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魔法使いの苦悩-ADVENT-~闇の聖女と光の魔王~  作者: 黒緋クロア
第二章 Wizards daily[魔法使いの日常]
18/32

謎。

 一真が帰って来た日の夕方。MBSFのメンバーは既に解散し、一真は自分のベッドに横たわり、思考を巡らせていた。




「……さて、どんな原理か」




「私が一真に聞きたいんだけどね」




 一真が声のした方向を見ると、窓枠に立つ梨紅が視界に入った。




「さっきのバスター、どうやったの?」




 梨紅は言いながら、一真のベッドに近寄る。




「どうって?」




「私の目には、どう見ても本気にしか見えなかったよ? それなのに、暖くんにダメージはほとんど無かった」




 梨紅はまくし立てると、ベッドに腰を下ろし、一真に顔を近づける。




「簡単だよ、手なんか抜いて無いんだ」




「じゃあ何で暖君は……」




「それを今、考えてる」




 ため息を吐きながら、一真は再び思考を再開する。今度は、声に出してだ。




「間違いなく手は抜かずに放ったバスター……壁は吹っ飛んだのに、暖は無傷。つまり、バスターは暖をすり抜けた」




「でも、一応は外に押されたんじゃ……服もボロボロだったよ?」




「バスターにビビって後退りでもしたんだろ、服は……んー……」




「普通の人間にバスターは効かないの?」




「まさか、退魔力が入るとはいえ魔法だぞ?」




 過去に暖に放った、魔法の例がある。魔法が効かないわけでは無いのだ。




「特定の条件で魔法を無効化?」




「まぁ、一応は天属性のカテゴリーだって話だしな」




 かつて勇気に聞いた、天属性と魔属性の話が思い出される。




「何にしてもわからない……真眼を使ってもわからないとか、どういうことだよ」




 一真は頭をかきむしる。




「一真にもわからないんじゃ、仕方ないね」




 梨紅は呟き、一真の隣に横になる。




「……この話、まだ誰にも言わないでおこう」




 唐突に、一真が呟く。それに梨紅は首を傾げる。




「何で? 皆が心配するから?」




「いや、なんとなく……誰も知ってはいけないことな気がして」




「何それ? ……まぁ、良いけど」




 梨紅はそう答え、一真の右手に、自分の左手を重ねる。




 一真は、重ねられた手を握り返す。2日間、感じることの出来なかった温もりをその手に、一真は目を閉じた。








場所は変わる。世界ごと……




 人間界では考えられない、黄色の空、オレンジの雲。長蛇の列を成す、赤と青の火の玉……巨大な机と椅子、巨大な……




「……エリル、遅かったな」




 巨大な人……閻魔は書類に判子を押しながら、机の上に降り立つエリーに言った。




「遅かった? 私はナイトを迎えに来たんだけど……」




「ん? そうか、てっきり呼んだと思っていたが……まぁいい、わしは少し席を離れる」




 そう言って、閻魔は席から立ち上がる。エリーはそれに、慌てて待ったをかける。




「ちょっとお爺ちゃん! 私は急いで……」




「あの坊主共は大丈夫じゃ、ナイトメアにも仕事を頼んでおる……悪いが緊急だ、後は任せた」




 矢継ぎ早にそう言って、閻魔は机から離れ、閻魔界の空へ飛んで行った。




「緊急? 何かしら……それにしても」




 呟きながら、エリーは後ろを振り向く。




「転生を私に丸投げって……」




 並んでいる無数の魂を見て、エリーはため息を吐いた。












「……さて、どうしたものか」




 巨大な本棚で埋められた部屋に、閻魔は立っていた。




 本棚に並んでいるのは全て、"道程の導"と呼ばれる、生命の運命が書かれた書物。




 生命が誕生すると、その生命の道程の導が白く輝く。滅多に無いことだが、その生命の運命が変わると、道程の導が緋色に輝く。それだけのはずだった。




 閻魔は道程の導を目の前に、「どうしたものか」としか言えなかった。




 何故なら、滅多に緋色に輝かない道程の導が、緋色に輝いていたから。しかも、1冊では無いのだ。何冊、何十冊、何百、何千もの道程の導が緋色に輝いており……




「なんじゃ、これは」




 3冊の道程の導が、"金色"に輝いていた。




 閻魔はまず、金色の3冊を手元に持って来る。閻魔はそのまま、表紙に書かれた名前を見て、頭を抱えた。




「こやつら……そして、何故にこやつが」




 閻魔は3冊を持って、呟く。




 3冊には、久城一真、今城梨紅、そして……川島暖の名前が書かれていた。




 暖の名前に、閻魔は見覚えが無かった。一真や梨紅、一定以上の能力を持つ人間や魔族、神たちは、転生させた段階で閻魔の記憶に残るはずなのだ。




「極めて普通の人間……見落とした? いや、まさかそんなことは……」




 閻魔は自問自答しつつ、暖の道程の導を開こうとするが……開かない。同様に、一真たちの道程の導も開くことが出来ない。




「いったい何が……」




 閻魔は3人の道程の導の閲覧を諦め、続いて、緋色に輝く道程の導を集める。




「……久城一真か」




 緋色に輝く道程の導……そこに書かれている名前には、世界による統一は無かった。複数の異世界の人間の道程の導が、運命の変化を告げていたのだ。




 その全ての運命に、一真が関わっていたのだ。




「全知の眼を持つ魔法使い……ナイトメアの魔力を持つヘイムルギアン」




 閻魔は道程の導を棚に戻し、代わりに一真の道程の導を取り出す。




「"我、魂の転生を司る者……汝に記されし隠された運命-さだめ-を晒せ"」




 道程の導に手をかざし、閻魔が言うと、一真の道程の導はゆっくりと開き、見開きの白紙のページに緋色の文字が現れた。




 その文字を見た閻魔は、顔をしかめながら読み上げる。




「……"彼の者、数多の理-ことわり-より真-しん-を掴み取る"」




 閻魔は読み終えると、一真の道程の導を棚に戻し、梨紅と暖の道程の導を取り出し、同じように閲覧した。




「"彼の者、光と闇の調和を司り、2つの希望の母となる"」




 梨紅の道程の導を朗読し、棚に戻す。最後に暖の道程の導を読み上げた。




「"彼の者、全ての涙を消し去り、世界を閉ざす"」




 読み終えると同時に、輝いていた道程の導が全て、光を消した。全てが元に戻ったかに見えたが、3人の道程の導にだけ、表紙にそれぞれ、異なった形の金色の紋様が現れていた。




「……真、希望の母、世界を閉ざす……」




 閻魔は気になる単語を呟きながら、踵を返し、部屋から出て行った。




 道程の間-みちのりのま-と呼ばれるこの部屋の扉が閉まると同時に、3人の道程の導が棚から飛び出した。




 3冊は室内を飛び回り、しばらくするとまた棚に戻って来る。そして、元々入っていた並び順とはことなる形で、3冊は隣り合って棚に収まった。




 そこには、3冊の背表紙の紋様が繋がり、全知の眼の紋様が描かれていた。





 人間界、日本。貴ノ葉町の西側に、川島暖の自宅はある。




 3つ離れた大学生の姉、7つ離れた小学生の妹、そして両親の5人家族。




 成績は中の上、部活はMBSF研究会、自分の学費や、バイクを買う為にアルバイトにも勤しむ高校生だ。




「お兄ちゃーん」




 階下から、暖を呼ぶ声がする。しかし、暖は返事をしない。




 川島家2階の奥の部屋、暖は自室のベッドで眠っていたのだ。




 しばらくすると、階段を駆け上がる音、廊下を駆ける音が響き……




「お兄ちゃん!」




 扉を開きながら、妹の川島海が言った。




「……ん、海?」




「お兄ちゃん、ご飯だよ!」




「ご飯……はっ! 今日の当番オレじゃね!?」




 暖はベッドから飛び起き、何故か辺りを見回す。




「ううん、今日は夏お姉ちゃんだよ?」




「危ねぇぇぇぇぇ! マジビビった……」




 落ち着きを取り戻した暖は、額の汗を拭い、海の顔を見る。




「ありがとう海、呼びに来てくれて」




「ううん、それより夏お姉ちゃんが、30秒以内に来ないとお兄ちゃんをぶっ飛ばすって……」




 海が言うや否や、暖は部屋を飛び出し、階段を駆け降りて行った。




「待ってよお兄ちゃん!」




 部屋に取り残された海も、暖を追って部屋を飛び出した。











「遅い! そしてバタバタうるさい!」




「痛ぇ!」




 海がリビングに入ると、海と暖の姉、川島夏に、暖が頭を叩かれている所だった。




「お兄ちゃん良かったね! ぶっ飛ばされなくて」




「姉ちゃん! 海に変な言葉教えんなよ!」




「姉ちゃんじゃないわよ、お母さんじゃない?」




「いやいや、母ちゃんはぶっ飛ばすなんて言わねぇって」




 夏に言いつつ、暖は席に着く。その隣に海、暖の前には夏が着席する。




『いただきます』




 3人揃って言い、川島家の夕食は始まった。




「いやぁ、マジでビビったよ。今日の夕飯担当オレかと思ってさ」




「あぁ、だからバタバタしてたの? バカねぇ」




「姉ちゃんの暴力がトラウマなんだよ」




「海、明日の支度は終わってる?」




「シカト!?」




「あのね、連絡帳が見つからないの」




「あら、本当? 暖、何処にあるか知ってる?」




「姉ちゃんの後ろの棚の上から2段目、左端にあるはず」




 なんてことない普通の会話、川島家の風景は、一般家庭のそれに他ならなかった。





 夕飯後の川島家のリビング。そこに3姉弟の姿は無かった。




 夏はお風呂、海は明日の支度、暖は台所で食器を洗っているわけで、リビングには、つけっぱなしのテレビの声がBGMとして流れているだけだ。




 食器を洗い終えた暖が、水道から出ている水を止めると同時に、リビングのドアが開き、Tシャツにジャージ姿の夏が入って来た。




「暑いー、炭酸系、何かあるっけ?」




 夏は言いながら、冷蔵庫の扉を開ける。




「あぁ、引き出しの方にファンタ入ってる」




「グレープ? オレンジ?」




「グレープ」




「グッジョブ!」




 暖の返答に、夏は嬉しそうに冷蔵庫からファンタを取り出し、ペットボトルから直接飲み始める。




「っあぁぁぁぁぁぁ! ファンタ最高!」




「姉ちゃん、父ちゃんみたいだぞ」




「そりゃあ娘だからね」




 特に嫌がる素振りも見せず、夏は夕飯を食べたテーブルに着き、テレビを見始める。




「……なぁ、姉ちゃん」




 暖は夏に呼び掛けながら、夏の前の席に座る。




「ん? 何?」




「ちょっとさ、悩み聞いてほしいんだ」




「……性的な悩みはちょっと」




「高校生の悩みがそれだけだと思うなよ!? もっと真面目な話!」




 暖の言葉に、夏はテレビから視線を外し、暖に向き直る。




「良いよ、話してみな」




「……まぁ、実際に話すとなると何て言って良いかあれなんだけどさ」




「何それ」




 夏が眉をひそめる中、暖はしばらく考えた後、夏の目を真っ直ぐに見据え、言った。




「……たまに、なんだけどさ? ホント、1ヶ月に1回ぐらいなんだけど……」




「……何?」




「……意識が、飛ぶ」




 暖の言葉に、夏は何の反応もしなかった。沈黙に耐えられず、暖は更に続ける。




「ほんの数秒の時もあれば、10分ぐらい……意識ってか、記憶が無くなるって言うのかな……けど、その数秒から10分ぐらいの間、オレはちゃんと動いて、会話もするらしくて……」




「いつから?」




 夏の問いに、暖は言葉を切る。




「……最初は、7月の下旬。一真たちと宇宙に行った日」




「あぁ、例の魔法使いの子たちね……それで?」




「その日は、宇宙に上がる前に魔物と戦っててさ、その途中で意識が無くなったんだけど、その間に仲間を助けたりしてたらしい」




 暖は視線を下に向け、言葉を切って少し休む。





「宇宙に上がった後も、無意識に独り言呟いててさ……あれはマジで怖かった」




「なんでその時は言わなかったのよ」




 目を細めながら言う夏に、暖は眉をひそめながら言った。




「あの時は、バイト増やしたりして寝不足とか続いてたから……疲れてんのかな? って」




「そう……次は?」




「次って言うか、今日……」




 暖は夏に、地竜のことを説明する。どうやら、今日は違和感があっただけらしい。




「でも今日の違和感は、前の時の感じだったんだ……」




「なるほどね……この話、姉ちゃん以外には?」




 夏の言葉に、暖は首を横に振る。




「父ちゃんと母ちゃん、海にも言ってない……ただの疲れかもだし」




「友達には?」




「同じ理由で、言ってない」




 暖の言葉に、夏は腕組みをし、眉間に皺を寄せる。




「……話を聞くと、本当に疲れてんのか、もしかしたら病気……って可能性もあるね」




「病気なのかな……」




「厨二病とか」




「そっち!? 病院で治せない類いの!?」




「あとは、夢遊病とか二重人格とか……あんまり頻繁に起こるなら、病院に行かなきゃ駄目だね」




「……だよね」




 肩を落とし、落胆する暖の頭を、夏は軽く撫でる。




「何か変化があったら、また姉ちゃんに言いな。あと、無理にバイトすること無いのよ? お母さんもパート出てるし、姉ちゃんだって……」




「うん……でもさ、母ちゃんにはなるべく家に居てほしいんだ」




 暖が言うと、夏は暖の頭を撫でていた手を引いた。




「海はまだ9歳だし、一緒に居てほしいんだ」




「そうね……姉ちゃんからもお母さんに言ってみるよ。だけど、暖が無理しても海は喜ばないからね」




「わかってるよ」




 苦笑する暖を見て、夏は微笑む。




「暖は本当に優しいね」




「やめてくれよ、恥ずかしい」




「だけど甘えん坊」




「ほっとけ!」




 暖はそう言って、頬杖を着き、口を尖らせながら、続ける。




「……悪かったな、甘えてばっかで」




「別に悪く無いわよ? 姉ちゃんからしたら、暖から信頼されてるって思えて、嬉しいぐらいなんだから」




「そりゃあ……信頼してるし」




「ありがと」




 夏はそう言って、照れて顔を赤らめている暖に向かって、ニカッと微笑んだ。





 暖から悩み相談を受けた後、夏はすぐに自室に向かった。




 2階の手前の部屋である夏の部屋には、川島家で唯一のパソコンがある。




 漁師である父親は、携帯すら使えない機械音痴。母親は携帯がギリギリのラインだ。




 海はまだパソコンに興味が無いようだし、暖に至っては家にパソコンがあることすら知らないだろう。




 専らレポート作成に使うパソコンだが、今回は用途が違う。画面にデスクトップが表示されると、夏はすぐにパソコンをインターネットに接続させた。




「……二重人格? 記憶障害?」




 どうやら、暖の症状について調べようとしているらしいが、なんと調べれば良いかがわからないようだ。




「とりあえず、適当に……」




 夏はそのまま、二重人格、記憶障害と打ち込み、検索を実行する。すると……




「……"解離性同一性障害"」




 いわゆる"多重人格"の項目が、検索結果のトップに上がっていた。




「……暖の症状に似てる」




 夏は項目を読み進め、しばらくすると徐に立ち上がった。




「まさか、一発で正解に行き着くとはね……」




 夏はそう呟き、満足気に胸を張る。




「暖は多重人格なのよ!」




「何を力強く宣言してんの!?」




 偶々、夏の部屋の前を通り掛かった暖が、思わず飛び込んで来た。




「暖、喜びなさい! あんたの病気は……」




「聴こえてたよ! たった今、ご近所中が耳を疑ったよ!」




 暖は叫びながら、夏の部屋の窓に駆け寄る。そして窓から身を乗りだし……




「違いますよぉぉぉ!? また姉ちゃんのブラックジョークです! 本気にしないでくださいね!」




「ちょっ、暖! やめなさいよ恥ずかし……」




「どの口が言ってんの!?」




 夏と暖の口論は、やはり近所中に響き渡る。だが、誰一人としてそれを気にするご近所さんはいない。




 何故なら、2人の口論は日常茶飯事であり、かつ、2人は近所では、仲良し姉弟として有名だからだ。












「まったく、姉ちゃんには困ったもんだよ」




 独り言を呟きながら、暖は自分のベッドに倒れ込んだ。




「あんな大声で、何考えてんだか」




 暖はため息を吐くと、仰向けに体勢を変える。




「……何か、疲れたな」




 言うと同時に、暖は欠伸をする。徐々に目蓋が閉じ始め、数分もしないうちに、暖は寝息をたて始めていた。





「ほら! ばれ始めたじゃないか」




 暖の意識の更に更に下層……普通の人間には入れない意識の深淵に、幼い声が響いた。




「だから出過ぎだって言ったんだ!」




「すまない、浅はかだった……」




「これでは、我らの存在が明るみに出るのも時間の問題だな」




 幼い声に続き、爽やかな様子が伺える青年の声と、どこか男らしい男性の声が響く。




「無限神タニティロア、どうするつもりだ」




「……いや、そもそも何故、彼は宇宙での我らの会話を覚えているんだ? 虚無神インデストロア、記憶は消したはずだろ?」




「あぁ、確実に消し去ったとも……虚無の彼方にな」




 無限と虚無の視線が、笑与に向けられる。




「笑与ノ神・陽雅-はるまさ-よ、我らに何か、異変が起こっているのではないか?」




「異変? 強いて言うなら、無限と虚無の行動の軽薄さがイレギュラーかな」




 笑与は言いながら、改めて2人を見据えた。




「人間界にキメラが現れた件……裏に"あいつ"が居るからって、無意味に彼の身体を使って"虚無限ノ掌-ゼオレイ-"を使ったよね?」




 笑与の言葉に、無限も虚無も何も言えずにいた。




「宇宙でも、驚いたからって彼の意識に入り込むなんて……本当にどうかしてるよ!」




 憤慨した様子で言い、笑与は2人に背を向ける。




「僕が何とかする……2人は深層心理の深淵で待機だ」




「……わかった、すまない笑与」




 素直に従う無限だが、虚無は不服そうな顔で腕組みをし、言った。




「彼処は退屈だ」




「本当に"あいつ"に"復讐"したいなら、我慢出来るよね?」




「……甘んじて受けよう」




 虚無が渋々承諾すると、無限と虚無の2人は、足下の更に下へと下降を始めた。身体が透け、2人はみるみるうちに消え去った。




「……さて、彼になんて言おうか」




 笑与は呟きながら、2人とは逆に、空へと飛び上がった。











 暖は、夢を見ていた。とても幸福な夢……具体性は何も無い、ただただ気持ちだけが幸福になる夢だった。




 しかし、不意に視界がブラックアウトする。何も見えなくなる。




 次の瞬間には、叫び出したくなるような恐ろしい光景が目の前に広がっていた。




 暖は恐怖のあまり、目を閉じ、しゃがみ込んだ。夢なら醒めろと願っても、目は醒めない。夢は続く。





「夢……それは時に、現実に起こりうる」




 暖の背後に降り立った笑与は、暖を見下ろしながら呟く。




「でも、この夢は違う……これは、記憶の欠落から来る君の恐怖の現れだ」




 笑与は暖の肩に手を置くと、更に続ける。




「君の記憶障害は、病気なんかじゃない……僕らの影響なんだ」




 申し訳なさそうに暖に語りかけ、笑与は左手を振るう。すると、辺りの風景が変わった。




「君は僕の力の影響を強く受けている……だったら、君の見るべき夢はこっちだよ」




 笑与に言われ、暖はゆっくりと顔を上げる。すると、先程までの光景は無く、人々の笑顔が広がっていた。




「僕は笑いを与える神なんだよ」




「……笑いの神様」




 暖はようやく、笑与の存在に気付いた。




「初めまして、僕は笑与ノ神・陽雅。君の中に宿る者だよ」




「……神様? オレの中に、神様が?」




 暖は眉をひそめる。当然だろう、にわかには信じがたい話だ。




「信じられないのは仕方ないよ、僕が宿っているにしては、君の力は限り無く0だ」




「んなはっきり言わなくても……」




「オブラートに包んで納得する? 君はしないよ、納得なんて出来るはずがない」




 笑与の言葉に、暖は何も言えない。何故なら、笑与の言葉は正しいからだ。




「今の君の考えや気持ちを察するのは簡単だよ……神が宿ってるのに力が無いのは何故か知りたい、そして少なからず、僕に出会えたことで喜びを感じている」




「……オレの前に出てきたってことは、全部教えてくれるんだよな?」




 言いながら、暖は目を輝かせる。その目には、先程までの不安は微塵も感じられなかった。しかし……




「ううん、何も教えないよ?」




「なんで!? 何のために出てきたんだよ!」




 叫ぶ暖に、笑与は微笑んで見せる。




「大丈夫、これは夢だから、起きたら忘れてるよ」




「何が大丈夫なのか微塵もわからないんだけど!?」




「期待に満ちた心だけ、現実に持って帰ってよ。あ、貸してた"僕の記憶"は返してもらうよ」




 笑与は言いながら、暖の頭から何かを引き出した。




「僕らの存在を匂わせることには成功……まぁ、時期が来たら改めて挨拶するし、僕の力も……これはまぁいいや」




「ちょっと待てって! 何を勝手に……」




「じゃあ、また!」




「ちょっ……」




 にこやかに笑う笑与の顔が、徐々に霞み始めた。





 暖が目を醒ましたのは、日の出とほとんど同時だった。新聞配達のバイトがあるわけでは無い。期せずして、起きてしまったのだ。




 ベッドの上でゆっくりと上体を起こした暖は、まだ薄暗い室内を何気なく見回し、しばらくしてから枕元の目覚まし時計に視線を向けると……




「早っ」




 自分の起床時間を確認して、短くそう、呟いた。












 早起きしたにも関わらず、不思議な程に目覚めが良かった暖は、手早く家族用の朝食を作り、制服に着替え、いつもより1時間も早く家を出た。




 学校で、何かやることがあるわけでは無い。ただなんとなく、早く登校したくなったのだ。




 通学路を歩く暖は、今にも鼻歌を歌い出しそうな程に、ご機嫌だった。




 暖は、昨日の夢を覚えてはいない。それどころか、昨日までは覚えていた"宇宙での出来事"の記憶さえ無くなっていた。




 暖は、それに気付かない。気付けない。しかし、気分は最高に良かった。




「……おっ!」




 暖が十字路を右折しようとすると、左から歩いて来る人物が視界に入った。




「一真、おはー!」




「ん? 暖?」




 自分の名前を呼びながら手を振っている暖を見て、一真は首を傾げる。




「よぉ、お前早くね?」




「いや、何かめちゃめちゃ早く目が醒めてな? 一真は?」




「あぁ、昨日ちょっと早く寝過ぎた」




 夕飯も食べずに寝た一真は、本当に無意味に早く起きてしまったのだ。




「そうだ、聞いてくれよ! めちゃめちゃ良い夢見たんだ!」




 並んで歩きながら、暖は一真に言った。




「へぇ……山中と結婚でもしたか?」




「そうかもしれない!」




「残念ながらそいつは妄想だ」




「夢見ることすら許されないのかよ!?」




 暖の反応に満足気に笑う一真だが、不意に眉をひそめた。




「てか、そうかもしれないって何だよ」




「ん? あぁ、めちゃめちゃ良い夢を見たのは確かなんだけどな? その夢を忘れたんだよ」




「そうか……お前、ニワトリだもんな」




「人間だし! そもそも、夢なんてほとんど忘れるもんじゃん!」




「良い夢ってぐらいなんだから、気合いで覚えとけよ」




 言いながら、一真は退屈そうに空を見上げる。




「そういう一真は、何か覚えてる夢あんのかよ?」




「あるに決まってんだろ」




 一真は空から視線を戻し、暖に向けた。





「オレの夢の中だと、暖はいつも悲鳴を上げてるんだ」




「なんで!? 夢の中のオレに何が!」




 驚愕する暖に、一真は更に続ける。




「オレの夢は、バリエーションに富んでるぞ? 夏休みに見た夢は秀逸だった」




「マジで? 期待出来そうだな」




「教えないけどな」




「ただの自慢じゃねぇか!」




「そんなに知りたいなら教えてやろう」




 長い前置きを終え、一真は語り始めた。




「オレはな、凉音と2人で海に来てたんだ」




「既に可笑しくね? 何で?」




「お前、この程度でいちいちツッコミ入れてたら日が暮れるぞ」




 一真は暖に言って、再び夢の続きを話し始める。




「オレは海パン穿いて、凉音は黄色いビキニに水色の浮き輪でな、オレたちは波打ち際で仁王立ちしてた」




「黄色いビキニって、皆で海に行った時に着てたやつか?」




「正にそれだ、そんで凉音が言うんだ、『竜宮城が近いから、スイカ割りをするわよ!』って」




 暖はツッコミを我慢し、一真の話に聞き入っていた。




「けどな、スイカは無いんだ……オレにはわかってた、今は深刻なスイカ不足だと」




「……わかった! 代わりにオレがスイカになって割られたってオチだろ?」




 先読みし、オチを言い当てたと思い込んだ暖は、得意気に言った。しかし……




「いや、お前は棒だった」




「棒!?」




「あぁ、たまたま海亀の着ぐるみを着て産卵してた勇気が居てな? この場で卵ごと叩き潰す! って息巻いた凉音が、何処からともなく暖を取り出し、片手で振り回して、勇気に向かって降り下ろした」




 この頃には、暖は既にツッコミを諦め、一真の夢を頭の中で映像化することに専念していた。




「凉音に降り下ろされる中、お前は凄まじい悲鳴を上げてな? それを合図に海が割れ、竜宮城が現れた」




「そりゃあ、さぞかし楽しかっただろうに」




「あぁ、楽しかった……人魚姿の山中と重野、勇気は楽しそうに踊り、お前も楽しそうに海底に刺さってた」




「おい」




「だが、楽しい時間は数分しか続かなかった」




 不服そうな暖の声を無視し、一真は悲しげに、声のトーンを下げる。




「部屋の入口の襖が開いて、『警察だ! 全員動くな!』って、正義が……」




「ガサ入れ!?」




 まさかの展開に、暖はさすがにツッコまざるを得なかった。





「みんな、必死に逃げたんだ……だけど、正義には秘策があった。豊が結界を張ってたんだ」




 クライマックスが近いことを察したのか、暖は何も言わずに聞いていた。




「豊の結界に捕まり、みんな追い詰められていた。そこへ現れたのが梨紅……」




「だよな、後は今城しかいないもんな」




「……の、親父さんだ」




「まさかの父親登場!?」




「親父さんはスーツ姿、サングラスを掛け、葉巻を吸いながら、『犯人はこの中に居る』って言った」




 暖の頭の中は、混乱し始めていた。もう、何がなんだかわからない。




「『犯人はお前だ!』そう言って、親父さんはオレを指さした。オレは言ったよ、『よくわかったな』」




「まず、何の犯人なのか知りたい所だな」




「オレは徐に手で顎を掴むと、顔の皮を一気に剥がした」




 そこまで話し、一真は立ち止まる。貴ノ葉高校の校門に到着したのだ。




「……オレの顔の下には、梨紅の顔があった」




「怖っ!」




「梨紅は言うんだ、『本物の一真は、今頃……』って所で目が醒めた」




 語り終えた一真は、ゆっくりと校門を通過した。




「ほら、ちゃんと覚えてたろ?」




「確かに覚えてたけど……その内容はかなり異様じゃね? お前、疲れてんじゃねぇの?」




 ツッコミ我慢に我慢を重ね、暖の至った結論は、一真は疲れが溜まっているようだということだった。




「次からはちゃんと覚えとけよ? あと、なるべく早く面白い夢を報告よろしく」




「んー……まぁ、がんばってみるけど」




 難しいだろうな……と思いつつ、暖はため息を吐いた。







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