとなる”』
詠唱が進み、彼女たちが作る魔法陣は輝きを増していく。全ての魔法陣は今や、金色の線で結ばれた神々しいものへと変化し、空間を埋め尽くさんばかりに巨大化していた。
「“聖なる魔を放つ、我らが王の遺した力”」
「“かけがえのないものを護る、正しき力”」
「“その意思を、呼び起こす”」
『“ヴァルシェント・ジオ・トゥルーフィノー=トゥルーラ”!』
3人の紡いだ言葉に呼応し、金色の魔法陣が輝きを増していく。そして、ゆっくりと……彼女たちが作り出した、9つの鍵を束ねた“救世の剣-ヴァルシェント-”が姿を現す。
「……9つの鍵を、融合したのか」
様子を見ていた黒が、呟いた。かつて一真が受け継がせた、9つの鍵。それらを1つにしたものが、麻美たちの魔法だった。ベルデュラの身体に、ドラグレアの顔と手足……リラケルプとファローネを肩に乗せ、ファルクスの翼を持った竜騎士こそが、ヴァルシェントだった。
『ヴォオオオオオオオオオオオオッ!』
黒龍と竜騎士、双方の咆哮が轟き、床や壁に亀裂を発生させる。天井こそ無事だったが、危険を感じた黒は、自分の出した魔法の影に身を隠しながら、地上に向かって壁を駆け始めた。
「麻美姉、操作は任せたよ!」
「全権限を、麻美=ルイズ・レーヴェルトに!」
あおいとハウルに応えるように、麻美は無言で首を縦に振って見せた。黒の出した魔法を全て、ヴァルシェントで破壊するべく、意識を集中させる。
竜騎士の出現に、魔導隊はもちろんのこと、勇気たちも内心で沸いていた。黒の魔法と同等の力を持つであろうそれにより、絶望しかけていた心に希望が芽生えたのだ。だが、
「……何でだよ」
ただ1人、暖だけが顔を青く染め、絶望の底に落ちたかのごとく、手にしている銃を見つめていた。
「……もう、一度」
力なく呟くと、暖は銃を握った右手を真上に伸ばし、左手でそれを支えるべく、右手を包む。視線と照準は真っ直ぐに黒龍ドラグレアに向け、後は引き金さえ引けば、一真の魔法――ディバイン・ブレイカーが放たれるはずだ。それが、この銃の能力なのだから。だが、
「ぐっ……」
二度、三度、引き金を引いてみるが、何かが放たれる気配すら感じられない。一真から銃を受け取ってから、何度となく試したが、結果は変わらなかった。託された物を使うことが出来ない悔しさ、悲しさが、暖の目を涙で滲ませる。
『……川島暖様』
暖の手元、銃に姿を変えた一真の魔石クロスが、静かに、暖の名前を呼んだ。
「クロス、どうすれば良い……? オレは、どうすれば――」
『大変申し上げ難いのですが、貴方にディバイン・ブレイカーは使用出来ません』
縋るような暖の言葉を遮り、クロスは率直に、現実を突きつける。淡々と紡がれた言葉は、あまりにも冷たく、まるで鋭い氷塊の如く、暖の心に突き刺さった。
『この銃は、所有者の持つ魔力、退魔力、それに近い物を使用し、大気中の魔力と退魔力を収束、放出するプログラムが組み込まれています』
「その、魔力とかに近い物っていうのは?」
『人間でいう“霊力”がそれに当たります。ですが、貴方には……』
クロスはそこで、言葉を切る。これ以上暖を傷つけないように、精一杯、言葉を選んでいる様子が、暖にもわかる。
「……言えよ、クロス。気にしなくて良いから」
暖は視線を天井に向けると、静かに目を閉じた。恐らく、これから告げられる残酷な現実を、受け入れようとしているのだろう。そして、僅かな逡巡の後、クロスは言った。
『……貴方には、発動に“最低限必要な霊力”すら、存在しません』
世界が、暖の感じていた世界が、褪せていく。音も、感触も、臭いも、全てが少しずつ遠ざかり、唯一残った“虚無感”が、彼の心に鈍い痛みを発生させていた。
「つまり、普通の人間なら使える銃すら使えないってことか」
呟きながら、暖はゆっくりと膝を折り、床に座り込んだ。両目からは涙が溢れ、頬を伝い、雫となって床に落ちる。
「なぁ、一真は何で、クロスをオレに渡したのかな」
『私には、わかりかねます。ですが、マスターの行動ですので、何か意味が――』
「だったら何で使えないんだよ!」
暖の心からの叫びは、龍たちの咆哮と、魔導隊の歓声によってかき消された。人々の耳には入らずとも、彼は叫ばずには居られなかった。
「普通の人間が持ってる力を、持って無いオレって何なんだよ!? 親友が死にそうな時に、何でオレは何も出来ないんだよ! 信じて託されたのに、どうしてオレはそれに応えられない! あいつが、最後の最後で渡したものを、オレは、オレ……は……」
「まるで“道化”だな」
泣き叫ぶ暖の耳に、心無い声が聞こえた。




