魔法使いの失踪
時を刻む音がする。1秒ごとに、針が回る。その音が、部屋に響く。彼がそれを数え始めてから、実に151万回を超えてなお、音は鳴りつづける。
ベッドで掛布団を被り、片膝を立てて座る彼の眼は、闇に沈んでいた。朝日が部屋に差し込んでなお、その眼に光が宿ることはなく、見る物全てを吸い込んでしまいそうな程の純粋な闇がそこに……彼の心には、あった。
時を刻む針は、また回る。それが12の数字を指した時、時を告げる鐘の音が響き渡る。彼はそれを、手も触れずに止める。いや、彼が止めたのかはわからない。彼は身動き一つとらなかったが、この部屋には彼しかいないのだ。彼の目覚まし時計は、3秒で自動停止する機能など搭載されてはいない。人力で停止せねば、5分は鳴ったままのはずだ。
時計が止まってから、数秒。彼、久城一真はベッドの上に立ち上がる。その動きは、普通の人間の動きとは到底思えない。微かに残像が残るその動きは、闇が動いているように見える。
「……パニエ」
一真が言うと、それだけで、ベッドの上に何かが落ちてくる。9本の尾を持つ黒猫、パニエだ。
「にぃ」
「出掛けてくる。学校は頼んだ」
「主、また私がテストを?」
「それまでには戻るつもりだけど、ダメだったら頼む」
一真はそう言って、右腕を真上に上げ、そのまま右に下ろす。すると、その手には紅蓮・華颶夜姫……否、時空剣・華颶夜が握られていた。
「どちらまで?」
「わからない」
パニエに即答し、一真は目の前の空間を切り裂いた。同時に、一真は時空剣を消し、時空の狭間へのゲートに手を掛ける。
「何処に行けば良いか……何をすれば良いか……わからない」
そう言って、一真はゲートの中に入る。それから数秒、後続者が居ないことを確認するように、ゲートは姿を消した。
「いってらっしゃませ」
聞こえていないであろう主人に向かって、パニエはそう言って、頭を垂れた。
時空の狭間を漂う感覚は、あまり良い物では無い。初回こそ必死で、感覚など意識の外にあったが、何度も繰り返す内に、一真はそれを意識するに至った。
プチ子を始めとした漂流者たちは、自分の意思とは関係なく、ここに投げ出されたのだ。否応なしにこの感覚を味わうことほど、不幸せなことはない。それに、プチ子のようになケースは稀だろう。大切な人との別れ、未知の空間への恐怖、そして孤独感……彼らがそういった状況に陥ったとすれば、全ては一真の責任になる。
「どうする」
一真は呟く。しかし、一真が自分の意思で発した言葉かはわからない。虚ろな目の揺らぎが、口の動きの少なさが、違和感を発していた。
「全員助けて、元の世界に戻すか? 哀れな魔物たちのように」
「……戻すさ、いつか」
「いつか……都合の良い言葉だ。お前はそうやって、先延ばしにすることしかしない」
「なら、今すぐに」
「できない」
一真の口から、否定の言葉が放たれる。だが、それが一真の言葉でないことは確信できる。
「お前の考える『仲間を巻き込まずに』1人で解決するとう方法は、現実的には不可能であり、自分には何でも出来るというただの思い上がりだ」
「……お前、誰だ?」
自分の思考、自分の感情を持つ、もう1つの意思にでも語りかけるように、一真は呟く。そして……
「オレは、お前の力……”ナイトメア”だ」
声は、応えた。
一真が異世界へ向かったことは、パニエを通じて梨紅たちの耳には入っていた。だからこそ、梨紅以外のメンバーは深く心配はしなかった。
それが間違いだったことに気付いたのは、一真が異世界へ向かい、学年末テストが終了し、そのテスト返しまで終わった、更に1週間後……あと数日で、3月に入ろうという時だった。
「流石に、遅すぎる」
MBSF研究会の部室、自分の席に着いている正義が、代表して言った。それに対して、暖、沙織、恋華、愛、豊、勇気が頷く。全員が、異常事態であることに気づいていた。
「……私は、何週間も前にそう言ったもん」
梨紅だけが頬を膨らませ、不満そうに口を尖らせている。梨紅は、一真が異世界へ向かったその日から、遅すぎると言っていたのだ。
「いやだって、梨紅のはいつものことだから……」
「5分で遅いなぁって言うじゃない」
「ふんっ」
沙織と愛に言われ、梨紅は明後日の方向に顔を反らす。
「何にしても、情報を集めよう……パニエ、一真の行先に心当たりは無いんだったな?」
「ない」
正義に聞かれ、パニエは即答する。
「主も、『何処に行けば良いか、何をすれば良いか、わからない』と、仰っていた」
「それは、可笑しな話だろ」
口を挟んだのは、暖だ。それに対して、沙織が首を傾げながら、問う。
「何が、可笑しいの?」
「だって、一真には”全知の眼”があるでしょ? わからないことなんて、あるわけないじゃん?」
「そうねぇ……暖くんにしては、まともな意見ね」
「眼が使えない理由があるのか……その理由を探しに行ったって可能性もあるんじゃないか?」
沙織の言葉を完全に無視し、暖は他のメンバーに向かって言う。無視された沙織を始め、全員が驚く中、正義はメガネを右手中指で押し上げ、頷いて見せる。
「確かにあるが、しかしあくまで可能性だ。そして、もしそれが正しかった場合、オレたちに出来ることは……」
正義はそこで言葉を切り、続きを飲み込んだ。異世界に行く術を、この場に居る誰も持ち合わせていないのだ。手伝おうにも、一真を追いかけることも叶わない。
沙織たちもそれを察したのか、俯き、目を伏せる。腕組みをする者、悔しそうに唇を噛む者、心配そうに眉をひそめる者、色々なリアクションがあったが、ただ1人、首を傾げる者がいた。
「……え? 皆、何落ち込んでんの?」
『え?』
暖の言葉に、全員が暖に視線を向ける。暖はそれを気にも止めず、自分のバッグを掴み、部室の出入り口に向かって歩き出す。
「ほら、早く行こうぜ?」
「ダンくん、何処行くの?」
「いやいや、何言ってんの? 恋華ちゃん」
暖は不思議そうに恋華を見つめ、さも当然のことのように、続ける。
「異世界と言えば、ヴェルミンティアの魔導隊じゃん」
『……なるほど!』
梨紅、愛、豊、恋華、そして勇気が言った。驚くべきことに、暖に言われるまで、誰もが失念していた。今、彼らの世界にはある意味で、一真以上の異世界のプロフェッショナルが無期限滞在中なのだ。だが……
「いや! でも待て、そうか、ヴェルミンティアか」
「あぁ、少し考える必要があるな」
勇気と正義が、難色を示す。勇気は頭を抱え、正義は腕組みをし、目を閉じる。
「何だよ、頼るのを躊躇うような問題があんのか?」
暖の言葉に、2人は暖に視線を向ける。
「言っちまえば、まぁ」
「その通りだ」
2人の回答を聞いた暖は、自分の席に戻り、バッグを机に置いた。
「もちろん、説明してくれるんだろ?」
「……仕方ねぇな」
真っ直ぐな暖の視線を受け、勇気が折れる。それに対して、正義は小さくため息を吐き、話始めた。
「オレと勇気は、一真から1つの仕事を任されていたんだ」
『ヴェルミンティア魔導隊の行動についての調査』
勇気と正義が一真に頼まれていたのは、これだった。
「昨年の大晦日、一真は、魔物を連れ帰る魔導士と遭遇した。その魔導士は一真から逃げる素振りがあったらしく、違和感を覚えた一真が、オレと勇気に依頼したんだ」
正義は、更に続ける。正月から始業式までの数日、正義は警察官を使い、海上基地に張り込みをさせていた。報告によれば、魔導士が魔物を連れ帰るのは午後9時以降、海上基地に入った魔物は、二度と姿を見ることはなかったとのことだ。
「ちなみにこれは、始業式に一真に報告済みだ。まぁ、それ以降に収穫は無いがな」
「逆にオレは、始業式では収穫無し、数日前にようやく情報を得られたわけよ」
そう言って、勇気は1枚の紙を取り出し、机の上に広げる。どうやら、何かのグラフのようだ。
「オレは、貴ノ葉町周辺の魔力推移を調査してた。大変なんだぜ? 魔導士増えたし、一真が居るし」
ようするに、ここ周辺の魔力量調査だ。魔法を扱う人間が居るだけで数値がおかしくなる、なかなか難しい調査な上、ここは魔導隊数百人と、世界的に致命的な魔法使いがいる町だ。2か月で調査が終わっただけでも、十分だ。
「そしてこれが、海上基地に入れられた魔物の魔力推移。基本値が500で、基地に入ってから8時間後に5万まで跳ね上がり、次の瞬間には0だ。どういうことか、言わなくてもわかるな?」
勇気の言葉に、女性陣が顔をしかめる。そんな中、暖は首を傾げつつ、言った。
「魔物を使った実験か?」
「お前、オレが何の為に言葉を濁したと思ってんだ? あ?」
「良いから答えろよ、そうなんだろ?」
「……あぁ、まず間違いない」
「だとしたら、それを行ってる理由が重要だな」
暖の言葉に、勇気を始めとしたメンバーは違和感を覚える。過去に、意識を失った暖が活躍したことはあったが、今回はしっかり勇気を見ており、意識は保っているようだ。それなのに、この一真のような暖はどうしたものだろうか。
「暖くん」
「何? 沙織ちゃ……」
唐突に名前を呼ばれ、暖は沙織に視線を向ける。すると、沙織は暖の頭を両手で掴み、自分の胸に引き寄せたではないか。
「……ヴッ!」
数秒の後、暖は鼻血を噴きだし、その場に崩れ落ちた。
『何してんの!?』
「いや、暖くんじゃないみたいだったから……やっぱり暖くんだったけど」
女性陣の絶叫に、沙織は苦笑して見せる。
「……さて、どうしたものか」
ほんのり顔を赤らめながら、仕切りなおそうとする正義だったが……
「良いなぁ、暖」
「鼻血、掃除しなきゃ」
羨ましがる勇気と、モップを準備し始めている豊を見て、思考を止めた。今日はもう、お開きで良いのではないか? と、思えたのだ。
「そうだな、掃除するか」
正義はそう言って、モップの準備を始める。沙織に説教をしている女性陣を余所に、正義たちは床の掃除と、暖の治療を開始したのだった。
「はひたほはは、はいほうひひひひっへみおうへ!」
「は? 何て?」
帰り道、顔をしかめつつ聞き返す勇気に、暖は鼻に詰めたティッシュを取り、言い直す。
「明日の朝、海上基地に行ってみようぜ!」
「一真に報告もしてないのにか?」
正義は暖に言って、首を傾げる。暖はそれに、頷いた。
「一真の捜索依頼を口実に、潜入調査だ」
『潜入調査!』
恋華と愛が、目を輝かせる。どうやら、潜入調査という言葉の響きが気に入ったようだ。
「良い考えだと思うが、一真無しのオレたちに取り合ってくれるか……」
「やってみなきゃわからねぇ」
「……そうだな、時間はどうする?」
「朝一!」
「なら、8時に海岸集合にしよう」
暖と正義だけで進めてきたが、どうやら反論は無いらしい。
「今日は解散で良いな? 今城」
「うん、皆、また明日」
梨紅が締めを行い、それぞれが帰路に着く。明日にはきっと、一真の足取りがわかるはずだと、梨紅は期待する反面、見つからないかもしれないという不安も抱いていた。
久城家1階奥、大量の書籍が保管された自室にて、真人は今日もPCに向かっていた。彼の仕事は、各国の魔法使いとの交流を深めること。そして、魔法関係の書籍の執筆だ。基本的な魔法体系は同じでも、それぞれの国で、魔法に特徴がある。真言魔法のみを使用するスピード重視の国、効率の良い魔法陣を追い求める効率重視の国、詠唱で威力アップを図る威力重視の国など、様々だ。それらを回り、書籍にまとめて各国の技術交流に役立てているのが、久城真人だ。
「ふぅ……」
休みなく4時間もPCに向かっていた真人は、流石に疲れたようで、椅子の背もたれに体重をかけ、目を瞑る。何せ、十数年分の情報をまとめているのだ、簡単に終わる仕事ではない。この数か月、真人はこの生活を続けている。
「ん? もう7時か」
部屋にかけてある時計を見て、真人はそう呟き、椅子から立ち上がる。すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ?」
「失礼します」
礼儀正しく挨拶をして、部屋に入って来たのはプチ子だった。それを確認した真人は、両手を上に挙げ、身体を伸ばす。
「んっ……カプチーノ、どうした?」
「お父様、お兄様は大丈夫なのでしょうか」
真っ直ぐに真人を見つめ、プチ子は言った。プチ子が自分の過去について話した翌日に、一真は失踪した。それを、彼女は気にしていたのだ。
「前にも言ったろう? 大丈夫だよ」
「でも、もう3週間も帰って来ていません」
心配そうに視線を落とすプチ子の頭を、真人は優しく撫でてやる。
「3週間という期間を、長く感じるか、短く感じるかは、人それぞれだ」
「では、お父様は長いとは感じていないのですか?」
「いいや、長いと思ってるよ」
言われたプチ子は、真人の顔を見て首を傾げる。
「でもね、必要なことだとも思ってるんだ」
真人が、父親が居なかったことで、一真は過度な責任感を持つ傾向がある。何かを護る機会が多く、それによって、傷つくことも多かったはずだ。1人で背負うことに、良いことなど無いのだ。信頼できる者たちと共有し、頼り頼られ、皆で背負うことが必要なのだと、気づいてほしい。それが、真人の想いだった。
「一真には、良い仲間がいっぱいいるし、これからも増える。もちろん、カプチーノもその1人だ」
「私もですか?」
「そうだよ。だから、一真を……お兄ちゃんを、助けてやってほしい」
「でも私、どうすれば良いか……」
不安そうな表情をするプチ子に、真人は微笑む。
「言ったろ? 一真には、良い仲間がいっぱいいる。彼らと一緒に、一真を待てば良い」
「……わかりました」
プチ子は真人に答えると、一礼し、部屋から出て行った。
「って言っても、どうして良いのか……」
真人の部屋を出たプチ子だったが、眉をひそめるばかりだ。結局、待つことしか出来ないことに、不満顔だ。
「時空を超える魔法、使えるかしら」
自ら探しに行くことも考えつつ、プチ子は自然と、一真の部屋に足を運んでいた。ドアに手を掛け、開く。すると、ベッドの上に誰かが寝ているではないか。
「梨紅さん、いらっしゃい」
「お邪魔してます」
寝ていたのは、梨紅だった。私服に着替えていることから、一度帰宅して、窓から入ったらしい。
「ねぇ、プチ子ちゃん?」
「何ですか?」
「明日から、一真が何処に行ったか調べに行くんだけど……」
「行きます!」
梨紅の言葉を遮り、プチ子は言った。その様子に、梨紅は微笑む。
「だよね。明日の朝、皆で集まるから、少し早起きしてね」
「寝ません!」
「それはダメだよ、ちゃんと休まなきゃ」
プチ子の返答に、梨紅は満面の笑みを浮かべる。そんな中、プチ子は不意に、首を傾げる。
「でも、何で私を誘ってくれたんですか?」
「何でって、当然でしょ?」
梨紅は不思議そうに言うと、ベッドから降りて、窓に向かって歩き出す。
「私もプチ子ちゃんも、皆と同じ、一真を心配してる仲間なんだから」
梨紅の言葉に、プチ子は顔を赤らめる。仲間だと思ってくれたことへの喜びを、感じていた。
「それじゃ、また明日ね」
「はい! ありがとうございます!」
窓から飛び出す梨紅に、プチ子は笑顔で頭を下げた。
翌朝、雲一つ無い空の下。まだ肌寒い海岸に、梨紅、プチ子、沙織、恋華、愛、そして愛の妹である友美が集まっていた。
「野郎共は何やってんのよ」
携帯電話で時間を確認しながら、愛が呟く。時刻は7時50分、待ち合わせの時間まで残り10分だ。
「待たなくて良いのでは?」
「そうね、先に行きましょう」
「いや、ちょっと、2人とも……」
プチ子と愛のやり取りに、沙織が顔をしかめる。愛はともかく、プチ子は家族以外の男性を毛嫌いする傾向があり、なかなかに面倒だ。
「……ふわぁ」
口を軽く押さえ、恋華が欠伸をする。やけに眠そうだ。
「恋華さん、お疲れですか?」
「ううん、ちゃんと寝たよ?」
友美に聞かれ、恋華は首を振りながら答える。
「朝、まーくんに電話で起こされたから……寝たりないの」
「マサに起こされたって、そのマサはどうしたのよ?」
「うん? 8時には来るって言ってたよ」
目を擦る恋華と、首を傾げる愛が会話する中、自転車のブレーキ音が辺りに響く。
「おはよー!」
元気よく挨拶したのは、暖だ。その後ろには豊が座っており、2人は自転車から降りると、女性陣に向かって歩き出す。
「ダン、遅いわよ」
「あれ? 遅刻?」
愛に言われ、暖は腕時計で時刻を確認する。時計には、7時58分と表示されていた。
「まだ2分前じゃん!」
「男なら、1時間前行動を心がけなさい」
「何で!? この寒い中1時間も突っ立ってたら風邪ひくよ!」
「……眠い」
愛と暖が騒ぐ中、豊が目を擦りながら、呟く。
「そうそう! 豊が居なきゃオレもっと早く着いてたし!」
「どういうことよ?」
「バスの停留所のベンチで寝てたから、自転車の後ろに乗せて来たんだよ」
「豊、あんた何やってんのよ」
暖の言い分を聞いた愛は、豊に視線を向け、顔をしかめる。それに対して、豊はやはり目を擦りながら答える。
「レベル上げ」
「……何時まで?」
「6時」
「馬鹿じゃないの?」
愛が言うが、豊は既に、鼻提灯を作りながら、夢の世界へ入っている。それを見た愛の額に、青筋が浮かぶ。
「お、友美ちゃんとプチ子ちゃん、おはよう!」
愛が何かを殴る音が聞こえると同時に、暖は友美とプチ子を見つけ、片手を上げて挨拶する。
「おはようございます!」
言いながら頭を下げる友美。そして……
「喋るな、けだもの」
蔑むような目で見ながら、プチ子が言った。その様子からは、近づくなと言わんばかりの拒絶の意思を感じる。
「挨拶しただけじゃねぇか!」
「呼吸を止めろ」
「死ぬわ!」
「暖くん、朝からうるさい」
「朝から扱いが酷い!」
プチ子と沙織に言われ、暖は今日も平常運転のようだ。
「それにしても、マサとタラシはいつになったら来るのかしら」
背後に豊を転がしながら、愛が呟く。すると……
「オレならもう居るが?」
「誰がタラシだって?」
愛の後方から、声が聞こえる。愛が振り向くと、暖の自転車に寄りかかる正義と、腕組みをして仁王立ちしている勇気の姿があった。
「あら、居たの? まぁ良いわ、これで全員ね」
「そのようだな」
「最後に来たくせに偉そうね、マサ」
愛に睨まれ、正義は顔をしかめつつ咳払いをする。
「ん、それじゃあ行こうか」
梨紅が言うと、全員が海に向かって視線を向ける。その先には、巨大な船が停めてあった。
海上に浮かぶ、巨大な船。異世界ヴェルミンティアで造られたこの船は、造り、材質、共に地球の物とは異なる。最も異なるのは、乗船の方法だ。地球の船のように橋を渡すわけでは無く、魔法を使って自力で乗り込むのだ。
「何で私が足場作らなきゃいけないのよ」
口を尖らせながら、愛は正方形の足場を繋げ、道を作る。その上を、梨紅たちが歩いていた。
「だって愛ちゃん、じゃんけんで負けたから」
「そういうけど、各自で飛んで行った方が絶対に速いじゃない?」
恋華に言われながらも、愛は文句を垂れる。
「体力は温存しておくに越したことはないだろう」
愛の後ろを歩きながら、正義が言う。それに対して、勇気と沙織が頷く。
「話し合いだけで終わるなら、話は別だけどな」
「平和的解決が出来ない場合も、考えておかないと」
「私が思いっきり暴れられないじゃない!」
「それが本音か」
愛の言葉に、正義がため息を吐きながら、眼鏡を指で押し上げる。
「凉音は、ちょっと疲れてるぐらいがちょうど良いって」
「あ? どういう意味よ」
発言主の暖を睨み付けながら、愛が言う。
「本気で暴れられたら、船が沈むかなって」
「それは何? 沈めろっていう、フリ?」
「違うよ! やめろよ!」
「まぁ、良いハンデってとこかしら」
慌てる暖を見て、愛は少しだけ、得意げな様子だ。どうやら、機嫌は直ったらしい。
「……暖、凉音の扱いが上手くなってる」
「え? そうか?」
目を軽く開いて驚く豊に、暖は首を傾げる。確かに、今までの暖なら、いらないことを話して無駄に殴られていたかもしれない。
「日々、殴られ続けた経験値で、成長したんじゃないか?」
「涙なくして語れないな」
「馬鹿にしてんのかお前ら!?」
勇気と正義の言葉に、暖が叫ぶ。しかし……
「黙れ、けだもの」
「何でだよ! そんでこれ、また沙織ちゃんにうるさいって言われるパターンだろ!」
プチ子に答えつつ、暖は沙織に視線を向ける。それに対して、沙織は視線を反らし、明後日の方向を向く。
「へぇ……暖くん、凄いね」
「うん、何かカズくんみたい」
梨紅と恋華が驚嘆の息を吐く。確かに、今の暖からは何処か、一真に似た鋭さを感じられる。
「やはり、いじられ続けた経験値か」
「完全にマイナスな経験値だと思ってたけどな」
「うるせぇってんだよ! いい加減にしろ!」
正義と勇気に向かって、暖が叫ぶ。その声は、海のさざ波に掻き消された。船に近づくにつれ、波が大きくなっているようだ。
「そろそろ着くわよ」
正面を見ながら、愛が呟く。巨大な船が、すぐ目の前に停まっているのだ。
「このまま甲板まで行くわよ?」
「うん。愛ちゃん、お願い」
「了解!」
梨紅に言われ、愛は右の拳を振り上げる。すると、足場が急激に伸び、甲板までの登り坂が現れた。
最初に彼らがこの甲板に立ったのは、梨紅が魔界に飛ばされ、一真が迎えに行った後だ。その時、梨紅がベルグ・パードを解放させて開けた穴は、既に塞がれている。
「懐かしいわね」
「あの時は、大変だったよね」
「誰か吹っ飛んでなかった?」
沙織、恋華、愛が呟きながら、甲板に足を下ろす。梨紅、正義、豊もそれに続くが……
「吹っ飛んだとも、豪快にね」
「そしてオレは海に沈んだぞ」
暖と勇気が、顔をしかめつつ言った。2人は、良い思い出が無さそうだ。
「……藻屑になれば良かったのに」
「ねぇ?」
『おい!』
プチ子と愛の言い様に、暖と勇気は不満を顕にする。当然の反応だが、甲板で話すには少々、うるさかったらしい。
「あら? あなたたち、こんな朝早くからどうしたの?」
騒ぎを聞きつけ、船内への入り口である大扉が開き、中から声が聞こえる。
「麻美さん、おはようございます」
声の主に、梨紅が頭を下げる。姿を現したのは、麻美だった。
「おはよう、梨紅ちゃん。それにしても大勢ね」
10人を見回し、麻美は首を傾げる。
「改めてになるけど、どうしたの?」
「実は、一真のことなんですけど……もう、3週間も戻らなくて、麻美さんたちが何か知らないかな? と思って」
「一真?」
「パニエが言うには、異世界に向かったらしくて」
麻美と梨紅が話す中、暖は不意に辺りを見回し、首を傾げる。
「そういや、パニエは?」
「ここに居るが?」
暖が言うと、その背後から声が聞こえた。暖はそれに振り返ると、足下に視線を向ける。
「……生首?」
そこには、黒猫パニエの首だけが顔を出していた。
「影に身を潜める魔法だ」
言いながら、パニエは暖の陰から姿を現す。パニエが動く度に影が水面のように揺れるが、影から出ると、波紋は消えた。
「可愛い……」
呟いたのは、友美だ。突然現れたパニエに驚くことも無く、友美はパニエに近づいて屈むと、その身体を撫で始める。
「なるほど、異世界に……だからここに来たのね?」
「はい。異空間管理委員会なら、何か情報があるかもしれないと思って」
梨紅に言われた麻美は、軽く腕組みをしながら考える。
「確かに、調べることは可能よ」
「お願いしても良いですか?」
「えぇ、もちろん」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに頭を下げる梨紅だったが、正義と勇気、愛、沙織の4人には緊張が走る。調査結果は後日……そう言われたら、ここに来た意味がなくなってしまう。
「調査結果は……」
麻美が今まさに、その台詞を言おうとした、その時だ。
「おい! 待てよ、パニエ!」
突然、パニエが駆け出し、暖がそれを追う。それに続き、プチ子と友美も駆けだした。
「けだもの! お兄様のパニエに気安く触るんじゃないわよ!」
「猫ちゃん! 待ってー」
1匹と3人は、麻美の脇をすり抜け、船内へと入って行った。
「ちょっと、プチ子ちゃん」
「友美まで……はぁ」
言いながら、沙織と愛が歩き出す。同時に、正義も動いた。
「申し訳ない、馬鹿を1人回収しに入っても良いだろうか?」
「えぇ、大丈夫よ?」
麻美に許可をもらい、正義たち3人も中に入る。そして……
「私も行くー」
「じゃ、オレも」
恋華と勇気も、どさくさに紛れて船内に向かう。その様子を、麻美は見ていたのだが……
「麻美さん」
梨紅に声を掛けられ、麻美の視線が梨紅に向けられる。
「出来れば、すぐに調べていただけませんか」
心配そうな表情で、梨紅はまっすぐに麻美の顔を見つめる。その様子に、麻美は優しく微笑む。
「もちろんよ。中へどうぞ?」
「ありがとうございます」
梨紅は軽く頭を下げ、中へと入って行く。
「あなたも、入ったら?」
1人残った豊も、麻美に誘われ、船内に入る。中に入ると、少し進んだ所で、愛と勇気が仁王立ちしていた。そして……
『(計画通り!)』
「……計画も何もないけどね」
悪い顔をしながら思考する愛と勇気に、豊が静かに呟き、2人を追い抜いた。
大扉をくぐった先は、広間になっている。豊が入り、全員が広間に入ったが、パニエの姿は既に無かった。
「おかしいな……どこ行った?」
最初に入った暖は、パニエを見失ったらしく、辺りをしきりに見回している。しかし、その影が波紋を描いていることに、何人かのメンバーは気付いていた。
「まったく、仕方ないな、暖は」
「最初に入っておいて、どうすりゃ見失うんだよ」
口々に言う正義と勇気だったが、2人は気付いた側の人間だ。心の中では、暖の機転を賞賛していた。
「しょうがないよ、身軽だもん、パニエ」
「猫ちゃん、すばしっこいんですね」
恋華と友美が言いながら、暖のように辺りを見回す。2人は、気づいていない側だ。
「無能」
「アホ」
「言いすぎだろお前ら!」
プチ子と愛の言葉に、暖が叫ぶ。もちろん、2人は気付いている。
「手分けして探しましょう? きっと、遠くへは行ってないはずよ」
沙織が言うと、メンバーは頷き、歩き出すなど、それぞれに了承を示し、バラバラの通路に向かっていく。
「……勇気、何かあったら」
「あぁ、そっちもな」
短い会話の後、正義は風に、勇気は雷に身体を変化させ、空間から消える。船を端から端まで調べるのに、適した状態に変化したのだ。
「雅」
「みぃ」
豊に名を呼ばれた雅は、豊の肩に現れ、そこから飛び降りるとすぐに、廊下の奥に向かって駆けだした。豊はゆっくりと、その後を追って歩き出す。
「パニエー、出ておいでー」
「猫ちゃーん」
恋華と友美はパニエを呼びつつ、辺りを探し始める。見渡す限り、何処にもいないことを確認すると、2人揃って同じ廊下に向かって歩き出す。
「私は、どうしよ……雅でも追いかけてみるかな」
「お供します!」
愛とプチ子は、豊と雅の後を追うことに決めたようで、その方向に歩き始める。これで残りは、梨紅、沙織、暖、麻美だ。
「麻美さん、一真の居る場所の特定って、どのくらいかかりますか?」
パニエの安否を気にも止めず、梨紅は麻美に向かって問う。彼女にとって何よりも重要なのは、一真の安否なのだ。
「そうね……遠ければそれだけ時間がかかるから、正直に言えば見当もつかないわね」
「そう、ですか……」
「でも、近くにいるならすぐにわかるわ、だからそんなに気を落とさないで?」
目に見えて落胆する梨紅に、麻美は優しく微笑みかける。その様子を、暖と沙織がジッと見つめ、不意に互いに視線を合わせる。
「……ちょっと良いですか?」
声を発したのは、沙織だった。微笑む麻美に向けての発言だ。
「うん? 何かな?」
「久城くんについてなんですけど……」
「待って、沙織ちゃん」
沙織の発言を、暖が制止する。
「歩きながらでも良いんじゃない? 一真の場所を調べるのって、もっと奥でやるんでしょ?」
「……そうね、移動しながらでも大丈夫よ」
暖に向かって頷き、沙織は麻美へ向き直る。視線を受けた麻美は頷き、歩き始めた。
「はぁ……一真、近くにいるかな」
「大丈夫だよ、すぐにわかるって」
麻美の後ろを歩きつつ、ため息を吐きながら言う梨紅に、暖が答える。その言葉は、何故か自信に溢れており、暖の表情は明るかった。
船の中心に位置する空間。そこに設けられた部屋の巨大なモニターには、何かの推移を表すグラフや、どこかの映像など、様々な情報を映し出していた。
「この部屋は?」
「私たちの活動の中核を担う部屋よ」
沙織の質問に、麻美が答える。沙織は辺りを見回し、驚く。意外にも、近代的な地球の端末が使われているのだ。
「これって、何が映ってるんですか?」
モニターを指差しながら言う暖に、麻美が振り向く。
「モニターに出てるのは異空間や、地球の魔力量の変化とか、他にも色々と」
「へぇ」
聞いておいて、さほど興味もなさそうに、暖はモニターに視線を向け続ける。
「一真が何処にいるかは、ここでわかるんですか?」
「そうよ、ここの検索機能で一真の魔力を打ち込んで、所在の検索をかけるの」
梨紅に即答し、麻美は近くの端末に手を伸ばし、いくつかのボタンを押す。すると、モニターの中心に小さなウィンドウが現れる。
「今、モニターの真ん中に出た枠の中を見てもらえる?」
言いながら、麻美は端末を操作し、ウィンドウの大きさを変える。先ほどよりも数倍の大きさになったものの、ヴェルミンティアの文字で書かれているようで、梨紅と沙織、暖には読むことができない。
「今は、検索中ね……その間に、さっきの質問の続きを聞こうかしら」
そう言って、麻美は沙織に向き直る。歩きながら話す予定だったのだが、ここまでその話題は出ずにいたのだ。
「そうね、では改めて……久城くんのことで、聞きたいことがあるの」
そこまで言うと、沙織は暖に視線を向ける。暖が頷くのを確認すると麻美に視線を戻し、更に続ける。
「久城くんは、要注意人物ですよね?」
「そうね……この世界でも、他の世界でも、脅威レベルで注視されているわ」
麻美の返答を聞き、沙織は眉をひそめる。
「だとしたら、おかしくありませんか?」
「おかしい?」
「その要注意人物を何故、常に監視していないの?」
沙織の指摘は、的を得ている。異空間管理委員会にとって、久城一真の存在ほどの脅威はないだろう。彼が何か問題を起こせば、即座に止める必要があり、その為には常時、彼の行動を監視している必要があるはずだ。
「それを言われると、耳が痛いわ」
言いながら、麻美はため息を吐く。何か、事情があるらしい。
「一真の監視……1月の下旬までは、行っていたのよ」
「今はしてないんですか?」
暖の言葉に、麻美は静かに頷く。それに対して、梨紅が首を傾げる。
「どうしてですか? まさか、諦めちゃったとか」
梨紅が言うと、麻美を始め、室内にいた職員が全員、バツが悪そうに咳払いをし、視線を明後日の方向に向ける。
「図星か……」
「監視してれば位相跳躍、時空の狭間へは自在に出入り、予言も運命も変えに変える」
麻美の弁明に、職員が頭を垂れる。ここまで来ると、可哀そうにさえなってくる。
「正直、色々な世界に一真の痕跡があり過ぎて、検索も正確な物が出るまでどれだけかかるか……」
「心中、お察しします」
気の毒そうに沙織が言うと、暖と梨紅は職員一同に、これまた気の毒そうに敬礼して見せた。
麻美たちの顔に縦線が入る中、一際軽い音が室内に響いた。その音に、麻美は驚いたようにモニターに視線を向ける。
「えっ、こんなに早く?」
どうやら、検索完了を告げる音だったようだ。麻美はモニターを見ながら端末を操作し、結果を表示させる。それを確認する中、梨紅たちの目から見てもはっきりと、麻美の表情が絶望に染まって行くのがわかる。
「麻美さん、どうしたの?」
「……全、隊員に通達! 戦闘員は出動準備、非戦闘員は全職務を放棄して退避!」
麻美からの通達を聞いた隊員一同は、間髪入れずに行動を開始する。その慌ただしさに、沙織と暖は思わず身構え、互いに背中合わせに辺りを警戒する。一方の梨紅は、明後日の方向を向いたまま、固まっていた。
「麻美さん? 麻美さん!」
「沙織ちゃん、あなたたちはすぐにここから出……」
麻美が3人にも脱出を促す中、爆発音と共に、船が大きく揺れる。何か危険が迫っていることは、もはや明白だった。
「いったい、何が?」
「今城!」
沙織が混乱する中、暖は立ち尽くす梨紅の腕を掴み、話しかける。
「……来たのか?」
「違う」
暖の質問に、梨紅は首を横に振りながら答える。だが梨紅は、更に続けた。
「”そう”だけど、”違う”」
戦闘員に混じって、MBSFのメンバーも走っていた。目的地は、エントランスだ。
「おいおい、どうなってんだこりゃ」
メンバーの中で、最初にエントランスに到着したのは勇気だった。彼の目に最初に飛び込んで来たのは、破壊された扉だ。巨大な扉の下部、ちょうど真ん中に、穴が空いていた。
「あら? 帰って来たのね」
「お兄様!」
次に到着したのは、愛とプチ子だ。扉を破壊して入って来たであろう人物。エントランスの中心に立つ久城一真に向かって、呟く。その後も続々とメンバーが集まって来るのだが、全員が全員、一真を見て安堵の声を上げつつ、その数秒後には首を傾げる。
一真の様子が、目に見えておかしい。
彼らが声をかけても、何の返答もないのだ。それどころか、見向きもしない。そこにいるのに、そこにいるとは思えない……まるで、幽霊でも見ているような不気味な感覚だった。だが、
「おぉ! やっと帰って来たのか!」
ただ1人、そんな感覚を微塵も感じることなく、満面の笑みで一真に近づいて行く人間が居た。暖だ。
「お前はホント、何週間もいなくなりやがって」
一真に向かって歩きながら、暖は笑顔で、心から嬉しそうに、声をかけ続ける。しかし、一真は一言も、何の返答もしない。
「何処行ってたんだよ! おい!」
そう言って、暖は一真の隣まで来て、彼の背中を軽く叩く。すると、
「……ん? あれ?」
一真が、声を出した。まるで、たった今意識を取り戻したような様子だが、それでも、先ほどまでの一真とは違う。辺りを見回し、戦闘員の前に立つメンバーや、隣に立つ暖に視線を向ける。
「暖、ここ何処だ?」
「何言ってんだ? お前。異空間管理委員会の船だろ」
暖の返答に、一真は首を傾げる。察するに、記憶が無いようだ。
「オレたち、何でここに居るんだ?」
「お前以外のメンバーは、お前が何週間も異世界から戻らないから、麻美さん達に探してもらいに来たんだよ」
「オレは?」
「知らねぇ」
それを聞いて、一真はため息混じりに呟く。
「はぁ……使えねぇ」
「うるせぇよ!」
そのやり取りに、メンバーは安堵する。いつも通りの会話だ。一真が、帰って来たのだ。勇気、愛、プチ子たちは、それぞれが硬かった表情を崩しながら、一真に向かって歩いて行く。
……だが、梨紅だけは、不安な表情のまま、その場から動かなかった。




