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096アンドレ・ジッド『法王庁の抜け穴』

アンドレ・ジッドというと『狭き門』ぐらいしか知られていないというようなところがありますが、の作品はそんな中にあっても比較的読まれているようです。

構成の巧みさは見事です。

「青春したい……したい青春……」


 春先のアンニュイな空気に誘われて、頬杖をつきつき窓の外をみると、ふと溜息のように言葉が漏れる。


「恋がしたい……したい恋……」


「んまっ!」


 栞は手元の本から視線をこちらに投げかけると、とんでもないものを見るような表情でカクカク震えだした。


「一体突然何を言い出すんですか……というか詩織さんは、何というか好きな男性の方がいるのですか……」


 次第に震えが強くなる栞を逆にとんでもないものを見る視線で見つめ返すと「いや……特に好きな男子とかいないけれど……クラスの連中馬鹿だし付き合うとかあり得ないけれど……でもなんか折角の高校生活なんだし青春したいなって……」といった。

 栞はなんだかホッとした様子で息を吐くと「なるほど……青春ですか……」と呟く。


「こうやって図書室で毎日会って本読むのは私としては青春しているなって思うんですが、詩織さんはあまり楽しくないのですか?」


「いやいや! つまんないなんて事はないし、栞と話していると何となく頭がよくなったような気がするからいいんだけれど、わたしもなんかたまにはさ、ほらアウトドアっぽいというかキラキラした輝きを追い求めて? とかそういうアクティブな活動してみたいなって思ってさあー」


「では一緒に古本市なんていってみますか? ここ最近またやるようになったみたいですし」


「古本市かあーまあ最近出不精だったし、一緒に出かけるの楽しそうだし行ってみますか!」


「いいですね! 行きましょう行きましょう!」


「でも本ばっかり読んでいるのも何かこう、もっとなんていうか具体的にいえないんだけれど他になにか若さ爆発させられるような事ないかなとは思っちゃうのよねぇ」


「んー、知り合いの方のお話なんですが、読書は若い内にしておけって仰ってて、若い内に沢山勉強しましょうとかそういう意味かと思ったら、単純に歳を重ねると体力的にも視力的にも本読む集中力なくなってしまうので、読書は一生付き合えるけれども、若い人向けの趣味という部分はあるって話してましたねぇ」


「なるほど、運動とかより先に目が死ぬかもしれないと……って栞の視力ってどのぐらいなの? 前から気になってたんだけれどその眼鏡ってレンズメチャクチャ分厚いよね……ちょっと拝借!」


 そういって栞の眼鏡をひょいと取って、勝手にかけてみる。栞は「あっ」と声を上げると凄い藪睨みになっている。


「うぐぅっ! 気持ち悪い!」


 栞の眼鏡をかけてみたら、なんとも形容しがたいけれど自分の鼻の辺りに床の端が見えて、栞の姿がなんだか凄い遠くに見える。


「返してくださいよぉ……」


「頭痛くなる……」


 そういって素直に眼鏡を返すと、まだ眼鏡がぐるんぐるんと回っている。

 平衡感覚狂う。


「産まれて初めて眼鏡かけたけれど、気持ち悪いです」


「私はこれがないと、本読むどころか真っ直ぐ歩くことも儘なりません」


「なるほど、すまんかった。まあそれはそうと、視力の生きている内に本読めって話は理解出来ました」


「理解していただけたようで何よりです。まあ読書に青春を見いだす人は有史以来ずっといるようですからね。我々も青春読書していいと思いますよ。文豪なんて呼ばれている人も若い内から多読乱読していた人が多いですしね」


「そうかぁー何かオススメして、オススメを」


「そですねー、青春時代の小説というと以前読んだ『車輪の下』とかヘッセなんかが定番ですが、それを外してみると、うーん……。あっジッドなんてどうですか? アンドレ・ジッド!」


「働けど働けど、なんとかかんとかじっと手を見る……?」


 わたしの戯言を完全にスルーして栞が話を続ける。

 うむ。ありがたい。


「よく難関大学の入試とか、倍率の高い資格とかで「狭き門」なんていうじゃないですか。その元ネタになった『狭き門』というタイトルの作品で有名なアンドレ・ジッドです。因みにノーベル賞作家ですね。あと豆知識で言うと結婚していたけれど後にゲイであることを告白していました」


「いきなり重い球投げ込まないでよ……それはそうとして「狭き門」って本のタイトルだったの? 二重に驚きだわ!」


「まあ正確には聖書のマタイ伝の《狭き門より入れ》って文句が元ネタですね。天国に入る門は狭く、滅びに向かう門は大きく広くここから入る人はなお多いよと……そんな感じの言葉です」


「そんな古い言葉だったのかぁー」


「そんな古い言葉だったのですぅー。まあタイトルだけは有名なので、みんな読んでいるのかというと割とそうでもなくて、一番有名な『狭き門』ですら一時期絶版になってたことがあったそうですね。何ですがこれが七〇年代とかに高校生だった文学少年なんかのバイブルみたいな扱いだったそうで、還暦ぐらいまでの人にとっては正に青春の一冊だったワケなんですね」


「で、なんで今はあんまりみたいな空気なの?」


「石川淳という作家が翻訳してたものが長らく普及版だったのですが、まぁ文体がこれ小難しくて、今の時代の肌感覚にあわないんですよね。そんな頻繁に翻訳されてなかったというのがありまして、最近まで令和最新版みたいな読みやすい感じのがなかったのです。それとまあ古典としては重要な作家なんですが、母国フランスでもぜっんぜん読まれてないそうで、下手したら日本人の方が読んでいるんじゃないかといわれているみたいですね」


「つらたん……」


「で、詩織さんに青春小説でジッドお勧めするとしたらですね、この『狭き門』ではなくて『法王庁の抜け穴』ってタイトルを読んでみて欲しいですかね」


「ほーおーちょーの抜け穴?」


「はい。ジッド作品としてはフランスでも比較的読まれている方のタイトルだそうで、いわゆる《ピカレスク・ロマン》というヤツです」


「なんか聞いたことある。そのぴかぴかロマンとかいうの」


「悪漢小説ですね。悪い男が犯罪を起こしたり、危険やスリルに満ちた冒険をするという、大昔から人気のジャンルですよ」


「おっエンタメですか!」


 栞はニッコリと笑うと「エンタメしてますね!」といった。


「ネタバレにならない程度にあらすじざっくり説明すると、第一の書から第五の書までの五章構成で、それぞれの章に第四の書を抜き、その章の主役の名前が割り当てられています。人間関係をすっ飛ばして話すと、詐欺師集団の《百足組》が、敬虔なカトリック教徒の富豪に神父の格好をしてとんでもないほら話を吹き込んでいくんですね」


「ほうほう。どんなです?」


「時の法王レオ十三世がフリーメーソンの手によって誘拐され、幽閉されている。従って解放のために莫大な身代金が必要なので、是非この聖なる喜捨をお願いしたいと……ま、そんな話です」


「フリーメーソンってあの都市伝説によく出てくるフリーメーソン?」


「ですです。まあ秘密主義的な所があるので仕方ないですが、当時は政治家や貴族に科学者や学者など割とステータスの高い人たちが加入していて、常に陰謀を企んでいるという陰謀論めいた組織ではなかったのですが、カトリックの権力と政治を引き離したい。つまり政教分離に熱心で色々とやっていたため、まあ仲が悪かったのですね。ここら辺はフランス第三共和政とかで調べてみるといいと思います。で、法王庁にはいざという時のために抜け穴が用意してあって、そこから法王が誘拐されたから助けてねと、そんな詐欺話なんですけれど、この話実は当時本当にそんな感じの噂があったりと史実というか元ネタになるようなエピソードやモデルはあったんですね。登場人物達にも元ネタがあって、アカデミー・フランセーズに入りたがっているけれどつまらない作品ばっかり書いているバラリウル伯爵はジッドの先輩作家でノーベル賞もとったアナトール・フランスにエミール・ゾラが混ざったような感じですし、バラリウル伯爵と腹違いの弟で私生児のラフカディオは、どうもラフカディオ・ハーンから名前をとっているのではないかという可能性がありそうなんですね」


「ラフカディオ・ハーンってなんか聞いたことあるなぁ」


「小泉八雲といったら分かるかと」


「あーはいはい! 怪談作家の! 歴史の授業でやりましたよ! ちゃんと覚えてた、エラいでしょ?」


 栞はわたしの頭を撫でながら「おーよしよし、エラいエラいですよー!」といってくるので思わず「でへへーそうでしょそうでしょ」と調子に乗る。


「ま、そんな感じで詐欺グループや、完全に騙されてお金はないけれど命をかけて救出に向かおうという人なんかが出てきてわちゃわちゃするはなしです。複数の話が錯綜していますが、本筋自体はスパッとシンプルなので惑うことはあまりないかと思います。ということでお勧めの作品なのでリード・ナウ! でございます」


「なるほどなー。なんかドラマでやっても通じそうな感じの部分あるねー」


「そして登場人物のラフカディオは青春と冒険心に満ちあふれている男です。まあその冒険心が身を破滅させてしまうのですが、そこを含めて青春小説といえるのではないかと」


「で……分厚い?」


「んーページ数こそそこそこありますが短い章立てなので割合時間かからずに読めますよ! わたしは一日で読みましたけれど、二日三日あれば誰でも読めると思います。それに割とエンタメ向きなので、当時の世相や政治なんかの知識はあった方が理解は深まりますけれど、なくても楽しめるのでそれでいいとおもいます」


「そっかぁ読んでみましょうかね。セーシュンしたいですし」


 栞はわたしが読もうと前向きな姿勢を示すといつもニコニコと本当に嬉しそうに柔和な笑みを浮かべる。

 果たしてわたしが本を読む一番の理由は、この笑顔が見たいからという一点に尽きるのかも知れない。

 そしてそれが、これこそが青春をしている瞬間なのだろうかと思い、栞の顔を見る。

 彼女の顔の真ん中には眼鏡がかけてある。

 わたしがそのレンズを通してみる世界はメチャクチャだったけれど、彼女はそのレンズを通してわたしを見ている。

 そうしてわたしという存在がメチャクチャな歪みで補正されて、わたしの実像が結ばれるのかと考えると、わたしと栞の見ている世界は同じようで違うのだろうけれど、栞の見ている世界を今までかけたこともない眼鏡を通して見てみたらオドロキの世界が広がってていた訳で、なんでも体験してみるべきなんだろうなと、なんだか全く纏まりのない考えがボンヤリと浮かぶ。

 多分、本を読んで見るということは眼鏡をかけて世界を見るのと同じような、世界に通じる窓を多く開く行為なんじゃないかと……あー難しいこと考えるのは止め!

 わたしらしくないから、本読んだら栞に褒められて一緒に、えへへって笑えるようについていきたい!

 それだけです!

 セーシュンの一頁がまたべろりとめくられる。

実際のところ二昔以上前の文学青年みたいな方にとって、ジッドは代表的な青春の一冊(『狭き門』)だったそうでかなりの人気があったものの、現在ではあまり読まれておらず、日本人の方が読んでるんじゃない?

みたいな部分も確かにあるそうです。

底本としたのは光文社古典新訳のものですが、非常にすっきりとした翻訳文で実に読みやすいのでおすすめの一冊です。


エンドウ豆壁に投げつけるような程度の手応えしかありませんが、とりあえずいつものテンプレです。

感想や突っ込み、こんな本あるけれど読め。そして書け。

とか、まあお気づきになられた点ありましたらお気軽に感想欄にどうぞ。

感想書くのは面倒くさいけれど、まあいいんじゃね?

という感じの方は「いいね」していただけると私がフフッてなりますのでポチッとお願いいたします。

まあどっちも気が向いたらで、ではまたです。

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― 新着の感想 ―
[一言] >本を読んで見るということは眼鏡をかけて世界を見るのと同じような、世界に通じる窓を多く開く行為 良いですね。思わず、なるほど~と感心してしまいました。読書というもののについての見方が一つ増…
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